八五〇〇トン級巡洋艦
時:1930年(昭和五年)、夏
場所:東京・霞が関、海軍省・艦政本部
煙草の煙がモクモクと充満する製図室で、日本の造船技術の双璧――平賀譲中将と藤本喜久雄大佐――が、巨大な青写真の前で激しい議論を交わしていた。
「……無理だ! 藤本! 15.5cm三連装砲を5基(15門)も積んで、重巡並みの装甲を張り、37ノットを出せだと? それで基準排水量8,500トンに収まるわけがない! 嘘を書いて海に浮かべれば、波に叩かれて船体が真っ二つに割れるぞ!」
平賀の怒号は、造船官としての至極真っ当な物理法則に基づいていた。
だが新進気鋭の藤本は、不敵な笑みを浮かべて数枚の書類を平賀の前に広げた。
「平賀閣下。国内の安い鋼材を使うなら、確かに割れます。
……ですが、我々には今、ウィーンから届いた『魔法の鉄』があります」
それは、東郷一成と小沢治三郎がクレディット・アンシュタルト銀行の危機に乗じて独占契約を結んだ、オーストリアの『シェーラー・ブレックマン社』が誇る、世界最高峰の高張力鋼(ハイテン鋼)とモリブデン特殊鋼のサンプルだった。
「この特殊鋼を主構造材と装甲板に一挙に採用すれば、従来のDS鋼(デュコール鋼)より板厚を薄くしても、同等以上の強度と耐弾性が得られます。船殻重量だけで数百トンは浮く。さらに……」
藤本は、機関部の設計図を指さした。
「ボイラーです。当初の『大型8基+小型2基(計10基)』の案を廃止します。
ドイツのシーメンスおよびアメリカのウェスチングハウスやGEから導入した高温高圧ボイラーの技術を応用し、『大型8基』のみに集約。出力は落とさず、機関区画のスペースと重量を劇的に圧縮します」
「……まだ足りん」平賀は唸った。
「それだけでは、8,500トンには程遠い。せいぜい1万トン強だ。どう計算しても辻褄が合わん。ましてや15門搭載と37ノットなど、要求が狂っている」
そこに、扉を乱暴に開けて海軍軍令部次長の末次信正中将がずかずかと入ってきた。
「何を弱気なことを言っている、平賀! 藤本!
対米七割を諦め、巨大な軽巡洋艦(カテゴリーB)の枠で勝負すると決めたのだ! ならば、敵の8インチ重巡をアウトレンジで蜂の巣にできる15門の圧倒的火力と、敵の追撃を振り切る37ノットの俊足は絶対に譲れんぞ!」
艦隊派の急先鋒である末次は、あくまで「大砲の数と速力」に強硬に固執していた。
その後ろから、静かな足音と共に二人の男が入室してきた。
軍務局長の堀悌吉少将と、航空本部技術部長に内定している山本五十六少将である。
「……末次閣下。船は、大砲を乗せるためのただの鉄板ではありません。浮かんで、安定して戦い続けられなければ意味がないのです」
山本は、一枚のラフスケッチをテーブルに置いた。
それを見た平賀と藤本は、同時に息を呑んだ。
「これは……主砲塔を、すべて艦の前半部に集中配置するだと?」
「左様です」山本は頷いた。
「15.5cm三連装砲を5基ではなく、4基(12門)に減らし、全て前甲板に階段状に集中配置する。
さらに、無理な37ノットの要求を『35ノット』へ減速させます。
……これにより機関部の負担を減らし、弾薬庫とそれを守る一番分厚い装甲区画の長さを極限まで短縮できます」
それは奇しくも、史実ではのちに名艦と謳われる重巡洋艦「利根型」の設計思想そのものだった。
防御区画の極端な短縮による劇的な軽量化。そして後甲板が丸ごと空くことによる、水上偵察機の広大な運用スペース(航空甲板)の確保。航空に着目しつつあった当時の山本にとっても、巡洋艦の「索敵能力」の劇的な向上は理想的だった。
「大砲を減らし、速力も落とすだと!?」
