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TOGO 軍神の息子は、アナポリス帰りから軍縮した貧乏日本海軍の記録で稼ぐようです  作者: キユ
第三章

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目には目を、商船には商船を

 時:1930年(昭和五年)、夏

場所:ワシントンD.C. 海軍省・作戦部長室


 ロンドン海軍軍縮条約の批准が確定的となり。

 アメリカ海軍の新作戦部長ウィリアム・プラット提督の机の上には、真新しい戦略文書の束が置かれていた。


 タイトルは、『対日戦略における航空打撃力の優越的運用について』。


 執筆者は、航空局のウィリアム・モフェット提督と、マーク・ミッチャー中佐だ。


「……巡洋艦での殴り合いは、放棄する、か」

 プラットは、ため息まじりに呟いた。


「はい」ミッチャーが、血走った目で頷いた。

「1930年度下半期。太平洋艦隊の演習は、燃料代不足で全て中止。

 戦艦は港に繋がれたまま、水兵たちは錆落としとペンキ塗り(それも薄めた安物の塗料で)ばかりやらされている。

 射撃訓練は年間規定数の半分以下。砲身の摩耗を恐れて実弾が撃てない。これにより、1930年代の水上打撃戦における我が国の劣勢は確定しました。

 ……まともに撃ち合えば、我々の水兵が死ぬだけです」


「だから、空から殺すと言うのだな」


「その通りです」

 モフェット提督が、海図の太平洋を指差した。


「日本の弱点は、そのあまりにも広大な兵站線です。

 南米から、あるいは蘭印や東欧から日本へと続く長い血の管。それを守るために、日本の強力な巡洋艦は海に広く薄く散らばらざるを得ない。

 ……我々は、そこに『空母』を送り込みます」


 モフェットは、海図の上に空母の駒を置いた。

「戦艦のように堂々と進む必要はありません。姿を隠し、敵の巡洋艦の砲の射程外から、一方的に爆撃機と雷撃機を放つ。

 敵の護衛艦を沈め、輸送船を焼き払い、そしてすぐに逃げる。

 ……ヒット・アンド・ラン。巨大な海賊作戦です」


 それは、大国アメリカの海軍が誇りとしてきた「マハン主義(主力艦隊による決戦)」の放棄であり、かつてドイツがUボートでやったような「ゲリラ戦」への移行宣言だった。

 しかし、金がなく、条約で縛られ、水上戦の質で日本に負けている今、アメリカ海軍が「勝つ」ためには、その暗殺者のナイフ(空母)に頼るしかなかった。


「……空母の建造を急がねばならんな」

 プラットは、苦渋の決断を下した。


「議会には、巡洋艦不足を補うための安上がりな代替戦力だと説明しよう。皮肉なものだ。我々が、空母を主役にした戦争を仕掛けることになるとは。


 ……して、モフェット提督。我々に残された『空母の枠』は、あとどれだけある?」


 その問いに、会議室の空気が再び重くなった。


「……3万6,000トンです」

 モフェットは、忌々しげに答えた。


「ワシントン条約における我が国の空母総枠は、13万5,000トン。


 対して我々は現在、大型改装空母『レキシントン』と『サラトガ』、そして日本の『土佐』に対抗するために建造した、三隻目のレキシントン型改装空母『レンジャー』を抱えています。


 3万3,000トン級の巨艦が3隻。これで約9万9,000トンを消費しました」


 プラットは頭を抱えた。

「残り、たったの3万6,000トンか……! 日本が『プレジデント・フーバー型』のバケモノ客船を2隻も買い込んだ挙句、いつでも2万トン級特設空母に改装できる準備を進めているというのに。


 ……どう使う? 1万2,000トンの小型空母を3隻造るか? 数があれば、太平洋のあちこちで同時に通商破壊ができるぞ」


「反対です」

 ミッチャーが即座に否定した。


「1万2,000トンの船体では、搭載機数が少なすぎます。さらに致命的なのは、波の荒い太平洋の外洋ではピッチング(縦揺れ)が酷く、まともに発着艦できないことです。


 それに提督。日本の『特型駆逐艦』や『新型巡洋艦』は、35ノット以上の猛スピードで追いかけてきます。小型空母の機関出力では、30ノットを維持するのが精一杯です。……追いつかれて、6インチ砲で蜂の巣にされますよ」


 モフェットが頷いた。

「ミッチャー中佐の言う通りだ。

 ゲリラ戦の鉄則は『刺して、確実に逃げる』こと。敵の巡洋艦を振り切る快速と、一撃で敵の船団を壊滅させるだけの打撃力(機数)が必要だ。ならば、答えは一つしかありません」


