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TOGO 軍神の息子は、アナポリス帰りから軍縮した貧乏日本海軍の記録で稼ぐようです  作者: キユ
第三章

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反日救国金融安定令

 時:1932年(昭和七年)、2月

場所:ロンドン、シティ(金融街)


 朝靄のロンバード・ストリート。

 出社してきたベテランの債券ディーラーは、片手に紅茶、もう片手にロイターのティッカーから吐き出されたばかりのニュース・テープを持っていた。


『――南京国民政府、反日救国金融安定令を発布か。内容は、公債の売却を禁じ、外貨流出を統制、新規公債の引き受けを義務化――』


 その文字を見た瞬間、ディーラーは紅茶を噴き出しそうになり、そして腹の底から乾いた笑い声を上げた。


「ハッハッハッ! 素晴らしい!!」

 ディーラーは紅茶を飲み干した後、若手たちに向かって叫んだ。

「おい、見たかお前ら! これが破産のサインだ!!」


「ボス! 南京が売却禁止令を出すなら、これ以上空売りしても、上海の市場では決済できないのでは!?」

 若手が慌てて尋ねる。


「上海の市場など、もうどうでもいい!

 いいか、政府が『売るな』と言うことは、彼ら自身が『この紙切れには、もう額面通りの価値がない』と世界に向けて自白するのと同じだ!


 南京政府は、自分で自分の債券に、赤字でデカデカと『SELL(売れ)』と書き殴ったんだ!」



 時:1932年(昭和七年)、2月

場所:中国・上海、共同租界・大胡同(裏通り)の高級中華料理店


「……打倒日本帝国主義!! 蔣介石総統と第十九路軍を支援し、我ら江浙こうせつ財閥は愛国の名の下に団結する!!」


 昼間、上海の広場で行われた抗日集会で、最も声高に拳を振り上げていた大物商人・チェンは、夜の宴席を中座し、慌てて別室の電話機に飛びついていた。


「もしもし! 私だ、陳だ! ……今日の抗日集会? ああ、大成功だ。新聞にもデカデカと載るだろう。

 それより、私の口座の『南京政府公債』はどうなっている!?」


『陳社長。相場は崩壊しています。香港もロンドンも一斉に売り逃げに走っています!』


「馬鹿野郎! なぜお前もすぐに売らない!!」

 陳は、受話器に向かって唾を飛ばした。


「いいか、私の持っている軍費公債と短期証券を、今すぐ全部叩き売れ! 損切りで構わん!

 そしてその金で、ドルか、NCPC債か、最悪『円』でもいいから安全な外貨に換えろ! 外国銀行の口座に移すんだ!


 ……あんな負け戦をやっている南京の紙切れと心中させられてたまるか!!」


 電話をガチャンと切り、陳は額の汗を絹のハンカチで拭った。

 部屋の外からは、まだ「抗日救国!」と叫ぶ愛国青年たちの熱気ある声が聞こえてくる。

 陳はネクタイを締め直し、再び「憂国の志士」の顔を作って宴席へと戻っていった。


 これが、上海の現実だった。

 彼らは表では愛国を叫び、南京政府への忠誠を誓う。だが、自分の「財布」は決して南京には預けなかった。



 時:1932年(昭和七年)、2月

場所:中国・南京、国民政府・財政部長室


 その部屋には、国家財政を司るはずの威厳は微塵もなかった。あるのは、沈みゆく泥船から聞こえる鼠たちの悲鳴だけだった。

 国民政府財政部長・宋子文は、山積みになった報告書と督促状の真ん中で、頭を抱えていた。


 上海事変の開戦以来、南京政府が発行する国庫証券や軍費公債の価格は、自由落下を続けている。

 額面100の債券は、今朝の時点でついに「35」を割り込んだ。


「……部長。総司令(蔣介石)から、至急の要請です」

 青ざめた顔の秘書が、一枚の命令書を差し出した。


「『前線(第十九路軍)の士気を維持し、日本軍を包囲殲滅するため、追加の軍費5,000万元を即時調達せよ』とのことです。


 そして『上海・南京の商工会に対し、愛国救国公債の強制引き受けを命じよ。従わぬ者は非国民として財産を没収する』とも……」


「馬鹿を言えッ!!」

 宋子文は、命令書を床に叩きつけた。


「今、市場で我々の公債がいくらで取引されていると思っている!? 35だぞ! 35!

 100元の借用書が、35元でしか売れない。そんな紙切れを、商人たちに『100元で買え』と脅迫すればどうなるか、あの義弟には分からないのか!」


「し、しかし、軍は弾薬も食料も尽きかけており……」


「商人たちも同じだ! 彼らはすでに、我々の債券を担保にして借りた金の追証を求められ、外資系銀行から首を絞められているのだぞ!」


 宋子文は、机の上の書類をぶちまけた。

 そこには、日本海軍が上海で暴露した「棺桶の領収書」や「便衣兵の衣装発注書」を報じる、欧米メディアの記事があった。


「……そもそも、なぜあんな証拠を残した!

