溶接
時:1930年(昭和五年)、初夏
場所:ペンシルベニア州、ナショナル・チューブ・カンパニー(National Tube Company)の実験工場
アメリカの鉄鋼・造船業界は、1930年という年に一つの大きな技術的転換点を迎えていた。
「鋲接」から「溶接」への移行期である。
工場の薄暗い建屋の中で、強烈なアーク光が青白く瞬いていた。
分厚い鋼板の継ぎ目の上を、自走式の機械がゆっくりと進んでいく。機械の先端からは粉末状のフラックス(融剤)が自動的に散布され、その被膜の下で、見えないアーク放電が鋼板を深々と溶かし、そして完璧な一枚の板へと結合させていく。
「……これが『サブマージドアーク溶接(SAW)』か」
当時、日本に一時帰国前に視察に訪れていた日本海軍の東郷一成は、遮光ガラス越しにその光景を見つめ、汗と共に驚嘆の声を漏らした。
「手作業のアーク溶接の、優に20倍の速度が出ている。しかも溶け込みが深く、ビード(溶接痕)が均一だ。
……これなら職人の腕に頼らずとも、素人でも完璧な水密性を持つ船体が造れる」
案内役を務めていたアメリカ人の特許権者、ボリス・ロビノフ(Boris Robinoff)は、誇らしげに胸を張った。
「その通りです、提督。今年特許を取ったばかりの最新技術です。元々は巨大なパイプラインを繋ぐために開発したものですがね。
……ただ、これを船体の建造に使うとなると、話が別でしてね」
ロビノフは、急に肩を落とした。
「我々合衆国海軍の艦政局(BuC&R)の連中は、頭が固すぎるのです。彼らは『溶接は脆性破壊(割れ)のリスクがある。軍艦の主構造は実績のあるリベットでなければ許可しない』と、この機械の導入を渋っている。民間船主も同じです。保険の審査が通らないと。
……せっかくの技術も、使ってくれる客がいなければ宝の持ち腐れですよ」
大恐慌下のアメリカ。
企業は新しい設備投資を手控え、海軍も予算不足と保守的な体質から、新技術の採用に及び腰だった。優れたイノベーションが、資金難と前例主義の壁に阻まれて、実用化の陽の目を見ずに消えようとしていた。
そこに、東郷一成の「無尽蔵の財布」が現れたのだ。
「ミスター・ロビノフ。我が国(日本)は、前例など気にしませんよ。欲しいのは『結果』だけだ」
東郷は、懐からJPモルガン保証の小切手を取り出した。
「このサブマージドアーク溶接機を、フラックスの配合レシピも含めて、20台買いましょう。
そして、現在我々が貴国造船所に発注している『マトソン・ラインの旧式船の工作艦化改装』および、『装甲巡洋艦の改装工事』の現場に、この機械を直ちに持ち込んでください」
「ほ、本当ですか!? しかし、あれらは巨大な船です。もし溶接不良で船体が折れでもしたら……」
「構いません。
失敗した時のリスク(金銭的損失)は、全て日本海軍が被ります。
その代わり……」
東郷は、ロビノフの目を真っ直ぐに見据えた。
「我々が派遣する日本の技術工たちに、この機械のセッティングからトラブルシューティングまで、すべてを現場で包み隠さず指導していただきたい。
……貴方の素晴らしい発明を『船』に適用するための、最初の大規模な実証実験を、我々の資金でやらないか、と言っているのです」
ロビノフの技術者としての魂が、激しく揺さぶられた。
自分の発明が、巨大な船体を組み上げる。その歴史的な第一歩を、東洋の資金が後押ししてくれるというのだ。
「……分かりました、提督。最高の溶接チームを組みましょう」
⸻
時:数週間後
場所:カリフォルニア州、ベスレヘム造船所・サンフランシスコ乾ドック
造船所は、異様な熱気と活気に包まれていた。
リベット打ちの騒々しい打撃音が減り、代わりに溶接のアーク光がドックのあちこちで青白く輝いている。
ここでは別の最新技術、『スタッド溶接(Stud Welding)』が、日本向けの工作艦(元マトソン・ライン)の甲板敷設に投入されていた。
「すげえな、こりゃ……」
日本から派遣されてきた若い造船工が、アメリカ人溶接工の作業を見て目を丸くした。
従来なら、鋼板に一つ一つドリルで穴を開け、ボルトを通して裏からナットで締めるという、途方もない手間と時間を要する作業だった。穴を開ければそれだけ水密性も低下し、船体強度も落ちる。
だが、ニューヨーク海軍工廠で今年(1930年)発明されたばかりの「スタッド溶接ガン」を使えば、鋼板に穴を開けることなく、専用のピン(スタッド)を瞬時に溶接して立てることができた。
「ヘイ、ボーイ。 見てな」
大柄なアメリカ人溶接工が、分厚い皮手袋越しにスタッドガンを構え、トリガーを引く。バチッという閃光とともに、わずか数秒でピンが鋼板に完全に融合した。
「これなら、重なり継手もいらねえし、穴を開けないから浸水も防げる。何より、仕事が10倍早い。
