第二十七話
ラルゴン帝国領土拡大遊撃隊、その本隊の撤収は遅々として進まなかった。連れてきた捕虜が多すぎた。
「遅い、遅いぞセム」
「はっ、今急がせる旨の伝令を送りました」
遊撃隊の指揮官、イエイレス・ヴィレイブンは馬上で退屈そうに欠伸をする。その傍らにはセムと呼ばれた軽薄そうな男、その周りを金の装飾をあしらった近衛兵が固めていた。
「退屈だ。俺はいつまで待てば良いのだ」
遊撃隊はイエイレスとセム・イム直属の近衛兵、そして三人の千人長によって率いられていた。隊列の最後尾では武闘派のアプサロムの部隊が捕虜を連れて移動しており、中ほどには魔術師を多く抱えるカトツェラの部隊が戦利品を運んでいる。先頭には自身も傭兵出身で実戦経験の多いウェン・スーの部隊がいた。
「やはり捕虜の数が多かったのではありませんか?」
「戦利品は多ければ多いほど良い。子供は労働力になるし女は兵士の慰労になる。多ければ多いほど良いのだ」
イエイレス達はウェン・スーの後ろ、カトツェラの前あたりにいた。最後尾のアプサロムと捕虜達が遅れており、イエイレス達は度々後続を待つために足を止める必要があった。
「帝都までどれくらいかかる」
「この分ですと、一月はかかるかと」
イエイレスは顔をしかめる。
「長いな。長すぎる」
「では捕虜を置いていきますか?」
イエイレスはますます顔をしかめた。
「ならん。そんなことをしては兵の士気が下がるだろうが」
「出過ぎたことを申しました」
前方から馬が駆けてくる。おそらくウェン・スーからの伝令だろう。近衛兵の前で馬を降りた伝令はイエイレスの元まで近づき、片膝をつく。
「千人長ウェン・スーより伝令です。ここより少し先に小高い丘があります。野営の準備をしておりますのでそちらで後続を待ってはいかがでしょうか」
しかめ面のままのイエイレスは返事をせずに押し黙った。彼が求めているのは休息ではなく、早く帝都へ戻り戦果を皇帝に報告することだった。セム・イムに取っては渡りに船だった様で、嬉々としてイエイレスに話しかける。
「殿下、これはウェン・スーの粋な計らいではありませんか」
「粋だと? 休む場所を用意したから大人しく待っていろというのがか」
「そうではありません。指揮官たるもの、余裕を見せることが大事」
イエイレスの眉が吊り上がる。
「お前は俺に余裕がないと言っているのか?」
伝令は慌てた様子で周囲の近衛兵の表情を伺ったが、近衛兵達もセム・イムも平然としている。
「そうではありません。殿下が常に、慌てることなく、平静を保っておられることは遊撃隊の誰もが存じ上げております。しかし殿下にはまだ足りないものがあると申し上げているのです」
この場はセム・イムが主導権を握った。周囲の誰もがそう感じた。
「指揮官たるもの余裕を見せるべき。これは普段の振舞いだけでは不十分です。強き剣闘士が自身の力を見せつけるために筋肉を露にするように、殿下もご自身が落ち着いている証拠を皆に示す必要があるのです」
「ふむ。お前が言っていることも一理あるな。しかし今は平時。我々は戦いに行くのではない、自分達の家に帰るのだ」
セム・イムは饒舌に語る。
「ええ。ですが何事も訓練が必要です。平時にできないことは有事にもできません。これは戦いも休息も同じことです」
イエイレスの眉が徐々に下がり、真剣に考える表情になる。無垢な皇太子の顔。その顔を見た一人の近衛兵の頬が緩み、それが伝播していく。セム・イムに説得されるイエイレスは幼い子供のようだった。
「戦いと同じで、休む練習もしろということか」
「さすが殿下。私が申し上げたいことをもうご理解なさいましたか」
「ふむ……」
イエイレスは思案する。
指揮官として将として、自分はどうあるべきか。帝国軍人として、何より皇族としてどうあるべきか。ラルゴン帝国領土拡大遊撃隊の指揮官として千人長を三人配下に持つ身でありながら将軍の位をもらえないのは何故なのか。
