第三十一話「砂漠の夜」
ほのぼのはいつもの兄妹に食べられました。
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大砂漠を静寂が包む。
モンスターが出現していた場所の周辺とは思えないくらい静まりかえっていた。夕暮れ色に燃える沈みかかった太陽が、西の地平線上に留まって空を茜色に染め上げる。夜に近づくにつれて砂漠の気温は下がり、砂塵を含んで揺蕩う風も肌寒さを感じさせた。
時折、砂に泡が立って吹き上がれば可愛らしい砂色のモグラ型モンスターが顔を出して周囲を見渡す。子犬サイズのモグラは地中から這い出ると水場へと向かった。
夕方の前までは行商人などが砂漠を横断していたはずだが、既に砂漠の上に人の姿は見当たらず、人の代わりに小さな水場の近くに複数のテントが立ちならぶ。
追われている身ではあるが、いのり達も例外ではない。水場からは少し離れた場所に簡易なテントを立てて体を休めていた。因みに追っ手から逃れるために一応認識阻害の魔法をかけている、魔王の魔法はもはやなんでもありなのだろうかと、ひのりは眉根をしかめた。
「———— こ、こ、ここここ……殺されるかと思ったっす……消し炭になるかと思ったっす。いや、ほんとに……思い返すだけで鳥肌っす。死線は今までも潜ったことはあるっすけど、魔法ちょーこぇーっす」
テントの隅で膝を抱えたミカが、青ざめた顔でガタガタと身体を震わせていた。側に小さく座っていたアリサが、弟を慰めるように赤い髪を優しく撫でる。「よしよし……いい子、いい子……」アリサの口から発せられる言葉こそ優しいが、視線はどこか俯きがちに彷徨う。
「あははっごめん、ごめん。ミカなら避けられるかなーって……えへ☆ごめんちゃい」
浮かない様子のアリサに気が付かなかったいのりは、両手を合わせて片目をウィンクさせながら舌をチラリ。てへっ☆とおちゃらけて、全然申し訳なく思っていないのを隠そうともしていなかった。
思わずミカは、堰を切ったように、ワッと泣きたくなった。泣く代わりに大声を出して喚いた。
「だとしても火力くらい調整して魔法使ってくださいっす!!」
ミカの必死な抗議に、十数年ほど一緒に暮らしてきたこの場で一番の理解者であり姉馬鹿のひのりですら申し訳ない気持ちになってしまう。姉を庇いたい気持ちをやぶさかではないけれど「お姉ちゃんがごめんなさい」の謝罪の方が姉主義に勝ってしまい、笑顔と呼ぶには曖昧で微妙で浮かない表情を浮かべる。
「……あ〜〜〜……えっと、お姉ちゃんはそういうのアレだから……」
「アレってなんすか!?」
ひのりは、家族ならではの感覚的な事をミカへどう説明したものかと言い淀んでしまった。当然の如くミカにツッコミを入れられてしまい、首を傾げてしばし再考するも発言は変わらない。求む!説明!のミカの重圧には応えられないとばかりに徐々に目を逸らし始める。
ひのりの様子に、何かシンパシーを感じたのか「あー……」と声を上げたリアも頷いて神妙そうに言った。
「ああ、分かるぞ。いのりはそいうところがアレだからな……結果皆んな無事だったような、こういう時はガツンと怒らないと多分反省しないぞ」
「うあぁァァァァ……ッ。あーーもうッ、とりあえずアレなんすね!」
そう、アレである!アレがアレでアーなのだ!!
「ちょっと!?みんなしてあれあれってぇっアレって何!?私本人なのにっっ、本人なのに全然分かってないんだけどっっ!?」
がびびーん!
なんだか皆んなから匙を投げられた気がして、いのりはミカと同じく半泣きになりながら「ねーー!!」っと叫喚した。求む!説明!