……まあ俺たちからすりゃ、歩合給でドカドカ稼げる最高の魔法の杖さ!」
当時、アメリカの溶接工は少数精鋭の熟練職人であり、過酷な環境(夏場は50度近い鉄板の上)で働く代わりに、出来高制で破格の高給を得ていた。
「どうだ、お前もやってみるか?」
アメリカ人は、気前よく日本人の若者に溶接ガンを渡した。
彼らには「敵に技術を教えている」という意識は微塵もなかった。目の前にいるのは、不況の中で自分たちに「これまでで一番の稼ぎ」をもたらしてくれた、気前の良いスポンサーの部下(仲間)なのだ。
日本からワシントンまでの赴任途中に立ち寄った東郷一成は、ドックの上からその光景を満足げに見下ろしていた。
「……素晴らしい。スタッド溶接で内装や甲板をオフサイト(別の場所)で作って、クレーンで一気に据え付ける。サブマージドアークで外板を高速で貼り合わせる。
……これが、これからの『船の造り方』というわけか」
史実において日本海軍は溶接技術の導入に積極的だったものの、1935年の「第四艦隊事件」で船体が真っ二つに折れるというトラウマを抱え、以降はリベット接合への回帰を余儀なくされた。基礎的な溶接のノウハウ(母材の選定、熱応力の管理、フラックスの品質)が不足していたからだ。
だが、この世界線では違う。
日本は、自動溶接とブロック工法の基礎を1930年の時点でアメリカ人自身の手で実証させ、その失敗と成功のデータごと全て「お買い上げ」してしまったのだ。
「……どこの国でも保守的な提督たちは、リベットの音がしなければ安心できないらしい」
東郷は冷笑した。
「だが、次の戦争は『芸術品を彫刻する戦い』ではない。『工業製品を印刷する戦い』になる。
……おい、あれを見ろ」
東郷が指さした先では、巨大な鋼板のブロックが、クレーンで吊り上げられていた。
船台の上で一から骨組みを組むのではなく、別の場所であらかじめ溶接して組み上げた巨大な「パーツ」を、レゴブロックのように船体にガチャンと嵌め込む。
『ブロック工法』の萌芽である。
「リベット打ちでは、あんな真似はできん。接合部の精度が出ないからな。
だが、あのアーク溶接なら、鉄と鉄を文字通り『分子レベルで融合』させられる。
……あのやり方を極めれば、駆逐艦一隻をたった数ヶ月で『印刷』できるようになるぞ」
東郷の隣でメモを取っていた技術大尉が、興奮と恐れが入り混じった声で言った。
「閣下。……アメリカ人は、自分たちがどれほど恐ろしい技術を開発したか、気づいていないのでしょうか?」
「気づいている者もいるだろう。だが、彼らにはそれを『試す金』と『場所』がない」
東郷は、懐から茶の入った水筒を取り出した。
「新しい技術には、必ず『初期不良』がつきものだ。溶接の割れ、熱による歪み、フラックスの配合ミス。
……平時の世界中の海軍は、その失敗の責任を取りたくない。だから『実績のあるリベットを使え』と逃げる」
東郷は水筒をあおった。
「だが、今の我々は違う。
我々は今、アメリカの造船所に、マトソンの旧式船や装甲巡洋艦といった『巨大なモルモット』を提供している。
失敗しても構わん。何度でもやり直させる。
アメリカ人の職人たちに、高い歩合給を払って、死ぬほど失敗させ、その原因を究明させ、完璧な『溶接のレシピ』を完成させるのだ」
技術大尉は息を呑んだ。
日本はただ船を買っているのではない。
アメリカの労働力と頭脳を使って、次世代の造船技術の「完成品」を錬成させているのだ。
「……提督。それらの技術データは、全て持ち帰れるのですか?」
「当然だ。我々は『客』だからな」
東郷はニヤリと笑った。
「『安全管理のため』『今後のメンテナンスのため』と言えば、彼らは喜んで溶接の温度データから、フラックスの化学成分表、スタッドガンの設計図まで、全てコピーして渡してくれる。
……現に今、君が書いているそのノートがそうだ」
技術大尉の手元には、アメリカ人溶接工から聞き出した「電流のアンペア数」や「運棒の速度」、「気温と湿度が溶接ビードに与える影響」といった、現場でしか得られない生々しいデータが、びっしりと書き込まれていた。
「これを日本に持ち帰り、職工たちに叩き込む。
……ヨーロッパから買った高品質な鋼材や精密加工技術。
……そしてアメリカから買い上げた、この大量生産(ブロック工法と自動溶接)の魔法」
東郷は、ドックに停泊する巨大な船体を見上げた。
『マヌラニ』改め、工作艦『三原』となる予定のその船の腹には、すでに日本海軍の誇る新たな血脈が注ぎ込まれようとしていた。
青白いアーク光が、巨大な鋼板の継ぎ目を舐めるように走っていた。
アメリカの最新技術「サブマージドアーク溶接(SAW)」。粉末フラックスに覆われたその下で、自動化された機械が均一な溶接ビードを引いていく。
