2章 30話「影」
───なによ、なによなによなによ!!
イノリ達が島を楽しく回っている頃、メルフリューは憤怒のままに島の中を駆け抜けていた。
「っ……」
頬が熱い。
ただこれは怒りのせいではない。それを自分で分かってるせいで、余計に腹立しい。
───外の人間のくせに!!外の人間のくせに!!
外の人間に心を開きかけてしまった自分が憎らしい。
───神獣様が選んだ人間がいなければ、あんな奴ら、今すぐにでも島の外に放り出してやるのに……!!
「……外の人間のくせに、神獣様に選ばれてるなんて……」
立ち止まって心の内を溢したメルフリューは顔を上げた。目の前には赤い鳥居があり、その奥には風が吹き抜ける洞窟がある。
「どうしても、此処に来ちゃうのね……」
此処は神殿とは別の───神殿よりも重要で、最も尊い場所だ。島の奥深くにあって、此処に辿り着くためには神官である狐族の見張りの前を通らなくてはいけなかった。
つまり、メルフリューは此処に来るまで何人もの人に目撃されているということになる。
───あんなに勢いよく飛び出したのに、目撃情報のせいでどこにいるかバレバレじゃないっ。家出した子供じゃあるまいし!!
子供の癇癪のようで、恥ずかしさに身悶えしてしまう。
「……はぁ……もういいわよ。どうせバレてるなら祈りを捧げてから帰るわよ」
少し湿った洞窟を抜けたメルフリューは、『その場所』に辿り着く。
澄んだ空気がメルフリューの肺に取り込まれる。
此処は島の中で最も尊く、最も神聖な場所。
天井には目下の景色を反射させる水晶が氷柱のように生えており、煌めきを放つ透明な湖は穏やかに揺らめく。
「…よっと…」
足を滑らせないように気をつけながら湖の飛び石を渡り、中央の祭壇を目指す。乳白色の石で作られた台座の上には水晶で作られた器に入れられた真紅の卵が置かれている。
なんの変哲もない卵だが、それは神獣の卵。少し離れた場所でも中に眠る神獣の熱気が漂ってくる。
「……よかった、神獣様も卵の中ですくすくとお育ちになっているのね……」
島で儀式が始まった当初は氷のように冷たかったので、これから本当に神獣が顕現するものなのかと疑心暗鬼になっていたものだ。
過去を振り返ったメルフリューは、額に馴染んだ汗を拭いながら卵の中で脈打つ神獣の気配に安堵の笑みを浮かべる。
そして台座の前で跪く。
両手を胸の前で握り合わせ、額を指に近づける。
目を瞑って、精神を落ち着かせていく。
怒りで祈りを曇らせてはいけない。
「女神が創造せし神なる獣よ、我が祈りを糧に顕現し給え……」
祈りは神獣を育て、顕現させるためのもの。純粋な祈りを糧にすればするほど、神獣は聖なる姿と聖なる力をもって顕現すると言い伝わっている。
女神が下界に残したとされる神獣を言い伝えの通りに顕現させるため、メルフリューは真っさらな心で祈り続ける。
どのくらい時間が経っただろう。
そっと目を開けてみれば、横に誰かの気配があった。
「シシル」
「あ、やっと終わったー?」
祈りの姿勢を解いたシシルは、腕や体を伸ばし始める。
「いつから、いたのよ……」
「えっとねー、だいぶ前からかなぁ。多分もう外は夜中になってるんじゃないかな〜」
「……そう、また……やっちゃったわ……」
渋い顔をするメルフリューを見たシシルは、ケラケラと笑った。
「あははっメルフリューのお父さんにまた遅くなったのかーって怒られちゃうね!!」
「…………っ………」
神獣様の前だからと、今すぐ頬を引っ張ってやりたい衝動をどうにか抑え込む。僅かに残ってしまったものは、仕方がないので、此処を出たら覚えておきなさいよっとシシルを睨みつけることで発散させた。
「……ひぇ……怖い怖い」
「怖いと思っていないでしょう、シシル」
「思ってる、思ってるー!!」
