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2章32話「召喚獣とは相棒であり、」

 首筋を熱いものが伝っている。

 首の皮膚に爪が食い込むほどに強く、じわじわと締め上げられていく。

 息が、うまくできない。

 呼吸が浅くなっていく。


「っ……く………」


 朦朧とした意識の中で、メルフリューはどうにかもがきながら拳を握った。握ることができた。大丈夫、まだ手は動く───そう自覚できた瞬間、虚になりかけた碧眼に力強い炎を灯らせる。弱々しく震えていた指に最後の力を振り注ぎ、拳を振り上げた。


「………んの……っ、ざけんじゃないわよーーーーー!!」


「へぶっ!?」


 遠くへと吹き飛んだシシルが衝突した木の幹が大きく揺れ動いた。ガクリッと地面に倒れ込み、四肢を力無く広げているシシルの様子を見るに、頭を強く打っているかもしれない。そう思いながらも、少女は幼馴染を吐き飛ばした拳を強く握りしめる。


「っ……はぁ……はぁ……。シシル……、あんたはちょっと眠ってなさい!」


 そう言い放ったメルフリューは、肩で息をしながら睨みつけるだけで、ぐったりと伸びている幼馴染に駆け寄ることはしなかった。シシルには悪いが、近寄ることはできなかった。


「……けほっ……けほけほっ」


 今まで締められていたせいで喉が痛い。

 メルフリューの首元は指の形に赤くなっていた。

 首元へ手を添えてみれば、身体の熱が冷たい指先に奪われていくように感じて、すぐに手を首から遠ざけた。


 それからメルフリューは、改めてシシルへ視線を向けてみる。シシルの力があんなに強いなんて今まで一度も思ったことがなかったし、振り解けないことなんてなかった。

 首に纏わり付いていた闇色の蛇。あれがいつもは温厚な少年を操っていたに違いない。


(……今は、……シシルの首元から居なくなってるわね……)


 夜風が木々の葉を揺らし、ザワザワと音を鳴らす……。メルフリューは夜風と共に近付いてきた、一つの大きな気配に振り返った。そしてその先にいた存在を認め、「……はっ」と空気を溢しながら嫌悪の笑みを薄く浮かべる。


 目の前にいたのは大蛇。暗闇とは異なる色の大きな闇色の蛇が、メルフリューを見下ろしていた。


「……なによ、そんなにデカい図体していた癖に、シシルを操っていたわけ……?」


 先ほどからフツフツと沸き始めていた腹の底が、とうとう煮えたぎる。膨らんだ猫の尾の白い毛が逆立ち、白い猫耳は横向きに張られ、碧色の瞳は瞳孔が暗闇の中でも開いてギラギラと輝きを放つ。

 冷たい風が、少女の水色の髪を揺らした。


「……許さないわよ……」


 メルフリューは素早く地を駆け、大きく飛び上がった。その両手には、くないが二本ずつ挟まれている。「……ふっ!」交差した腕を伸ばす動きを利用して蛇へと四本のくないを投げつける。

 尾が地面に縫い付けられた大蛇が動きを止めた僅かな時間で、メルフリューは乾いた唇をペロリと舐めてから開いた。


「───【召喚(サモン)】!」


 琥珀色の魔法陣から現れたのは、前足を上げ後ろ足二本て立つ、白猫──メルフリューの召喚獣で、猫族の相棒である忍ネコだ。


「さぁ、いくわよ!サシャ」


 いつものように白猫(サシャ)へと、召喚士(テイマー)の基本スキル《一心同体》を発動させた。


「っ……?、え……………?!」


 何が起きたのか、わからなかった。

 気が付いた時には、メルフリューは地面に倒れていた。


「………な………に………?」


 手足が重く、微かに痺れている。

 召喚士(テイマー)と召喚獣との連携を行うためのスキル《一心同体》を使用できていないことに気がつかないまま、顎を上げた。


「………ど………して……?」


 蛇と同じ怪しげな闇の色を瞳に宿した召喚獣(サシャ)が、こちらを見下ろしていた。


「サシャ……?………なん、で……そん、な…怖い顔、してる、のよ……」


 サシャの心情が読めない。

 自分が倒れているのに動く気配すらない。


「サシャ、サ…シャ………っっ!!!」


 どれだけ呼びかけても、心は繋がらない。

 それどころか短剣を握りしめて、メルフリューへと歩み寄ってきた。水色の髪を掴まれ、大蛇の前まで引きずられる。


「痛いっ、痛いわ!髪を引っ張らないで!」


 サシャへの指揮権限を持っているのは、今現在メルフリューではない。けれどその事実に気がつくことなく、いや、気がつかないフリをして、大蛇が体に巻きついてくる間も、猫族の少女は相棒(サシャ)を信じていた。

