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TOGO 軍神の息子は、アナポリス帰りから軍縮した貧乏日本海軍の記録で稼ぐようです  作者: キユ
第三章

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312/318

燃えない巨大鯨

 時:1932年(昭和七年)、夏

場所:イギリス・スコットランド、ジョン・ブラウン造船所


 夏だというのに、冷たい海風が吹きつけるクライドバンクの巨大な第4号船台。

 かつて大英帝国の誇りとなるはずだった巨大客船「クイーン・メリー(第534番船)」は、1930年の日本資金融資によって、工事中断を免れ、1932年初夏には一足早く第4号船台を離れていた。


 クイーン・メリーが船台を離れたあと、次の仕事は決まっていなかった。

 工員たちには、再び解雇の影がちらついていた。

 だが今日、その重苦しい空気を切り裂くように、数十台のトラックと、真新しい図面を抱えた技術者たちが雪崩れ込んできた。


「……信じられん。本当に、この巨大な船台がまた動くのか」

 呼び戻された熟練の現場監督が、震える手でタバコに火をつけた。


「ああ、しかも『3隻連続建造』だ。隣のハーランド・アンド・ウルフやスワン・ハンター造船所も、フランスのペノエ造船所もフル稼働らしいぞ」

 設計局から来た社長が、興奮気味に図面を広げた。


『日本帝国海軍発注:4万トン級・特務油槽船』

 要求スペックは、全長250メートル。満載排水量5万トン級。貨油搭載量3万トン。さらに航空ガソリン2,000トンと真水を積載。


 クイーン・メリーに匹敵する巨大な船体だが、豪華な客室も内装工事も一切不要。ただひたすらに分厚い鋼鉄の壁をリベット打ちし、パイプを張り巡らせた「巨大な油の箱」を造ればいいのだ。


「……エンジンは、どうするんだ? こんな巨大な船、よほどの大馬力がなければ、波に押されて進まないぞ」

「心配するな。心臓は『東洋の提督』がすでに用意している」


 役人が指差した先。港には、デンマークのB&W社から運び込まれた巨大な鋳鉄ブロックと、ドイツのMAN社から届いた精密なシリンダーが山積みになっていた。

 それらを日本の三井の技術陣が中心となって統合した、化け物のようなディーゼル機関。


 『M9Z 42/58 改・半モジュール機関群』

 構成:7,100馬力級ディーゼル4基

 常用出力:27,000馬力

 最大試験出力:28,400馬力


「……だが社長。一つだけ、厳守していただきたい条件があります」

 役人の目が、鋭く光った。

「最高速力は、書類上、必ず『19.8ノット』で設計・登録してください。……我々は、条約を遵守する『平和な民間特務船』を作りたいのですから」


 社長は、図面の「27,000馬力」という機関出力を睨みつけた。

 この船体を、これだけの馬力で押す。積荷を満載していれば19.8ノットかもしれないが、海況が良ければ、確実に20〜21ノットの「軍艦のスピード」で走れる化け物だ。


(……イギリス海軍省が、こんな条約の抜け穴をよく見逃したものだ。

 いや、違う。海軍省も、造船業界が死ぬよりはマシだと、見て見ぬふりをしているのだ……!)


 役人はニヤリと笑った。

「豪華な客船ではないが……我々大英帝国の造船労働者が、向こう4年間、家族に腹一杯の飯を食わせるには十分すぎるほどの『黄金の鯨』だよ」



 時:1932年(昭和七年)、秋

場所:フランス・サン=ナゼール、ペノエ造船所


 フランス最大の造船所でも、全く同じ光景が繰り広げられていた。

 超巨大客船『ノルマンディー』が進水し、空っぽになった巨大船台。

 そこに、日本からの発注で『4万トン級タンカー』の竜骨が据え付けられていく。


「……信じられない。日本の連中は、こんな巨大な船をどうやって運用する気だ?」

 フランスの造船技師たちは、日本の海軍技術者(牧野茂少佐ら)が持ってきた「洋上補給システム」の図面を見て驚愕していた。


「船の横に並走しながら、ホースを伸ばして燃料を補給するだと? しかも真水と、航空機用のハイオクガソリンまで同時に?

