2章 25話「島の第一村人は兎の獣人です」
船体に打ちつく穏やかな波の音が聞こえ、潮風が髪を撫でていく。
甲板で遠くを見つめるヒノリの視線の先には、緑に覆われた島の姿形が徐々に明朗になって来た。白い浜辺に囲まれた大きな山といった印象だ。
(どんな召喚士がいるんだろう)
「ひのちゃん、なんだか楽しそうだね」
「お姉ちゃんほどじゃないよ」
姉に負けず劣らず舞い上がってしまった自分を他ならぬ姉に指摘されしまってハッと我に帰ったヒノリは、気恥ずかしそうに口を窄めた。
風で乱れた黒髪を手櫛で整えながら、ヒノリはリアの方へ目を向ける。
苦しそうなルーくんを腕でガッチリと抱えているリアは、いまだに青ざめた顔で身を縮めて甲板の中央の椅子に座り込んでいた。
「リアってば、まだ怖がってるんだ。こんなに綺麗なのにー」
「でも、リアなら本当に海へ落ちちゃうかも……」
「あははーまっさかー……、うん、有り得るかも」
妹の言葉に、冗談に留まらないなと真面目な顔でイノリは頷いた。
イノリにもヒノリにも、うっかり手すりから滑り落ちるリアの姿が簡単に思い浮かんでしまった。
さらには海の中にいるモンスターに髪やら服やらを引っ張られて、海に消えていく怖い想像までできてしまった。
「ぜ、ぜったいリアをこっちに近づかせちゃダメだよね、ひのちゃん」
「うん、お姉ちゃん。私も冗談じゃなくて本当にダメだと思う」
そんな中、姉妹の側で海中の波が激しく揺れた。
「「——— わぁぁぁぁーーーーーーーーーーーッッ!?」」
「イノリ、ヒノリ!? どうしたんだっ、なにかあったのか!?」
二人の様子に慌てて——、それも、へっぴり腰でめっちゃくちゃ臆病風を吹かせながら二人の元へ駆け付けたリアがヒノリの指さす方向に抜刀した剣を構えた。
「魔物………か………って……」
リアのまつ毛が何度か瞬く。
「——— ああ、なんだ。海ウサギか」
剣をしまったリアは、安堵のため息を吐いて手すりに膝を置こうとしたがそこに手すりはなかった。ガコンっと思い切り二の腕を船体にぶつける。
「い”ったあああああっ」
「落ちなくてよかった……。じゃなくてリア平気っ!?」
「うわあああああ!? あ、よかった。落ちるんじゃないかと……じゃなかった、痛そう……。ていうかアレ何!? 白いウサギが海をはねてるよ!?」
「いたた。大丈夫、大丈夫だ。あれは召喚獣の海ウサギだから、海を跳ぶんだよ。あ、でも野ウサギは魔物しかいないから気を付けた方がいいぞ。あたしも本でしか読んだことしかなくて、実物の海ウサギを見るのは初めてなんだけどな」
「ふむ。いるか、的な感じなのかな」
「イルカ、野原にいないけどね」
「……イルカ、ってなんだ?」
「えーっと、あのくらいの大きさで細くて海の中を泳いで跳んで、イメージカラーは青の動物かな」
あまり日常で見ることがなかったためか、イノリの説明もだいぶ雑だった。ほとんど伝わらず、リアもイメージが難しく、目を閉じて眉間にしわを寄せた。
「えっと、えっと、あれくらい、可愛い動物で賢そう」
イノリも空に指で描いて見せるが説明力は皆無で結局お蔵入りになってしまったので、ヒノリは後で紙に描いて見せてあげようと思ったのであった、まる。
「おーい、嬢ちゃんたち、こっち来てくれー」
「なんだろう?」
船員に呼ばれた三人。
どうやら貴重な文化財が残る島であり、民俗文化が色濃い島であるルペーニ島の到着が近く、入島する前には島の住人が、海ウサギでお出迎えをするついでに、乗客の人数を確認したり、島を荒らさないように事前注意を行うとのことだ。デッキの中央には数名の乗客が集まってきていた。
「よっと……、みなさん来てくれてありがとう!! 島に入る前に、ボクから注意事項を話させてください!」
海で泳いでいた海ウサギの背から、クルクルと回転して乗客の前に降り立ったのは一人の少年だった。ルビーのように赤い瞳、乳白色の髪、人懐っこい甘い顔つき、そしてなにより……、
「えへへ、じゃあ話すね!!」
長い頭から生えるウサギの耳、ショートパンツから見えるのは小さなウサギの尻尾が特徴な少年だった。
「ねぇねぇ……リア、あの子……」
「ヒノリも初めて見るか? あの子は海ウサギを召喚獣にする兎族の少年みたいだ」
「あの子が、兎族……」
少年の背後には10匹ほどの海ウサギがぴょんぴょん跳ねている。もしかしてあの数を全部あんな小さい子がテイムしているのだろうかと、ヒノリは素直に関心してしまう。
(後で聞いたら、コツとか教えてもらえるかな……)
