閑話・第十六の招待状
小話的な話です。東郷が一時帰国していたころの話。
時:1930年(昭和五年)、5月下旬
場所:横須賀、東郷邸の縁側
初夏の風が風鈴を心地よく鳴らす縁側で、一時帰国中の東郷一成少将は、久しぶりの休日を渋いお茶と共に満喫していた。
彼の傍らでは、養女の幸がソファで丸くなりながら、新聞のスポーツ欄を広げ、目を輝かせている。
「……若林選手、三点も」
幸が、ぽつりと呟いた。新聞から顔を上げずに、でも声だけが少し弾んでいる。
「ほう。何かね、幸」
東郷が、南米についての雑誌から顔を上げた。
「東京で開かれている『第9回極東選手権競技大会』の蹴球です。日本代表が、中華民国とフィリピンを破って、同率優勝したんですって。特にエースの若林竹雄選手が大活躍で……」
当時の日本サッカーは、アジアでも決して強豪とは言えなかった。しかしこの1930年の極東大会において、若きエースストライカー若林の活躍により、日本は歴史的な初優勝(中華民国と同点優勝)を飾っていた。
「……蹴球、か。兵士の体力練成には良いスポーツだが」
東郷は興味なさそうに視線を雑誌に戻そうとした。
だが、幸は新聞をパタンと閉じ、ふと伏し目がちに、小動物のような庇護欲をそそる上目遣いで東郷を見た。
「……でも、可哀想。せっかく世界大会の招待状が来ているのに、お金がなくて行けないなんて」
東郷のペンが止まった。
「……世界大会?」
「ええ。今年の7月に、南米のウルグアイで、第一回の『ワールドカップ』という世界一を決める大会が開かれるそうなんです。ウルグアイの独立100周年記念だとかで」
幸は、あえて「南米」という言葉を強調した。
「……日本にも招待状が来たそうですが、大日本蹴球協会には南米まで選手を送る船代も滞在費もなくて、辞退してしまったそうなの。
シャム(タイ)も、エジプトも、同じ理由で来られなかった」
幸は、新聞をそっと脇へ置いた。その手が、わずかに止まる。
「……おかしいと思いません、お父様。
招待状が来てるのに。選ばれたのに。
……お金がないから、って理由だけで、諦めなきゃいけないなんて」
ほんの少しだけ、眉が寄った。胸のどこかが痛んでいるような顔で、幸は上目遣いで義父を見た。瞳が、うるうると潤んでいる。
「ウルグアイの人たちは、独立百周年のお祝いとして、この大会を開いたんですって。十六カ国来るって信じて、ずっと待ってたのに。
……三チームが、来られなかった。
……お父様は、どう思います?」
上目遣いで、義父の顔をまっすぐに見る。瞳は静かに、でも確実に揺れている。
(……これくらいでいい。あとは、お父様が自分で動く。)
史実の第1回W杯。欧州の強豪国は「南米は遠くて旅費がかかる」とこぞってボイコットし、南米と北中米のチームばかりの偏った大会になってしまった。ジュール・リメ会長が涙ぐましい努力でフランスやベルギーなどを引っ張り出したが、それでも13チーム。
もしここで、日本が「極東と中東の代表」を引き連れて颯爽と現れたら、どうなるか。
東郷は、幸の潤んだ目を見て、しばし沈黙した。
そして、顎に手を当てて思考の海へと深く潜っていった。
(……南米。ウルグアイ、ブラジル。
我々は、アメリカの銀行から彼らの債権を買い叩き、経済的な首根っこを握った。
政府の高官たちは我々に媚びへつらっているが、民衆はどうだ? 『アメリカ人の高利貸しが、日本人の高利貸しに変わっただけだ』と、警戒しているのではないか?)
東郷の脳内で、冷徹な「戦略計算」が始まった。
(……大英帝国は、砲艦と共に『クリケット』と『フットボール』を植民地に輸出した。スポーツは、民衆の熱狂をコントロールし、親近感を醸成することがある。
もし今、我々が極東からわざわざ船を出して、彼らの熱狂する祭典に花を添えに行けば……民衆の『日本』に対するイメージは、『冷酷な債権者』から『遠くから来てくれた良き友人』へと好転する!)
