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TOGO 軍神の息子は、アナポリス帰りから軍縮した貧乏日本海軍の記録で稼ぐようです  作者: キユ
第三章

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その猫は、喉を鳴らすのをやめた

 時:1931年(昭和六年)、1月

場所:ワシントンD.C. 海軍省・調達局


 数日後、リロイ・グラマンはワシントンの海軍省を訪れていた。

 グラマンは、手にしたフェルト帽の縁を何度も無意識になぞりながら、冷え切った控室の長椅子で待っていた。


 すでに2時間が経過している。

 かつて彼がローニング社に在籍し、海軍向けの機体を設計していた頃なら、航空局の将校たちは喜んで彼を迎え入れ、図面を囲んで熱い議論を交わしたものだ。


 だが今日、彼が通されたのは航空局ではなく、調達局の一室だった。

 待っていたのは、機体の空気抵抗はおろか、リベットの重さ一つ知らないであろう、青白い顔をした調達局の事務官だった。


「ミスター・グラマン。貴社は日本の『川西航空機』と資金契約を結んだ、という理解でよろしいですね」

 事務官は、挨拶もそこそこに切り出した。


「共同研究です」

 グラマンは、固い声で答えた。


「我々の米国内での特許権と、アメリカ海軍向けの営業権は保持しています。日本側に売ったのは、日本国内での独占実施権と、試験データの一部共有に過ぎません」


「一部?」

「安全性と構造強度に関する範囲です。軍事機密には触れていません」


「それを、敵性国になる可能性のある外国海軍の関連企業に渡した」


 グラマンは、膝の上の拳を強く握りしめた。

「……日本は、現在のところ条約上の友好国です」


「現在のところ、です」

 事務官は、手元の書類から目を離さずに淡々と言った。


 その言葉の響きで、グラマンは完全に理解した。

 これは「審査」ではない。すでに結論の出ている「判決」を言い渡すだけの場なのだ。


「……事務官。我々は、アメリカ合衆国海軍の航空技術の発展に貢献したいだけなのです。我々の引き込み脚と堅牢な胴体構造は、将来必ず空母部隊の力になる。どうか、もう一度図面を……」


「ならば、なぜ待てなかったのですか」

 事務官が冷たく遮った。


 グラマンは、思わず声を出して笑いそうになった。

 待てなかった?


 給料の支払いを待つ職工たちがいた。

 月末の家賃の支払いを待ってくれない大家がいた。

 貸し剥がしを迫り、1日の猶予もくれない銀行がいた。


 アメリカという国中が「待てない」と叫んでいる中で。

 この海軍省の安全な執務室に座る役人だけが、「予算がつくまで待て」と言ったのだ。


「……我々は、待ちました」

 グラマンは、腹の底から絞り出すように低く言った。


「返事が来るまで、ずっと待ちました。……ですが、貴方方からの返事は『不採用』でした」


 事務官は目を逸らした。彼とて、予算を握る財務省と作戦部の意向に逆らえない一介の役人に過ぎない。だが、組織の論理を盾にする以上、相手を見せしめにしなければ自分が立っていられないのだ。


「……ロンドン海軍軍縮条約の付帯決議(技術協力に関する覚書)がある以上、貴社が外国の民間企業と契約を結び、技術者を交流させることは、法的には違法ではありません」


 事務官は、忌々しげに吐き捨てた。

「スティムソン長官が、ご丁寧に『人道的な技術者の救済』などというお墨付きを与えてしまったせいでね。……だが合法であっても、合衆国海軍としての『道義的判断』は別です」