だがその背後で、冷ややかな、そして不機嫌極まりない声が響いた。
「……玩具だな」
東郷が振り返ると、そこには海軍造船中将・平賀譲が立っていた。
『プレジデント・フーバー』の船体延長工事(220メートルへの魔改造)の監督のためにヴァージニアにいたはずの彼が、工作艦の改装を見るためにわざわざカリフォルニアまで足を運んできたのだ。
「平賀閣下……。お言葉ですが、これは玩具ではありません。造船の未来です」
東郷は反論した。
「この自動溶接機を使えば、リベット打ちの20倍の速度で船体が組めます。重ね合わせのしろも不要になり、劇的な軽量化が可能になります」
「軽くなるのは結構だ」
平賀は、溶接が終わったばかりの鋼板をステッキでカンカンと叩いた。
「だが、信用できん。
溶接は熱応力による歪みが出る。急激な冷却で金属組織が脆化する。波の衝撃を受け続ければ、目に見えないクラックから真っ二つに割れるぞ。
……軍艦のキールや外板といった主要構造部材にこんなものを任せるのは、時期尚早だ。強度が保証できない」
史実において、平賀が藤本喜久雄の設計した艦艇に下した「ダメ出し」そのものだった。
だが、東郷は隣にいた技術大尉から分厚いデータファイルの束を受け取り、平賀に差し出した。
「閣下の仰る通りです。……もし、日本の劣悪な鋼材と、職人の『手作業』でこれをやれば、ですがね」
平賀は訝しげにファイルを受け取り、ページをめくった。
そこには、驚くべき記録が記されていた。
【溶接部引張試験・X線探傷検査レポート】
「なんだこれは……」
平賀の目が、数値の羅列に釘付けになった。
「アメリカの造船所が、我々の資金を使って行った『限界テスト』のデータです」
東郷が解説する。
「彼らは何百枚もの鋼板を溶接しては壊し、溶接しては曲げ……あらゆる条件下でのエラー・データを集積しました。
電流のアンペア数、フラックスの化学成分、気温と湿度による冷却速度の違い。……全てが数値化されています」
平賀は息を呑んだ。
日本の海軍工廠では、一枚の鉄板を無駄にすることすら躊躇われる。これほど膨大なトライ&エラー(破壊試験)を繰り返すなど、資金面以上に組織風土的に絶対に不可能だ。
「さらに」東郷は足元の鋼板を指差した。
「この鉄は、粗悪品ではありません。スウェーデンのニッケル・クロム鋼です」
「……スウェーデン鋼に、自動溶接だと?」
平賀の声のトーンが変わった。不機嫌さが消え、純粋な技術者としての計算が脳内で回り始めている。
「手作業のムラがない『自動機械』。
不純物が極めて少ない『最高級鋼材』。
そして、アメリカ人が我々の金で蓄積してくれた『完璧な施工パラメータ』。
……平賀閣下。これらを組み合わせれば、脆性破壊のリスクは極限までゼロに近づきます。もはやリベット以上の強度と水密性が、論理的に担保されるのです」
平賀はファイルから顔を上げ、ドックの中で稼働し続ける自動溶接機を見つめた。
パチパチというアーク光が、平賀の丸眼鏡に反射している。
(……リベットの重ねしろが消えれば、船殻重量は15%は削れる。
その浮いたトン数を、装甲の厚みに回せる。あるいは、主砲をもう一基増やせる。
重心は下がり、復原性は向上し……私の理想が、船体サイズを拡大せずに実現できるのか……!)
「……東郷君」
平賀は、ステッキを固く握りしめた。
「平賀不譲」と呼ばれた頑固な老提督の顔が、新しい玩具を与えられた少年のように紅潮していた。
「この機械(サブマージドアーク溶接機)、何台買った?」
「とりあえず、20台です」
「馬鹿者! 桁が一つ足りん!」
平賀は吠えた。
「 100台……いや、アメリカ中から買えるだけ買え! フラックスの特許ごと買い取れ!
それと、アメリカの溶接技師を横須賀と呉に連れて帰るぞ! 給料は倍払ってやる!
……帰国次第、設計中の巡洋艦と駆逐艦の設計図を全部引き直す! リベットなんぞ時代遅れの遺物だ!」
「か、閣下!? 今から設計変更ですか!?」
技術大尉が思わず悲鳴を上げる。
「当たり前だ! これを見せられて、古いやり方にしがみつくほど私は老いぼれちゃおらん!」
平賀譲は、ドックの底へ向かって足早に階段を降り始めた。
アメリカ人の職工から溶接マスクをひったくり、自らアークの光を覗き込む。
日本の造船技術が、アメリカの金とデータを使って「第四艦隊事件」という未来の悲劇を完全にへし折った瞬間だった。
「……素晴らしい。ビードに全く気泡がない。
東郷! 見ている暇があったら貴様もメモを取らんか! 我々がこの国にいる間に、ヤンキーどものノウハウを骨の髄までしゃぶり尽くすのだ!」
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