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TOGO 軍神の息子は、アナポリス帰りから軍縮した貧乏日本海軍の記録で稼ぐようです  作者: キユ
第三章

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302/315

人工血管と遺体安置所

 時:1932年(昭和七年)、初夏

場所:ドイツ・バイエルン州、ライン・マイン・ドナウ運河(RMD)建設現場


 CA銀行の爆発により、ヨーロッパの金融市場が凍りつき、ウィーンやパリの銀行家たちが首を括るロープを探している最中。

 このバイエルンの泥にまみれた巨大な溝の中だけは、狂ったような生命力に満ちていた。


「おい、急げ! ニュルンベルク側の第3閘門にコンクリートを流し込め!

 クルップの特注ポンプが明日届くぞ!」


 現場監督のドイツ人が、メガホンで怒鳴り声を上げている。

 彼の周りでは、数万人のドイツ人労働者――少し前までは路頭に迷い、ナチスや共産党の集会で暴れていた若者たち――が、泥にまみれてツルハシを振るい、アメリカ製のブルドーザーを運転していた。その作業を見守るドイツ人労働者たちの顔には、安堵の笑みが浮かんでいた。


「……よかった。今週も日本の船が来たぞ」

「ああ。これでダナート銀行の信用状の決済が下りる。工場の給料も無事に払われるそうだ」


 彼らは、CA銀行が吹き飛んだことなど遠い国の出来事のように感じていた。

 目の前で動いている実物と、確実に入ってくる「給料」。

 それが、彼らにとっての絶対の真実だった。


「……信じられんな」

 視察に訪れたライヒスバンク総裁、ヒャルマル・シャハトは、葉巻をふかしながら深い感嘆の息を漏らした。

「世界中の銀行のシャッターが閉まり、信用が蒸発しているというのに。

 この現場だけは、金が回り、機械が動き、人が働いている」


 隣に立つ加納久朗が、泥のついた革靴を気にすることなく微笑んだ。

「ええ。我々がここに投じた4,000万ドル(約1億6,000万ライヒスマルク)は、ただの『紙の借用書』ではありませんからね。

 それは鉄になり、セメントになり、工員のパンになっています。


 ……そして何より、この水路には、我々が1932年から5年間、5億ライヒスマルクの金額で包括発注した、デシマグ、ユンカース、ライネッカー、フリックの『生産枠と技術』を、日本に流す役目があります」


 加納は、運河の先――ドナウ川の向こう、遠く黒海へと続く東の方角を見た。


「我々はドイツで作らせた巨大な工作機械や、オーストリアから引き抜いた特殊鋼の製造設備を、この運河に乗せて黒海へ抜ける。

 そこからトルコの保護とロイズの保険で、安全に日本へ運べる。……文字通り『大陸の静脈』です」


 シャハトは、目の前の現場を見た。


 泥の中で働く労働者。セメントを運ぶ貨車。

 唸りを上げるポンプ。給料袋を待つ家族。

 日本海軍指定の貨物標識。


 それは確かに、銀行家の机の上にある架空の資産ではなかった。


「……異形の経済圏だな」


 シャハトが呟いた。

「みな金のルールで溺れ死んでいる中、日本海軍だけがモノ……、兵站のルールで息をしている。欧州の死体の中に、日本海軍の人工血管だけが脈打っている」


「はい。信用は血液です。

 普通のヨーロッパ経済は、その血液を失いました。

 しかし我々は、ドル、NCPC債、船腹、配給物資、通航権、信用状を束ねて、別の血液を流している」


 加納は、建設中の巨大な運河を指差した。

「このRMD運河も、その人工血管の一部です」


 シャハトは頷いた。

 全線開通にはまだ時間がかかる。だが、一部区間が開通しているだけでも、すでに物資は動き始めている。未開通区間は鉄道や巨大なトレーラーでリレー輸送すればいい。


「……加納さん。CA銀行が破綻した時、私はダナート銀行どころか、ドイツ経済も連鎖して丸ごと吹き飛ぶと覚悟した」


 シャハトは、真剣な顔で言った。

「市場は『ドイツの銀行が抱える産業債権は、全て不良資産(売れないガラクタ)だ』と疑心暗鬼になっていた。……あのままなら、一斉に預金が引き揚げられ、ドイツは再び破産していただろう」


「ですが、踏みとどまりましたね」


「ああ。この『動く担保(RMD運河)』のおかげだ」

 シャハトは、巨大なクレーンが動く様を指差した。


「私が市場に『ドイツの重工業は死んでいない。RMD運河の建設で、セメント、鋼材、ポンプ、機械設備に実需が発生している。決済は全て、BISのドルで裏書された日本のNCPCでな』と発表した時。

