9話「唄の始まり」
ダンジョンの上層部階。
イノリはエインと談笑後も、一人で魔物と対峙していた。
「シャァァアッ」
「【炎魔法・弾丸】!!」
魚型の魔物を魔法で撃破したイノリは、なんとも言えない顔で振り向く。「……あの、さ」と、微妙な表情で、微妙に口ごもりながら中途半端に、背後で傍観の姿勢を決め込んでいるエインに声をかける。
「魔力の出力が落ちないな……」
エインのその一言は、独り言だったんだろう。
でも、聞こえてしまったイノリにとっては独り言には思えなかった。背筋がぞくぞくして、ぞわーっと鳥肌が立ってしまう。
え、なに、もしかして、もしかしなくても観察されていた!?
全然、魔物との戦闘に参加しないなーって思っていたけど、今の今まで観察されていたの!?
な、なんかやだー……。
「こほん。……あのさ、何しているの?」
「え、あ、嗚呼……あーーー……観察?」
汚物を見た時のようにイノリの顔が歪み、明らかに少女に引かれてしまったエインが間に合わない弁明を始める。「い、いや、違うんだって。違くないけど。観察って言っても、同じ冒険者としてだから!! 気になるだろ、君みたいに不思議な奴は……」しどろもどろに少女の誤解を解こうと努めた。
「……不思議? 私の何が不思議なの?」
イノリの中にはクエスチョンマークがいっぱいだった。
「え? いや、普通あり得ないだろう——魔力を消費しているはずなのに、魔力回復薬も魔力回復するための魔法も使用せずに、消費がなかったことになってるんだからさ。や、枯渇しないっていうのが正しいのか?」
「……うん? ううん。魔力は消費してるよ。だって魔法を使っているんだし、私自身が消費を感じてるんだから間違いないよ」
「……ふぅん、魔力認知がちゃんとできているなら、やっぱりスキル系か……。自動発動……? 」
「んぅ? ……よくわからないんだけど、自分の中だけで考えて納得行った箇所だけを話すのはよくないよ……!!」
自分のことなら尚のこと。
イノリのことなのに本人を置いておいて、しかも本人が分からないように、考え事の一部だけを漏らすのは、陰口を言われている時と同じくらい気持ちが悪い。
何かあるのなら、面と向かって、はっきり言って欲しい。
「ほら!! 何を考えていたのか、洗いざらい全部吐き出してっっ」
あ、魔物。
イノリは視界の端に潜んでいた魔物を魔法で撃ち抜いた。「お、脅しかッッッッッッ!!!」目の前にいるエインがまたよくわからないことを言っている。「脅し? そんなわけないじゃん。それよりも、ほら早く、何を考えてたの?」すっかり、立場が入れ替わってたことに、残念ながらイノリは気が付いていない。
「っ……、はぁ………っ」
ため息をつかれた、なぜに?
「イノリ、君って……自分の持っている能力値とか、スキルとか、そういうのに興味がない奴だろ。冒険者なんだから、ちゃんと見て、知って、把握しておかないと……」
「……そういうもの?」
「そういうものだよ」
首を傾げたイノリに、エインはまた溜息こぼす。
「……悪い、説教くさくなちゃったよな。でも、冒険者の先輩として言わせてもらうよ、自分のスキルや能力は把握しておかないと、思わぬところで暴走をすることも、救われることもあるんだ」
ふむ。
エインの言葉は一理あるかもしれないと、耳を傾けた。
「きっと君が、君の能力値以上に魔法を行使できるのはスキルの——それも、レアなスキルのおかげなんだと思う。だかこそ、余計に力の使い方を、その力を知っておくべきだ」
「は、はい……」
イノリは、素直に頷いた。
「いいな、ダンジョンを出て宿に帰ってから一人で見るんだ。絶対だぞ」
「らじゃー。まぁ別に私はここで見ても……」
「絶対やめてくれ。正直俺もどんなレアスキルがあるのかめちゃくちゃ見たいけどさ、誰か見ているか分からない場所で自分の手札は晒さない方がいいよ。あーーーっっっでも気になるから、君が教えてもいいなら、後でどんなスキルでどんな効力があるのか話してくれないかな。レアスキルなら色々試させて欲しい事とかもあって、まぁ……どんなスキルなのかにもよるんだけどさ、とりあえずはスキルの内容を……」
「わーー!! ストップ、ストップーーッ!! ちょっと待ってっっ」
またしても置いていかれそうになったイノリは、勝手に盛り上がるエインを手で制した。何故か双眸を輝かせて見つめてくる少年に、イノリは「あはは」と苦笑し、逡巡しながらも決断を下す。
言いにくくて頬を掻く。
「……あーーー、うん。自分ではちゃんと見て知って把握しておくけど、エインに言うのはやめとっかな⭐︎(なんか怖いし……)」
なんか怖いし、とは、言わないでおいた。
