14話「お姉ちゃんは大変です③」
一人の少女が、岩肌の壁に囲まれた道を前だけを見て走っていた。
「……はぁ……っ、は……はぁっ」
耳にかけた三つ編みが、先ほどから何度も頬に衝突している。
普通ならうざったくなって耳にかけ直すが、追いかける対象を見失わないことに集中していたイノリは、頬に髪が当たっていることも意識していない。息が切れている事にも気が付かないほど、無我夢中だ。
(どうか、どうかアレを追いかけて……!! 逃してはいけない……!!)
もう一人の自分が、切に願い続けている。
「っ……はぁ……はっ……」
走って走って走って。
イノリの脳裏では警告音が鳴り響いていた。 今の気分はさながら、逃走するヴィランを追いかけるヒーローのようであった。
(アレを止めて……!! )
止めなくちゃ。
大丈夫、止めてみせるよ。
もう一人の私へ言い聞かせる。
「よっと!!」
「グォォォッ!」
闘牛魔物が振り下ろす大剣を、軽いステップで横に避ける。
「ほいっと!」
角を突き刺そうと突進してくる攻撃は跳び箱のように飛び越えて避けた。
「とぉりゃぁぁぁあ!」
棍棒を薙ぎ払う《オーク》の攻撃にはスライディングで魔物の足の間を通り抜けて避ける。
魔物の攻撃にかまけている場合ではない。一瞬でも目を離せば、得体の知れないナニカを見失ってしまう。イノリの目は、常に魔物の影から影へと逃げていくナニカを捉えていた。
魔物達が上層部階を目指して前進してしまった今、深層部階には魔物は少ない。そして前進してしまった魔物達は、エインが足止めをしてくれている。それ故、イノリに当たる手持ちの駒はないに等しい。
現在の状況に助けられながら、どんどん下へと降りていく。
そして————、
「ここって……」
少女は、重厚な扉の前で立ち止まった。
この扉の向こうにナニカが逃げていったところまでは見た。けれど、けれど、この黒くて厚い重たそう大きな扉の向こうからは特段危ない雰囲気が漂ってきている。
「ど、どうしよう。ここってボス部屋……!? いつの間に、そんなに降りてきちゃった!? っていか、こんなさくっと降りてこられていいんだっ」
扉の前で頭を抱えてしゃがみ込んだり、立ち上がって腕を組んだりと、狼狽してしまう。
「うー……でも、やるしかない!」
覚悟持って冷たい扉に手を置いたその時。
『……大丈夫……。自分を信じて……』
ふと、自分の手に半透明な誰かの手が重なり、誰かの声が耳元で聞こえた気がした。不思議と悪寒ではなく、むしろ身体が温まるような感覚が押し寄せてくる。
「……ありがとう。頑張るね……」
静かに微笑み、イノリはボスモンスターの待つ試練の間へと足を踏み入れた。
ボスモンスターの名は、《セイレンド》。
ドラゴンの翼、人魚の顔と体、尾、そして鳥のような二本の足を持つ合体魔物である。
試練の間は、《セイレンド》に有利な高さのある天井だ。天井部分の内壁には鉄製の極太な止まり木があり、鉄製で編まれた巣もある。まるで鳥籠に迷い込んだように思えてくる。
「よく分からないけど、なんだか行ける気がしてきたし、そろそろお縄についてもらうんだから!」
ボスモンスターの巨体を包む邪悪な赤黒い炎に、イノリは啖呵を切ってみせた。
「キシャァァァァァァァァァァァッッッッ——!!」
凶悪な顔で、敵意を剥き出しにする《セイレンド》が、高く高く飛翔していく。翼の羽ばたきで生まれた強風に襲われる、踏み止まらなくては転倒してしまいそうだ。
暴風に晒されて飛ばされないよう足を踏ん張る。それでも、よろけそうになってしまいながら、イノリは魔物を見上げた。
バサバサと羽音を立て上空に留まっている《セイレンド》は、こちらの出方を伺っているようだった。
イノリは、《ヴァーンオック》でこの手の魔物の対処方法は理解している。空中から攻撃を仕掛けるに違いない。
(まずは……、地面に落とさなくちゃ)
「【炎魔法・火球】———!!」
《ヴァーンオック》を地に落とした魔法を演唱すれば、ボスモンスターの頭上に真紅の魔法陣が幾つも展開されていく。
「……キィィィゥ……」
ボスモンスターの漆黒の瞳孔が、イノリの魔法陣を見上げた。甲高い唸り声は、驚愕でも怯えでもなく、凪。至って冷静で平坦なものだった。
(……なに?)
