第三十六話
帝国宰相レグス・ハイゼンベルクと、イノス直属の軍師バラバド、将軍ガンス・フォーガンスは慌ててイノスの執務室へ向かっていた。
日が暮れた頃にやってきた伝令から至急イノスの元へ来るよう伝えられたためである。
「陛下! 何事です!」
最初に執務室の扉を叩いたのはガンスだった。ガンスはイノスが皇帝に即位する以前からの友人であり、イノスと共に第一皇子タエイノスを討った者でもある。
続いてバラバドと、レグスがやってきた。武官ではない二人はいずれも息を切らしていた。
イノスの執務室には呼び出した本人と、その息子、千人長のウェン・スー、そして老人の首と大剣があった。イノスは三人に事の経緯を話した。
イノスが説明する間、イエイレスはずっと黙っていた。イノスの話に補足が必要な時はウェン・スーが応じた。イノスの思いを最も理解していたバラバドは苦い顔をしたが、イエイレスの存在を思い出し努めて平静を装った。
話の最中、扉が叩かれた。
「失礼します。陛下。アンギルダン様が戻られました。如何なさいましょうか」
「ここへ呼んでくれ」
なぜアンギルダンがここへ来たのかと、イエイレスは不思議に思った。
「おお! 揃っとるなあ」
「口を慎め。陛下の御前ぞ」
セシルと共に入ってきて早々軽く言うアンギルダンにレグスがきつく言った。セシルはイノスとバラバドに頭を下げた後、アンギルダンの背後に回り剣の柄に手を添えた。万が一を考えて。この老人に忠誠心などないのだから。
「固いやつだ。バジルの首を落としてしまってどうしたものかと話でもしていたのであろう」
「なぜお前がそれを知っている?」
バラバドが問う。
「そう怒るな。儂も多少責任を感じておるところだ。そこの殿下を帝都に送り返したのは儂だからな」
「答えになっていない」
「細かいやつだな。ここへ送り返したはずの殿下が真っすぐ北へ向かわなかったので、監視を付けておいたのよ。だから遊撃隊が壊滅状態になったことを知っておるし、どうせ今後どうするか話合うだろうと思って戻ってきたというわけだ」
セシルは頭を抱えた。なぜそこまで正直に言う必要があるのだろう。ウェン・スーは監視に気付かなかったことに驚いた。
「監視だと? 貴様っ、殿下に監視をつけただと!?」
レグスが詰め寄る。帝国宰相レグス・ハイゼンベルクは事実上帝国の実務を司る者の最高位であった。
「どれ……」
詰め寄るレグスを払いのけてアンギルダンは部屋の隅に置かれた卓に歩いていき、そこにあった首を持ち上げて見る。
「ふんっ。老けたものだな」
そう言って彼は少し悲しそうな顔をした。
バジルの顔の皺が今の半分も無かった頃、酒場で喧嘩をした。アンギルダンに吹っ飛ばされて歯を食いしばっていた彼の顔が思い出される。その後アンギルダンは首を置き、その下に置かれた大剣に手を伸ばし持ち上げた。
イエイレスは驚いた。自分自身も、配下の誰もその大剣を一人で持ち上げることは出来なかった。
「間違いないな。バジル・オーレリアだ」
何を持って確信したのか、アンギルダンは言った。大剣を降ろすとアンギルダンはイエイレスの元へ行き、
「やるじゃないか。殿下」
と言った。
嫌っていた老人にそう言われると、不思議とイエイレスの胸は熱くなった。その様子をイノスは黙って見ていた。
「では、どう戦おうかのう」
アンギルダンは笑って言った。
アンギルダンは帝国人ではない。彼は元々北部地域最大の都市コンスティテューションに雇われて帝国軍と戦っていた。その前は冒険者としても名を馳せていた。彼がいたことで帝国の北部地域侵攻はなかなか進まなかった。帝国にとって彼は最初の脅威だったが、皇帝イノスは憎むのではなく、彼を欲した。
そこでバラバドは策を練り、アンギルダンの孫娘を人質に取って彼を交渉の場に引きずり出した。そうしてイノスが彼を口説き落とし、帝国軍の将軍として迎えたのだった。
そういう事情もあってアンギルダンは当初、共に戦う帝国兵からもあまり好かれてはいなかった。ところが彼が次々と北部地域の街を落とし、コンスティテューションを無傷のまま手に入れると風向きが変わってきていた。チュワモント王国に侵攻し、コンパルド共和国を降伏させた頃には誰もがアンギルダンを慕っていた。彼の誰に対しても変わらず接する態度も又、兵達の信頼を得るのに役立っていた。
ハイゼンベルクをはじめ、特に貴族出身の文官達は今でも彼のことを嫌っていたが、その功績は認めざるを得なかった。
「こうなってしまった以上、最早彼等と手を組むことは不可能。であれば、それを逆手に取る他ありません」
軍師バラバドは続けた。
「単騎で二千の兵を倒す老人、まさしく御伽噺の者であります。それでも殿下はそれを討ち取っている」
イエイレスはバラバドを見た。
「英雄は二千の兵で落とせるのです」
続けて話したバラバドの提案はあまりイノスを良い気分にはさせなかった。アンギルダンを手に入れる時もそうだったように。けれど結果としてアンギルダンはこうしてこの場にいる。イノスはバラバドの提案を受け入れるよう自身に言い聞かせ続けた。長い夜になりそうだ。
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