第三十一話
バジルは夢中で帝国兵に大剣をぶつけ続けた。向かってくる者を斬り、逃げる者を追って斬った。カエンの死体はその目に映り続けていた。それも……増えている。今では辺り一面にカエンの死体が転がっている。こうなるともう疑いようはない。自分は壊れている。
斬っても斬っても沸いてくる帝国兵。こいつらを全部片付けたら、この目に映る娘の死体は消えるのだろうか。
バジルの頭の中に燃え上がった炎はごうごうと燃え続け、稀に何かを感じさせた。
ひたすら帝国兵を追いながら斬りつけて進む。気付けば小高い丘と天幕が見えるところまで来ていた。金の鎧と軽装の男が何かを言い合っているようだ。あれが指揮官の皇太子か。だとすればここが中心地。貴様等を一人も生かしておくつもりはない。
「結界」
バジルはそう呟いて、マナに指示を送った。
シーリーとメイガンが共同で作った汎用構造術式は、魔術師の術式を誰もが簡易的に使用できるようにした。結界もその一つだ。バジル自身の術ではないので、発動条件を詠唱と自己マナに結びつけた。本来は対象を指定するものだが、それをせず、自身を中心に可能な限り範囲を広げる。全員を入れなければならない。自分の望む範囲まで広がるようにマナに指示を送り続けるとバジルを中心に陽炎のようなものが広がっていく。それが指揮官と思われる金の鎧の先まで広がったのを確認すると、バジルは発動の指示を送った。
汎用構造術式を使用して発動された結界術式はバジルを中心に遊撃隊全軍を閉じ込めた。幾重もの層でできたこの結界は小さなものであればかなりの強度を誇るが、これだけ範囲を広げたものの強度はあまり期待できないだろう。だが問題はない。風が止んでいる。
同時にバジルはマナ切れの症状に襲われた。疲労感が押し寄せ、世界がぐるぐると回って視界も定まらない。アイリーンを持っていることができずに手を離してしまう。もうマナはない。どれくらいのマナを使えば遊撃隊を全て結界に閉じ込められるか分からなかったからありったけ使ってしまった。けれど、もう少しで何かが掴めそうな気がしていた。その何かが結界を全力で展開する決意を後押ししたのだ。
バジルを囲む包囲網は少しずつ狭まっていき、誰が一番槍かを探り合う兵士の様子が伝わってくる。頭の中で燃え上がっていた炎の片隅に何かが見える。揺らめく炎の合間に一瞬見える緑の炎。
見つけた。
掴みかけていたものの所在。
それが何処にあるのかを認識すると、途端にその使い方が分かった。
バジルはそれを燃やした。視界も定まる。
丘の上の金の鎧の男を睨みつけ、自分を中心に炎を出した。
もっと、もっと、もっと強く、熱い炎を。
バジルの生み出した炎は渦を巻いて燃え上がった。
自分の中にあった今まで見たことのない緑の炎。頭の中で燃え上がる憎悪の炎もより一層燃え上がった。
緑の炎の熱はバジル自身も焦がし、目に滲んだ涙も蒸発させた。
やがて炎はバジルの視界を埋め尽くし、その瞳に映っていたカエンの死体を彼から遠ざけ、彼自身の意識も遠ざけようとしていた。
たくさんの死体が転がるこの場所に、大きな犬と真っ白な狼がいた。彼等はバジルをじっと見つめている。二匹の周りを四匹の子供が駆け回っていた。
この場所に不釣り合いなこの獣達を、帝国兵の誰も気にしていない。BDは後を振り向いて何かを確認する。彼はもうここに来ている。
BDは妻のレディを見て、それから子供達を見る。そして走り出し、帝国兵をするすると避けながらバジルの元へ向かい、その背中に頭から飛び込んだ。すると、その体は滝から落ちる水が吸い込まれていくようにバジルの体に消えていった。
その後を四匹の子供達が追いかけていく。
子供達もバジルの中へ飛び込んだことを確認すると、レディは何かを落とさないように空を見上げた。顔を正面に戻すと彼女も又、バジルへ飛び込んでいった。
バジルの五感は炎に焼かれる痛みを鮮烈に伝えていた。酷い熱さと激しい痛み、ともすれば消えてしまいそうな意識を、どうしようもないほどの憎悪が辛うじて繋ぎとめていた。
そこにふと、温かい何かが流れ込んできて、ほんの僅かの間ではあるが痛みを消し、憎悪の炎も和らげた。それはとても温かく、懐かしかった。
『パジー、死んだらどうなるの?』
