10話「ザワメキ」
——ダンジョン、中層部階。
「ルーくん、【魔力砲】」
『————!!』
襲ってきた魔物達を魔力が凝縮した光線で一掃する召喚獣の横で、ヒノリは魔力回復薬を苦い顔で飲み込む。
「……ふぅ、なんとか片付いたね。よし、進もうルーくん」
魔物との戦闘は油断ならないが、魔力回復薬にまだ余裕があるおかげで今のところはどうにか乗り切れている。
だが、ルーくんと共に迷子になっているヒノリの状況は確実に悪化していた。
『……なぁ、あるじ……』
流石に見過ごすことが出来ない事態に、ルーくんはヒノリを引き留めた。口で洋服を引っ張り、ヒノリの行動を妨害する。
何がどうしてそうなるのか、一体何を間違えればそんな事になるのか、本人ですら分からないし、気が付いていない。
「どうしたの? ルーくん」
『あるじ、絶対にソッチじゃないゾ……』
「え!? なんで? もうそこに階段が……」
目の前には、階下へ繋がる階段。
下に行くのではなく上に行かなくてはいけない状況で、降りてどうするのかとルーくんは主人に呆れ顔を向ける。
『あるじ、これはどう見ても下に行く階段ダ。行っちゃだめダゾ』
「えぇ!? ……ふ、不甲斐ない契約者でごめんねルーくん」
『問題ないゾ。オレがいるからナ!!』
「うん……」
ルーくんが『着いてこイ!!』と、尻尾を揺らして反対の方向に歩き出す。召喚獣の後に続こうとしたヒノリは、何気なく、下へと続く階段に後ろ髪を引かれた。
何か、気になる。
それが何なのかは分からないけど。
「……やるせない……? 何に、怒ってるの……?」
(って、あれ……何が?)
思わず、口を手で押さえる。
今、私は何と会話をした?
(なんだか、嫌だ。心が落ち着かない……)
頭を大きく振って、考えるの止める。
『あるじー? あるじ、何してるん……ダ……』
ヒノリがルーくんの後を追う為に足を踏み出したその時、足音が聞こえなかった事を怪訝に思ったのか、銀狼が首を回した。そして気付いた。不味イ、何か来る、何か悪いものが……!!ヒノリの背後から、階下へと続く階段から、不吉な臭いが流れている。嫌な臭いが漂ってくる。
「ルーくん……?」
静まり返る召喚獣の姿を、主人であるヒノリは不思議に感じらしい。ルーくんの方へ近寄ろうとした。
「どうし……」
『あるじ———!!』
「……えっ?」
血相を変えたルーくんが地を蹴り、ヒノリは何かが手首に巻きついた感覚があった。肌にナニカが触れた瞬間、悪寒が走った。全身から嫌に冷たい汗がブワッと噴きでる、
冷たくなった手首が動かない。
(何? 一体、何が……)
怖い。
見たくない。
見てはいけない。
嗚呼でも、目がいってしまう。
見ずにはいられない。
強張った顔は動かすことなく、視線だけが油の足りない機械のように手首へと。
———戦慄が走った。
ルーくんには先の階段から突然這い出してきた闇色の蛇達、その一匹が手首に巻きついているようにしか見えない。
けれど直接それに触れてしまったヒノリには、蛇ではなく異なる畏怖の対象が見えていた。
彼女にとっては、彼女にだからこそ大きな効果が出る姿に変貌している——そう、その闇色の大蛇は、小指ほどの大きさをした黒い虫に姿を化けて、手首にウジャウジャと無数に群がっていた。
ヒノリは、自他ともに認める虫嫌いである。蝉でも蝶でも、蟻でもなんでも、昆虫の類は無理だ。苦手の域は超えている、苦手ではなく無理なのだ。何も害を加えてくることがなかったとしても、姿を見るだけで恐ろしくて仕方がない。
異世界にくる前も、自宅に出てきた虫は全部姉に任せていた。姉がいない日に遭遇してしまった、もしくは窓から飛び込んできてしまった日には、金切り声で悲鳴をあげて卒倒しそうな体に鞭を打ちなんとか自室に逃げ込んで籠城戦を繰り返していた。
「———いや……」
恐怖に満ちた顔で顎を小さく左右に振ったヒノリの頭の中では、どうして、なんで、そんな言葉が反芻していた。
無理、無理無理無理無理無理無理!!