 きっと、助けてくれる。自分が攻撃を受けたら、きっと──────、


「……さ、………しゃ……?」


 動かなかった。

 それどころかメルフリューが足をばたつかせれば腿に短剣を突き刺してきた。


「っ、ぐ………あ"」


 メルフリューは苦痛に顔を歪めた。腿を刺されたからではなく、ビリビリに心が破かれるような痛みを胸に抱えたから。


 どうして、なんで、メルフリューは心の中でなんでもサシャに問う。けれど召喚獣と召喚士との間にある(リンク)が断絶している以上、答えは返ってくるわけがない。


 声が聞こえる。

 ───カナシイダロウ、クルシイダロウ。

 ───サア、モット。モットコチラへ……。


 誰かに手を差し伸ばされたような感覚だった。けれどその手を取ってしまえば深い深い暗がりに吸い込まれてしまいそうな予感もあった。



 △▼



 ──────7年前。

 幼いメルフリューは、一つ年上のシシルに抱きついて駄々を捏ねていた。


「ずるい……ずるい、ずるい、ずるい、ずるいーーーーー!!シシルずるいーーー!あたしも召喚士(テイマー)の勉強がしたいーーーーーっ!」


「め、メルフリュー……離してよぅ……ボク学校行けないよぅ……」


 8歳のシシルが泣きかけながら、腹部に抱きついて離れないメルフリューを剥がそうともがいていた。


「まーた、始まったよ……」


 傍観者に徹していた狐族の少年は、呆れ顔だ。


「ユウナギ!見てないで助けてっっっ」


「ゆ……ユウナギ……、メルフリューのこと……お願い……」


「へいへい……しゃーねーな……」


 セルシィからも懇願されたユウナギが、心底めんどくさそうにメルフリューの首根っこを掴み上げてシシルからひっぺはがす。


「ユウナギ!?はーーーーなーーーーーせーーーー!あーーー!シシルとセルシィ、行っちゃったーーーーー!」


「いてて……暴れるな、暴れるな……。あの二人は同い年なんだから仕方ないだろ。お前はあと一年後ー」


「………むー………」


 この島の子供達は、8歳になると一人前の召喚士(テイマー)になるべく勉強することを許される。8歳のシシルとセルシィはその勉強をしに向かったのだ。

 けれど一つ年下のメルフリューは、まだ勉強することは許されていなかった。


 唇を尖らせて不貞腐れるメルフリューは、7つ歳上のユウナギを睨んだ。


「ユウナギは8歳よりも前に勉強させてもらえてたくせに……」


「なんで知ってんだよそんなこと、めんどくせぇな」


「この間、あたしの駄々を見たおじさんが言ってたもん!うちの娘だったら早く勉強できてたかもなーって」


「……あのクソ親父……」


「なんでユウナギは勉強できて、あたしはダメなの?!ユウナギは狐族を取りまとめる家の子だけど、あたしも、猫族をまとめる家の子なのに!」


 ユウナギは膝にメルフリューを抱え、慰めるように頭を撫でる。


「ほら、狐族って神官でもあるだろ?島の神事を取りまとめる家でもあるからなー……。8歳から神官をまとめるための勉強を始めないとだったし。特殊なんだよ、俺は」


「うりうりするなー!」


「おい聞けや、こら」


 早く勉強したい。

 シシルとセルシィが半年後に召喚獣を得ると、その想いはより一層強くなっていった。


 そして一年後──────、初めての授業に胸を躍らせキラキラとした瞳を輝かせるメルフリューへ先生は言った。


「いいですか、みなさん。『召喚獣とは、召喚士(テイマー)の相棒であり、半身である。』まずはこの言葉を胸に、魂に刻みつけてください」


「せんせぇー!いっぱい召喚獣と契約する人もいるよー!」


 隣の席の兎族が手を挙げて質問をする。


「どれだけ召喚獣が増えようが心構えは変わりません。むしろ沢山の契約をする方こそ絶対に忘れてはいけませんよ?召喚獣を大切にしない者は、自身を傷つける事と思いなさい」


 その言葉は、メルフリューの心の奥底に今もずっと刻み込まれている。初めてサシャと契約した日からずっと、ずっと──────、


 幼いメルフリューの姿形が成長して、今の姿に変貌する。心の中のメルフリューは涙を流していた。


 一番、信じていたのに。


「──────出会ってからずっと、サシャはずっと、私にとって唯一無二の存在だったのに……」


 巻きついていた大蛇が、メルフリューに溶け込んでいく。メルフリューの心に闇が入り込む。


 ──嗚呼、ヤットダ。

 ヤット、テニハイル。


 毒がジワジワと回っていくように、ぽっかりと空いたメルフリューの半身からじわじわと全てを侵食しようとしていた。


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