 債権者たちのパニックは、何とか止まった」


 株券や債券は、いくら「価値がある」と言い張っても、市場が疑えば紙くずに戻る。

 だが、「現に人が働き、鉄が買われ、金が払われている現場」は、絶対に嘘をつけない。


 RMD運河という巨大な公共事業は、金融恐慌の炎がドイツを焼き尽くすのを防ぐ、極厚の防火壁となったのだ。


「……東郷提督は、本当に恐ろしい男だ」

 シャハトは、心底からの敬意と恐怖を込めて呟いた。

「彼は1930年の時点で、CA銀行という時限爆弾が爆発することを見抜き……その爆風からドイツ(と日本の投資)を守るために、こんな途方もない塹壕を掘っていたのか。

 ビスマルクでも、これほど遠くは見通せまい」


「彼はビスマルクではありませんよ、総裁」

 加納は、少し誇らしげに言った。


「彼は『兵站の専門家』です。

 必要な物資を、必要な時に、必要な場所へ運ぶ。

 その障害となるものを排除するためなら、銀行を買い、法律を書き換え、ヨーロッパ大陸を二つに割る運河すら掘ってみせる。

 ……彼にとって、経済も外交も、兵站を回すための『手段』に過ぎないのです」


 シャハトは笑わなかった。

 ただ、運河の底で働く労働者たちを見下ろしながら、静かに言った。

「ならば加納さん。

 我々ドイツ人は今、日本海軍の兵站線の上で生きているということか」


「いいえ」

 加納は即答した。

「兵站線の上ではありません。兵站線の中です」


 その答えに、シャハトはしばらく黙った。

 やがて彼は、葉巻の灰を泥の上に落とし、低く呟いた。

「……それは、救済かね。それとも支配かね」


 加納は、少しだけ考えた。

「総裁。血管は、血を流す限り命を救います。

 しかし、どこへ血を流すかを決める者は、身体の主ではありません」


 運河の底で、労働者たちが歓声を上げた。

 新しいポンプが動き出し、泥水が轟音とともに排出されていく。


 金融が死んだヨーロッパで、ドイツの運河だけが生きていた。

 そしてローマでは、国家が自国の心臓を棺に納める準備を始めていた。


 

場所:イタリア・ローマ、ヴェネツィア宮殿(ドゥーチェ執務室)


 大理石の床に、分厚い報告書が叩きつけられた。

 イタリアの独裁者、ベニート・ムッソリーニは、バルコニーからローマの街並みを見下ろす余裕もなく、首に青筋を立てて怒り狂っていた。


「……アルベルト。貴様、私が数字に弱いからと、からかっているのか?」


 財務の最高責任者であり、後に「IRI(産業復興公社)」の初代総裁となるアルベルト・ベネドゥーチェは、顔面蒼白のまま首を横に振った。


「ドゥーチェ。現実です。

 ウィーンのCA銀行が破綻した衝撃で、我が国の心臓である『イタリア商業銀行コムイト』が、文字通り即死しました」


「コムイトが死ぬなどあり得ん! あの銀行は、フィアット(自動車)やアンサルド(造船)、イルヴァ(鉄鋼)の親玉だぞ!

 アメリカから買った、ワイオミング型戦艦二隻の大改装をやっているのもアンサルドだ! それが死んだら、我が国の重工業はどうなる!」


「……止まります。全て」

 ベネドゥーチェは、絶望的な事実を口にした。


「コムイトは、中東欧のバルカン諸国に莫大な融資を行っていました。それがCA銀行の崩壊で、全て紙くず(全損)になりました。

 ……手元の現金が吹き飛んだコムイトは、フィアットやアンサルドに運転資金を回せません。給料も、イルヴァから鉄を買う金も出ない。

 来月には、我が国の重工業と軍需産業は、完全に停止します」


 ムッソリーニは、息を呑んだ。

 軍事国家を標榜するファシスト・イタリアにとって、重工業の停止は「国家の死」と同義だ。


「……救済しろ! 中央銀行に紙幣を刷らせて、コムイトに注入しろ!」


「できません!!」

 ベネドゥーチェが、悲鳴のように遮った。


「ドゥーチェ! 貴方ご自身が掲げた『クォータ90(1ポンド=90リラ)』の公約を忘れたのですか!

