11話「安全地帯」
———どうして分かってくれないんだ。
———どうして、話を聞いてくれないんだ。
男は泣きながらに憤る、冷たくなった女をその腕で抱きかかえながら。表情は雲がかかったように見えることはない。けれど男が涙を流して怒っている事だけは何故かわかる。
男は怒号を誰かに向けて発しているが、それでも息をしていない女を強く抱きしめることはしない。彼が強く抱きしめれば今の彼女は簡単に潰れてしまいそうだったから。怒りを抑えきれない男が、冷え切った女のことを大切に、そして愛おしげに腕の中へ閉じ込めているのは、ほとんどが無男の無意識下によるものだった。
それだけ、女の人を大事に想っていたのかもしれない。
———これは、夢だ。そうだ夢だ。
ヒノリは意識の浮遊感を感じて直感する。
全てを俯瞰して観ている気がするのに、全体を掴めない。掬おうとしても水のように手からこぼれ落ちていく。
———なんの、誰の、夢……? 貴方は一体、誰に対してそんなに憎しみを抱いて怒っているの?
「———剣の……音……?」
うすら目を開ける。
夢の世界から帰還したヒノリは、重たい瞼をゆっくりと瞬きしてぼやけていた視界のピントを合わせていく。意識を覚醒させていく。
『あるじー!! あるじ、あるじ!! 目が覚めたんだナ』
「わ……ルーくん……きゃはは、くすぐったい」
モフモフの毛並みに肌をくすぐられ、思わず童心に返ったような笑い声が溢れてしまったヒノリは直ぐに赤面した。
(あ、でも、ルーくんのモフモフな毛並みは安心するなぁ……何だっけ、なんだか怖い夢と悲しい夢を同時に見て居たような気がするー……あー、うーん、でも思い出したくないからいいわ)
一部記憶が飛んでいるような気はしているのだが、どうも思い出そうとすると頭が痛んでしまった。気持ちも重くなってしまうので、何故だか思い出さない方が良い気がした。
『あるじ……無事だナ?』
「……えーっと、そうだね。夢見が悪かった気がするけど、体に異常はないわ。ってあれ、剣の音がしてるけど……?」
そういえば先程から剣の音が聞こえている。
視界が全て銀色の毛玉ボディに覆われてしまっていたので見えなかったが、少し体を傾けるだけで景色が変わった。
視線の先には、銀色の髪を揺らす一人の少女が居た。ルーくんとヒノリを守るように、剣に雷を纏わせて、大型魔物の《オーク》に、野生よりも一回り小さい《ダンジョン・ヒンス》、15本の足が太い蔦になっている一眼の《キュロリス》などと戦っている光景が目に入ってきた。
(え? え、え、えぇぇーーーーーー!? なに、だれ!? なんで戦ってるの!? ていうか魔物がすごく多い。守ってくれてたの? なんで? 何があったの? そもそもなんで私倒れて……ううん、やっぱりなんかそれは思い出しくない)
地面に座り込んだまま、ヒノリはポカーーンと口を開いた状態で困惑していた。分からない事だらけで目がグルグルと渦を巻いてしまった。
「グォォォッ!!」
「っく……流石に腕力差があるな」
《オーク》の振り回した重い棍棒を受け止めた騎士の少女が、ヒノリの横まで吹き飛ばされてくる。悔しそうに顰めた面と目が合ってしまった。
ドキリ、とヒノリの鼓動が跳ねる。
「ああよかった、ちょうどよかった。起きたんだな。起きて早々悪いんだが、手を貸してもらいたいんだ。見ての通り多くの魔物に襲われていて……あぁ、遂には囲まれてしまって。すまない、あたしだけだと守りきれそうにない」
「は、はい。もちろんです、働きます、動きます、がんばります!!」
「頼んだ……!!」
よく分からないが、今は寝ている場合じゃない!!