 『自然発生的な暴動』を装うなら、なぜ現場のチンピラどもに、現金の束ではなく、足のつく小切手や銀行振込で工作資金を渡したのだ! 日本の息のかかった銀行を使えば、バレるに決まっているだろう!」


 それは、国民党特務機関の「中抜き体質」のせいだった。

 上層部が工作資金の現金を着服し、下請け(青幇や葬儀屋)には後払いの手形や小切手で支払いを済ませようとした。そのケチな帳簿操作が、日本海軍の情報網に完璧に捕捉されたのだ。


「……部長。さらに悪いニュースがあります」

 秘書は、震える声で一枚の極秘レポートを差し出した。

 それは、上海の金融市場からの報告だった。


「現在、上海および香港の市場で、我が国の公債に猛烈な売りを浴びせている大口の口座群があります。

 最初は日本やウォール街の投機筋だと思われていたのですが……」


「なんだ? 誰が売っているというのだ?」


「その口座の最終的な資金の帰属先を追跡したところ。

 ……その、あなた方の親族が管理する、ダミーファンドに繋がりました」


 宋子文の動きが、ピタリと止まった。

「……何だと?」


「つまり……」秘書は、絶望的な事実を口にした。


「『日本と徹底抗戦せよ』と国民に呼びかけ、商人たちに『愛国公債を買え』と強要している、まさにその裏で。

 我々の政府高官や、蒋介石主席の親族にあたる財閥の人間たちが……。

 自分たちの持っている公債を空売りし、資産をドルやポンドに換えて、香港やスイスの銀行へ逃がしているのです」


 宋子文は、言葉を失った。

 市場のパニックの中で、他ならぬ「自分たちの身内」が自国の債券を便乗して叩き売っている。


「国家の危機すら、自分たちの蓄財のチャンスに変える。……それが、私の身内のやることか」

 宋子文の目に、涙が浮かんだ。


 彼はハーバードで学び、近代的な財政システムで中国を統一しようと夢見ていた。

 だが彼が仕えているのは、近代国家などではない。自分たちの利益のためなら、国庫も、兵士の命も、そして愛国心という言葉すらも売り飛ばす、腐敗した寄り合い所帯だった。


「……もし、これがイギリスやアメリカの記者にバレたら」


「もう、バレています」

 秘書は、容赦なく言った。


「ウォール街の通信社が、『中国の愛国者は上海の戦場ではなく、香港の銀行の窓口で戦っている』という皮肉な記事を打とうとしています。

 ……これを日本が見逃すはずがありません。彼らは必ず、この証拠を全世界にバラ撒くでしょう」


 宋子文は、ペンを取った。もはや、一刻の猶予もなかった。

「……この戦争が終わったら、辞表を出す」

 彼は、震える手で白い便箋に文字を書き始めた。


「これ以上あの男(蔣介石)の戦争に、私の名前を貸すわけにはいかん。

 軍費の調達は不可能だ。私に責任を押し付けられる前に、この泥船を降りる」


「部長! 今辞任すれば、政府の信用は完全に……!」


「信用だと? そんなものは、上海の泥水の中に沈んだわ!」

 宋子文は吠えた。


「我々は日本に負けたのではない!

 自分たちの欲と嘘に負けたのだ!

 ……これ以上、誰に愛国心を説けと言うのだ。自分たちで国を売っている連中が!」



 時:1932年(昭和七年)、2月

場所:中国・南京、国民政府・総統府


「発布しろ!! 今すぐだ!!」

 蔣介石は、血走った目で部下に命令書を叩きつけた。

 それは『反日救国金融安定令』と名付けられた、狂気の法令だった。


一、南京政府発行の公債の売却・空売り、および悪意ある価格形成を禁ずる。

一、上海の銀行および商会は、新たに発行する『抗日救国公債』を強制的に引き受けること。

一、日本系金融機関、および『NCPC債』を利用した決済の利用を禁ずる。

一、これらに違反する者は『漢奸(売国奴)』として極刑に処す。


「閣下。何卒お考え直し下さい!」

 部下は、その書類を持つ手をガタガタと震わせた。

「こんなものを出せば、上海の金融市場は完全に死にます! 資本の逃避を法律で止めようなどと……」


「黙れ!! 金融などというものは、国家の意思の下にあるべきものだ!!」

 蔣介石は、半狂乱で叫んだ。

「商人どもは国が危機にある時すら、私腹を肥やそうとしている! 奴らに愛国心を叩き込んでやるのだ! 従わぬ者は逮捕し、資産を没収して軍費に充てろ!」

 

 蔣介石は「カネ」を、弾薬や米と同じ「徴発できる物資」だと勘違いしている。

 だが、「信用」は物理的な質量を持たない。銃を突きつけた瞬間、それは煙のように消え去る。


 その時。

 バァンッ!! と執務室のドアが乱暴に開かれた。


 宋美齢が、疲労でボサボサの髪と真っ白な顔をして立っていた。

 だがその瞳だけが、異様なほどの冷たい光を放っていた。


「美齢、ちょうどよい!」

 蔣介石は、狂ったように笑って妻を迎えた。

「お前は再びアメリカへ訴えろ! 日本と戦うための、資金調達を――」


 パァァァンッ!!!!


