第三十二話「あの子はどこに」
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———— ノガリア国、王宮内。
白い服、金の刺繍が施された赤い腰巻きを身につけた青年が、苛立ちを隠すこともなく周囲を威圧するようにがなった。
「まだ見つからないのかっっっ!!」
「も、申し訳ありません。大将軍からは未だ何も連絡はなく……ひ、ひぃっ!!」
ガシャン!
青年と同じ小麦色の肌をした使用人が、大きな音—— 壁に向かって投げられたポットが割れた音を聞いて身をすくめた。
側にいた他の使用人達も体の血の気が引いていく。
メイドの一人は震える手で陶器の破片を拾い、指を傷つけてしまったが即座に唇を噛んだ声を殺した。傍に居た同僚のメイドは咄嗟に、彼女が落としかけた破片が溢れぬようにハンカチで同僚の手ごと覆った。
頭を抱えた使用人の側で、机を強く拳で叩きつけた身分の高そうな青年は報告が無い事実を知って怒りを露わにする。
もう日が暮れるというのに今日も収穫は何もない。
捜索隊に出した大将軍からの連絡はなにもなく、アリサが大砂漠を超えた先の街で目撃されたらしいという情報が最後に来た報告だった。
だがその報告があったのも、9日前のこと。
既に3日前には大将軍は街に到着したはず。であれば、今日にでもノガリア国第一王子であるロード・イスカ・ノガリアの元に、アリサを賊から保護したという連絡が本来入っているべきだと、王子は水色の双眸を逆立てる。
「……」
むしゃくしゃとした気持ちのまま、翡翠の宝石が付いた首飾りを外した王子は地図の上にそれを垂らした。
ユラユラと振れる首飾りは王国の地図の上を漂い続け、王子の気持ちを逆撫でする。
まるで、“通常”であれば一点に留まることが当たり前のようであるかのようだ。
「っ〜〜なんなんだ一体!!たった一人の娘を見つけて連れてくるだけだというのに、なぜこんなに上手くいかない!?」
ドアに向けて首飾りを投げ付けた。
使用人の脇を飛んでいく、投げ付けられた首飾りは彼の後方にあるドアに強くぶつかった。ドアに衝突し、大きく跳ね返る形で高価な絨毯の上に落ちる。
腰を抜かした使用人が、自分の側まで跳ね返ってきた首飾りの宝石を見やれば、背筋にひやりとした汗が伝う。
激しく投げ付けられた首飾りの宝石は、一切傷付いた形跡はなく、投げられる前と変わらない価値と輝きを主張していた。
宝石には自身を守るように黒いモヤが漂っていたが、誰にも見えることはなかった。
「——— 兄上、そう怒鳴り立ててしまっては優秀な人材もすぐに使い潰れてしまいますよ?」
「あ……」
その声に—— 落ち着きのある優しい声音に、部屋に残されていた使用人達が、まるで救いの手が差し伸べられたように安堵と感嘆が混ざった吐息を溢した。
使用人の視線が一人の青年へと集められる。
先程首飾りを投げ付けたドアは書斎に廊下から直結していたが、隣接する執務室から書斎に直結したドアが開く。その扉からは、小麦色の肌をした柔和な顔立ちの金髪の青年が姿を現した。
「どうやらアリサはまだ見つかっていないみたいですね」
「……エリック……何の用だ?」
苦虫を噛み潰したように目を細めたロードは、異母兄弟であるエリックの名を低く唸りながら呼ぶ。
「そんなに怖い顔をしていては周りを威圧してしまいますよ兄上。大丈夫です、きっと大将軍が彼女のことを探して連れて帰ってきてくれますって」
一度作った笑みを壊すことなく、エリックは首飾りを握りしめて兄の前に突き出した。「……はい、これは兄上の物でしょう?」
「……っち!」
軽く舌打ちをし、弟の手から首飾りを奪い取る。
乱雑な取られ方をされ、侮蔑の視線を横目で向けられているというのに、ニコニコと優しく甘い笑顔を崩すことのないエリック。直ぐに沸点に達してしまう兄とは正反対だ。
使用人達は容姿の色合いが同じ(金髪に水色の瞳)を両者を前に、一度姿勢を正し直す。血の気の引いた顔は、第一王子に苦言できる人物である第二王子の登場で安堵したことで、幾分かマシになっていた。