 ……これはただのタンカーではない。洋上を移動する前進基地そのものだ」


 フランスの技師たちは、日本の資金で船を造りながら、その高度な「洋上補給のノウハウ」と「巨大ディーゼルの据え付け技術」を自らのものとして吸収していった。


 造船所全体に、重低音のサイレンが鳴り響く。

 イギリスとフランスの誇る最高峰の「巨大船台」4基が、日本の資金と欧州の技術を呑み込み、世界最大の『補給艦隊』を産み落とすための産室として再稼働した瞬間だった。



 時:1932年(昭和七年)、秋

場所:東京・霞が関、海軍省・軍務局


 軍務局第一課長の沢本頼雄大佐と、軍令部第一班第二課長の南雲忠一大佐。

 海軍兵学校第36期の同期であり、それぞれ「軍政(予算と契約)」と「軍令(作戦と兵器)」の中枢を担う二人の前に、一人の民間人が座っていた。


 出光商会店主、出光佐三である。


「……出光君。君は、我が海軍が英仏で建造中の『4万トン級・特務油槽船』を、平時に君の商売のために貸せと言うのかね」

 沢本は、少し呆れたように言った。


「あれは最新の機関を積んだ、軍事機密の塊だぞ。それを一介の民間企業にホイホイと貸し出せるわけが……」


「ですが沢本大佐。油槽船というものは、油を運んでこそ価値が出るものです」

 出光は、軍人の威圧感に一歩も引かずに言い放った。

「軍港に繋いで浮かべておくだけなら、それはただの『巨大な鉄の風呂桶』です。我々油屋に貸していただければ、毎日太平洋を往復させ、乗員の腕も磨けます。……もちろん、有事には船員ごと海軍さんにお返ししますよ」


「……風呂桶とは、随分な口の利き方だな」

 腕を組んでいた南雲忠一が、凄みを利かせて睨んだ。

「それに、出光君。君の会社は独立系だ。アメリカの石油を巨大なタンカーで運ぶと言っても……スタンダードやシェルといった巨大メジャーが、すんなりと君に油を売ってくれるかね?」


「そこです。メジャーの連中は、我々を全く相手にしてくれません」

 出光は、忌々しげに舌打ちをした。

「ですが、アメリカにも話を聞く気がある会社が一つだけ見つかりました。フィラデルフィアの中堅、サンオイル社です。

 彼らはメジャーではありませんが、技術力は高い。なんでも最近、彼らが開発した『タンカーを燃えにくくする新しい仕掛け』を試しているとかで……」


 その言葉に、南雲の眉がピクリと動いた。

 水雷の専門家である彼は、「燃えにくい」という言葉を絶対に聞き逃さなかった。

「……燃えにくい、とはどういう意味だ。油を積んだ船が、魚雷を受けても燃えないという意味か?」


「私には、技術の詳しいことは分かりませんが」

 出光は世間話でもするように、サンオイルのパンフレットを差し出した。

「なんでも、エンジンの排気ガスから酸素を抜いた『不活性ガス(イナートガス)』を、空になった油槽のタンクに送り込むそうです。そうすればタンク内のガスに引火しても、酸素がないから絶対に燃えないし、爆発しない、と。……アメリカ人は、随分と自信があるようでしたよ」


 ピタリ、と。

 南雲の呼吸が止まった。

 水雷屋である彼は、タンカーが魚雷で沈む最大の原因が「被雷による浸水」ではなく、「気化したガスへの引火による大爆発と連鎖火災」であることを骨の髄まで知っていた。


(……火が、出ないだと?)

 南雲の脳内で、戦術的な計算が猛烈な勢いで回転し始めた。


「……沢本」

 南雲は、隣の同期を血走った目で見た。

「これは、軍令部(作戦)だけの話じゃ済まんぞ」


「ああ、分かっている」

 海軍省官僚である沢本の顔色も、完全に変わっていた。

 部屋の空気が、一瞬にして真空になったような静寂が落ちた。


 沢本は、サンオイルのパンフレットをひったくるように手に取った。

「南雲。すぐに艦政本部の藤本君(造船)と、平賀中将を呼んでくれ。

 ……出光君。このサンオイル社との契約、我が海軍の資金で全力でバックアップしよう」


「え? あ、ありがとうございます。ですが、そんなに凄い技術なのですか? 民間の商船ならともかく、軍艦には……」


「君には、商船の安全装置に見えるのだろうな」

 南雲は、ゾッとするような獰猛な笑みを浮かべた。

「だが、我々から見れば……これは『魚雷を受けても、火葬場にならない補給艦』を造るための装置だ」



 時:数日後

場所:海軍艦政本部、特設会議室


「……完璧だ。完璧すぎる!!」

 呼び出された藤本喜久雄造船少将は、サンオイル社のイナートガス・システムの資料を見て、感極まったように机を叩いた。

 平賀譲造船中将も、ルーペで図面を睨みつけながら深く頷いている。


「これまでのタンカーの最大の死因は、魚雷が命中すること自体ではない。

 命中した際の衝撃で発生した火花が、空になったタンクに充満した『炭化水素蒸気』に引火し、大爆発と連鎖火災を起こして一瞬で轟沈することだった」


 藤本は、黒板にタンカーの断面図を描いた。

「だが、このイナートガスを常にタンク内に充填しておけば、酸素濃度は8%以下に保たれる。……魚雷が命中して外板に大穴が空いても、『油は漏れるが、爆発・炎上はしない』!!」


「つまり、死因が『火』から『水(浸水)』に変わるということか」

 平賀の目が、技術者としてギラギラと輝き始めた。


「その通りです!