が、しかし、誰もいのりの味方にはなってはくれない。いじけた様子で少女は背後を振り返り、我関せずと考え込むように沈黙していた幼い少年に問いかけた。
「……もー……みんなしてひどいよー……ラベリールもそう思うよね?」
「………」
「ラベリール?おーい?」
「ん?あ、ああ、なんだ小娘。ワレを呼んだのか?」
「全然話を聞いてない!!もーー、誰も味方がいないよー、なにー?……考え事?」
「うむ!ワレは貴様なんぞに分かる訳のない……」
ふん!と鼻を鳴らし腕を組んで傲慢な態度を取っていたラベリールが、視線をいのりに向けて一瞥くれたところで、何処かに留まった。赤い目が大きく見開かれる。
「ラベリール……?」
「———— キサマ……」
「……な、何?どったの、ラベリール」
四つ這いになっていた少女は背後の妹達の方へと後退る。
幼い少年の姿をした魔王の紅玉に凄まれ怖気付くいのりも、その後ろに居たひのりとアリサはビクリと肩を弾ませ、ミカはアリサを庇うように片膝を立たせて拳を握った。
ミカの背の後ろに庇われるアリサはそっとチョーカー隠すように喉元に手を置いた。
魔王が、憤怒している。
「———おい、水竜の巫女。キサマ、その首輪を何故持っているのだ……!」
喉の奥から絞り出したような声に、いのりのその先を見つめる双眸に、怒りが滲んでいた。
寒い訳じゃない。それなのに、いのりの肌は魔王の憤激を感じ取ってビリビリと粟立つ。
誰もが声を失った……たった一人を除いて。
シャッと鞘から剣が抜ける音と共に、ランプの淡い光を反射した剣身の閃光がラベリールの首筋へと一瞬のうちに走る。
「———— ラベリール」
「……キサマ……ワレに剣を向けるか?」
赤い瞳と黄緑色の瞳が冷たく交差し合う。
「嗚呼そうだ。ラベリール、あたしは今のお前であればいつでも剣を向ける。いつもは面の下に隠している本性が出ているぞ、早くしまってくれないか?」
「キサマ如きがワレに命令す……」
「———— はい!そこまで!」
幕を降ろしたのは、いのりの声だった。
険悪な雰囲気のリアとラベリールが振り返れば、腰に手を置いて妹や弟を叱る姉のように水色の目を尖らせた いのりの姿があった、眉も吊り上がり、「私怒ってます」を前面に押し出している。
姉の後ろに隠れるように引っ付いていた ひのりは姉を見上げた。あ、私を怒る時のお姉ちゃんだ。
「小娘が、ワレの話を遮るでな……」
「ラベリール?皆んなのことを怖がらせたらダメだよ。何かを聞きたいならそういう態度は良くないと思う!ちゃんと反省して」
「なっっっっ……はんせ?っキ、キサマが言うなっっっっっっ!」
「それから、リアも!!テントの中で剣を出したら危ないでしょう?もう一回そんな事したら没収だよ!」
「なんであたしまで怒られるんだ……!?」
「とーにーかーくっ。話し合い第一!威圧しない、だよ!」
「「……………」」
釈然としない。納得がいかないという顔をラベリールもリアも浮かべる。二人揃って顔を見合わせてひとしきり睨み合ってから同時に肩を降ろした。
ひのりは「……お姉ちゃんってホント強引……」と、独り心地に呟いたのだった。
「それで……その、無理はしなくていいです。でも、私もルーくんがいるから……だから力になれる事なら力になりたいんです」
「ひのりさん……」
アリサの方を向いたひのりは、おずりおずりと躊躇いながらも懇願する、アリサにアリサ達の事情を話して欲しいと。助けてとは言われたけれど、思い返せば何をどう助けたら良いのかもわからない。
(……本当なのは、この人が神獣を大切にしてるってことだけ……。なら、絶対に悪い人じゃない……)
それでも何に関わることになるのかを知る権利が自分達にはあるはずだ。アリサには話す義務があるはずだ。
「アリサっていうのも、まだ偽名……なんですか?」
「……いいえ、本名が、アリサであるのには変わりないわ」
力なく首を左右に振ったアリサは俯きがちな顔をゆっくりと起こしてはミカを見上げる。
