特務油槽船18隻
時:1932年(昭和七年)、夏
場所:イギリス・ロンドン、ホワイトホール・海軍省
どんよりとした曇り空の下、第一海軍卿フレデリック・ローレンス・フィールド大将は、執務机に広げられた分厚い青写真に、ルーペを押し当てるようにして見入っていた。デスクの上には、日本大使館から「経済支援(ポンド買い支え)の見返り」として提示された、非武装船舶の建造発注書が置かれていた。
『1万トン級・冷蔵設備付大型油槽船建造計画』
発注数:第一期6隻。第二期12隻。
建造地:クライド川、ベルファスト等の英国内造船所。
表向き契約額:1,300万ポンド(6,500万ドル)
電機・予備部品・改装予約を含む実質総額:1,700万ポンド(8,500万ドル)
決済:全額ポンド建て。
納期:1936年内日本到着
「……提督。クライドの造船所長たちは、この注文を見て泣いて喜んでいますよ」
海軍情報部長が、皮肉交じりに報告した。
「大恐慌で失業した何万人もの造船工たちが、明日から職場に戻れる。マクドナルド首相の挙国一致内閣も大歓迎です。……ですが」
大恐慌でドックが空っぽになり、工員のクビを切る寸前だった造船業界にとって、これは文字通りの救いの神だった。
前年のインヴァーゴードン反乱(給与削減に対する水兵のストライキ)の処理で疲弊しきっていたフィールドにとって、日本からの一括発注ポンド払いは、造船所の工員たちを救うまさに干天の慈雨だった。
だが、魚雷と通信の権威である彼の「技術屋としての目」は、この船の設計に隠された異様な意図を正確に捉えていた。
「この船の設計図は、あまりにも奇妙です」
情報部長は、青焼きの図面を広げた。
「まず、機関です。ディーゼルやギアード・タービンではなく、アメリカのGEとウェスティングハウスから輸入する『ターボ・エレクトリック(電気推進)方式』を指定してきています……提督。やはり、おかしいと思われますか」
「おかしいどころではない。これは半分詐欺だ」
フィールドは、青写真の機関区画を指先でトントンと叩いた。
「ターボ・エレクトリック方式。発電機と推進モーターを電線で繋ぐ構造だから、後からいくらでも機材をポン付け(増設)できる。
そのための『空洞(予約スペース)』が、船体中央にポッカリと空いている。彼らはこれを『冷蔵設備と災害救助用の大容量電源スペース』と言い張っているが……」
フィールドは、鉛筆で船尾の構造をなぞった。
「見ろ、この船尾の異常な強靭さを。中央軸のほかに、ご丁寧に『非常用』と称する外側2軸のブラケット(軸受け)まで準備されている」
「書類上は『19.8ノット』。見事にロンドン条約の制限(20ノット以下)をクリアしています。武装もありません。……完全な特務艦です」
「バカを言え」
フィールドは鼻で笑った。
「これだけの巨大な空きスペースを持たせれば、石油の積載量は本来の1万トン型タンカーの半分程度しか積めない。商船としては大赤字だ。
だが……有事にこの空洞に発電機と推進モーターを追加搭載して、3軸フル稼働させた場合、この船はどのくらいの速度が出る?」
技術将校は、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「……造船工学の計算上、出力が3倍になれば、速力は約1.44倍になります。
20ノットの1.44倍。……『28.8ノット』です」
部屋の空気が、凍りついた。
28ノット。それは鈍重なタンカーの速度ではない。
空母機動部隊や重巡洋艦の艦隊運動に、ピッタリと随伴できる「艦隊型高速給油艦」の速度だ。
「……そうだ」
フィールドは、深く重い溜息をついた。
「私は長年、魚雷の運用を研究してきた。だから分かる。
現在配備されているいかなる潜水艦も、水上・水中を問わず、28ノットでジグザグに突っ走るこの船団に追いつき、魚雷の射点を占めることは物理的に『不可能』だ。