楽しそうに笑うシシルが、メルフリューへと手を差し出す。
「ほら、帰ろうよメルフリュー!!」
「……やっぱり思ってないじゃない……」
少女は頬を少し赤らめ、その手を取った。
「それにしてもメルフリューは熱心だねー。本当に神獣様も目を覚ますかもしれないね」
「当然でしょう。必ずあたしが、神獣の巫女に選ばれてみせるんだから。あなたたちももっと祈ってみたらどうなのよ」
「うーん、兎族と羊族からはあんまり選ばれないからなぁ。どっちが一番選ばれてないかーって競えるくらいだしさ〜」
「なんで最下位をとるとらないで争ってるのよ……」
二人で話しながら洞窟の外へ向かう。
「えー、それは猫族と狐族がやっぱり選ばれる事のが多いからだよ」
「最初から諦めてたら選ばれるわけがないじゃない……」
「そーだねぇ。そうかもねー。でもさ、ボクやセルシィははメルフリューかユウナギが選ばれたらいいと思ってるよ」
「知ってるわ。人の気も知らないでふざけた話よね」
「ごめんー。メルフリューとユウナギのところは、どっちが一番選ばれたか今回の儀式で競ってるんだもんね」
「……そうよ。……神聖な儀式のはずなのにね……」
「でも、メルフリューもユウナギと競ってるよね」
「だまりなさいよ」
「……はい……」
洞窟を出てた二人は、それまで繋いでいた手を自然と解く。
「本当ね。もう夜だわ……」
空には月が浮かび、遠い遠い星が瞬く静かな夜。
村に向かって歩く中、不意にメルフリューの頭に浮かんだのは神獣を抱えるヒノリの姿だった。
「そういえば、あの人間たちはどうしたのよ」
「今日は島を回ってたんじゃないかな」
「ふぅん……そう……」
「メルフリューも仲良くなりたいんだ……!!」
「ち、違うわっっっ。あんまりウロチョロされたくないだけよ」
「素直じゃないなぁ」
「なにか、言ったかしら?」
気を逆立てるメルフリューに、シシルは「ヒィッ」と本能的にビビり上がった。
「まったく……結果は見えてるんだから、あたしのことを揶揄おうとするのはそろそろやめたら?」
「ボクはそれでもやめないよ!!っあたぁぁぁっ!?」
強めに引っ叩かれたシシルは涙を目に浮かべた。「うー……痛いよぉ」と情けない声を出していると、その視界の端に何か黒いものが動くのを見た。
『ミィ……ツケタ』
不気味な声が響いた。
△▼
──────メルフリューが洞窟の中で祈りを終えた頃。宿舎で一人の男が目を覚ました。
「ここ……は……?」
「まぁ!目が覚めたんです……ね?」
今まで寝込んでいた男が急にベッドを降りるので、近くにいた少女の嬉々とした表情は困惑を馴染ませる。
「まだ寝ていなくてはいけませんよ!」
少女の叱責を受けた男は、先ほどまで寝込んでいたとは思えないほどに清々しい表情で笑ってみせた。
「大丈夫です。少し外の空気を吸いたいので」
そう言った男は、忙しく駆け回る獣人の間を縫ってフラフラと外へ向かう。その後ろ姿を見つめていた少女は、周囲の友人へと不安げに声をかける。
「本当に大丈夫なのかしら?ねぇ、追いかけた方がああと思う?」
「平気よ、自分で動いてられるんだから!それよりも、こっちを手伝って!」
「そ、そうよね……」
少女の思考から追い出された男は、フラフラと森の中へ入り込む。
『サガセ……サガセ……』
男の口から男のものではない不気味な声が溢れた。その途端、男はその場に跪いて体内のモノを吐き出した。
「……う………げぇぇっっ……うぇぇ」
黒い吐瀉物───否、無数の影色の蛇。
『シンジュウの、卵ヲ……ワガモノニ…』
全てを出し切った男は白目を向いてその場に倒れ込み、無数の蛇は闇夜に紛れて行進する。
そうして蛇が見つけたのは、神獣の気をまとった少年少女。メルフリューと彼女を迎えに来たシシルだった。
『ミィ……ツケタ』