「そ、……そっか。うん、それが正しいと俺も思うよ」
こちらの判断を肯定する割には、エインは肩を落として元気をなくしてしまった。座っていた岩の上から浮き始めていた腰が、しゅうううんと落ちていく。
(ど、どれだけスキルが気になっていたんだろう)
ほんのりと、イノリの胸の内に罪悪感が芽生えてしまった。
「……」
「……」
話すことは、お互いにもうないようだ。
「俺は、そろそろ帰ろうかな。イノリはどうするんだ? 」
「あ、うん。私もそろそろ……」
帰ろうかなと、言いかけた。
あまり遅く帰るとヒノリに怒られてしまうから。
そもそも夕食前には帰る予定だった。
けれどそんな予定も、次の一言でしっちゃかめっちゃかに崩れることになる。
「あーーーーーーーーー!! いたーーーーーーーーーーーッッッ。って、あの子じゃないわね……」
思わず大声をあげてしまった、その印象があった。男女の冒険者は態度の節々に焦燥を滲ませながら、こちらに近づいてくる。
「なんの用?」
すかさずエインがイノリの前に一歩進み出る。
「ごめんなさい、でも今は緊急事態なのよ。この辺で小さい女の子を見なかった? 丁度、そこの子よりも少し背が低くて……、黒い髪をポニーテールにして背中に弓矢を担いでいるような女の子」
「いや、見てないけど。その子がどうしたんだ?」
(黒髪? まさか、ひのちゃんがダンジョンに? いやいやいやーそれはない。怖がりのひのちゃんが来るわけないよね)
女の冒険者が一定のリズム間隔で頬を指先で叩き、苛立っているのか、焦っているのか、口早に喋る。
「それが、あまりにも軽装備だし、白い犬のぬいぐるみを持っていたし、明らかに幼そうに見えたから保護しようとしたんだけど、自分は冒険者だーーって言ってダンジョンの中に入って行っちゃって……。あまり遠くに行っていないと思うの、でも中々見つけられなくて……、変な道に迷い込んでないといいけど」
「犬の、ぬいぐるみって……。あ、あの、その子、私と似た様な顔をしてませんでしたか!? それか、髪の毛に月のチャームがついた髪飾りがあったり、しませんでしたか!?」
嫌な予感がした。
否定して欲しい。
ちゃんとはっきり。
そんな髪飾りはなかったとか、そもそも顔が似てないとか。
「そうねぇ〜」
女性の冒険者がマジマジとイノリの不安げな顔を見つめる。
ヒノリが来るわけない。そう思っていても、髪の色くらいの情報で不安になってしまうのは、ヒノリが昔から、怖がっていても結局、先を突っ走るイノリの後ろを追ってくるような子だからだ。
「ええ、そういえばあなたと背丈だけじゃなくて、顔も似ているかも……。髪飾り……は、髪飾りなんてしてたかしら?」
「髪飾りはしてたかな。月の形をしていたような気もするけど、すまないが自分はあまり装飾品のことは詳しくなくて。詳細に覚えてない」
男女が詳細を思い出そうとしてくれていたけれど、イノリには顔立ちの情報だけでよかった。もしかしたら勘違いという可能性もある。
(でも、黒髪で私と似た顔に背丈、それにきっと犬のぬいぐるみはルーくんのことだ。ひのちゃんが、ひのちゃんがダンジョンに……)
「どうしようエイン。多分、ひのちゃんかも……」
「君の妹か。なら大丈夫じゃないか? 君よりもしっかりしてそうだったし」
イノリはかぶりを降る。
「違うの。確かにひのちゃんは、しっかり者だし、私よりも家事は得意だけど。違うの」
ヒノリには、致命的な弱点がある。
もう手遅れでどうしようもない弱点がある。
「ひのちゃんは、ものすっっっっっっごく、方向音痴なの!!」
ダンジョンは決して一本道ではない。
上層部階ほど道は単純になっており、道が広い方を歩いていけば悪いことは起きないはずなのだが、一本道でさえ危ういのではと心配になるほどの方向音痴が一人で放り出されたら、何が起きているかわかったものではない。〈離すな、危険〉だ。
「……う"……う"う"〜〜〜ん……そうきたかぁ〜……」
頭をほぐすように側頭部に拳を当てるエインも、青ざめながらも口元に手を当てている女性冒険者も、手で顔を覆う男性冒険者も、ここがダンジョンでなければ、方向音痴がいかに深刻な事態を起こしてしまうのかを理解できていなければ、開示されたヒノリの情報に「ぷはっ」と吹き出してしまうところだった。
だが此処は笑いたい自分達を必死に律して、真面目に話合わなくてはいけない。
「それなら上層部階の奥深くか、ルートを外れている可能性があるな。一番は上層部内で迷っている事だけど、中層部階以下に居るなら早く探しに行った方がいい。俺の知り合いが見つけていれば放っておく訳ないから、見つけてくれているのを願うしかないな……中層階より下はまだあの子には早すぎるし」