 ここで無制限の紙幣増発を行えば、リラは暴落します。金本位制からの離脱となり、貴方の威信は完全に地に落ちます!」


 ムッソリーニは、歯を食いしばった。

 自らの権力の象徴である「強いリラ」を捨てるか。

 それとも、自らの軍事力の象徴である「重工業」を捨てるか。

 ……どちらを選んでも、ファシズム体制は致命傷を負う。


「……では、どうすればいいのだ」


「……国家が、抱え込むしかありません」

 ベネドゥーチェは、地獄の処方箋を提示した。


「コムイトが抱える不良債権と、フィアットやアンサルドの株式を、全て政府が買い上げます。『産業復興公社(IRI)』という国策機関を作り、そこへ押し込むのです」


「……つまり、重工業と銀行を全て国有化するのか?」


「言葉は綺麗ですが、実態は『巨大なゴミ箱』です。

 市場の競争力を失ったゾンビ企業群を、国家の税金で無理やり食わせ続ける。……我が国の資本主義は、ここで終わります。産業復興公社というより、産業遺体安置所です」


 ムッソリーニは、机に突っ伏した。

 強いイタリアを作るはずが、たった一つの外国銀行(CA銀行)の破綻によって、国中が「税金で延命するだけの病人」に成り下がってしまったのだ。


「……なぜだ」

 ムッソリーニが、血走った目でベネドゥーチェを睨みつけた。


「なぜコムイトは、中東欧の泥沼にそこまで深く資金を突っ込んでいた!?

 クズどもに、なぜ我々の血肉を分け与えたのだ!」


「……ドゥーチェ。それは……貴方のご命令です」


「なんだと?」


「1年前。フランスがCA銀行に5,000万ドルの緊急融資を行いました。

 あの時、貴方は仰ったはずです。

『フランスにバルカン半島の覇権を独占させるな! 我々も負けずに資金を投入し、東欧の政治家たちをイタリアの味方につけろ!』……と」


 ムッソリーニの脳内で、パズルのピースが最悪の形で組み合わさった。


 フランスが安全を保証したから、イタリアは対抗して金を突っ込んだ。

 だがそのフランスの5,000万ドルは、ただの「死化粧」だった。

 フランスは、腐りきった銀行の前に「安全」という立て札を立て、イタリアをその罠へと誘導したのだ。


 ムッソリーニの口から、呪詛のような声が漏れた。


「……そのフランスは今、何と言っている!? フランス大使館かパリの政府は責任を認めたか! オーストリアの資産を差し押さえる準備はしているのか!」


「……それが」

 ベネドゥーチェは、気味悪そうに首を傾げた。


「フランス政府は、完全に沈黙しています。

 まるで、CA銀行のことなど最初から無かったかのように。

 ……彼らは責任を追求することも、債権回収に動くこともせず、ただひたすらに引きこもり、金塊を抱えて黙秘を貫いています」


 その言葉を聞いた瞬間。

 ムッソリーニの中で、何かが音を立てて切れた。


「……許さん」


 ヴェネツィア宮殿に、狂気を孕んだ独裁者の咆哮が響き渡った。


「許さんぞ、フランスの卑怯者どもめ!!

 自分たちで毒を撒き、我々にその毒を飲ませておきながら!

 自分たちだけは責任を逃れ、知らぬ存ぜぬで金庫に引きこもるだと!?

 あのアングロサクソン(英米)以下の、卑劣な詐欺師どもがァァァッ!!」


 ムッソリーニにとって、フランスの不自然な「沈黙」は、「我々はお前たちイタリアを意図的にハメたのだ」という、最大限の侮蔑と嘲笑にしか見えなかった。


「……アルベルト。オーストリアとハンガリーの親伊派の政治家たちは、どうしている?」

 ムッソリーニが、肩で息をしながら問う。


「……イタリアからの融資が止まったため、全員、我々を見限りました。

 彼らは今、新しいパトロンとして……ベルリンの『ドイツ』か、あるいは東洋の『日本』へ擦り寄っています。

 ……我が国のバルカン覇権は、完全に消滅しました」


「……」


 ムッソリーニは、窓の外のローマを見た。

 かつて地中海を「我らが海」と呼んだ古代ローマ帝国の末裔。

 だが今、イタリアはカネを失い、東欧の属国を失い、国内の重工業は政府の補助金なしでは動かない「スクラップ」に成り下がった。

 立派な軍艦をいくら手に入れても、それを動かす経済の心臓が止まってしまったのだ。


「私は戦艦を買った。奴らは銀行を腐らせた。

そして勝ったのは、腐った銀行の方だった!

 ……フランスめ。この恨みは、必ず果たす。

 地中海の底に、奴らの国を沈めてやる……!!」


いつもお読みいただきありがとうございます。


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皮肉なものだ。カイグンが地中海のバランスを保つためにねじ込んだ戦艦購入費5000万ドルが、想定以上に威力を発揮してイタリアの戦力増強を抑えることになろうとは。 いくらカエル野郎を睨みつけても燃料が無き…
ドイツは運河という実態を見せたお陰で生き残れたけどフランスに釣られた形のイタリアが即死してもうた・・・。統領はまだ諦めぬだろうけど地中海情勢がかなり変わるな
総領閣下はお怒りのようです。と言っても、戦争でフランスしばき倒すに賛同する国家は今の所いませんね。
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