 総統府の空気が、完全に凍りついた。

 宋美齢が歩み寄り、思い切り振り抜いた平手打ちが、蔣介石の頬を強打したのだ。


「なっ……!?」

 蔣介石は、呆然として頬を押さえた。


「……ダーリンは、私がアメリカで何を血の滲むような思いで集めてきたと思っているの」

 宋美齢は怒鳴らなかった。ただ、地を這うような低い声で言った。


「ドルではないわ。……『信用』よ。

 ダーリンは今、その信用を、自分の幼稚なメンツのために自分の手で燃やそうとしている」


「私を……ぶつのか! この国家の危機に!」

 蔣介石が激怒して吠える。


「国家の、いや、民族の危機だからぶったのよ!!」

 宋美齢は、初めて声を荒らげた。


「責任を取りなさい、蔣介石! もう、私たちには日本と戦う力も、アメリカからカネを引き出す信用もないのよ!」


 蔣介石が、無言で深くうなだれた。

 夫妻の間で、初めて完全に認識が一致した。

 ……蔣介石は一旦下野して、日本と屈辱的な和平を結ぶしかない。国家が完全に崩壊する前に。


「……よかろう。だが、私が負け犬となって野に下る前に」

 蒋介石は、絞り出すように言った。

「アメリカのネルソン・ジョンソン公使が、面会を求めてきている。……あの『リバティ戦車』の件で、ワシントンからの公式な言い訳を聞かねばならない」



 時:数日後

場所:上海・日本国総領事館


 上海の街は、依然として砲声と黒煙に包まれていたが、第三国の仲介による停戦交渉の糸口は、開戦直後から水面下で探られていた。


 英・米・仏・伊の公使が立ち会う中、日本の重光葵公使と第三艦隊司令長官野村吉三郎中将は、南京政府の代表と事務的に停戦合意の書類を交わした。


 決定されたのは、両軍の戦闘停止、第十九路軍の規定ラインまでの後退、そして共同租界周辺の非武装化、便衣兵の軍事裁判開催である。表向きは「痛み分け」であり、中国側のメンツもある程度保たれたように見えた。


 欧米の立会人たちも、これで極東の火薬庫が収まったと安堵の息を漏らした。


 会議の席上、南京側の代表は何度も口ごもり、何か別の条件を言い出そうとしたが、重光公使が「本件は現地の軍事停戦に関する協定である」とピシャリと撥ね付けた。


 野村中将は調印を終えてペンを置きながら、内心で冷や汗を拭っていた。


(……銃声は止む。だが、これで南京政府が救われるわけではない。

 彼らの本当の『出血』は、海を越えて続いているのだから)

 

「海軍省を通じて、ワシントンへ暗号電報を打て」

 第三艦隊に戻った野村は、深く息を吐き出した。

「『南京が、貴官の算盤を止めてくれと泣きつくだろう』とな。……東郷の奴、さぞや愉快に笑うだろうよ」


 銃を置いただけでは、国は救えない。

 財布の穴を塞がなければ、南京政府は内側から崩壊する。

 辞表を懐に忍ばせた宋子文は妹の宋美齢と共に、極秘裏に手配された日本郵船の太平洋航路の客船に乗り込んだ。


 行き先はサンフランシスコ。

 そこから鉄道で、ワシントンD.C.へ向かう。

 目的地は、合衆国政府ではない。日本大使館である。


いつもお読みいただきありがとうございます。


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― 新着の感想 ―
返済の時満額払えないなら外から見た中国という国家の信用が消えるが、今の債権比率とかどうなってるんだろう、ついでに国家として一応国民党が中国の正当政府ならばその後の後継政府となる組織はこれの返済する義務…
最後宋兄妹が東郷少将に会いに行ったけど日本側からしてみればお前らが始めた物語だろでしか無いんだよなぁ
夜の街(総督府)に突然現れる謎の美女(宋美齢)。オモチャ(抗日救国公債)を買うとオマケに付いてくる精巧な玩具(愛国青年)。お客さまにお知らせします、午前零時の時報とともに、アベイラブルゼロ指令が発令さ…
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