……つまり日本人は、ロンドン条約の制限を掻いくぐって、平時から『空母部隊の兵站線』を合法的、かつ大量に建造しているわけだな」
そこへ応接室の扉が開き、彼とは旧知の仲であるウィンストン・チャーチルが、杖をつきながら入室してきた。
「どうやら、極東からの買い物の正体に気づいたようだな、フィールド提督」
チャーチルは、ニヤリと笑った。
「ああ。とんでもないトロイの木馬だよ、これは」
フィールドは、疲れたように眼鏡を外した。
「我が国の造船所と、アメリカのGEの技術を使って、日本は『沈まない兵站線』を造っている」
「……トーゴーの奴め」
チャーチルは図面を見て、ニヤリと不敵に笑った。彼はポンド防衛の折衝を通じて、東郷の「やり口」を理解しだした男だった。
「ポンドを買った金で、ポンドを守る船(イギリス造船業の救済)を作らせようとしている。しかもその船は、いざとなれば『潜水艦に追いつかれない28ノットの化物』に化ける。
……実に見事な条約の抜け道だ。我々も見習うべきだな」
「チャーチル閣下。 この『木馬』を建造させれば、日本の太平洋における兵站能力は我々を凌駕しますが……」
「ならば、我々も同じものを造ればいい」
チャーチルは、太い葉巻の煙を吐き出した。
「イギリス海軍も、いずれ『高速タンカー』が必要になる。
日本がカネを出して、我が国の閑古鳥が鳴いていた造船所で『最高のプロトタイプ』をテストし、工員を訓練してくれるのだ。……我々は、そのノウハウをタダで頂けばいい。文句はあるかね?」
フィールド第一海軍卿は、黙り込んだ。
イギリスの造船業がこれで息を吹き返すのも事実であり、その技術が自国の利益になるのなら、拒否する理由はどこにもなかった。
⸻
時:同日 夜
場所:ワシントンD.C. 国会議事堂・下院海軍委員会議室
「……ふざけるなァァァッ!!!」
イギリスの海軍省が「美味しい取引」として日本のタンカー発注を飲み込んでいた頃。
アメリカではカール・ヴィンソン下院議員が、海軍情報局(ONI)からの報告書を机に叩きつけ、絶叫していた。海軍作戦部長のプラット大将も、顔面を蒼白にしていた。
「日本が! 我々アメリカの『GE』と『ウェスティングハウス』のターボ・エレクトリック技術を使って、イギリスで高速タンカーを大量発注しただと!?なぜ止めなかった!! なぜGEの輸出を許可したのだ!」
「止められません!」
プラットは、悲痛な声で答えた。
「フーヴァー大統領と東郷が結んだ『ポトマック・BIS覚書』により、アメリカ政府は日本企業に対する輸出制限(SIDA法等)を行えないのです。
しかも、GEもウェスティングハウスも日本海軍が現在筆頭株主。『英国造船所向け輸出であり、日本への軍需輸出ではない』と大喜びでモーターを輸出するとのこと!」
ヴィンソンは、頭を抱えて呻いた。
「……日本は、我々の『関税法』を使って自国の利益を守り。
我々の『電機メーカー』を使って自分たちの船を動かし。
イギリスの造船所を使って、我々を出し抜く艦隊を造っている。
……これは通商ではない。自殺だ」
「…………ッ!!」
プラットは、胃の腑から血が競り上がるのを感じた。
⸻
時:数日後
場所:イギリス・ロンドン、海軍省・第一海軍卿執務室
「日本の偽装タンカー」という実利的な技術ハックを呑み込んだフィールド提督のもとに、今度は「アメリカからの屈辱的なオファー」が持ち込まれていた。
アメリカ大使が、媚びるような笑みを浮かべて一枚の書類を差し出す。
「……ということで、提督。
我がアメリカ合衆国政府は、アルゼンチンとの『巡洋艦輸出契約』による貴国の懸念を払拭するため……貴国ヴィッカース社の最新鋭『40mm QF 2ポンド砲 Mark VIII(八連装ポンポン砲)』の製造ライセンスを、高額で買い取る用意があります。これでアルゼンチンの件の補填とし、貴国への日本海軍の浸透(タンカー建造)を再考していただきたい」