「……これから注意事項を読むからよく聞いてねー」
【〜ルペーニ島に入る前の注意事項〜】
その1.島の動植物、遺跡の遺物などを許可なく持ち出すことを禁ずる。
その2.召喚獣はルペーニ島でも大切な存在なので、無闇に傷付けるのを禁ずる。島の召喚獣たちはテイムされているため危害を加えてきません。
その3.ゴミや外からの物を捨てたり放置することを禁ずる。
その4.立ち入り区域を守ること。
その5.島の中で暴れないこと。
【以上】
「はい! それじゃあ、注意事項も読み終わったし、ボクと海ウサギたちとの歓迎会をご覧ください。あ!! はじめまして、ボクは兎族のシシルです。がんばります!」
シシルと名乗った兎族の少年は、元気よく挨拶をすると指を鳴らした。海ウサギたちが海の中から勢いよく跳ね上がる。
「……わぁっ!!」
ヒノリの瞳が輝いた。
その視界には空中に浮かんだ七色の虹が映っていた。
煌めく虹の上を、海ウサギたちが巨体を回転しながら飛び越えていく。
「おおー!」
海からは海ウサギたちが跳ねる音が、船内からは観光客らの拍手の音が上がった。
「わー! すごいっ、すごいっ、みんな息ぴったり!」
横で姉がショーに見惚れながら手を叩いているが、ヒノリは召喚士として尊敬の眼差しを、シシルへと向けていた。
「すごい……! あんなに複数の召喚獣がいても、意思疎通が乱れないなんて!」
「うんうん、え? ひのちゃん、なんか感動ポイントが違うような……。まぁ、いっか!」
ヒノリも所持している召喚士の基本スキル:一心同体。これは、召喚獣との意思疎通や魔力供給、経験値共有を行える召喚士独自のスキルである。
召喚獣が増えるごとに、同時に意思を共有することは難しくなってしまう。一斉に人の声を聞いて、それぞれの主張を理解してあげることが困難なように、自分も含めた人間が一斉に言いたいことを述べた時に誰が何を発言したのか分からないように。
「……演奏、してるみたい……」
うっとりとした目線を、海ウサギたちへと向けたヒノリがぽつりと呟く。
乳白色の柔らかな髪を海風に遊ばさせているシシルを指揮者とした、海ウサギ達が演奏者の一つの曲をみんなで作り上げていく楽団のようでもあった。
歓迎の披露の時間はあっという間に過ぎてしまい、
「——ありがとうございました。えへへ、楽しんでもらえたかな? そうだったらいいなぁ!」
惜しみない拍手を受けたシシルは、頬かいてはにかみ、とても嬉しそうだ。
「見てるだけでも仲良しなのが伝わってきて、すっごく楽しかったね!」
「うん……」
「ああ、よほど練習を積んだんだろうな。あたしも海の上にいることを忘れて魅入ったよ」
「うん……、そうだね」
「ひのちゃん?」
「……うん、とっても、すごかったね」
「ひのちゃん? おーい!」
「うん、そうだね……是非、召喚士としての技術を教えてもらいたい……」
姉とリアの言葉に空返事を繰り返すヒノリ。
ヒノリの中の最大の問題はいつ声を掛けるべきかであった。
もうじき島に着いてしまうこともあって、シシルへ召喚士としての技術を聞く余裕もなく、会話術もなかった(ほぼこっちが理由)。
ヒノリとしては、初対面の相手にどう切り出したらいいのか、さっぱりわからないし、そもそも今聞いても良いのか分からない。それに、船の上で驚かれて余計な注目を浴びたくはなかった。今もリアに抱かれているルー君をチラチラと見ながら、頭の中では同じ考えが行ったり来たり。
「ベストタイミングは、やっぱり……島に、着いたとき……かな……?」
ぐるぐるとヒノリの頭の中が回っている最中。肝心のターゲットである少年は、ヒノリたちの存在に実は気がついていた。ヒノリたちの……というより、ルーくんの存在にだが。
この船に来る前から、自分の召喚獣である海ウサギたちが、なにやらずっと騒がしくしていた。気になって理由を探ってみれば、神獣の気配を海ウサギ達は感じ取っていたらしい。
今すぐにでも、「うわぁ、うわぁ! すごいや、すごいやあ。神獣様だぁ!」と駆け寄って、神獣様のご尊顔を拝みたい気持ちのシシルは、ムズムズ、ウズウズ、してしまって落ち着きなく船の船首に座って島に着くのを今か今かと待ち侘びていた。
「あ……しまったや……。余計にメルフリューがピリピリしちゃうよ……。大丈夫かな」
島にいる一人の少女を連想し、シシルは苦笑混じりの表情を浮かべ、心配になってきてしまう。
「うーん、仕方ない! そういうこともあるよね」
「キュキュイ!」
海ウサギが契約者を鼓舞するように鳴いた。