自分の背中をこちらに任せる人が敵なわけではないだろうと、立ち上がったヒノリは深呼吸をしてルーくんに言った。
「ルーくん魔法使用以外の行動は任せるね! 援護お願い!!」
『うム、任せておケ』
「それじゃあ、頑張ろうねルーくん」
ヒノリが弓を引き、《キュロリス》の一つ目を見事に射抜いてみせれば、断末魔の代わりに《キュロリス》の棘のある蔦が、少女の腹部を貫く意志を持って飛んできた。
『がぅあ! 』
ヒノリの動体視力では交わしきれないその自動のカウンター攻撃を、ルーくんがとっさに噛み付いて砕いた。
一つ目の魔物は倒された間際にただでは消滅しない。自分を倒した相手には、もれなく蔦攻撃が自動発動するため、最後まで油断ならない魔物の一種として有名だ。
とはいえ、ダンジョンモンスターに詳しくないヒノリが、そんな情報を知っているわけもなく、ルーくんが飛びついていなければ今頃貫かれた腹部には血が滲んでいた。
「ルーくん、ありがとう」
ひんやりとした腹部を手で摩りながらお礼を言い、ヒノリの目線は女騎士へと向かった。
「【付与魔法・雷魔法】——!!」
剣に雷を纏わせて戦う女騎士の、その魔法に興味があった。今はルーくんに魔力消費が全振りしてしまっているが、いずれは私にも習得できる魔法なのだろうか。
(あ……そうだ。名前……)
眠っている間、守ってくれていた少女の名前をまだ知らない。
(あれ!? そういえば……お礼言った? 私、お礼もまだだったような……)
ががーんっ、初対面の方に失礼なことをしてしまった。
ヒノリは《ダンジョン・ヒンス》の眉間に弓矢を放ちながら、思い出したようにショックを受けた。
実際には騎士の少女の方も、自分の名前を名乗っていないことも、ヒノリやルーくんの名前を聞いていないことも気がついていない。次から次へと湧き出てくる魔物の対応に追われているせいで、ゆっくり互いに自己紹介をするどころではなかった。
「大丈夫か?! まだ生きてるか!?」
飛んできたのは、ヒノリを心配するような優しい言葉……というよりも生存確認だった。現在進行形で戦闘を行っている騎士少女はヒノリに背を向けている。前衛を受け持ってくれているので、こちらを振り返った事で生まれる、そのほんの僅かな隙を作りたくないのだろう。
「は、はいっ!! まだ大丈夫です」
「そうか……なら、どうにか後方に退路を作ることはでき……っ、ないか!!? 」
蔦の攻撃を避け、剣で切り付けながら少女は途切れ途切れに喋る。息が上がってきている様子からして、一旦引いて体制を整えたいのだろうと予想したヒノリは、「できます」と言いかける前に「えーーっと……」と、口をまごつかせた。
「えっと、私の方向にならルーくんの魔法で道が開きそうです!!」
後方と言われても、階段の上下すらも逆に行きかけた、重症を通り越して超絶重症な方向音痴のヒノリには道に関しての前方と後方はないに等しい。
ただ、魔物の数と目の前の少女の発言からして自分の正面が後方なのだと考えるしかなかった。
「わかった、あと3秒後に魔法を放ってくれ!! そしたら全速力で走るんだ。さっっっっん!!」
カウントダウンが始まった。
「さ、3秒!? わわわ……」
「にいぃっっ!!」
(ちょっっっま……ちょっとまっっってぇぇぇぇぇ!! )
狼狽したヒノリが噛みなから呪文を唱える。
「ぶりぇ【魔力砲】ぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
「いっっっち!!」
ルーくんにヒノリの魔力が渡り、受け取った側である銀狼の口元に金色の魔法陣が浮かびあがる。
「いまだっっっ!!」
『——————!!』
完成した金色の魔法陣から、純白の光線が放たれた。その攻撃は、後方にいた数十匹の魔物全てを、一瞬で焼き払うほどの威力を誇る。
ルーくんが魔法を発動させたと同時に、騎士の少女も前方の魔物達へ、魔力を流し込んだ金色の魔宝石を投げつけた。炸裂した魔宝石から放たれた光属性の障壁に、対極の属性にある魔物達は進行を阻まれる。
「今のうちに、安全地帯まで走れ!!」
「ぅぇぇえっっ。安全地帯って言われても……!! 私、ダンジョンは初めてだし……」
「ならあたしについて来てくれ!!」
「は、はひぃぃぃ……ま、待って……」
『 あるじ、急いでオレに乗るんダゾ。アイツに置いてかれるゾ!!』
「うぅ……ありがとうルーくん」
先行してくれる名も知らない少女。その背中をヒノリはなんとか追っていたが、徐々に離れていく。主人のヒィヒィと音を上げて追いかける姿を見かねた召喚獣からの申し出に、ヒノリは素直に頷いた。
ダンジョンには、いくつかの安全地帯がある。魔物が寄り付かず、安全に回復や休憩を取ることのできる貴重な空間だ。
ヒノリはルーくんからゆっくりと降りた。ダンジョンの通路に大きくて広い岩穴が空いているなんて驚きだ。まるで自分が小人になって、岩穴の秘密基地に潜り込んでしまったようにも感じる。誰が持ち込んだのか分からないが、星型のランタンに、テーブル、椅子が配備されていた。
「——ふぅ……とりあえず無事に辿り着いたな……安心していい。ここなら魔物は襲ってこないから」
「はい……。あ……あの……」
「ん?」
おどおどしく話しかけると、騎士の少女は椅子に礼儀正しく腰かけてヒノリを見つめた。きょとーんとした様子で、ヒノリが言いたいことの予想はできていなさそうだった。
「その……」
中々、言葉が続かない。
視界には自分の履いているブーツが映り込む。
(どうしよう、いきなり名前を聞いたら変に思われるかな。あ、まずお礼!! お礼を言わなくちゃ。そうだ、その時に自然に自分の名前を言えば聞きやすくなるんじゃないかしら。うんうん、よし……これでいこう!!)
