8話「姉妹の弱味」
ダンジョンに行ってきます——その一文を書き残した張本人であるイノリは、洞窟が入り口になっているダンジョンへ、単身で赴いていた。
腰に短剣を念の為に装備しているが、鎧に兜、盾、何日か分の食料が入ったリュックサックなどの重装備をしているその他の冒険者に比べれば、彼女の装いは随分と軽装備である。
時折、怪訝そうな視線を浴びる事もあったけれど、ダンジョンの中を進むに当たって問題はなかった。
イノリは他の冒険者のように遠征を行うためにきたのではない。とりあえず上層階の様子を身を以て知ることができれば良いと思っていたから。今日はただの下見というか、様子見だ。遅くても夕飯の時間には間に合うように帰ろうと考えていた。
(上の階は、本当に手こずりそうな魔物はいなさそう……)
「シャアアアッ」
イノリのすぐ背後から、《ゴブリン》が石斧を持って飛びかかった。
「【炎魔法・弾丸】」
魔物の気配を感じ、冷静に振り向きながら手を銃の形にしたイノリは魔法を展開する。
人差し指の先から放たれた炎の弾丸は、《ゴブリン》の額を穿つ。「ギャアアア」醜い断末魔をあげた《ゴブリン》は、登場してからものの数秒で簡単に、あまりにも呆気なく、すげなく対処されてしまった。
石の地面に転がった魔石を拾ってポーチにしまったイノリは、心の中で自分と向かい合いながら頷き合った。
———やっぱり、いけるじゃん!!
心の中で対面した自分と自分でハイタッチ。
いえーーい、やったね〜。
おててを繋ぎあって、膝を上げて、スキップ、スキップ。
るんるるるーーん!!
「ふふふふふふふふふふふ……」
(帰ったら、ひのちゃんにも教えてあげないと。私たちはちゃんと強くなってるんだよって)
「よーーしっ、まだまだ上層階を探検しちゃうぞーーっっっっ」
そうしてイノリは、目の前に飛び出てきた前方の魔物を【炎魔法・弾丸】で討伐し意気揚々と歩き出した。
偶然にもエインと出会ったのは、この後のことだ。
「あ」
聞き覚えのある少年の声に立ち止まってみた。
「ああ、エインだ!! びっくりした〜」
「……そういうことか……」
「え?」
「なんでもない。魔物を睨みつけるみたいな目で振り向かれたからびっくりしただけだよ」
「だってエインがいるなんて思わないよー」
「いやいや、俺のほうこそだろ。君達が来るのはもう少し先だと思って……あれ? 君の妹は来てないのか?」
イノリの肩が微かに跳ねる。
明後日の方向を見ながら口をもごもごさせた。それから段々と項垂れていく。しまいには、しょぼーーんとした表情で指と指を突き合わせた。
「あ、あー……えーっとね……。その……あはは……あは……う、うぅ、ちょっとダンジョンに来るこないで意見が分かれちゃって……。勝手に、来ちゃった〜……的な?」
「……なるほど……」
同じ長子の立場であるエインは、イノリの肩に手を置いて告げた。気の毒そうな顔をして、それはもう、ど真面目に告げた。
「君の妹はどうだか分からないけどさ。俺の妹が怒ると割と根に持たれるから、イノリの妹もそういうタイプなら気をつけたほうがいいぞ……オフィーが怒ると、それはもうマジで。当分口を聞いてくれなくなったこともあったなぁ……」
「それは!! つらい!!」
その時ことを思い出したのか、さめざめと泣くエインの気持ちに共感してしまったイノリ。心の中の自分がイノリの髪を引き、腰に手を当ててドヤァとした顔で言う。うちのヒノリちゃんは、大丈夫だよ!! と。そんな自分に励まされたイノリは、「ふふん」と胸を張ってみせる。
(そうだよね、ひのちゃんはそんな口を聞かないほど根に持つような子じゃ……あれ。あ、あれーー? なんか自信がなくなってきたぞー?)