 火災さえ起きなければ、乗員は落ち着いてダメージコントロールに集中できます。

 浸水した区画を即座に閉鎖し、ポンプで排水し、反対側のバラストに注水して船の傾き(復原性)を保つ。


 さらに平賀閣下。我々が建造中の『4万トン級タンカー』は、内部容積が巨大です。外板、空所、燃料タンク、縦隔壁、ポンプ室……これらを組み合わせれば、何通りもの『多層防御』を実物の船で試すことができます!」


 戦艦や空母でいきなり新しい対魚雷防御を試すのは、リスクが高すぎる。

 だがこの鉄の風呂桶になら、いくらでも試験用の隔壁やポンプを組み込み、出光などの民間用商船航路での過酷な日常運用の中で、その信頼性を実証できる。


「……良いだろう」

 平賀は、不敵に笑った。

「この12隻の巨大タンカーを、全て『対魚雷防御の生きた学校(実験台)』とする。

 ポンプ系統はリング状にして片舷損傷でも生き残るようにしろ。非常発電機は高所に分散配置だ。

 ……沈まない戦艦を造るための基礎データを、この船団で骨の髄まで吸い尽くしてやる」



 時:1933年(昭和八年)、春

場所:東京・海軍大学校、図上演習室


 海図盤の上に置かれた新しい「コマ」を見て、軍令部次長・高橋三吉は、言葉を失っていた。

 太平洋の真ん中、マリアナ諸島やトラックの環礁に、その「コマ」は配置されていた。


「……これが、数年後に完成予定の英仏に発注した12隻の『巨大給油艦』の有事運用計画か」

 高橋が、呻くように言った。


「はい。貨油3万トン、航空ガソリン2,000トン、真水1,500トン。さらに艦隊数週間分の冷蔵糧食を搭載可能です」

 演習の判定官が、淡々と説明する。1隻あたり、約750万ドルを12隻。さらに海軍仕様の洋上補給装置や予備部品、ドックの占有予約費用、そして先に発注した高速給油艦18隻を加えれば、英仏に支払われる実質的な総額は、約2億ドル(約4,000万ポンド)に達する。支払いは全額、ポンドで前払いだ。


「この12隻の巨大給油艦は、第一線には出ません。

 連合艦隊と共に突撃するのは、別途発注した『28ノットの高速給油艦』です。

 そしてこの巨大給油艦は、その28ノット給油艦が油を補給するための『移動する洋上補給基地』として、前線のすぐ後ろ(中継海域)に厚く張り付きます」


 海図の上に、三層の兵站網が可視化された。

 ・第一層(鋭い槍):空母に追随し、潜水艦を振り切る最高速度28ノットの高速給油艦。

 ・第二層(動く心臓):前線海域で巨大な油田として機能する20ノット巨大給油艦。

 ・第三層(大動脈):油田地帯と日本本土を繋ぐ、民間タンカー群や旧シェルタンカー。


「……これまでの演習では、鈍足の民間タンカーを無理やり第一線に引きずり出し、それを護衛する駆逐艦の燃料でさらに兵站がパンクするという悪循環に陥っていた。

 だが、この三層の兵站網があれば……。これなら我々の連合艦隊は、一度本土を出撃したら、太平洋の、いや世界のどこでも作戦行動を取り続けることができる!」


 高橋は、歓喜と畏怖がない交ぜになった声で叫んだ。

 大艦巨砲主義者である彼にとっても、この「圧倒的な兵站の暴力」がもたらす戦術的自由度の高さは、麻薬のように魅力的だった。

「東郷の奴。アメリカ艦隊が出て来ざるを得ない海面を、こちらで選べるようになる『魔法の絨毯』を用意しおったわ」


いつもお読みいただきありがとうございます。


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またヴィンソン議員の心臓と脳血管を痛めつけるネタが(笑) 当然米海軍も採用したがるだろうネタですが、フーヴァー政権の素寒貧がどのくらい尾を引くやら……
28ノットの高速給油艦と20ノット巨大給油艦の二つのスピカ(鯨)が日本海軍の航路を明るく照らす。 よわき–たびびと・よ⋯ひきかえす・が・いい〜αちかづいて−おいで〜/たおれてしまう-まえに〜αわたし・…
更新お疲れ様です 艦隊随伴の大型タンカーに不活性ガス利用の火災対策ですか、史実で痛い目に遭った南雲さん以下海軍軍人と徴用船員には福音ですね。 こうなるといよいよ作られるであろう大和級が文字通りの浮沈艦…
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