ようやっと勇気を出して顔を上げたヒノリは、思わず面食らってしまった。
「……ふ……」
「えっ?」
「ふ、ふふ……ふふふっ!!」
なぜなら騎士の少女が、いきなり笑い始めたから。
肩を小さく揺らして、声を凝らし気味にクスクスと楽しそうに少女は笑っていた。
困惑するヒノリの頭では、何かしてしまったのかとマイナス思考が過る。
「ふふ……あぁ、悪い。そんな悲しそうな顔をさせるつもりじゃないんだ。ただ、色々考えていることが全部口に出てたぞ? そんなに緊張しなくても、あたしは別に貴族の身分でもなんでもないから普通に接してくれて構わないのに」
ヒノリは頬を赤らめた。恥ずかしい、さっきの考えていたことが全部口に出ていたなんて。この子の名前を知らないこともどうやって聞き出そうとした事もバレてしまったらしい。
赤面して肩を窄めていたヒノリは、貴族ではないと言いながらも令嬢然とした気品ある佇まいの少女に気まずそうにもう一度話しかけてみる。
「……あの、ありがとうございました……助けてもらって……」
「お礼は不要だ。あたしは騎士だから困っている人が居るなら手の届く範囲だけでも助ける……そう決まっているんだ。あなたが……いや、先に名前を聞いてもいいか?」
「私は、ヒノリです……」
「そうか。……ヒノリが無事なら、それでいいんだ。そうそう、あたしの名前はリアだ。職業は騎士で、魔法の属性は雷が一番得意かな」
リアと名乗った銀髪の少女は、淡い黄緑色の双眸を柔らかに細めた。頬を掻いてヒヒッと恥ずかしそうに笑う。「まぁ、魔法は剣への付与魔法しか使えないんだけどな」
「しか……なんて……そんなことないです! あんな魔法を使うことができるなんて、凄いです!! 武器に魔法を纏わせて戦うなんて事もできるんですね。私、初めて知りましたっ! 魔導士の姉がいるので、魔法は放つものかと思ってたから……」
「あはは……ありがとう。でも付与魔法は騎士が使える基礎魔法なんだ……。ヒノリも使えると思うぞ」
「私も……!? ほ、本当ですかっ。わ、私もリアさんみたいに凄い魔法を!?」
リアの言葉に前のめりになって、水を得た魚のように目を輝かせた。おどおどしかったヒノリが急にいきいきとし始めて、声には期待が馴染む。
「……そ、そんなに期待するほど凄い魔法じゃぁ……」
「謙遜することないです。私は弓に魔法を纏わせるなんてできないですもん!! あんなに凄い魔法を使えるなんて、羨ましいです!!」
「そ、そんな目で見ないでくれ……」
羨ましがられたリアは、頬を薔薇色に染め上げて照れてしまった。そっぽを向いてテレを隠そうにも、「えへ、えへへ……♪」と周囲に花の幻覚が見えるほど戸惑いながらも喜んで微笑んでいる雰囲気は隠しきれていない。
「……悪い人じゃ、なさそうだね……」
『そんな奴だったら、オレがどかーーんっとやっつけてやル!!』
安息のひと時に、ヒノリが胸を撫で下ろす。
ダンジョンに来てやはり肩に力が入っていたようだ。少しくらいは休憩した方がいいと、椅子に腰掛ける。
「……こほん、すまない。あまり褒められるのは慣れてなくてな……」
「い、いえ!大丈夫です。気にしないでください」
耳がまだ赤くなっているリアが向き直ってくる。咳払いをして、自分の行動を恥じているようだった。
「……?」
椅子がカタカタと小さく震えている。
「ああ……、きっと魔物達がダンジョン内を歩いているせいだろう。中には重量がある魔物がいるからな。まぁ、ここにいる間は安全だ」
「うぅ、もうここから出れない気がする……」
「あはは、それはいつか此処で骨になるな」
「ほ、骨……」
冗談地味た軽口だったけれど、もっと下の階層に行ったらきっとそんな事もあり得るのかもしれない。冗談ではなく、本気で受け取ってしまい、ヒノリの周囲の空気が落ち込んだ。
リアは慌てて立ち上がる。
「大丈夫だ! ここから出たってあたしが守る!! ちゃんと、地上まで送り届けてみせるから安心してくれ」
「あはは……、ありがとうございます……。大丈夫です、私もいつまでも此処にいるつもりはないですし……」
頬がひきつってしまう。曖昧に笑ってみせるヒノリに、眉を下げて申し訳なそうな顔をしたリアは「嗚呼、それに……」と、頷きながら言葉を繋げた。
「こんなカビ臭いところに、いつまでも居たら、街の美味しい食べ物が食べられなくなっちゃうぞ!」
「ふふ、それは大変ですね」
「嗚呼!!美味しいものを食べるものは楽しいからなっ」
「あははっ、食いしん坊なんですか?」
クスクスと笑いながら談笑する少女達。
主人の穏やかな心に影響されたルーくんは、ヒノリの膝の上でクワァリと欠伸をしてうたた寝てしまった。