末次が激怒して机を叩いた。
「15門の圧倒的弾幕があってこそ、敵の重巡を無力化できるのだ! 弱体化させてどうする!」
「弱体化ではありません。現実の問題です」
堀悌吉が、冷ややかな声で反論した。
「末次閣下。我々は今回、この新型巡洋艦を『20隻』も建造する大計画を進めています。
もし閣下のご要望通り、1隻に5基の砲塔を積めば……合計100基、大砲の数にして『300門』の新型15.5cm砲を製造しなければなりません」
堀は、呉海軍工廠からの報告書を突きつけた。
「スウェーデンのボフォース社からの技術供与があるとはいえ、今我々の工廠に巡洋艦向けのラインでそれほどの生産能力はありません。さらに言えば、砲身が摩耗した際の予備の砲身を含めれば400門近くが必要になる。
最悪、大砲の生産待ちで、できあがった船がドックで放置されることになり生産計画が崩壊します。 4基(12門)の集中配置ならば、初動の生産数は240門で済む。これなら国内工廠の限界能力で間に合います」
末次はぐっと言葉に詰まった。
大砲は、船体のように鉄板を溶接してポンポンと作れるものではない。砲身の旋条を削るには、精密な工作機械と膨大な時間が必要なのだ。
「さらに、もう一つ。これが最も重要な理由です」
堀は、声をさらに低く潜めた。
「閣下。もし我々が、どう見ても12,000トンはある15門搭載の巨大なバケモノを海に浮かべて、世界に向かって『これは8,500トンの軽巡洋艦です』とあからさまに言い張ったら、どう展開しますか?」
「条約の範囲内だと言い張ればいい! アングロサクソンどもも、裏では色々やっているだろう!」
「政治家や他国の海軍は誤魔化せるかもしれません。ですが……『投資家』は誤魔化せませんよ」
堀の言葉に、末次は怪訝な顔をした。
「投資家?」
「ええ。我々の『NCPC債』や『長期債』を世界中で買い支えてくれている、米英の巨大な投資家たちです」
堀は、ワシントンの東郷一成から極秘に送られてきたメモを読み上げた。
『……彼らが我々の債券を買うのは、今の日本海軍が国際的な約束を守り、確実な任務遂行能力を持つ“信用できる組織”だと信じているからです。
もし我々が条約違反のあからさまな嘘をつき、“平気で帳簿を誤魔化す、信用ならない三流の詐欺師国家”という烙印を押されれば……債券の価値は一夜にして暴落し、我々の巨大な資金源(財布)は一瞬で死にます』
東郷の冷徹な分析が、部屋の空気を支配した。
『……あまりにもあからさまな巨大な嘘は、市場が許さないのです。
列強の海軍は、我々の嘘を見逃すかもしれません。彼らも後ろ暗いからです。
だが市場は見逃しません。
市場は愛国心を持たない。市場は軍歌を歌わない。市場はただ、信用ならない帳簿を売るだけです。
嘘をつくなら、“会計上の正当な理由”をつけられる(言い訳のできる)範囲に留めなければなりません』
「……さらに言えば、閣下」
堀は、とどめとばかりに畳み掛けた。
「現在、我が国にはすでに『妙高型』および『高雄型』の強力な8インチ重巡が計8隻存在します。
これに加えて、この偽装軽巡『20隻』を、大砲の生産拠点のパンクを避けて、条約明けの1936年末までに“確実に全艦”揃えて海に並べて見せること。
……1隻あたりの大砲を15門に増やすために数年の遅れをとるよりも、スケジュール通りに28隻の強力な巡洋艦隊を完成させる方が、圧倒的にアメリカ海軍に与える戦略的プレッシャーは大きいのです」
堀は、冷酷な目で海図を見た。