「っは!どうせキサマは俺のことを笑いに来たんだろう?」
「まさかそんな、兄上には酷く同情していますよ。婚約式の前日に、婚約者を攫われた悲劇の王子様ですから。まだ彼女は見つからないなんて……嗚呼、残念です……」
「戯けたことを……。エリック、これ以上見つからないようなら、お前の首が飛ぶこともやぶさかではないからな。大方、お前が賊か脱出を手配したんだろう。……アリサの居場所はどこだ?ささっと吐いた方が身のためだぞ」
ロードは、話しながら弟の側まで寄ると、エリックの胸ぐらを掴んで睨み上げる。「っ……」喉元が締まり、エリックは苦悶の表情を浮かべながらも口に弧を描いた。
「っ……は、ははっ。賊に攫われたと散々騒いでおきながら、兄上もアリサ自身が逃げ出した可能性も考えていたんですね。自覚していたとは驚きだ。いや、自覚しているからこそ、アリサを宮殿の奥に閉じ込めていたんですよね?兄上……ぐっ!!」
「……っ!!キサマァァ!!」
エリックからのあからさまな挑発に対してロードが激昂し、弟の首元を締め上げたまま後方のドアへと叩きつけた。
周囲から悲鳴が上がり、背中を強打したエリックは今度こそ口元を歪めた。
弟の口元から笑顔が消えた瞬間に、ロードは勝ち誇ったように歪んだ微笑みを浮かべる。
「は、ははっ!残念だったなエリック。お前もアリサに気が合ったようだが、アレは王妃の実子たるこの第一王子が娶るべきモノだ。どうせお前がその腹いせに、アレが宮殿から消失することを手引きしたんだろう!?」
「……っぐ、な、なんのことだが……分かりませんね……っ」
「シラを切るとは、良い度胸だなエリック。さあ!!吐け!!アリサは今どこにいるんだ!!」
「ぐっ……う……」
しばらく、苦しげな表情をしていたエリックも、ロードの罵声を聞けば目を鋭く尖らせ、我慢ならないと言わんばかりに兄の手を振り払って叫んだ。
「……彼女は物じゃない!!兄上の道具ではない!!彼女が此処を自ら離れたのなら、彼女の意思を尊重するべきです!兄上は、アリサに選ばれなかったんだ!!」
「っち!本当に首が飛びたいようだな……エリック……」
腰に下げていた剣の柄に、ロードが手を伸ばした時だった。
「———— ねぇえ?今、誰の首が飛ぶって言ったの?」
愛らしく、無邪気な少女の声は、エリックや使用人、さらには頭に血が昇っていたロードすらも凍り付かせた。
ロードの頬に冷たい汗が伝う。
先ほどまで怒号が飛び交っていた部屋は、時が止まったかのように静まり返った。
「あれー?あれ、あれー?どうしたの、皆んな。急に静かになっちゃって、良いのよ先ほどまで、廊下に聞こえちゃうくらい大合唱してた続きをしても」
花のように愛らしく微笑むレヴィリア。
通常であれば彼女を慕う使用人達は、少女の登場に安堵したことだろう。王も王妃も居ないこの場で王子達の言い争いを止められるのは国の巫女たるレヴィリアだけだ。
そう、通常であれば、だ。
ロードの、エリックに対する暴言をレヴィリアが聞いてしまっていたのが良くなかった。
第一王子たるロードは、国の国母である王妃の実子。対して第二王子のエリックは、既に病死した側室の子。元々互いの仲は悪く、ロードの行動に対して発言権の低いエリックは何かを言える立場にはないのだが……。
「レビィの大切なエリック様の、首が飛ぶって……聞こえちゃったなぁ。ロードくん?」
「っ………」
レヴィリアの瞳が怪しく光る。
国の神獣の巫女であり、国王からの勅命で傷付けてはいけないとされているが故に、ロードですらもレヴィリアへ強くは出られない。奥歯を強く噛み締めて、拳をブルブルと震わせた。
気に食わない。
アリサが消えたことについて確実に何か知っているエリックを、ロードは今すぐ地下牢に放り込んで情報を搾り取りたいところだというのに、エリックがレヴィリアに好かれて擁護されているせいで、出来る筈であることが現実には叶わなくてすこぶる気に食わない。