「いやぁ……」
泣き出しそうな声が溢れる。
姿を見かけただけでも悲鳴を上げたいのに、肌の上にいるなんて耐えられるわけがない。
「いっっやぁぁああああああああああああああっっ!!!」
狼狽になって、叫喚した。
「……あ……ふ……」
『あるじぃぃぃい!!』
闇色の大蛇達が、気絶しかけるヒノリの体に巻きつこうと襲いかかってくる。ルーくんはどうにか駆けつけて主人を咥えるが、避難するための時間がない。間に合わない。ヒノリの腕に巻き付いた闇の蛇がそれを許さない。
『……くっ』
ルーくんだけなら逃げられるが、召喚獣に主人の召喚士を置いていくという選択肢は思いつかないし、そもそも存在しない。
どっぷり。
ヒノリとルーくんは、そのまま蛇の大群に呑まれ—————————、なかった。
「…… 【付与魔法・雷魔法】……てやぁぁぁぁあああ———!!」
銀と雷光の輝きが混ざり合った一閃、その剣筋の一線が、ヒノリを掴んで離さない蛇の体を断ち切る。「今のうちだ!!」気絶したヒノリを連れてその場を離脱したルーくんは、すれ違った一人の少女を横目で一瞥した。
白い鎧に身を包んだ少女は、一つに結った銀色の長髪を手で払う。
深層部階へ続く階段を占拠した蛇達は、お互いの体を《スライム》のように集合させていった。
「中層部階より下に、こんな魔物がいるなんて聞いた事ないが……。何らかの集合体と考えれば《ブラック・スライム》? いや身体の材質が違うな……」
一つの体に複数の蛇の頭を持つ魔物へと化したソレは、次の攻撃をせずにただ複数の頭をウネウネと動かしていた。急に現れた一人の冒険者を警戒しているように見える。
「あたしが、怖いか? ちんちくりんの魔物。や、魔物……なのか?」
魔物でも、魔物でなくても、どっちでもいいかと少女は細身の剣を回転させてもう一度構えた。
「あたしに倒されるか、去るか、どっちか選べ。へなちょこ」
「………」
闇色の大蛇はそれぞれの頭を海藻のようにウネウネ、ユラユラと動かす。喋ることはないが、少女は一つの視線を感じていた。本体がどこで見ているのかもしれない。
「……」
やがて——、ズルリ、ズルリと……階段の中へと一匹ずつ戻っていく。全ての蛇が消えると周囲に漂っていた闇の霧が徐々に霧散していく。姿が完全に見えなくなったところで、鎧に身を包んだ少女は口を開いた。
「……さて……と、お前は魔物じゃ、ないんだな? というか言葉は通じるのか?」
『ガルル……、魔物と一緒にするナ!! オレはすごい召喚獣なんだゾ!!』
「話は通じるみたいだな。んぅ、召喚獣って……もしかしてその子は召喚士か?」
『それがなんだヨ。あるじには指一本も触れさせないからナ!! がるる……来るなら来イッ。あるじを守るためならオレは負けないんだからナ。すごいんだからナ!!』
突然現れた女冒険者。ヒノリを救う形で登場したとはいえ、見知らぬ相手だ。ルーくんは警戒心を隠すことなく、少女に鋭い牙を見せながら威嚇する。銀色の毛並みは逆立って、尻尾はピーンと張りつめていた。
ヒノリに意識があれば嗜められていただろうが、生憎絶賛気絶中だ。今のルーくんを制する人物はおらず、少女の発言によっては戦闘にもなりかねない。
低く唸る狼を前に、銀髪の少女は剣を鞘にしまえど一歩も引くことなく対話を試みた。
「あたしに戦う意志はないが……、そっちにありそうだな」
『ウ"ーー……近寄るナ!!』
「だから、あたしは怪しいやつじゃ……ふぎゅうんッッッッ」
小石に躓いた少女は、ビターーンと音を立てて顔面から転んだ。
「…………」
沈黙した少女へ、ルーくんは『うわぁ……痛そうだナ……』と呟く。その視線は警戒心から哀れみのソレに変わっていた。
「……う、いひゃい……」
少女は赤くなった鼻頭を涙目になってさすった。
**
ダンジョンの中層部階へ向かうエインとイノリは、道すがら上層部階の脇道も確認をしていく。
「ひのちゃーーん……ひのちゃーん? 」
「居たか?」
別ルートを見てきたエインと合流後に、お互いの結果を伝え合ったけれど収穫はない。
「ううん、ダメ。やっぱりいない」
「……こっちもだ。となると、こっちは上層部階組に任せるしかないか……。俺たちは標準ルートから中層部階を目指そう。中々、道を外れて中層部階に行くことはないだろうし」
「標準ルート? どの道も降りるところは同じなんじゃないの?」
首を傾げるイノリに、予備知識はないのかと呆気に取られた少年が咳払いをして解説する。
「ダンジョンはどのルートから降りて行っても、最終的に一番下にあるボスモンスターの部屋……通称〈試練の間〉に辿り着くようになってる。どのルートから降りてもボスモンスターの強さは変わらないんだけど、そこに降りるまでの難易度はルートごとに違うんだよ」
「ふぅーん……。じゃあ一番簡単なのが、標準ルートってことなの?」
「まぁ、そうなるかな。ルートによっては中層部階でも深層部階にいるはずの《ワイバーン》とか《ヴァーンオック》とかも出る時あるし……」
「《ヴァーンオック》……って、前に草原に出てきた……」
ゾッとイノリの手足から血の気が引くも、冷たくなった手の末端を温めるように摩ってから握りしめる。もしまた出会ってしまったその時は、もう一度あの魔物と戦うしかない。
「とりあえず、一旦標準ルートから中層部階を探そうと思う」
「うん、わかった。中層部階のフロアの中で、ルートの行き来はできないの?」
「あ〜〜……壁を破壊すればいけるんじゃないか? やったことないけど」
「ふ〜ん……なんか、エインならやってそうだったから意外だね」
「おい、君は俺をなんだと思ってるんだよ……っっ!!」
「えーーーっと……問題児、かな☆」
えへっ☆と、ピース付きの笑顔を浮かべるイノリに黒髪の少年は眉間に皺を寄せた。
「あははっ!! ごめん、ごめん、えーと要はエインならできちゃいそうって思ったんだよー」
「………はぁ……」
少女のあっけらかんとした物言いに、喧嘩を売られているわけではないと判断したエインは、肩を落とす。けれど内心では「そんなに問題児じゃないと思うんだけどな……」と、納得いかずに首を捻っているエインがいた。その自覚のなさは、流石のオフィーリアも庇いきれない。
「……って、こんな話をしてる場合じゃなかったな。早く中層部階へ降りよう」
「うん!! そうだね」
温度差のある二人は、それでも最後に意見を合わせて中層部階へと向かうのだった。