「うちのひのちゃんは、そんな事に〜……」
ふんふんと息巻いていた心の中の自分も、段々と自信なさげに目を泳がせ始める。
「……ど、どうしよう……」
急に青ざめ、深刻な表情を浮かべたイノリに、「自信があるのかないのかどっちなんだよ」とエインは苦笑した。
「あるよ!? あるんだけどなんだかこぉぉぉ〜否定もできない、みたいな!!」
「それはもう、ないんだろ」
「はぐぅぅぅっっっ。そ、そもそも不安を煽ったのはエインだよね!? 」
「はいはい、悪かったよ……。君の妹が怒った時には俺に連れてからだって言ってくれていーからさ……」
恨めしやぁぁぁ〜……と言わんばかりの潤んだ目線に睨まれて、エインはお手上げだと白旗を挙げる。
目の前のイノリに根に持たれて、後で妹にでもうっかりバラされたら、エインも堪らない。また数日間、いや今度は何ヶ月も口を聞いてもらえなくなってしまうかも。それだけは彼も避けたかった。うっかり口を滑らせてしまったことを、今更ながらエインは後悔してしまう。
「……なら使わせてもらうからね!! ……ってあれ、オフィーリアは一緒じゃないんだ……エイン一人?」
「今更だな……。オフィーが一緒だったら口を滑らせてなかった……と思うけど……まぁいいや。嗚呼今日のオフィーは留守番だ。今日は……」
「今日は?」
一度言葉を切ったエインに、その続きを問う。
さほど待たない内に、エインは話を続けた。
「……今日は、別の奴と来たんだ。まだ中層に残るって言ってたし、良ければ紹介しようか? イノリも魔導士なんだったら前衛はいたほうが良いと思うぞ」
「……あー………そう、なんだ……」
空返事をするイノリは、悩んでいた。
今日は上層部を探検すると決めている。
中層には行く予定は無く、上層部なら自分一人でもなんとかなるのは体感済みだ。けれどもし、もしもエインの知り合いを紹介してもらう事になったら中層まで行かなくてはいけない。
行けない。
ううん、行きたい。
行けなくはない、行く予定がなかっただけで。
行きたい、行ってみたい……でも、実力は足りるのだろうか。
「ねぇ、エインと来たその人と私が一緒に探検をしたら中層も平気なのかな?」
じぃっとエインを見上げた。
何故か少年は一瞬怯んだ様子だったが、何かを観念したようにため息をこぼして頷くと、真っ直ぐにイノリを見つめ返して言う。
「嗚呼。まぁこうして気を抜いてても楽勝な上層部みたいには行かないだろうけど……二人なら中層も平気だよ。彼女は実際、中層までなら俺がいなくても、何事もなければ一人で生存できるレベルだ」
「……それなら……いいかな」
不安が残っていて、簡単には頷けなかった。
イノリの懸念は少年にも伝わっていたようで、エインは問いかける。
「何か、心配なことがあるって顔してるな。俺でいいなら聞くけど」
「つ……!!」
投擲具が息をするタイミングで横を通っていく。
体を強張らせたイノリは背後をゆっくりと確認して、止めていた呼吸を再開する。
話に夢中で魔物が近寄ってきていたのに気が付かなかった。どうやらエインがそれらを投擲具で倒してくれたらしい。数本の武器と、魔石が転がっていた。
(いや、でもこのタイミングで!?)
「……別に、なんでもないよ……」
「なんで拗ねてるんだよ」
「拗ねてませんけど」
「あ、っそう……んで、どうするんだ? 中層に行って彼女に会うのか、会わないのか」
会話をしながらエインは息をするように魔物を露払いしていく、イノリは何もすること無く立ち尽くしているだけでいい。他人に、エインに、守られているこの状況は、ひどく居心地が悪い。胸がザワザワと疼致し方がない。
強くなったと自惚れていた自分が恥ずかしくなってきているのかもしれない。
「んーん、やめておく。ごめんね。中層まで行っちゃうとさ、本当にひのちゃんに心配されて、怒られちゃうもん」
「……そうか……」
少女からの返答を聞いた少年は、群がってきていた魔物の最後の生き残りを屠った。
それからエインは剣を鞘にしまい、肩をすくめる。
「君の意見には賛成するよ、違いない」
イノリは、小さく笑った。
**
エインとイノリが談笑し終えた頃、ヒノリもようやくダンジョンの入り口に辿り着く。これから冒険のはずが、既にゼーハーと肩で息を繰り返していた。
「ダ、ダンジョンってこんなに遠いところにあったの? 地図だとそこまで離れた場所じゃなかったと思うんだけど……」
『あるじが迷いすぎなんダ。オレの背中に初めから乗っていた方がずっと早くついたヨ』
「こ……こういうのも含めて冒険なんだから、いいのっっっっ」
『エ〜〜、あるじのはホウコウオンチっていうやつじゃないカ?』
「言わないでぇぇ〜違うんだから」
ルーくんを抱きかかえたヒノリは見るからに軽装で、明らかに年端も行かない子供であった、それも奇怪な喋る狼を連れている。彼女が背中に弓矢を背負っていなかったら、危うく、道ゆく冒険者全員から声をかけられダンジョンから退場させられるところだった。
でも、何人かの冒険者とすれ違えば数人くらいはいるものだ、優しき大人は。
「こーら、きみいダメだろう。そこから一歩でも行ったらダンジョンが始まるんだよ」
「ひゃあ!?」
急にヒョイっと持ち上げられ、ヒノリの足は宙に浮いた。
イタズラに迷い込んだ子供だと思われてしまったようだ。
「え、あ、あの……わ、私は、冒険者だから。は、離してください。お姉ちゃんにお説教しないと行けないんですっっっっっ」
ジタバタと暴れるヒノリだが、大人の男性とでは力の差がありすぎて全く効果がない。そして話した内容が男女のパーティーを更に誤解させる悪手になってしまった。
「もー、嘘はダメよ。その弓矢は貴方のお姉さんの忘れ物なのかしら? そしたら私たちが探して来てあげるから。だからお家に帰りましょう、ねっ?」
「そうだぞー。この先には怖ーーい魔物がいるんだから。お嬢ちゃんにはまだちょーーっと早いと思うな」
困ったような笑い方、分からず屋な子を説き伏せるような喋り方。本当に小さい子になった気がして、ヒノリの頬が真っ赤に染まる。私、小さくなんてないやい!! そう反撃したかった。しなかったのは、反撃する事でやり取りが長引いて、こんな所で足止めを食らっている姿を万一お姉ちゃんにでも見られたら……。
(ぜっっっっっっっっったいに、当分はこのネタで揶揄われる!!)
