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サムライフローマ  作者: いぬっころ
第一章 気がつけばローマ
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28t18

 彼はクィントゥスさんに手招きされると、部屋の中に入ってきた。

 黒い艶やかな髪、幼げな容貌、不思議な服、少し砂埃で汚れているけれど、初めて見たときと変わらない姿で私の目の前にいる。

 やっと、と思ってしまうのは、おかしい事だろうか。


「さて、では始めましょう。率直に言います。アキレウスは次回の剣闘大会には参加させないでください」

「ま、妥当な判断だ。構わんなクィントゥス」

「うむ、異論は無い。彼の腕前は惜しいが、剣闘の作法を言葉抜きで説明するのは難しいだろう」

「彼はどうなりますか?」


 私は思わず口を挟んだ。私の関心事は、彼の今後の事だけだったから。


「契約通り、報酬を支払います。私の養成所では食事と住居を始めとして、生活に必要になる経費は徴収していません。その代わりに報酬は少々安い。大将戦は三戦分であるから、金貨三枚」

「たった一度きり雇っただけの男に、そこまで大盤振る舞いするのか?さては見栄を張りたいのだろうクィントゥス」

「元々払うつもりだったのだ。忘れて貰っては困るが私が契約している剣闘士は全員自由民だぞ、彼だけを安く雇おうとは思わん。それに私は始めからそれだけの価値があると確信していた。金貨三枚程度惜しくは無い」

「なぜだ?」

「彼の手を見たからだ、彼の手はタコで一杯だった。軍人上がりでもあんな手の持ち主はそうそう居ない。剣闘士の手にも近いが、数年程度ではあんな風にはならない。彼は今よりも、もっと幼い頃からグラディウスを振り続けたのだろう、若いのに手だけは引退寸前の腕利き剣闘士並みだ、強いに決まっている。それに彼はペンテシレイアに勝つ確かな実力もあった。私は金貨三枚が極めて妥当だと考える」


 クィントゥスさんとガイウスさんが丁々発止のやり取りを見せるが、私が聞きたい事はその後の事だ。


「では報酬を支払った後は?」


 クィントゥスさんは難しい顔をして答えた。


「彼が剣闘士になれば、今回の件はいつまでも尾を引く事になるでしょう。彼と今後契約する事はできない。巫女様、先ほどあなた様が言ってくださったように、我々は所詮イチジクの木なのです。千年の実りが約束されなければ、双子を助ける事は無い。雌狼にはなれません」


 雌狼。

 イチジクの木が実りを得るため、双子をティベリーナ島に留めた後、二人に乳を与え育てたという伝説の狼の事に違いない。


「ガイウス、お前はどう思う?」

「処刑を妨害した男を剣闘士にするのは無理だ。これからの興行に差し障るし、彼がまた同じような事をしないとも限らん」

「サウロスはどうだ、彼は腕利きの護衛になるかも知れんぞ」

「意思の疎通ができない者を傍には置けませんね。私にも当てがない、とも言えませんが、今は無理です」

「当て、とはなんだ」

「私の知り合いに、全ての言葉がわかると豪語する者がおります。その者なら彼の言葉もわかるかも知れませんが、今は通訳として東方に行って貰っています。風次第ですが年明け前に帰ってくる事は無いでしょう」

「そうか。残念だ」


 結局、誰も彼のこれからを保障できる者は居ない。と言う形で話は落ち着いてしまった。

 このままでは彼は金貨三枚を手に入れて、また一人でローマの街に消えてしまうのではないかと不安に思う。

 彼がまた無茶をしてしまうかもしれない。

 そう思うと身体が勝手に立ち上がった。


「ティベリア、あんたまさ」

「私が彼の面倒を見ても、誰も文句は無い。と言う事ですね」


 私は三人の話を聞いていて、思いついた事が一つだけあった。

 彼は言葉がわからない。

 言葉がわからないせいで、誤解が生まれ、危険に身をさらす事になった。

 なら、彼が言葉をわかるようにすれば良い。

 彼が言葉を覚えれば、意思の疎通が容易になり、誤解はなくなり、危険な事をしたり、巻き込まれたりしなくて済むようになる。

 それに、私も彼と話をする事ができるようになる。

 名案に違いなかった。


「私が彼に言葉を教えます。それまでの面倒も私が見ます。彼が言葉を話せるようになったら、それからの事は彼自身に決めて貰えばいいのです」


 これ以上の考えは無いと確信した。

 部屋の入口近くで所在なさげに立っている彼の元へ歩いて行く。

 ユリアが、なにか言っている様な気がするけれど、もうほとんど耳に入らない。

 彼は私よりもずっと背が高い、と言う事に、私は今さら気がつく。

 そんな事も私は知らなかった。彼の事を知った気になっていただけなのだと自覚した。

 彼の前に立って、何を言おうか一瞬悩む。

 彼と目線が合う。

 彼はあどけない表情で、真っ直ぐに私と目を合わせている。

 ああ、やっと、彼と出会う事ができた。

 私はすっかり知った顔のつもりでいたけれど、私と彼とは、今が初対面なのだ。

 ならば相応しいのは最初の挨拶に決まっている。


「はじめまして。私はティベリア・リイヌム。あなたのお名前は?」


 どうか伝わりますように、と願いながら、彼が聞きとりやすいようにゆっくり自己紹介をした。

六月七日、加筆修正

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