気に食わない。
自分より下であるはずの弟がエリック様と呼ばれ、自分は様呼びではないのが気に食わない。
「もー……ロードくんは怖い顔して。どーしたのー?」
「……巫女様。兄上は、婚約者が未だ行方知らずだからか、少々気が立っていただけみたいです。大丈夫ですよ、男の兄弟ならあのくらいの言い争いと喧嘩は普通ですから」
「えっそうなの?うーん、うーん、じゃあロードくんの事、今回は許してあげる……あ!!でもでもエリック様、怪我しなかった?」
少女は、エリックの周りで天真爛漫にぴょんぴょん跳ねる。
が、そんな少女は一瞬で豹変する。「もし……」
「もし……怪我なんてしてたら、前言撤回だよぉ。レビィは絶対、許してあげない……」
エリックの喉が、小さく鳴った。
ゾッとするような低い声音で、冷たい瞳で「許さない」と告げた少女に、兄のロードですらも顔から血の気をなくして青ざめた。
「……はは、心配してくれてありがとうございます巫女様。ですが、大丈夫ですよ。どうか僕に免じて兄上を許してくれませんか?」
「エリック様、優しい!こんな王子、レビィにかかれば一瞬なのにぃ。でも、エリック様がそう言うなら今回だけは許してあげるね!」
レヴィリアは、エリックの腕に抱きつく。
頬を赤く染め上げ抱きついた腕に頬擦りした後、機嫌よくロードにも微笑んだ。
「……っ………はい。ありがとう存じます……」
片膝を立てて、自身へ首を垂れるロードをレヴィリアは満足そうに見下ろす。胸を張って、腰に手を当てて、えっへん!と得意げな表情をする。
「うふふ、はぁいそれじゃあこのお話はお終いね!エリック様!午後はレビィの部屋でゆっくりお茶を飲みましょう?聞いて欲しいことがいっぱいあるの!」
「はい、もちろんです巫女様」
敵意を隠す事なく向けてくる兄に構う事はしない。はしゃいでいるレヴィリアの手を取ってエリックは柔らかく微笑んでみせた。お茶を共にするだけで機嫌が取れるのであれば安いものだ。
全ては“ ”のために。
そう、全ては———— たった“一人”のために。
「では、兄上。失礼致します」
にっこり。
清々しい笑顔を兄に見せてエリックは部屋を去った。
静かに閉まっていく扉。
部屋の中に残されたロードは怒りでワナワナと身体を震わせ、拳を強く握りしめる。「……ざけるな……」
「………ふざけるなよエリック……。キサマが手にする物など、何一つあるわけがない。いや、あっていいわけがない」
首飾りについた翡翠の宝石の周囲に、黒いモヤが立ち込める。
そのモヤは大きくうねり王子の首に纏わりつく。けれど、彼の顔色を伺っている使用人も彼自身も見えていないのか、反応を示さず、何も言わない。
ロードの首の周りで渦巻いていた見えることのない黒いモヤは、やがて灰が風に乗って流れるのと同じように、誰にも気が付かれず四散していった。
僅かに首元を摩った王子は、怒りと、憎しみに満ちた表情のまま首飾りの宝石を掴む。
「く、くくっ……!アリサ、お前は必ず帰ってくるはずだ。この、対となった宝石さえあればな……」
ロードの手の中で、ボゥっと翡翠の宝石の中で赤黒い炎が燃え上がった。
同じ頃だった。
一人の少女の首に声も出せぬほどの激痛が走ったのは。
「———— っ!!」
砂漠の上でその場にいるメンバーの力を結集させて作り上げた人工の湖の側に座り込み、楽しそうに微笑んでいたアリサが、急に息を呑んで苦悶の表情を浮かべた。肩はビクリと跳ね上がり、紫紺の双眸の目尻に涙の粒が溜まる。
「お嬢?お嬢………!!」
砂漠の柔らかな砂の上に倒れ込んでしまったアリサに、ミカは「お嬢!!」と悲鳴を上げて駆け寄った。
「お嬢!!っ……アリサ!?」
ミカの腕の中で、アリサは苦しそうに呼吸していた。
少女のチョーカーに付いた宝石の中で燃えている赤黒い炎を明確に捉えることができたのは、アリサを除いて、ルーくんを腕に抱いた ひのりだけだった。
そして、ひのりは怯えながら言った。
「な…に?アレ………」