 モフェットは、白紙の設計図をテーブルに置いた。

「1万8,000トン級の空母を、2隻。

 33ノット以上の快速と、70機以上の搭載機を持たせる。無駄な装甲は省き、攻撃力と機動力に極振りした空母です」


 後の傑作空母『ヨークタウン』型の、事実上の誕生の瞬間であった。


「……1万8,000トン級を2隻か。日本の『フーバー型改(約2万トン)』2隻と、ちょうど数が合うな」

 プラットは唸った。


「だが、モフェット。船はそれでいいとして……敵の護衛艦はどうする?」

 プラットは、ヨーロッパから上がってきた情報の束を指差した。


「日本はスイスからエリコンの機銃を、スウェーデンからボフォースの大砲を、オランダからハゼマイヤーの射撃指揮装置を買い漁っている。

 そしてそれらを、我々が売ったGEの交流電源とセルシンモーターで連動させようとしているのだ。

 ……強力な防空網だ。我々の雷撃機が低空を這って近づけば、魚雷を落とす前に撃ち落とされるぞ」


 その絶望的な分析に対し、ミッチャーの瞳が、狂気のような、あるいは純粋な殺意のような光を帯びて細められた。

「……水平が駄目なら。垂直から殺すのです、提督」


「垂直?」


「急降下爆撃です」

 ミッチャーは、チョークで黒板に急角度の矢印を描き下ろした。


「高度1万フィートから、太陽を背にして、敵艦の頭上ほぼ90度の角度から突っ込む。

 いかにハゼマイヤーの計算機が優秀でも、真上から降ってくる目標に対しては、砲の仰角と旋回速度が追いつきません。

 エリコンの機銃が火を噴く頃には、すでに我々の爆弾は、奴らの甲板を突き破り、ボイラー室で炸裂しているでしょう」


 会議室が静まり返った。

 理論上は可能だ。だが、それはパイロットにかかるGと、海面に激突する恐怖に打ち勝つ、異常な精神力と技術を要求される。

 機体も、急降下の空気抵抗で空中分解しないほどの、異常な頑丈さが必要だ。


「……正気の沙汰ではないな」

 プラットは息を呑んだ。


「ええ、正気ではありません」

 ミッチャーは、口元を歪めて笑った。

「ですが、金(軍艦)で負けた我々が、あの東郷一成の作り上げた『制度』の虚を突くには、人間の狂気(パイロットの腕)で抉るしかないのです」


「……分かった」

 プラットは、深く頷いた。

「急降下爆撃機の開発を最優先事項とする。カーチスでも、ダグラスでも、どこでもいい。どんな無茶な急降下にも耐えられる、空の死神を作らせろ」


「……しかし、プラット提督」

 モフェットが、最後に現実という名の冷や水を浴びせた。

「船の設計図も、戦術も決まりました。

 ……ですが、これを造る金がありません。フーヴァー大統領はダムの予算を巡洋艦に回したばかりで、空母2隻の予算など、今の議会が通すはずがありません」


 プラットは、唇を噛み締めた。

 最高の剣を設計しても、それを打つための金がない。これが今のアメリカの現実だった。


「……今は、図面を引くだけで構いません」

 モフェットは、窓の外のワシントンの空を見上げた。


「1932年の、大統領選挙。

 ……もし、ニューヨークの『あのルーズベルト』が勝てば。

 彼は、海軍の価値を知り尽くしている。彼が掲げる不況対策の公共事業として、必ずこの空母建造にサインするはずです」


 モフェットは、決意を込めて言った。

「それまでは、我々は耐え、図面を極限まで磨き上げ、パイロットたちを急降下爆撃の恐怖に慣れさせるだけです。

 ……日本が金で強くなるなら、我々は執念で強くなりましょう」


「……とはいえ、正規空母の予算が通るまでの間、指をくわえて待っているわけにはいかんぞ」

 プラット提督が、重い口を開いた。


「日本の『プレジデント・フーバー型改』特設空母は、3隻目がすでに長崎のドックで形になりつつある。奴らの手に渡った16隻のハリス型も、甲板を平らにすればいつでも立派な護衛空母に化ける。……数の上でのギャップを、どう埋める?」


 その時だった。

 会議室の重厚な扉を、ノックもなしに乱暴に開け放った男がいた。

 筋骨隆々とした体躯、ブルドッグのような獰猛な顔つき。


 ウィリアム・“ブル”・ハルゼー大佐だった。


 彼は当時、まだ航空パイロットの資格を持っていなかったが、海軍大学校での図上演習を通じて航空戦力の重要性を誰よりも痛感し、「戦艦派」から「航空派」へと鞍替えしつつあった猛将である。