投資効果は絶大だ。
たかだか数十人の若者を南米に運ぶ船賃など、チリの銅山から上がる一日の利益にも満たない。
「……幸。泣くことはない」
東郷は、優しい父親の顔で言った。
「その若者たちの無念、お父さんが晴らしてあげよう。
……ちょうど、南米視察用の『足』を手配しなければと思っていたところだ」
「本当ですか、お父様!」
幸は、満面の笑みで東郷に抱きついた。
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時:翌日
場所:東京・霞が関、海軍省
欧州での工作を終え、報告のため一時帰国していた駐米武官補佐官の松田千秋中佐(特進)は、東郷少将の執務室に呼ばれ、手渡された命令書を見て完全にフリーズしていた。
「……東郷閣下。私の目が悪くなったのでしょうか。
『大日本体育協会・蹴球日本代表チーム一行(約20名)ヲ、7月迄ニ南米ウルグアイ・モンテビデオ港へ輸送セヨ』……と読めるのですが」
「その通りだ、松田中佐。昇進しても読解力に問題はないようだな」
東郷は、涼しい顔で紅茶を飲んでいる。
「閣下! 私は南米の資源開発と伊藤中佐の後釜の調整で忙しいのです! なぜ私が、玉遊びの若者たちのツアコン(添乗員)をしなければならないのですか!」
「玉遊びではない、松田君。これは『高度な民心掌握作戦』だ」
東郷は、地図の南米大陸を指差した。
「我々が南米の経済を握ったことは、現地の民衆には『新しい支配者』の登場にしか見えていない。彼らの警戒を解き、日本に親しみを持たせるには『お祭り』に参加するのが一番だ」
東郷は、懐から小切手帳を取り出した。
「費用は全て、海軍の『南米資源開発広報費』から捻出する。NCPC債だろうがドルだろうが、いくら使っても構わん」
「し、しかし閣下! 7月までにエジプトや日本から南米へとなると、民間の定期船ではダイヤが合いません! 特にエジプトは、地中海の嵐で船の運航が乱れているはずです!」
「だから、海軍がやるのだ」
東郷は、ニヤリと笑った。
「思い出せ、松田君。我々はつい先日、イギリスのシェルから『最新鋭の高速タンカー(17隻)』を買い取り、アメリカから『ハリスクラスの巨大貨客船(16隻)』を買い取ったばかりだ。
現在、それらの船の一部は南米や欧州に向かって、空荷、あるいは試験航海を兼ねて海を渡っている最中のはずだ」
松田はハッとした。
「……まさか」
「その通り。
日本からは、南米へ向かう予定の『プレジデント型』客船を横浜に寄港させ、日本代表とシャム代表を拾え。
エジプトには、地中海を抜けベネズエラに向かう途中の『フォボス級タンカー』をアレクサンドリアに回し、足止めを食っているエジプト代表を乗せろ。フォボス級の居住設備は最高級だ、客船代わりには十分すぎる」
「……現地のホテルや、練習グラウンドの手配は?」
「南米の日系移民ネットワーク(コチア産業組合など)と、我々が買収した企業群を使え。金に糸目はつけん。選手たちには毎日、極上の牛肉を食わせてやれ。コックと医師の帯同も忘れるな」
松田は、深く、深くため息をついた。
「……了解いたしました。
日本の若者たちを、南米の熱狂の中に叩き込んできます」
松田は敬礼し、足早に部屋を飛び出していった。
その後ろ姿を見送りながら、東郷は満足げに茶を啜った。
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時:1930年(昭和五年)、7月上旬
場所:ウルグアイ、モンテビデオ港
南半球の冬の風が吹くモンテビデオ港。
FIFA(国際サッカー連盟)会長、ジュール・リメは、港の寒空の下で頭を抱えていた。
「……ダメだ。ヨーロッパの連中は、結局フランス、ベルギー、ルーマニア、ユーゴスラビアの4カ国しか来なかった。
エジプトは嵐で船が出ないと言うし、日本もシャムも資金難でリタイアだ。
たった13カ国。せっかくの第一回ワールドカップが、これでは『アメリカ大陸選手権とおまけ』に過ぎないではないか」
ウルグアイの独立100周年を祝う国家的行事だというのに、参加国が16に満たない。主催国としての面目は丸潰れだった。
その時、港の監視塔から凄まじい歓声が上がった。
「見ろ! 船だ! 巨大な船が入ってくるぞ!」
リメ会長が双眼鏡を覗き込むと、ラプラタ川の河口から、信じられない光景が現れた。
西の水平線からは、巨大な白亜の客船(元アメリカ・ハリスクラス)。
東の水平線からは、鈍く光る巨大なディーゼル・タンカー(元シェル・フォボス級)。
全く別の海域からやってきた二隻の巨大船が、まるで軍事パレードのように完璧なタイミングで並走し、モンテビデオ港の岸壁へと滑り込んできたのだ。
そして二隻の船のメインマストには、開催国ウルグアイの国旗と共に、旭日旗が誇らしげにはためいていた。
「な、なんだあれは……? 日本の軍艦か?」
リメ会長が呆然とする中、客船のタラップが下り、ブラスバンドの行進曲と共に、揃いのブレザーを着た一団が降りてきた。
先頭を歩くのは、日本代表団。その横にはシャム(タイ)代表。
そしてタンカーの方のタラップからは、長旅の疲れを微塵も感じさせない、エジプト代表の選手たちが笑顔で手を振って降りてきた。
出迎えたウルグアイの大会組織委員長に、客船から降り立った日本海軍の中佐(松田)が、ビシッと敬礼して告げた。
「日本帝国海軍は、ウルグアイ共和国独立100周年と、第一回ワールドカップの開催を心より祝福いたします!
