12話「お姉ちゃんは大変です」
闇は、数多の魔物の影に潜んで揺れ動いた。
———違う、ちがう、違う。
———これではない、アレでもない。
———いない、どこにもいない。
———どこに行った、どこに消えた。
ダンジョンに存在する全ての魔物の影に入ってみても、見つからない。
———ドコニドコニドコニドコニ、ドコニドコニドコニドコニ、何処にいる?
「なんだ……?」
ダンジョン内で魔物と対峙していた冒険者達は、真っ先に異変に気がついた。魔物達の目が、一様に変化していることに。
———チガウ、それジャナイ
「……な……っ、なんだぁ?」
魔物は冒険者へと向けた敵視を自ら消失させた。敵視が消えるのは基本的に、対象が移るか、対象が喪失するか、魔物自身が倒されるかのいずれかだ。魔物自らが中断する事態は冒険者にとっては充分な異変だ。
———ちがう、チガウ。あれでも、それでも、これでもない。
探し出さなくてはいけない。
闇の意思が、魔物を導く。
冒険者への敵視は消え、魔物は闇の意思によって冒険者を置き去りにして別の場所に移動しようと体を反転させる。
「へへっ……なんだか分からないが今が好機とみた」
「おい、待て……!! これは異変だ、勝手に動……」
闇がまた別の魔物の陰に移れば、敵視もすぐ近くの人間へと戻る。標的と化した冒険者はそのことにも気が付かず、不意打ちをかけようと————、
「シャァァァァッッ」
「へあ………? ぎゃ、ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!」
油断していたのは、冒険者の方だった。
影から闇が消えた魔物は再び冒険者を襲う。
最下層を起点にして、ダンジョン内に異変が広がっていく。
妹を探すイノリの元にも、魔の手は着実に忍び寄っていた。
「ひのちゃーーん? どこーー? 居たら出てきてーーーっ」
「そんな迷子の動物を探すみたいに……」
苦い顔をしたエインが魔物を切り伏せてから、それらを呼ぶ原因となったイノリに注意しようとする。けれど、イノリは至って真面目に反論してみせた。
「ひのちゃんは、子猫か何かだと思うんだよね」
「………は? うん??」
「ひのちゃんは、子猫なのかも!!」
イノリの脳内に、「にゃおー」と鳴くヒノリの姿があった。
「あ、ああ……そう、そうなんだ……な?」
呆気に取れるエインも首を傾げてみせる、自分で言ったのだ「迷子の動物を探すみたいに」と。まさかそんな例え話に真面目な返事が返ってくるとは思わなかったが。
「そんな訳ないだろ」
……と、そんな風に真面目に返さなかったのは、エインの優しさなのかもしれない。代わりにコイツは大丈夫なんだろうか、なんていう心配の目線を向けていたけれど。
「ひのちゃんってば、かくれんぼをすると狭いところに隠れるくせに、見つけて貰えるまで出てこないとかよくあったし……、そのくせ見つけてもらえないと泣いたりして……本当、お姉ちゃんの方が泣きたくなったくらいなのに」
昔を思い出してクスクスと小さく肩を揺らすイノリ。エインの生優しい目線には気が付いていなかった。
「ふふ……っ。そんな冗談はさておき……」
「冗談だったのかよッッッッ!!?」
「…………えっ?」
エインは自分が向けた視線よりも、疑いと心配の混ざった冷たい視線を返される。
この人、大丈夫? もしかしてちょっと疲れちゃってるんじゃないの? ていうか、自分でそういう例え話をしてきたんじゃぁ……。
「あーーもう!! 全部口に出てるってッッッッ!!」
「ありゃ……ごめん、ごめん」
「………はぁ……帰りたい。オフィーリアに会いたくなってくるな……」
切実なら願いを込めてため息を溢す少年をよそに、イノリは辺りを見渡しながら先へ進んでいく。
(……なんか、変な感じする……かも。ひのちゃんを早く見つけなくちゃ……)
予感に心中が微かに波立ち、胸元を握りしめた。
「———う、あぁぁぁぁぁぁぁぁああああっっっ!!」