「では、我々は潰れるべきだったのですか?」

 グラマンの声が、部屋に響いた。


「会社をたたみ、職人を路頭に迷わせ、アメリカからこの技術を完全に消滅させることが、貴方方の望む『愛国心』なのですか!」


 事務官は、ため息をついてファイルを閉じた。

「……ミスター・グラマン。海軍は貴社の事情に同情します。ですが、同情は調達基準ではありません。

 なお、貴社の今後の応募を禁ずるものではありません。必要に応じて、慎重に検討いたします」


 グラマンは、その言葉の意味を理解した。

 禁じない。ただし、通さない。


「本日の面会は、これまでとさせていただきます。お引き取りを」


 グラマンは立ち上がった。

 帽子を手に取り、扉へ向かう。

 背後で、事務官の声が追いかけてきた。


「なお、今後も貴社の提案は、フェアに審査されます」


 グラマンは振り返らなかった。

 フェア。

 その言葉が、これほど空虚に聞こえたことはなかった。


 海軍省の玄関を出ると、ワシントンの冬の空は鈍い灰色だった。

 グラマンは帽子をかぶり直し、ポケットから海軍省の不採用通知書を取り出した。


 グラマンはその紙をゆっくりと、半分に折った。


 パリッ、という乾いた音がした。

 さらに半分に折る。

 もう一度、半分に。


 彼の太い指の力が、海軍からの通知を小さな、意味のない紙の塊へと変えていく。

 そして彼は、その紙の塊をゴミ箱へポロリと落とした。


 F4Fワイルドキャット、F6Fヘルキャット、TBFアベンジャー。


 太平洋において、日本海軍の航空隊を文字通りすり潰すことになるはずだった、「猫」。


 その猫は一度、主人の前で鳴いた。だがこの日、ワシントンの灰色のゴミ箱の中で、静かに喉を鳴らすのをやめた。


 

「……お待たせしました、ミスターカワニシ」

 数日後。グラマンは、テーブルの上の契約書を引き寄せ、万年筆を手に取った。


「カーティス・フィールドの新しい工場には、すぐに移転の準備を始めます。

 ……引き込み脚でも、フロートでも、日本のカイグンさんが望むものを、最高の品質で造らせてもらいましょう」


 サラサラと、万年筆が走る。

 川西は、静かに深く一礼した。


「……感謝します、ミスター・グラマン。貴方の技術は、決して無駄にはしません」



 時:数日後

場所:群馬県・太田、中島飛行機・本社


 日本の航空機産業の頂点に君臨する中島飛行機の創業者、中島知久平は、部下からの報告を聞いて、鼻で笑っていた。


「……川西がアメリカの無名の町工場と組んで、引き込み脚の戦闘機を開発しているだと?」


「はい。海軍の東郷少将の斡旋だそうです」

 技術部長が、忌々しげに答える。


「どうせ、いつもの天下り先が欲しい海軍の『川西贔屓ひいき』ですよ。


 川西は水上機しか作れない三流メーカーです。そこにフランスのロートル水冷エンジンと、アメリカの素人が作った引き込み脚を足したところで、飛ぶ前からガラクタになるのは目に見えています。

 ……我が社の空冷星型エンジンこそが、日本の空を制するのです」


 中島は、自信満々に頷いた。

「放っておけ。引き込み脚など、構造が複雑になるだけで重量が増し、空戦での運動性を殺すだけだ。海軍も、いずれ我々の『固定脚の空冷機』の信頼性に戻ってくるさ」


 当時の中島飛行機(と日本の航空業界の常識)では、「戦闘機は格闘戦の運動性が命であり、重くて故障しやすい引き込み脚は不要」という考えが支配的だった。


 だが、彼らは知らなかった。


 川西の工場の中で、グラマンの「壊れない脚」と、ロレーヌの「空気抵抗の少ない水冷エンジン」が融合し、運動性ではなく「圧倒的なスピードと急降下性能による一撃離脱」という、全く新しい次元の戦闘機が、静かに産声を上げようとしていることを。



場所:ワシントンD.C. レストラン「オールド・エビット・グリル」


 上質なバーボンが注がれたグラスとステーキを前に、二人の男が座っていた。

 日本海軍駐米武官、東郷一成少将。

 そして、アメリカ海軍航空局のマーク・ミッチャー中佐。


 アナポリス時代の同期である二人は、時折こうして私的な情報交換(という名の探り合い)を行ってステーキをつついていた。


 だが今夜のミッチャーの顔色は、いつになく険しかった。

「……カズ」

 ミッチャーはレアの肉をナイフで切り裂きながら、苦々しく言った。


「ロングアイランドの『グラマン航空機エンジニアリング』。……あいつらを、お前の所の『川西』が囲い込んだそうだな」


 東郷は、グラスを口に運ぶ手を止めず、涼しい顔で答えた。

「囲い込んだ? 人聞きが悪いな、ミッチ。

 彼らが優れた『トラックのアルミ荷台』と『浮舟フロート』を作る技術を持っていたから、正当なビジネスとして投資をしたまでだ。

 ……我が国は今、アルミ加工の技術を必要としているからね」


「とぼけるな。狙いは『引き込み脚』の特許と設計技術だろう」

 ミッチャーは、テーブルをドンと叩いた。


「モフェット提督も俺も、あいつらの『XFF-1』の図面を高く評価していた。これからの空母には、あいつらの作る頑丈な機体が絶対に必要だと。

 だが……上層部が、グラマンをブラックリストに入れた。お前たち日本海軍のダミー会社と接触したという、ただそれだけの理由でな!」


「落ち着きたまえ、ミッチ。君たちは勘違いしている」

 東郷は、冷静に肉を咀嚼した。

「グラマン氏は、君たちの財産ではない。彼の図面も、彼の職工も、彼の会社も、まだ合衆国海軍のものではなかった」


「だが、彼は海軍航空の人間だ」


「違う」

 東郷は、グラスを置いた。声が、少しだけ冷えた。


「彼は海軍航空を志した人間だ。

 志に対して、君たちは金を払わなかった。

 金を払わずに忠誠だけを要求するのは、契約ではない。信仰だ」


 ミッチャーは、ぐうの音も出なかった。

 その通りだ。東郷は何も強制していない。アメリカ海軍の硬直した官僚主義と、不況とロンドン会議の事実上の敗北によるパラノイア(日本への過剰な警戒)が、グラマンを日本側へと追いやったのだ。