『良い人間は天国へ、悪いやつは地獄へ行くんだ』
『それで終わり?』
『いいや。そのあとは又この世界に帰って来る』
『じゃあまたパパとパジーとパレーと暮らせるの?』
『ああそうさ。良い子にしていれば、いつかまた、きっとな』
温かい何かが幼い頃のカエンとの会話を呼び起こした。
飛び散ってしまいそうだった意識が現実に引き戻されると、視界は緑色の炎によって覆われ、炎の向こう側で帝国兵の悲鳴がいくつも聞こえていた。炎は火柱となり、結界を突き破りそうなほどに燃え上がっている。
魂を燃やした。
こんなものが今まで自分の中にあったとは、認識すらしていなかった。だが使えるのなら使うまで。バジルはひたすらに燃えろと命じた。燃やして燃やして、燃やすことだけ考えた。炎が次第に弱くなっていくと、緑の炎の向こう側にまだ動いている兵士達が見えた。これだけ燃やしても届かないのかと、バジルは歯を噛み締めた。
炎が消えると黒鎧の男がバジルの前に立ち剣を構えた。
力の抜けた、無駄のない構えだった。バジルよりも若いが、多くの死線を超えているように見えた。
バジルはアイリーンを拾い、構えた。今までこの愛剣をこれほど重く感じたことはない。
辺りにカエンの死体が散らばっている。
ちくしょう。返せ。俺の娘を、俺の世界を返しやがれ。返せるものなら返してみろ。でなきゃ。
バジルは叫んだが、声には出ていなかった。
突進してきた黒鎧の男の攻撃をバジルは大剣で受け止めた。重い。男の一撃だけでなく、アイリーンを持つこと自体が限界に近かった。すると、背中に激痛が走った。矢が刺さったらしい。それを合図としたかのように黒鎧の男が離れると、無数の矢が襲ってきた。バジルは咄嗟に大剣を盾に矢を防ぐ。このままではいけない。敵の懐に入らねばならない。
気力を絞って飛び出し、数名の兵士に大剣を叩き込む。剣を振った勢いを殺さぬよう回転して次の標的に向かおうとした時、丘の上、金の鎧の指揮官がいる場所に女が立っていてバジルと目が合った。バジルを見て驚いているように見えた。どこかで見たような、自分の知る者のような気がした。まだ捕虜が残っていたのかも知れない。
「追い込め! 弱っているぞ」
先ほどの黒鎧の男が指示を出す。指揮官としても優秀な様だ。
どこからか歌声が聞こえてくる。先ほどの女か。この歌も聞いたことがある気がする。戦場で歌が聞こえてくるとは、俺のイカレタ頭もいよいよ駄目な様だとバジルは不敵に笑った。
不思議なことに歌声を聞いているとバジルの体に力が入るようになった。
バジルは再度大剣を帝国兵に叩き込む。
「振り終えた隙を狙え!」
炎舞を使わなければ、この隙をやられる。女の歌声が響く。
『じゃあまたパパとパジーとパレーと暮らせるの?』
カエンの言葉が思い浮かぶ。
輪廻転生。子供騙しの答えだったのだが、案外本当なのかもしれない。
バジルの脳裏に様々な場面が浮かんできた。どれも記憶にない光景だ。
見知らぬ女が赤子を見せてくる。
ドレイクに似た男が子供を連れている。
クリスやシーリーやアーノルド、ルールーにエマにメイガン、皆似ているが自分の知る者達とどこかが違う。BDやレディと似た雰囲気を持つ者達もいた。
それらの人々と出会って、また友情を築くのだろうか。
何かが許可を求めてくる。言葉ではなく、許可を求めているのが分かる。
〝いいのか?〟
バジルは応えた〝燃やせ〟と。
数々の光景が浮かんできては、都度許可を求められた。だからバジルはその都度〝燃やせ〟と返した。
丘の上に少女がいた。少女はこちらに気付くと、走って向かってくる。
〝いいのか?〟
いけない。
あの少女の声を聞いてはいけない。
顔を見てはいけない。
そうしてしまったら自分はもう……。
〝さっさと燃やせ!〟
バジルはこの土壇場でさらに燃やせるものを見つけた。アイリーンの背に空いた五つの穴に爆発を起こし、その推力を乗せた剣速の大剣が帝国兵を吹き飛ばす。その後を青い炎の尾が引いている。
「離れろ、さっきとはまた違う」
黒鎧の男が包囲網を下がらせる。剣を構えるその姿は一分の隙も見られないが、バジルには関係ない。彼の技は〝名前を持つ竜〟の首にも届いたのだ。
バジルは地を蹴り帝国兵に突進した。大剣を振るい、青い炎を纏いながら帝国兵を吹き飛ばしていく。歌声が大きくなっている。