(……それって、中層階より下に行ってたら……生存率は低いって事だよね……)
一瞬、足元の地面が崩れ落ちていく気がした。
胸を抑えて黙り込むイノリに代わって、エインは冒険者達に依頼を提示する。
「二手に分かれよう。あんたらは上層部を探してくれ、俺とイノリは中層階を探す。依頼料は後で払うよ」
「依頼料は不要よ。元々私たちが入り口で引き留められていれば、こんな事にはならなかったんだもの。こちらは任せてちょうだい。上層階の標準ルート以外の細い道もなるべく探してみる」
「不安だろうが、上層部階は自分たちに任せてくれ。こっちの階にいるなら必ず見つけ出してみせる」
「っ……ありがとうございます」
(落ち着かなきゃ、今は取り乱してばかりじゃ居られない。まずは落ち着いて、ひのちゃんを探し出さなくちゃ)
震える手を胸に置いて、心を落ち着かせるために深呼吸をして目を閉じる。大丈夫、ひのちゃんは一人じゃない。ルーくんも側にいるんだ、大丈夫。ルーくんがひのちゃんを必ず守ってくれる。
大丈夫、大丈夫。大丈夫、きっと、ううん絶対。私が中層部階に行けるならひのちゃんだって問題ないはず、ルーくんが一緒なんだから。
「イノリ、大丈夫か? 無理そうなら中層部階には俺だけで行く」
エインは、俯くイノリへ遠慮がちに声をかけた。彼なりの配慮だったんだろう、まだ冒険者になって日の浅い少女への。「……大丈夫……大丈夫」と、独り心地に呟いたイノリがようやっと蒼白な顔を上げた。耳に甘茶色の髪を掛け、真っ直ぐに少年に向き直る。
「——ううん、私も一緒に行く」
妹が迷子になったなら、迎えにいくのはお姉ちゃんの役目だ。他人に任せっぱなしではいられない。
(待ってて、ひのちゃん!! 絶対に見つけ出してみせるから)
**
——ダンジョンの深層部階、迷宮のボスモンスターがいる試練の間。
赤黒い炎がめらめらと燃えている。
揺らめいて、大きく燃え盛った邪悪な炎は、人の形を取り始めた。
ソレは、喋ることはない。
けれど闇として、魔物達の影として、ソレは意思を持って付き纏う。糸人形のように、魔物の行動を決めてしまえる程、ソレは深く影に入り込んでいく。
——ヤットダ。
人型の炎は、そう意識を発した。
——ヤハリ、時はウゴキダシテイル。
——ソウ、動きダシテイル。
人型の炎は、大きく揺れ動いた。
まるで自分の姿を確認するような動作をしている。
——ア"……ア"ア"。
炎は、己の姿に惨めさを感じた。
炎は、己の姿に落胆した。
炎は、己の姿に憎しみを抱いた。
炎は、己の姿に疑問を持った。
そして炎は、己の姿に足りていないものがあると気がついた。
——ソウ、カ。
——ホシイ。
炎は、渇望していた。
炎は、激昂していた。
——ホシイ、ナ。いい、ナ。
——ホシイ、ホシイ、ホシイ、欲しい欲しい欲しい欲しい!!
——ウバエ、奪エ、あのチカラを。
——神ニ連ナルあのチカラを、奪エ……!!
——ぷつり。
糸が切れたようにぷっつりと、赤黒い炎はそこで消えてしまった。
いつの時点の出来事なのか、人は皆、誰も知る由はない。けれど、何かが、ダンジョンの奥底で動き出していることだけは確かであった。
「———えぇ、時は動き出しています。少しずつ、着実に……」
女神は、天界に座する女神は、瞳を閉じたまま告げた。
その言葉は途絶えた炎には届く事はないし、人型の炎の意識もまた、天界にいる女神に届いているわけではない。
返事をする為の炎からの問いかけはなく、ただ事を感じ取って発した言葉に過ぎない。だからこそ、その呟きは自分自身に対しての言葉でもあった。
「ふ…….、ふふ……うふふ……」
不意に。
女神は微笑む。
頬を火照らせ、妖艶に微笑む。
下界の人間が見れば目を離せなくなってしまう——扇状的な微笑みを浮かべて、女神はつま先立ちで椅子から降り立つ。
可憐にクルリと回れば、優雅にしなやかに舞えば、足元には下界にはない花が咲き誇り、女神の腕輪と足輪に付いた鈴がシャンシャンと澄んだ音色を響かせた。
「唄いなさい、人の子らよ。女神が音を奏でてあげましょう」
でも……と、女神は片足立——片方の足は地と水平に上がっており、もう片方の足のつま先だけで立っている状態で動きを止めた。憂い帯びた表情で、上げていた手足をそろりと下ろしていく。
「その唱歌の歌詞を揃える為ならば、ゆっくり見つけてくれても構いません。それくらいは、許してあげましょう。時間をあげましょう」
地に着けた踵をもう一度上げた女神は、足の爪先だけで歩を進めて王座然とした椅子へと座り込む。
「なにせわたくしは、女神、ですからね」
えっへん!! と、得意げな表情をして胸を張った。