「……ミッチ。君の国は大きいし、豊かだ」

 東郷は、静かに言った。

「だが、だからこそ少しでも『自分の枠』からはみ出た者や、疑わしい者を、簡単に切り捨てる。代わりはいくらでもいると思っているからだ。


 ……だが日本は違う。我々はアメリカより貧しい。だからこそ、使える才能は道端の石ころの中からでも拾い上げ、磨いて使わなければ生き残れない。

 モフェット提督に伝えてくれ。グラマン氏の引き込み脚。あれは、良いものだよ。素晴らしい“芸術品”ができるだろうね」


 ミッチャーは、残りのバーボンを一気に呷った。

 胃袋が焼けるように熱い。だが、胸の奥にある冷え込みは消えなかった。


「ミッチ。君たちは本当に、日本と関わった企業を排除するつもりなのかね」


 東郷はステーキを一切れ口に運び、ゆっくりと咀嚼した。


「ならば、まずは工作機械を売った企業を切らねばならない。次に石油会社だ。アルミ屋もだ。電信機メーカーも、銀行も、船舶保険も、港湾業者も、君たちが毎日使っている部品を納めている小さな工場も、どこかで我々の金を受け取っているかもしれない」


 ミッチャーは何も言わなかった。


「全部切るかね?」

 東郷は薄く笑った。静かにナプキンで口元を拭った。

「できないだろう」


「……」


「だから、グラマンを切った」


 その一言で、ミッチャーの手が止まった。

 東郷はまるで、夕食の献立を読み上げるように続けた。


「ボーイングは切れない。GEも切れない。GMもデュポンも、スタンダード・オイルも、USスチールも、IBMも切れない。議会が騒ぎ、州知事が怒り、銀行が悲鳴を上げる。だが、ロングアイランドの小さなガレージなら切れる」


 東郷はグラスを傾けた。


「我々の金を一度でも受け取った企業を、すべて海軍調達から排除するのだろう?」


「……それは違う」

 ミッチャーは低く言った。


「何が違う」


「彼らは基幹産業だ」


 東郷は、笑わなかった。

「つまり、強い企業は赦される。君たちの上司は、国家安全保障の名を借りて、最も弱い相手を選んだのだ」


 ミッチャーの顔が、怒りで赤くなった。


「カズ。言い過ぎだ」

 ミッチャーは、ついに声を荒げた。

 隣のテーブルの客が、一瞬こちらを見た。


「お前に、俺たちの事情の何が分かる。議会は海軍に金を出さない。新聞は軍拡だと叩く。国民は失業で飢えている。日本は条約の隙間を抜けて艦を増やし、企業を買い、港を買い、今度は技術者まで買う。俺たちは、どこかで線を引かなければならなかった」


「そして、最も細い線を選んだ」

 東郷は静かに言った。

「グラマンという、消しても誰も困らないと思った線を」


 ミッチャーは言葉を失った。


 東郷は、そこで初めて少しだけ表情を和らげた。

「私は君を責めているのではないよ、ミッチ。君はむしろ、あの男たちを救おうとした側だろう」


「カズ、お前は、グラマンをどうするつもりだ」

 ミッチャーは、低く言った。


「どうもしない」


「嘘をつけ」


「本当だよ。彼らに工房を与え、金を与え、要求を与える。それだけだ」


「それを支配と言うんだ」


「違うな」

 東郷は、グラスの氷を揺らした。

「それを市場と言うんだ」

いつもお読みいただきありがとうございます。


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技術と頭脳の流出が止まらないアメリカにバブル崩壊後の本邦の姿を重ねてしまいますね。 グラマン系列が消えると今後の艦載戦闘機開発が迷走しそう。今は生産始まったばかりのF4Bが当面の主力でしょうが、ボーイ…
まあミッチャーが愚痴りたくなる気持ちも分からんくもない、対日の為の急降下爆撃戦術で対抗しようと機体の開発してるのに、速度と後続性に関わる空気抵抗減らせて実用的な引き込み足を使えなくなったとか笑えないジ…
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