「……何だと?」
フィールドの声は、地を這うように低くなった。
アルゼンチン市場。それはイギリスの造船業にとって、数千万ドル規模の生命線だった。アメリカはそれを、15門巡洋艦(ブルックリン級プロトタイプ)などのダンピングで強奪した。
その見返りとして、たかだか数万ドルの機銃の特許料で許してくれと言っているのだ。
「大使。……貴国は我々大英帝国を、街角の物乞いか何かと勘違いしておられるのかな?」
フィールドは、ギリリと奥歯を噛み締めた。
「と、とんでもない! これは正当な技術評価であり、我が海軍の防空能力強化のためにも……」
「黙りたまえ!」
フィールドは、机を叩き割らんばかりの勢いで立ち上がった。
彼は技術屋である。だからこそ、自分の国の技術(ポンポン砲)を誇りに思っていた。だが、それと同等以上に「帝国の威信」を何よりも重んじていた。
「て、提督! これ以上意地を張られれば、英米関係に致命的な亀裂が……!」
「亀裂を作ったのは貴様らだろうが!!貴国は帝国の足を踏んだあと、靴墨を買ってやると言っているのだ!!」
フィールドの怒号が、執務室を震わせた。
⸻
時:1933年(昭和八年)、秋
場所:東京・海軍大学校、図上演習室
巨大な太平洋の海図盤を囲み、海軍のトップエリート二人が息を呑んで立ち尽くしていた。
軍令部次長の髙橋三吉中将、第一航空戦隊司令官の山本五十六少将。
「……計算違いではないのか」
生粋の鉄砲屋である髙橋三吉が、演習の判定員を血走った目で睨みつけた。
「数年後、我が空母の航空戦隊が、ハワイ沖まで進出・作戦行動を行い、さらにフィリピン沖まで転進して帰投する。
……この長大な航程において、艦隊の燃料が『一度も枯渇しない』ばかりか、護衛の駆逐艦の損耗率が『ほぼゼロ』だと!?」
「計算通りであります、次長」
判定員が、青図のコマを動かしながら答えた。
「鍵は、第一線に随伴させた『新型特務油槽船(28ノット級)』6隻の存在です」
判定員は、海図の上に「6隻の高速タンカー」のコマを置いた。
「これまでの演習では、鈍足の民間タンカーを連れて行くため、機動部隊の速力は16ノットに制限され、敵潜水艦の雷撃危険性が跳ね上がっていました。
しかしこの新型油槽船は、28ノットで空母に追随します。
……敵潜水艦が偶然前方に待ち伏せていない限り、追跡して雷撃位置を占めることはほぼ不可能です」
山本五十六はこれを聞いて、思わず獰猛な笑みを浮かべた。
「つまり、こちらが補給地点と時刻を敵に読ませなければよい。暗号の運用が大事になるな」
さらに、判定員は後方に別のタンカーのコマを配置した。
「18隻のうち、6隻を『第一線随伴』。6隻を『前進基地(マーシャル諸島など)での中継補給』。残る6隻を『後方回航・整備』としてローテーションさせます。
1隻あたりの有効貨油は6,000トンと少なめですが、速度が既存タンカーの1.5倍であるため、月間の回転率は驚異的です。
……常に月間10万トン前後の『高速で動かせる油』が、機動部隊の背後にピタリと張り付いている状態になります」
山本が、熱っぽい声で口を挟んだ。
「……素晴らしい。これなら、我々航空部隊は『タンカーを置いていくか、守るために速度を落とすか』というジレンマから完全に解放されます。
好きな時に全速力で敵の死角に回り込み、好きな時に油を補給して、嵐のように離脱できる。
……これぞ、真の『機動部隊』だ」
髙橋は、わなわなと震える手で海図盤の縁を握りしめた。
「……山本。これは空母のためだけの船ではない。艦隊決戦そのものを変える船だ」
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