「彼は、ミカは、私がずっと城の者には秘密にしていた緊急時の護衛です」
「どーもっミカっす!本名っす!!」
「——どうして、追われることになったの?その、あの兵士たちはお城に連れ戻そうとしてたけど……」
いのりが尋ねると自然にアリサへ視線が集まる。
ミカが促すように気遣うように「お嬢……」と名前を呼ぶ。その声に促されたアリサはポツリポツリと口を開いた。
「——夢を、見たから……」
「夢……?」
「そう、神獣の巫女に目覚めた私は夢を見たの。今の国はまやかしなのだと、知ったのです。だから、私はこの国の闇を暴き、あるべき姿を取り戻したい!真の神獣である水竜を救いたい!」
「真の……ということは、まるで偽物の神獣がいるみたいだな」
意を決した表明を聞いたリアは、話を深掘る。
大きく頷いたアリサが神妙な顔つきで言葉を繋げた。
「今、この国には二人の巫女と二つの神獣がいるのです……」
「……それは可笑しな話だ。ワレの知る限り、此処は一匹の水竜しか神獣はいなかったはずだ」
「魔王様が仰っているのは……、この地が海に水に恵まれ港として栄えていた過去の栄光時代のお話でしょう。今は、どうですか?この地の水は枯れ果て、砂漠の海が広がり……。より自然の水が貴重となった王家主催の神獣と共に行う神聖な儀式は、力を誇示する為の政治の道具にされています……」
「ほう……つまり、キサマは————、」
アリサが、ラベリールが紡ぐであろう言葉を先に肯定するように力なく頷いた。「ええ」とやるせなく返事もして、チョーカーに触れた。
「便利な道具を便利に扱うことのできる、貴重な駒もとい首輪というわけか」
いのりとリアの目が見開かれ、ラベリールの含みのある言い方がよく分からなかった ひのりは首を傾げる。「っ!お、お姉ちゃん?手……痛い……」「あ!ごめんね、力が入っちゃった!!」握っていた手を慌てて離し、いのりはもう一度ひのりの手を優しく握りしめる。
「それでその首輪というわけか……いつの時代も人間どもがする事はつまらんな。で、もう一人の巫女と神獣は何がいるのじゃ」
つまらなそうに膝に肘を置いて頬杖を付くラベリール。
反対にアリサは、「それは……」と口を重くする。細い二の腕を摩るアリサの代わりに、ミカが答えた。
「———— もう一人の巫女はお嬢の妹、なんすよ。そして神獣の名は、いや神獣ですらないんす。その真名は魔獣バジリスク。砂漠に巣食う魔獣の王っす」
△▼
ノガリア国。
王宮内、王の間。
「———— ねぇ、ねぇ、おーさま!この人たち、どうしちゃう?どうしちゃうの?」
天真爛漫な声が、小鳥ですらも鳴くのを許されない重々しい空気の中で場違いに響き渡る。
「ひ………、ひぃ、ど……どうかお慈悲を……!」
青ざめた顔をした数人の使用人が男女を問わず手足を縛られ、冷たい床に座らされていた。
その場にいた大臣や兵士たちは目を伏せ、玉座からは冷たい王の視線が彼らに降り注がれる。
「……」
「あははっ、どうしちゃう?どーしよっかぁ」
何も発言しない王の代わりに、少女の楽しそうな声が響く。頭に付けた赤いシルクのリボンと金髪が揺れた。玉座の周りをクルクルと回って踊る金髪の少女は夢見る乙女のように頬を赤く染めて花が開くように微笑んだ—— まるで、慈悲を施す女神のように。
「……!!」
縛られた人々は、安堵した。
言われもない罪によって、この場に連れて来られ、罰せられるなんて……そんな理不尽があるわけが無い。姉が居ないことで不安定になった巫女姫の行うただのお遊びなのだと。だって、この方はいつだって民を想うお優しいお方なのだから—————— 、
「——— あははっいい事思いっちゃったぁ♪全員、リーちゃんのご飯になって干からびちゃえば?そしたらいつかは水として役に立つと思うよ」
何かが、一人の青年を襲った。
「きゅ……」
縛られた人々のうちの、一人が一瞬にして砂と化す。
空気が固まる。
恐怖で体が震えた男は、自分を叱咤しながら雄叫びを上げた。