こんな罠は早々に回避させてもらおう。
「……わかりました。わかりましたので降ろしてください……」
「あ、嗚呼……気持ちが落ち着いたんだね、じゃあ後は自分達に任せてくれれば平気だよ。お嬢ちゃんは、お姉さんにその弓矢を届けにきたのかい?」
「……いいえ……」
簡単に返事をした後は黙り込んで俯き、スカートの裾を握りしめる。片腕で抱えている召喚獣も主人の動向を阻害しないためか、人形のように大人しくなっていた。
「……ほ、ほらー、貴方が持ち上げたりしたままだから怖がらせちゃったんじゃないの? 大丈夫よーお姉ちゃんとならお話ししてくれるかなー?」
女性の冒険者が腰を曲げて柔らかく尋ねてくる。
怒られた男性の冒険者も、頭を掻いて謝ってくるあたり、この人たちはとても良い人で優しい人なんだろう。
(先に心の中で謝っておきます。ごめんなさい……でも、もう耐えられない……。ごめんなさい!!)
「……がいます……」
訂正せずにはいられない。
我慢ができない。
「え? なぁーに、もう少し大きな声で……」
柔和な声音の終わりに、ヒノリの叫ぶような声が重なる。
片腕にはルーくんを抱いて、もう片方の手でスカートを握りしめて。
「……違いますッッッッ。私は、私は冒険者としてダンジョンに来たんです!! それに、私はもう13歳だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああ!!」
「えっ!? ちょ、ちょっと……!!」
右向け、右!!
感情のまま叫んで走り出す。
目を丸くした男女の冒険者に捕まらないうちに、そのままダンジョンの一線を超えた。
追いかけてくるかもしれないので、ヒノリは走った。
走って、走って。
道も見ないで、走って、走って、走って。
走って、走って、いっぱい走って。
「———あ、あれ……? 」
やがてヒノリは息を上げながら足を止めた。
『……あるじ、本当に自覚した方がいいと思うゾ。ホウコウオンチ、だっテ』
やってしまった。
ヒノリは、心細そうにルーくん抱きしめて呟く。
「……ここ、どこ……?」
そこは、イノリが行くのを諦めた中層階。
図らずも姉にお説教をするつもりだったヒノリが、今度は姉にお説教される側に回ってた。
「……どうしよう……ルーくん……」
『あるじ、オレが側にいるかラ、大丈夫ダ!!』
巨大化したルーくんが、毛皮でヒノリを包み込む。あたたかいルーくんの体に体を埋めながら、少女は頷いた。
「うん……お姉ちゃんには、一緒に怒られようねルーくん」
『……あるじ、もしかしてそっちの心配をしてたのカ? 』
驚いている召喚獣に、ヒノリは笑う。きっとルーくんはヒノリが生存に対しての不安を抱いていると思っていたんだろう。ヒノリ自身も不思議なくらい、何故かその恐怖は薄い。寧ろ姉に怒られる方がよっぽど心配だし不安だし怖い。
「だってルーくんが居るもの。それにきっと……その辺をウロウロしてたらお姉ちゃんにも会える気がするから」
ふぅ……っと、息を深く吐く。
(大丈夫。こういう時は、まずは落ち着いて来た道を帰れば……)
『……あるじ、魔物ダ』
「うん。力を貸してルーくん」
前方から集まってくる数種類の魔物に向けて、ヒノリは弓矢を構えた。




