25t15
サウロスは笑顔で私とユリアの前に立った。
何か裏がある。と感じてしまうのは、剣闘大会を台無しにしてしまった負い目からだろうか。
ユリアと同じように、私の表情も強張っているかもしれない。
「なにか誤解がある様ですが、お二人には本当に感謝しているのです」
私たちの様子を見た、サウロスは一瞬だけ間を取って言う。
「私たちに、感謝?」
何に対して感謝すると言うのだろう。私は処刑をやめさせるために、言いがかりをつけただけである。
怒られる心当たりはあるが、感謝される覚えは無かった。
私はサウロスが何を言っているのかがわからず、独り言のように口に出してしまう。
「ええ、剣闘大会が予定通りに終了するよりも、途中で騒ぎが起きた方が、人々の記憶に残りやすい。今回の剣闘大会は私の名を売るための催しでしたから、派手な騒ぎはむしろ、私の望む所でした」
サウロスは笑みを崩さずに言う。
その笑顔は何を考えているのかをすっぽりと覆い隠している。
見ていて、なんだか気持ちの悪い笑顔だった。
「だから大した反論も無く、私たちの演説を聞いていたと言う事ですか?」
ユリアは言葉使いだけは丁寧に聞いた。声色には僅かに不快感がにじみ出ている。
私の失敗を帳消しにする為に必死にした努力が、実はサウロスの為になった。と言う事が嫌なのかもしれない。
「はい。主催者の責任を果たす。という最低限の姿勢を貫く必要はありましたが。内心ではお二人に、いいぞもっとやれ。と声援を送っていたのです。ティベリア様の並みならぬ度胸と、ユリア様の見事な弁舌には心からの敬意と感謝を捧げます」
私たちが反応に困っていると、サウロスはさらに続けて話し続ける。
驚く程に表情が変化しない。
顔に張りつけられたような笑顔だ。
「そして金で手に入れる事の出来る名声を維持するには、定期的な投資が必須です。民衆は無料で娯楽を提供されても、すぐに忘れてしまいます。ローマでは無料の娯楽など、いくらでもありますから。そして一度投資するのであれば、利益を得るまでは投資をやめるべきではありません。より正確に言えば、定期的に投資できる状態を準備してから、名声を得るために行動すべきなのです。当然私にはその用意がありました。ですが、ただ剣闘大会をやるよりも、前回の雪辱戦をやる。と予告した方が、観客の期待感を煽れます。観客たちは次の剣闘大会はどんなすごい事になるのだろう、と期待して私の事を待ってくれることでしょう」
「あなた、本当にユダヤ人なの?商売をしてたり、剣闘大会で人気取りをやったり、噂に聞くユダヤ人とは全然違うんだけど」
ユリアは思わず、という感じで言った。
横眼でちらっと見れば、しまった。という顔をしているから、本当に無意識の発言だったのだろう。
「ユダヤの神は商売を禁止してはいませんし、剣闘も禁止してはいません。禁止されているのは、盗む事、殺す事です。商売も剣闘もユダヤの教えとは関係がない。ですが、私が一番感謝しているのは、そこの部分なのです。ユダヤ人に対する誤解と偏見は根深い。まあ、これはユダヤ人たち自身の行いが原因ですし、実際にそういう人たちが居るのも事実。ですが、この誤解と偏見が商売では思いのほか邪魔をします。だから私は常々から、サウロスは普通のユダヤ人とは違う。と思って貰えるよう、行動に気をつけております。今回の剣闘大会で、ユダヤ人である私がローマ人の要請を聞き入れた。しかもウェスタの巫女の要請をです。ほとんどのユダヤ人、どころか、ローマ中の商人が望んでも得られない評判を私は得る事ができたのは、お二人の度胸と弁舌あっての事。本当にお二人には、いくら感謝の言葉を伝えても足りないほどです」
サウロスは特別気分を害した様子も無く、笑顔のまま言う。
「私はユダヤ人です。だが、ローマの人々が思うユダヤ人とは、また違う。私は正しい信仰の元で商人として生き、剣闘も主催する野心家です。ただのユダヤ人ではなく、この商人であるサウロスを信頼して、お茶会の誘いを受けて頂けませんか?」
ユリアは難しい顔をしていたが、私はサウロスさんを信じても良い様な気がしていた。
「らしくない茶目っ気を出してお茶会などと言いましたが、実際は今回の剣闘の反省会と、次回の剣闘の打ち合わせになります。ガイウス所長、クィントゥス所長もお誘いしています。お二人が来て下さるのであれば、アキレウスにも同席して貰おうと考えております」
「行きます」
「ティベリア!?」
思わず、言ってしまった。
ユリアが乗り気でない事はわかっていたから、遠慮しようかと思っていたのだけれど、彼も同席するのであれば、他人事とは言えない。
私だけでも、行くべきだと思ったのだ。
「私にとっても、アキレウスにとっても、ありがたい事だと思います」
「ありがたい、とはどういう意味ですか?」
「彼のこれからの処遇について話さない訳にはいかないでしょう。剣闘士養成所の所長二人と商人一人では、できる事にも限界がありますので」
「はあ」
サウロスさんは直接意味を教えてくれる事は無かったけれど、私にやって欲しい事があるのだと、何となくわかった。
「ちょっとティベリア!」
ユリアが、慌てた様子で私に詰め寄った。
顔が近い。怖い。
「な、何?」
「あんた、流石にちょっと変よ!?何でアキレウスにこだわる訳?」
何でだろう?
聞かれると答えに困る。
「なんでだろう?ちょっと考えてみるね」
「いや、そうじゃないでしょ!?」
「ユリアは先に帰ってて、私はリクトルの人が二人ぐらい居れば、多分大丈夫でしょ」
「あんた置いて先に帰れるわけないでしょ!私も行くわ」
ユリアが一緒なら、とても心強い。
でも、また迷惑をかけてしまったかなと心配になる。
「では、参りましょうか」
終始笑顔のサウロスさんがそう言って、私たちを先導しながら歩きだした。
五月二十二日、加筆修正