「わ、我々は何の罪を問われているのですか!!私は誠心誠意、城で勤めてきました!!何も罰せられることはしたことがありません!!王よ!!何故黙っているのですか!?」
「やん、うるさーい!罰ー?そんなの決まってるよぉ」
一度顔をしかめた少女は、無邪気に笑う。
「アリサも居なくて暇だし、みーんなアリサのことばっかり話題に出していて気に食わなかったし。いつもより構ってくれないんだもーん。そしたらね、貴方達がちょうど目についてうざったかったら。それだけだよーん」
「そんな!!そんな事で………きゅっ」
激昂した男も、次の瞬間には砂と化す。残ったのは男が来ていた洋服と細かい砂だけ。
「ひ、ひぃ!!お助けください!!お助けください巫女様!!お役に立ちます、お役に立ちますからお助けください!!」
「わ、私こそ、私こそお助けください!!お慈悲を!!もう二度と姉君の良い噂は口に出しません!!お助けくださいレヴィリア様!」
「あは☆醜いなぁ。でもそーいうのって、みーんな……特にアリサは否定しちゃうけど、レビィは好ましいって思う。助けてあげちゃう、あげちゃう!」
なんか飽きちゃったし。鈍い金髪を指でくるくる回しながら5人のうちの二人だけ口止めを命じたのちに下がらせる。
ただのどうでもいい者達を泣かせるなんてやっぱり、つまらなかった。あの姿も心も美しくて美しくて正義感の強い姉の顔を絶望に叩き落とした時を想像するほど甘美な時間はない。
「———— レビィの、だーーーーーーいっきらいなアリサお姉様。戻ってきたらいっぱいレビィとリーちゃんと一緒に遊ぼうね」
金の瞳孔を持った真っ赤な双眸が、怪しく輝きを放った。
それでもなお、少女の口元はあどけない少女のように笑みを浮かべていたのだった。
「オフィー、危ない!!」
エインが小柄な少女を抱きしめて魔法を放てば、モンスターは断末魔を上げてオフィーリアを害することはない。
「あ、ありがとうございます……お兄ちゃん……」
兄の腕の中で、頭上で二つに結んだ灰色の髪に花冠を被ったオフィーリアは背後からモンスターの悲鳴を聞いて開いていた目を元の大きさへと戻した。エインの体温と危険が降りかかった去ったことにホッと胸が降りる。
「……ごめんなさい、お兄ちゃん。我儘を言って、ついてきてしまって……」
「謝るなよオフィー。我儘を叶えるのも、オフィーリアを守るのも兄として当然なんだし」
「でも、もう少し……お兄ちゃんの役に立てたらって……。で、でも!怪我をして欲しい訳じゃないですよ!?」
「ははっ、分かってるよ。大丈夫。オフィーがいるだけで力が出るし、怪我をしたらオフィーが治してくれるって信頼してからどんどんダンジョンも二人で進むことができてるんだ」
「……それ、役に立ってますか……?」
エインに頭を撫でられながら、不服そうに唇を窄めるオフィーリア。
「立ってる、立ってる。すごいオフィーリア効果だって」
「——えへへ……って、お兄ちゃんの笑顔、なんだかズルイです……むぅぅ」
この間も、なんだかんだと見知らぬ女の子の頬が赤く染まっていたのを思い出したオフィーリアは風船のように頬を膨らませた。無闇にそんな無邪気な笑顔を見せびらかすのは禁止です!と怒ってみる。
エインは無自覚故に心底困った表情を浮かべて「え、えぇ……?」と弱々しく困惑した声を出す。
「じゃ、じゃあ……今日の夕飯はさ。オフィーリアの好きなものにするのは、どうでしょうか?」
何故か敬語になるエイン。
しかも機嫌を取るためのチョイスは何故か夕ご飯。全然の全然、全く寸とも塵ほども乙女心を理解してない。
でも、オフィーリアほどの兄馬鹿になるとエインのダメダメな台詞だけでも、嬉しかった。勿論、兄馬鹿なだけではなくオフィーリア自身が一緒にあたたかいご飯を食べる人が居る幸せを知っているからこそかもしれないが。
「はい!お兄ちゃん。急いでダンジョンを攻略して、お家に帰りましょう」
にっこりと愛らしく微笑んで、兄の手を取った。