「ひっ」
冒険者の必死な形相に、イノリは思わず顔色を失くして体を揺らした。ダンジョンの奥から泣き喚きながら走ってくる冒険者の頬や装備には赤い血がべったりと張り付いていた。
血液特有の鉄の匂いが横切る。
脱兎の如く命からがらに手足を動かす冒険者は、イノリ達の存在に気が付いていないようだった。
「……今の、人……」
口を手で覆う。
自分の唇に触れる指先が震えていた。
「腕が……」
片腕がなかった。
止血するために布を巻いているようだったが、動揺していたのか片腕では上手く巻けなかったからか、布は赤く染まり吸いきれない血液が地面に跡を作っている。
「……冒険者なら、あのくらいの傷は常に付きものだ。とはいえ、あの逃げようは奥で何かあったのかもな……あ!! おいっっ」
エインは奥に駆け出そうとするイノリの腕を掴んだ。
「馬鹿、なんで危ない方向に駆け出そうとしてるんだよ!! 奥ではなにが起こってるか分からないんだぞ」
「もし、ひのちゃんが居たらどうするの!? 助けに行かなくちゃ……!!」
「今の君を奥になんて行かせられるわけないだろ!? 一回冷静になってちゃんと準備をしてから……」
エインの話なんてイノリの耳には入らない。
掴まれた腕を軽く捻って振り解くと、真っ直ぐ駆け出す。
「あ、おい、待て………ッッッッ」
開いた口を硬く閉じたエインは、髪をぐしゃぐしゃと掻き回すと盛大にため息を吐いた。嗚呼なるほど、こういう気持ちか、無茶をするやつを追いかけるのって。
「……後で、オフィーリアに謝らないとな……」
一人の少女の背を追って、エインもダンジョンの奥へと消えていく。
———さがせ、サガセ。
———これじゃない、要らない。
———要らないものは喰らえ、踏み潰せ。
闇は既に深層部階の魔物を引き連れて中層部階へと到達していた、数多の冒険者を引き裂きながら。
ソレはさながら主人のいない百鬼夜行のよう。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっ!!」
一人の少女とは逆の方向へ走り逃げていく冒険者。イノリは横目で全ての冒険者の顔を見る。皆、死ぬか生きるかの狭間に立ったような顔をしている。戦略的撤退ではなく本能のままに逃げ出しているようだった。
(ひのちゃん、ひのちゃん、ひのちゃん!! )
気持ちが迅る。
なんで居ないの? 何処にいるの?
———コレじゃ、ない。これじゃナイ。ない、ナイ。ない、ナイ。コレジャない。ナイ、ない、ナイ。コレジャナイ、これじゃない、コレジャナイ。
「……っ……魔物……の、群れ……」
数えきれない数の魔物が少女の道を阻む。
倒さなくては進まない、けれど倒しきれるのか。どれほどの魔物がいるのか、目視では数え切れない。
イノリを前にして、影に潜む闇は数多の魔物の手足に巻き付いた自分の意識から成る糸を引いた。
———いら、ない。コレは、要らない。
「……っ!! そんな魔法くらい……問題ないんだからっ」
前衛の魔物達によって、炎に水、氷、複数の魔法攻撃がイノリに襲いかかった。
咄嗟に魔法で障壁を作るも、一つ目の魔物《キュロリス》の蔦が足に絡む。
「きゃぁっっっっ!?」
不意に足を引かれたことで体勢を崩し、その場に尻餅をつく。その際、足首には蔦に生えた棘が深く食い込み、イノリは顔を歪めた。咄嗟に奥歯を噛み締めて、悲鳴を我慢する。
「っ……ぐ……」
最悪だったのは、意識が足首にいって、次なる攻撃に対応が遅れてしまったことだ。
「————!!!」
飛行型魔物が鋭い嘴を大きく開いて火炎光の魔法攻撃を放つ。
迫り来るゴォォォォッと渦巻いた炎の光が、イノリの甘茶色の髪を夕陽色に照らす。
(……避け、られない……っっ)
喉に張り付いた声。足から登ってくる痺れで、その場に縫われたように動かない手足。じくじくと痛む足首。
イノリの視界一面に灼熱の炎の眩い光が広がった。