目の焦点が合わなくなるほどに集中しているイエイレスをよそに、セム・イムは大詰めにかかる。
「伝令、ウェン・スーの準備した野営地は小高い丘の上と言ったな」
「はい」
「であれば、周囲の景色は良く見えるのではないか?」
「はい。この辺りは平野ですので、しばらくすれば後続の姿も見えることでしょう」
決まりだ。イエイレスの口角が上がる。
「よし。ではその野営地で休息を取ることにしよう。伝令、ウェン・スーに感謝を伝えてくれ」
「はっ」
伝令は近衛兵から馬を受け取り北へ向かっていく。
「誰か、カトツェラとアプサロムにも伝令を。俺は野営地で休むからゆっくり来いと伝えろ」
近衛兵の中から二名が隊列を南の方角へ離脱する。セム・イムは満足そうに頷いた。
「良い采配です」
「そうか。セムにそう言って貰えるなら一安心だな」
イエイレスの表情からは安堵が見て取れた。心なしか姿勢も崩れており、気も抜けた様だ。近衛兵を先頭に、隊は野営地へと進む。
「まだ慣れませんか?」
「そんなことはない。此度が指揮官としての初陣だったとしても侮ってくれるなよ」
「失礼致しました」
イエイレスは遊撃隊の指揮官に就任してからはまだ日が浅かった。父や他の将軍について前線に行ったことはあるがこれほど大きな部隊を自身が指揮するのは初めてだった。
「だがセム・イム。お前には感謝している。お前の上申がなければ、父上――皇帝陛下は俺を遊撃隊の指揮官にはしなかっただろう」
「いいえ、私は少し口添えをしただけにすぎません。帝国は実力主義、今の殿下は実力で指揮官となられたのです。それになにより、今の帝国には殿下のような御方が必要なのです」
セム・イムの常套句だ。
「そうか……そうだな。父上は大陸統一を掲げたわりに臆病だ。チュワモント王国もコンパルド共和国も今や帝国の手中、シスバーガリ王国もあと半分だ」
イエイレスは手綱を強く握りしめた。何故だか悔しくてたまらなかった。
「だがまだそれだけだ。大陸は広い、我々は漸く半分という程度ではないか。まだ各国が団結していない今が好機であるというのに……」
憤り。若く青い彼には皇帝イノスの戦略はひどく鈍重なものに見えていた。帝国軍の軍事力は大陸一なのだ。兵士の練度も魔術も。それなのに何故もっと果敢に攻めないのか不思議でしょうがなかった。
この憤りは遊撃隊の前任者、べスカ・アランシャに向けられた。
「アランシャは臆病者だったのだ。自分の兵士を失うことを恐れ、自分の名誉が堕ちることを恐れたのだ。領土拡大遊撃隊の名を何だと思っているんだ、あの臆病者は」
「殿下のお考え、とてもよく分かります。各国が纏まっていない今なら少しの損害で大打撃を与えられると」
「そうだ。俺はずっと父上にそう言っていた。だが結局叶えてくれたのはセム、お前かもしれん」
「もったいないお言葉です」
一行はゆっくりと街道を進む。急いでも待つ時間が増えるだけだ。そうであれば気を抜いて談笑しながら進むほうがまだましだった。
「此度の戦果、全てセムの作戦のおかげだ。我らの損害はとても少なかった」
「ありがとうございます。これでグレーリーホール王国、リトルアジアにも宣戦布告が叶いました。遊撃隊の本分を全うされましたな」
ラルゴン帝国領土拡大遊撃隊はその名の通り、他国領土の奪取を目的とした部隊であり、能動的に攻め入る急先鋒としての役割だったが、前任のべスカ・アランシャは部隊の遊撃性を存分に発揮して各所の国境線に出没し、いつどこから遊撃隊が来るか分からないという抑止力となることを選んだ。
イエイレスはそれとは反対の、本来の領土拡大遊撃隊としての責務を果たすことを望んだ。
べスカはアンギルダンのチュワモント侵攻中、彼の背中を守るようにコンパルドとシスバ―ガリを牽制していたのだが、それはイエイレスの知るところではなかった。
