第四十二話
アンは後にマットを乗せて、馬を走らせていた。その後をフランシスが追っている。帝都の道は曲がりくねり、先を見通せない作りになっている。その作りがアン達の行く手を阻むと同時に味方をしてもいた。この作りのおかげで三人を追う者も追い難いはずだ。
東門に辿り着くと、門を塞ぐ形でヴェルナーの荷車が横転していた。アン達は荷車の横を走り抜ける。アンとヴェルナーの目が合った。
轟音はもう響いてこない。
盲目のマットは耳が良かった。フランシスの放つ炎舞の音であれば、これだけの距離であっても聞こえていたことだろう。マイクも同じ技を使っている。それが聞こえないというのであれば、そういうことだ。捕まっていたアンの腰に回した手に力が入る。普段から閉じている瞳をさらに閉じた。何故光の映らないこの瞳からも涙は流れるのだろうか。
馬で走り抜けて行く三人を、べスカは門の上から見ていた。追うつもりはなかった。
あの首はここにあるべきではないとべスカは考えていた。あの首を帝都に置いておけば、どのような者達がそれを取返しにくるか分からない。皇帝の身の安全を優先するのであれば、やはり無いほうが良い。広場でどれほどの損害が出たのか詳細はまだ分かっていないが、べスカの考えるものよりはましであったはずだ。
べスカの瞳に映るアンの短い茶色の髪が暗闇に消えていった。
マイクとガンスの殴り合いは続いていた。互いに競い合って鍛え上げた体から繰り出される拳は、互いの体を壊していった。体の随所で骨が折れ、悲鳴を上げている。最初に立ち上がれなくなったのはガンスだった。
「まったく。大したものだ」
仰向けになりながらガンスは言った。それを聞いてマイクも座り込んだ。
「年下には負けんのよ」
座り込んで笑っているマイクを帝国兵が囲い込み、縄で縛った。もうマイクにも抵抗する力は残っていなかった。
マイクは城の地下にある牢に入れられた。帝都には衛兵詰所にも牢があり、城の牢に入れられるのは死罪が確定したものがほとんどだった。
(御師様よ。弟弟子は逃がしたぞ。俺はこの通りだが、よくやったほうだろう? たまには褒めてくれたって罰は当たんねえよ)
マイクは牢の中で鎖に繋がれたまま眠りについた。
夢の中でマイクはバジルと殴り合っていた。初めて出会った時と同じように、バジルの拳はマイクを軽々と吹き飛ばした。
「勝てねえなあ畜生」
そう言ったマイクを見下ろしながら、バジルが笑った気がした。
マットを後に乗せたアンと、フランシスは馬を走らせ続けていた。
既に日が昇り始めている、
「追手は来ている? 後はどう?」
「何も来ていません」
フランシスは大きな声で答えた。
「そう」
妙だ。ここまで誰も追ってこないとは。
「鳩のほうが早い。これからできるだけ街には入らずオールドークに向かうから覚悟して。私はアン。アン・ルークウェット。宜しくね」
三人はそれぞれ名乗った。アンの胸には悲しさが押し寄せていたが、二人の若者を逃がすという使命がそれを押し殺していた。マイクは逃げなかっただろう。恐らくはもう……。
最後の言葉は何だったか。
マイクに最後に伝えた言葉は、ただ了承しただけ。
それが、そんなものが最後の言葉になるのだろうか。
なぜもっと良い言葉が出てこなかったのだろう。
零れ落ちる涙を後ろの若者達に見られぬよう、馬を蹴った。
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