我が海軍の航路において、足止めを食らっていたエジプト代表、および資金難で困窮していたシャム代表を『保護』し、同乗してお連れいたしました。
……これで、参加国は予定通り『16カ国』ですな?」
港は一瞬の静寂の後、割れんばかりの大歓声と拍手に包まれた。
「ビバ・ハポン!!」
「信じられない! 地球の裏側から、わざわざエジプトの船まで拾ってきてくれたのか!」
ジュール・リメ会長は感動のあまり涙を流し、松田の手を固く握りしめた。
「ありがとう……! 日本という国は、なんというスポーツへの理解と、騎士道、いや武士道精神に溢れた国なのだ! FIFAはこの恩を、永遠に忘れない!」
現地の新聞は、この「奇跡の到着」を大々的に報じた。
『ヤンキー(米国)の銀行家は我々に借金の督促状を送りつけるが、日本の海軍は遠い国からスポーツの友を連れてきてくれた!』
南米全土で、日本の株は爆発的に上昇した。
さらに松田は、3チームの選手たちをモンテビデオの最高級ホテルに「NCPC債」で宿泊させ、港に停泊した船からは、南米の農家から買い上げた牛肉などの新鮮な食材が、惜しげもなく選手村に提供された。
結果として、肝心のサッカーの試合において、日本代表は初戦で開催国のウルグアイにボコボコにされ、エースの若林が意地の1点を返すのがやっとという惨敗を喫した。
だが、そんなことはどうでもよかった。
南米の民衆にとって、小柄な体で最後まで諦めずにボールを追う日本選手の姿は、強大なアメリカ資本に立ち向かう彼ら自身の姿と重なったのである。
試合終了のホイッスルが鳴った時。エスタディオ・センテナリオを埋め尽くした9万人の大観衆は、勝者のウルグアイだけではなく、ピッチに倒れ伏す日本の選手たちに向かって、スタンディングオベーションを送っていた。
「エル・サムライ! よく戦った!」
極東から来た小柄な若者たちが、最後までフェアプレーを貫き、強者に挑み続けた姿は、南米の民衆の心に深く刻み込まれた。
観客席のVIPルームで、松田は現地の政府高官たちと葉巻をくゆらせながら、その光景を満足げに見下ろしていた。
「……いやあ、素晴らしい試合でしたな、松田中佐」
ウルグアイの外務大臣が、上機嫌で言った。
「貴国の若者たちのスポーツマンシップには、我が国の国民も大いに感銘を受けておりますよ。
……ところで、先日お話ししたコンビーフの輸出契約の件ですが。我が国の税関は、日本海軍の船に対しては最高の便宜を図らせていただきますよ」
「それは重畳」
松田は、グラスのワインを傾けた。
(……東郷少将の言う通りだった。大砲を並べて脅すより、若者たちに泥だらけでボールを蹴らせた方が、よほどスムーズに条約のサインがもらえるとは)
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後日。
ウルグアイからの短波ラジオのスポーツニュースを聞きながら、幸は縁側でガッツポーズをしていた。
「ありがとう、お父様。 日本代表、全敗だったけど、エジプトやシャムも参加して、これで『16カ国』の完全な第1回ワールドカップが歴史に残る!」
一方そのころ、ワシントンD.C.の武官室で冷たい麦茶を啜っていた東郷一成は、送られてきた松田からの報告書を読み、苦笑いしていた。
「……たかだかボール遊びの祭典だと思っていたが。
松田の奴、このどさくさでウルグアイの食肉利権の優先契約までまとめてきおった。
……『サッカー』というのは、随分と割のいいビジネス外交になるのだな」
『お父様、サッカーはビジネスじゃありません! 平和の祭典です!』
頬を膨らませて抗議する幸の顔が、東郷には幻視できるような気がした。
「分かっているとも。……だが、平和を作るのにも、金と船は必要なのさ」
東郷は、青空を見上げた。
アメリカが恐慌で内に引きこもり始めているこの時期に。
日本は「スポーツと友情」という最も美しい衣を被って、南米の懐に深く、そして決定的に入り込むことに成功したのだ。
これもまた、東郷幸という「羅針盤」がもたらした、一つの小さな、しかし世界を繋ぐ奇跡であった。
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