辺りで燃えていた炎も青く変わり、その炎は帝国兵にどんどん燃え移っていった。
バジルはもう、カエンと出会うことはない。
例え生まれ変わっても。
あらゆる可能性を今燃やしている。
これが燃え尽きるまであとどれくらいあるか分からない。
その前にこいつらを全て焼き尽くさねばならない。
息が苦しい。それは自分だけではないようで、帝国兵も多くが苦しみ、喉を抑えながら倒れていった。
大剣を振りながら、燃やせるもの全てを燃やしていく。黒鎧の男と目が合う。彼の瞳はとても落ち着いていた。バジルとの戦いを楽しむこともなく、恐怖することもなく、淡々と責務を果たそうとする姿だった。
バジルは再び炎舞の構えをとる。
アイリーンの刀身に青い炎が纏っている。
バジルの燃やしたものからは無尽蔵に近いマナのようなものが送られ続け、バジルはひたすら燃やし尽くすよう命じていた。
辺りには青い炎が燃え上がり、あちこちで人が燃えている。青い炎がついた者は慌てて駆け回り、その炎を広げていった。燃えていない帝国兵も呼吸ができず、どんどん苦しそうに倒れていった。倒れた兵の鎧が地面にぶつかり、がちゃがちゃと音を立てている。もう少しだ。
バジルの脈拍と体温は著しく上がり、身体は紅潮しあちこちから湯気が立ち始めていた。
これでは本当に炎怒ではないか。友人達はバジルの術式を〝舞ではなく炎怒〟だと揶揄っていた。
バジルが黒鎧の男に向かっていこうとした時、それは突然起きた。
バジルの右腕が弾け飛び、支えきれなくなった大剣は左手からこぼれ落ちた。鼓膜は破れ、傷があったところからは血が噴き出していた。噴き出した血液は蒸発し、赤い水蒸気が立ち上っていく。身体を支えきれずバジルは前方に倒れる。受け身すら取れなかった。
音は聞こえない。ただ、帝国兵もばたばたと倒れていっているようで、微かな振動が身体を揺らす。瞳は焦点が合わず、歌う女の姿も声ももう感じられなかった。ただぼんやりとカエンの最期の姿だけが瞳に映っていた。
ここまでのようだ。こうして一人で死を向かえるとは思ってはいなかった。
孤児院を作った時から、心のどこかで俺は誰かに看取られて死ぬんだと思っていた。戦いと冒険に明け暮れた人生だったのに穏やかな余生を送れると思い込んでいた。少しずつ年老いて、身体が動かなくなって、家族に見送られるんだと。
それまでにやることもあった。いつかカエンが愛する男を連れてきたって、俺が追い返してやるんだ。そしてこれからも色んな運の悪い餓鬼共を拾って育てて……だけどもう、燃やしてしまった。
結界が解け、風が流れ込んでくる。
バジルの肌はもうそれを感じられなくなっていた。
目も見えず、耳も聞こえない。
バジルの回答が正しかったのなら、生まれ変わって又あの頃のように暮らすことが出来たはずだ。
壊れてしまったドレイクも、無抵抗で死んだBDも、レディも餓鬼共も、カエンと又、いつかきっと出会える。
ただそこに、俺はいけない。
いいさ。
生まれ変わったカエンは俺の娘ではない。俺の娘はここにいたんだ。あの子だけだ。
カエン、守れなくてすまない。
母よ、俺は娘を守れなかった。すまない。
謝罪を繰り返すバジルの意識は、過去に沈んでいく。
まだ小さかったカエンが身体を拭かずに風呂を飛び出していった。風邪を引いてしまうといけないからと二人にカエンを捕まえるよう頼んだ。
「ドレ…B…、…エンを捕…てく…。風邪…ちまう……」
バジル・オーレリアは笑って逝った。
結界が解けたことで入り込んできた風は、消えゆくバジルの頬を掠めて、南東へ運んだ。
その風は吹き続け、ディエイカー王国にあるウォーターヘブンという湖のほとりまで行って、そこで庭の手入れをしていた人の女の姿を模した竜の頬に当たった。
心地良いのに、どこか悲しい風だと彼女に思わせた。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!
kindle出版しているアーカー大陸:楔の本編をこれから毎日最後まで公開していきます。
少しでも面白いと思っていただけましたら、ページ下部の【ブックマーク】や【☆評価】を押して応援していただけると、本当に嬉しいです!よろしくお願いいたします。