イエイレス達はアンギルダン将軍からシスバーガリでの略奪品を帝都へ持ち帰るよう指示されていた。何の成果も上げられず、ただの輸送任務として帰還することに不満を持っていたイエイレスにセム・イムはリトルアジアを横切ってグレーリーホールに入り、道中の集落を襲いながら帰還することを提案した。帰り道は特に決められていなかったのもあって、イエイレスはその提案を受け入れたのだった。
「そうだ、これで大陸統一にも拍車が掛かるというもの。父も喜んでくれよう。今の帝国ならシスバーガリもリトルアジアもグレーリーホールも纏めて相手ができる」
イエイレスは確かな手応えを感じていた。ようやく帝国軍人として、何かを成すことができたと。
「我が国には戦いを恐れない優秀な者が多い。アンギルダンを始めとした将軍等は衰えている。そしてセム、お前のような優秀な軍師がいれば我々に負けはない。そうであればもはや戦いを避ける必要などないのだ。優秀な臣下達が能力を発揮できるようお膳立てをしてやるのも、上に立つ者の使命」
「良いお考えと存じます。殿下はベルシビルを始めとした街を占領することで、臣下達が本領を発揮できる場を作ってくださった、と言うことでございますね」
イエイレスは笑う。釣られて近衛兵達も頬が緩む。豪胆で純粋で無垢な笑い声は昔から変わらない。
「お前は本当に俺を煽てるのが上手いな。これは全てお前の入れ知恵ではないか」
「いいえ。確かに私が進言したことでございます。ですがそれを選択なされたのは殿下です。殿下がご自身のお言葉で部下に伝え実行したのです。参謀の進言を受け入れ、自身の責任で指揮を執る。指揮官の鏡でありましょう」
セム・イムも満更ではない。この二人はいつも二人だけの世界で話をする。まるで教師と生徒のような、とても穏やかで無垢なやり取りであった。
「む、あれがウェン・スーの言っていた野営地だな。確かにあそこなら周囲が良く見えるだろう」
イエイレスの視線の先には小高い丘の上に張られた天幕があった。緩やかに盛り上がっており、馬に乗ったままでも上に上がることができそうだ。それほど高さはないが周囲がだだっ広い平野のため遠くまで良く見える。守りに適した地形ではないが、少なくとも敵影は見つけやすく、休むには丁度良い。
一行は丘の上に登った。セム・イムの指揮で近衛兵が周囲の警備に就く。イエイレスは天幕に入り用意されていた椅子に腰かけた。
周囲に誰もいなくなると大きなため息が出た。横になりたかったが寝台は用意されていなかった。一瞬ウェン・スーを恨んだが、すぐに考えを訂正する。兵が皆休んでいないのに、指揮官が寝台で眠っていてはそれこそ士気が下がる。
帝都の自分の部屋が恋しかった。華やかな寝台が恋しかった。ほのかに香を焚いた部屋で薄明りの元、剣を磨く時間が好きだった。
「殿下、セム・イムです」
天幕の外からだ。
「うむ、入ってよい」
「いえ、こちらで失礼致します。カトツェラの隊が到着するまでもうしばしかかるようです。アプサロムの隊はそれ以上かかるでしょう。一度甲冑を脱いでお休みになっては如何ですか。兵士達にも食事と休息の指示を出そうと思っております」
願ってもない申し出だった。兵士達が休んでくれるのならば後ろめたいことは何もない。
「そうだな。セムに任せる」
「ありがとうございます。私も少し休ませて頂きます」
「そうしてくれ、疲れが出てはいけないからな」
「勿体ないお言葉です。ここに近衛を一人置いておきますので、何かあったら申しつけてください」
「ああ、ご苦労」
天幕の向こうでセム・イムが一礼するのが見えた。しばらくして近衛兵が天幕の入口の警備についた。イエイレスは天幕の中から声をかける。
「甲冑を脱ぐのを手伝ってくれ。それと横になりたい」
「承知しました。手配して参ります」
近衛兵が周囲に指示を出しているのが見える。天幕に浮き上がる影をぼーっと見ていると、たちまち簡素な寝台が用意され、促されるままに甲冑を脱ぎ横になる。こんなにも疲れていたのか。
横になって束の間、イエイレスは眠りに落ちた。
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