「大恐慌下で国家予算そのものが縮小している現在のアメリカ海軍が、1936年末という期日までに我々のこの建艦スピードと数量に追いつくことは不可能です。一隻あたりの砲の数より、『期日に揃っている数と形』こそが最大の抑止力になります」
「……アメリカの空母がやっているのと同じ手口です」
山本五十六が、引き継いで説明した。
「彼らは無理やり18,000トンと言い張るために、予備弾薬や後日搭載予定の機銃、ダメージコントロールの補修部品などを『平時の標準排水量には含まない計算だ』として、巧妙に帳簿から追い出そうとしている。
……我々も、その緩い計算法をそっくりそのまま逆用させてもらえばいいのです。
15門のような大砲の数では言い訳のしようがありませんが、12門の前方集中配置で、後部を水上機スペースとした合理的な設計であれば、『不要な装甲を切り詰めた結果、ギリギリ8,500トンに収まりました』という説明が、会計上なんとか成立します」
末次は、奥歯をギリリと噛み締めた。
艦隊の火力をわざわざ落としてでも、市場の「信用」を最優先しろと言うのだ。海軍が、大義名分や精神力ではなく、出資者の顔色を窺って軍艦の形を設計する時代。
「……泥棒が、他人の懐の帳簿の不正を厳しく追求できるわけがない、か」
平賀譲が、深い溜息をついた。
「アメリカが帳簿の嘘をつくなら、我々も同じ論法で嘘をつく。互いに追求し合えない『相互粉飾黙認』というわけだな」
平賀は山本の図面に猛然と赤鉛筆を走らせ始めた。
「……悪党どもめ。だが、この前方集中配置のシルエット。無駄がなく理にかなっている。造船官として、腕が鳴る造形だ。
それに、サンフランシスコでひらめいた交流(AC)電源への完全移行を採用すれば、太くて重い直流用の銅線を艦内に張り巡らせる必要がなくなり、配線重量だけで百トン単位の劇的な軽量化が図れるぞ」
藤本も、目を輝かせて平賀のスケッチを覗き込む。
「いけます、閣下! これなら、強度を保ちつつ、帳簿上の数字も極限までスリムにできます!」
「よし、決まりだ」
堀は、満足げに頷いた。
かくして、オーストリアの特殊鋼、ドイツ・アメリカの機関技術。
そしてアメリカ流の「帳簿の誤魔化し(過少申告)」と「信用維持」を絶妙に融合させた、世界最強の“八五〇〇トン級巡洋艦(史実と大きく異なり、利根型の設計思想で大増産されることとなる航空巡洋艦)”20隻の建造計画が、静かに、しかし凄まじいペースで動き始めたのである。
1隻の怪物ではない。
信用を毀損せず、工廠を止めず、市場を怯えさせないまま、同じ姿で20隻並ぶ艦隊。
それが、東郷一成の制度が産んだ巡洋艦だった。
のちに太平洋で世界を震撼させることになる、この『八五〇〇トン級巡洋艦』20隻の艦名は、日本の海軍史と軍縮条約の歴史をそのまま体現する壮観なラインナップとなった。
まず、史実の最上型および利根型に該当する6隻。
『利根』『筑摩』『最上』『三隈』『鈴谷』『熊野』。
次に、重巡洋艦(20.3cm砲搭載型)の枠として増枠された1隻。
『伊吹』。
そして残る13隻は、条約の「艦齢13年ルール」によって惜しまれつつ廃艦となる、旧形式の軽巡洋艦の名前がそのまま受け継がれることになった。
天龍型の2隻……『天龍』『龍田』。
実験的軽巡……『夕張』。
球磨型の5隻……『球磨』『多摩』『北上』『大井』『木曾』。
そして長良型(阿武隈を除く)の5隻……『長良』『五十鈴』『名取』『由良』『鬼怒』。
大正時代から日本海軍の主力水雷戦隊を支えてきた誇り高き老朽艦たちの魂と名前は、来るべき決戦の海へと生まれ変わってゆくのである。
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