イノリが僅かに違和感を覚えた頃には、彼女の魔法は発動して《セイレンド》の巨体を穿——————、つことはない。
魔法が発動するのと同時にボスモンスターの口が開く。そして、鼓膜が破れるかと錯覚させられる超高音の悲鳴を発した。
「————————キィィィィッッッッン!!」
耳を塞いで、顔を顰めなくてはいられない。頭痛が起こっている気もする。
そんな中で。
「っっっっっっっっっつつっ!?」
放った魔法は高音の悲鳴とぶつかり爆散し、かき消される。自信のある魔法攻撃がこうも簡単に相殺された事態に驚愕したイノリは、耳を抑えたまま硬直してしまった。
その実、《セイレンド》の放った悲鳴には、魔法を相殺するだけではなく、術者を一時的に硬直させるデバフ効果も発生する。驚愕していないにしろ、イノリは動けなかったに違いない。
けれど、今の彼女は動きを止められたとは思っていない。
「———— !?」
イノリが遅れて相手に動きを封じられている事を知覚した時には、敵の演唱は完了してしまっていた。眼前には幾つもの青い青い魔法陣が並び、輝き、そして氷柱の雨を降らせる。
天から降り注ぐのは、氷の串、いや氷の槍。防御をしなければ、頭上から足元までぐっさりだ。皮膚を掠めただけでも、重症を負うかもしれない。
(うぇぇえっっっ!? ま、待って、やばい。やばいやばいやばいやばい、むりぃぃぃぃぃぃ! )
ゾッと血の気を失くしたイノリは、硬直が切れているかなんて考えず無我夢中で魔法を発動させた。
「我が身を守りたまえっっ 【魔法障壁】ォォォォォォォォ——————!!!」
イノリの足元に真紅の魔法陣が展開した。
一人の少女を守護するドーム状の障壁が、落下してくる氷の槍を弾く。試練の間の石床には折れた氷柱のカケラが転がり、細かな破片が視界の端できらりとチラつく。
視界の端で光る破片な存在に、冷えた唾液を飲み込むイノリは、心中ではホッと安堵していた。防御壁に回せるだけの魔力余力があってよかったと、今ばかりは心底思う。
(でも、このままじゃ……魔法攻撃は出来ない……。どうやって、倒したら……)
「———キイィィィィン!」
「あっ、ずるいっっっ」
悲鳴にも似たボスモンスターの奇声によって新たな魔法陣が空中に浮かび、再び氷槍の雨が防御壁を張るイノリを襲う。
放てば相殺、硬直のデバフ付き。後、氷柱の雨。防御すれば、集中攻撃。
防御壁を維持するためには魔力を消費し続け、魔法陣を発現させていなくてはいけない。魔力的な余裕がいくらあっても、攻撃の嵐に精神は疲弊していく。
イノリの横顔に一筋の汗が伝う。
(なんとかして、打破しないと……)
唇を固く結び、考える。
浮遊しているボスモンスターを倒す方法を。
「オフィーリアみたいな反射の魔法も、デバフから身を守る魔法も持ってない……、魔力量でアイツを上回らなくちゃ」
防御壁に氷槍がぶち当たり、亀裂が走る。
攻撃量と質に、防御壁の耐久が追いついていないようだ。
あまり悠長に考えていられないことを悟り、イノリは奥歯を強く擦った。
(どうしよう。どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしようどうしよう、どうしようどうしようっっっ)
眼球が忙しく泳ぐ。
気持ちが走る。
——— 無茶無理無謀は冒険者の三大「無」ですけど、そんなものの虜になってはダメですからね!! 魅了されたりなんてしたら、いけませんからね絶対にッッ
「———————————————————————— あ…… 」
何故か、冒険者ギルドの受付嬢ミアに叱られた時のことを思い出してしまった。
「……」
腕を組んだイノリは首を左右を傾げながら「うーーむ」と熟考するが、その間にも防御壁は崩れていく。
「……ごめんなさい、ミアさん」
静かにイノリが瞼を閉じれば、足元に広がっていた魔法陣と共に、少女を守っていた防御壁が粉々に弾け飛んだ。
氷槍がイノリの脳天に迫る中、飛翔していた《セイレンド》は自分の勝ちを確信したように笑った。
「ギュルルッ!?」
だが、微笑んだのはイノリも同じだ。
まさに氷柱が少女を傷つけようとしたその瞬間、イノリを中心に灼熱の炎が燃え盛った。
太陽のように爛々と輝く炎は、ボスモンスターの放った氷の魔法を全て溶かしていく。自身を護る、赤い赤い炎に照らされた少女の足元には、真紅の魔法陣が輝いていた。
「私、エインみたいなタイプだったのかも。無茶無理無謀なんて、乗り越えてみせなくちゃ……!!」