「失礼します、提督。その件について、少々手荒ですが借りを返す腹案があります」

 ハルゼーはずかずかとテーブルに歩み寄り、分厚いファイルを開いた。


「ハルゼー大佐か。なんだ、その書類は」

「『目には目を、商船には商船を』です」

 ハルゼーは、獰猛な笑みを浮かべた。


「東郷の野郎が我々の民間船を買い漁って空母の卵にしているなら、我々も自国の民間船を見えない空母として育てればいい。


 ……現在、米国内の造船所では、大恐慌の中でも政府の補助金に縋って生き残ろうとしている、いくつかの大規模な民間客船プロジェクトが動いています」


 ハルゼーは、隣のミッチャー中佐と顔を見合わせた。二人は事前に示し合わせていたのだ。

 ミッチャーが解説を引き継いだ。


「一つは、マトソン・ラインがハワイ航路用に建造を開始している『マリポサ』『モンテレー』『ルリーン』の三姉妹ホワイト・シップ


 もう一つは、ユナイテッド・ステーツ・ラインズの『マンハッタン』と『ワシントン』です。


 これらはすべて1万8,000トンから2万4,000トン級。速力も20ノット以上を発揮する最新鋭の高速客船です」


「だが、それらは民間船だろう? 今の海軍にそれを買い上げる金はないぞ」

 プラットが眉をひそめる。


「買う必要はありません、提督。我々は金ではなく条件を出すのです」

 ハルゼーは、葉巻を取り出しながら言った。(火はつけない)


「彼ら海運会社も、この不況で資金繰りに苦しんでいます。政府の海事委員会が握っている『建設融資基金』からの低利融資が喉から手が出るほど欲しい。

 ……ならばその融資の審査に、我々海軍が口を挟むのです。

 『融資してほしければ、設計段階から海軍の要求を飲め』と」


 航空局長のモフェット提督の目が光った。

「……なるほど。有事の際に短期間で空母に改装できるように、起工して間もない今のうちに細工をしておくというわけか」


「その通りです」ミッチャーが力強く頷いた。

「具体的には、将来の飛行甲板を支えるための船体強度の確保。航空機用エレベーターを設置するための開口部の事前設計。燃料タンクや弾薬庫への転用を前提とした区画割りの最適化。

 そして何より、ボイラーとタービンの出力を、民間船の採算ラインを度外視して、過剰に設定させることです」


 ハルゼーが、大きな掌で机をバンと叩いた。

「平時は豪華客船として、金持ちどもを乗せてクルーズさせておく。維持費は海運会社と乗客が払ってくれます。

 ですが、いざ開戦のラッパが鳴った瞬間――我々はその船を徴用し、数ヶ月で上部構造物をひっぺがし、飛行甲板を乗せて前線に送り込む!


 ……日本が『フーバー型』を2隻持っていったのなら、我々は5隻の『予備空母』を国内の民間航路にプールしてやるのです!」


 プラットは息を呑んだ。

 それは東郷一成がやったことの、完全な意趣返しだ。

 日本が「アメリカの造船所と技術を使って軍艦を作った」ように、アメリカも「民間の資本と維持費を使って予備の軍艦を飼っておく」。


「……予算はどうする? 財務省のメロン長官や、海事委員会が海軍の介入を嫌がるぞ」


「フーヴァー大統領を説得するのです」ハルゼーが不敵に笑った。

「『日本にフーバー型を売ったことで浮いた金(融資の未払い分)を、国内の海運会社に回して雇用を守りましょう。ただし、国防の担保として海軍のチェックを入れます』と。

 あの技術屋の大統領なら、この合理的な提案には必ず飛びつきます。財務省も、借金が焦げ付くよりはマシだと泣きつくはずです」


 モフェット提督も深く頷いた。

「素晴らしい。これなら議会も、民間の海運業支援と失業対策という名目で予算を通すだろう。

 これが『正規空母のダミー』だと仮に気づいても、見て見ぬふりをするだろう」


「……よし」

 プラットは決断した。

「ハルゼー大佐、ミッチャー中佐。直ちに海事委員会と造船所の設計局に乗り込め。

 あくまで商船の安全性向上と沈没防止という名目で、海軍の要求仕様をねじ込んでこい」


「イエッサー!」

 ハルゼーは、獰猛な笑みを浮かべて敬礼した。

「東郷の野郎に教えてやりますよ。ヤンキーは一度騙されたら、次は倍返しにする生き物だってことをな!」

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