終わりの始まり
眠っている間にメールが一通と、留守番電話が一本録音されていた。
メールを開くと、知り合いの古文書専門家からの長文がびっしり詰まっている。
アニメモの老婆にもらった古文書の内容は、世紀の大発見か偽書の類であろうということだった。
面倒なので拾い読みすると、魂の重力、魔神器、箱船の神子、宝石の竜とおとぎ話のような話題が濁流の如く押し寄せ、読むのを断念した。同時に留守番電話を聞く気力も失せた。
調査は継続するが、このヴォイニッチ手稿レベルの与汰話をどこで仕入れたんだいというからかい文句で締めくくられている。僕が聞きたいとショータは思った。
寝ぼけ眼でベッドから起き出すと、脇のソファーにエチカが座ったまま寝ている。眼帯だけではなく、折れた腕に添え木を当てた傷も痛々しいが、本人は暢気に口を開けて涎を垂らしている。
厚ぼったいクリーム色のカーテンをめくると、眼下に狭い庭園が見えた。庭園では耳の長い犬のような生き物がボールを投げ合って遊んでいる。
エチカの顔をベットにあったタオルで拭いてあげると、目を覚ました。驚愕を絵に描いたような顔で、ショータを指さす。
「か、看護士さん呼んでくる!」
エチカは足の怪我が軽くないにもかかわらず、急ぎ部屋を出た。ショータは十日ぶりに意識を回復したので、まだ事態を飲み込めていない。ぼーっとしているとエチカが看護士を連れて戻ってきた。
灰色の毛に覆われた熊のように大きなアニメモが、ショータの体温と採血をして病室を出ていった。顔は狼に似ているが、指が六本あり道具を自由に使えるらしい。
ショータはベットに腰掛け、くすんだ色の天井を見つめた。
(ああ……、僕は負けたんだ)
ディゼルパイアの街でリヒターと交戦し、大敗を喫したのをまざまざと思い出した。過去、八重頭神社で倒したはずの盟友の登場に攪乱されたとはいえ、手ひどい敗北だった。
粉々に砕けた童子切安綱の刀身を確認し、ため息をつく。
これからも負け続けるかもしれない。それでも心までは折れてはいない。
「鬼の回復力は大したものじゃの」
鮮やかな赤い裳を引きずるようにして、ニーベンルデン女王チェスカルーヤ=カンザスが現れた。後ろには一回り大きい侍従のアナが続く。
「エチカの唾液を毎日飲ませたかいがあった。のう、アナ」
「はい。あれこそ愛の力と申せましょう」
二匹のアニメモは好物の肉を前にしたような恐ろしい笑みを浮かべた。
不吉なことを聞いたショータはエチカに答えを求める。エチカはピースサインして舌を出していた。
力づくでエチカを四つん這いにし、尻をタオルで強かに打つ。
「おんっ! 久しぶりのお仕置きありがとうございます! ありがとうございます!」
歓喜に震えるエチカの背中にどかっと腰を下ろし、ショータはチェスカを見据えた。チェスカから不安や動揺の色は感じない。アナもまた落ち着いてザクロジュースを飲んでいる。瓶に入った赤い液体がみるみる減っていく。
「見舞いのザクロジュースじゃ。おい、アナ、いつまで飲んでおる」
「申し訳ありません、毒味を……、げっぷ」
平穏すぎる空間に、ショータは焦りを覚え始めた。自分たちの置かれた立場は、今の状況に似つかわしくなかったはずだ。
「教団との戦闘はどうなった……」
もしや全て夢ではないかという疑惑が、ショータの語尾を萎ませた。
チェスカは黙然としている。代わりにアナが瓶を置いて戦況を語り始めた。
「敵勢力はディゼルパイアを壊滅後、依然北上中です。始末屋の二名は討ち死にされ、将軍の生死は不明です」
ショータが突然立ち上がった衝撃で、エチカは床に額をぶつけた。チェスカは行く手を遮るように正面に立つ。
「どこへ行く」
「決まってるだろ。教団を止める」
チェスカに腕を掴まれると激痛が走った。完治とは程遠い。
「その体でできることなどあるまい。どのみち」
アナは女王の目を盗んでジュースを飲んでいる。その悠長さの意味をショータは知ることになる。
「冒険者の出番はもうない。この戦争は既に決した」
終わった? 何が終わったというのだろう。教団の戦力に屈し、軍門に下るのかとショータは詰問した。
「わらわが冒険者に尻尾を振るように見えるか。退路がないのは奴らの方よ」
チェスカは侵攻の以前から女王蜂を通じてグラナダの上層部と密かにコンタクトを取っていた。教皇に不満を持っていた複数の司教を口説き落とし、武装蜂起させることに成功した。いわゆるクーデターである。そのタイミングが偶然、ディゼルパイアでの戦闘とほぼ同時刻だった。
権力を独占していた教皇は捕らえられ、暫定政権が樹立。前教皇の権力を頼みにしていた教団は完全に後ろ盾を失った。
「これはもはや国対国の戦争ではない。ならず者を成敗するために世界中の勢力が結集しておるわ」
ユミルからは最新鋭の魔導兵器を購入し、要所に配備。冒険者連盟は総長カトーを拘束、グラナダと同盟国ハテナイはニーベルンデンとの国境を完全に封鎖して教団残党を逃がさない。
「奴らはわらわの策にまんまとはまった。二万の国民は痛い出費じゃが、教団は我が国の威信を示すのにこれ以上ない相手じゃ。ショータや始末屋は単なる時間稼ぎよ。そなたらは十分な働きをしてくれた。もう休んでいてよいぞ。ザクロジュースでも飲んでゆるりと」
上機嫌なチェスカの声を遮るようにけたたましいサイレンの音が響きわたる。間髪入れず、病室に伝令が駆け込んできた。顔色は読めないが、戦況の不利を伝えるものだったらしい。
ショータは歯噛みする女王に対し、冷静に言い放つ。
「だから言っただろ。教団をなめない方がいいと。あいつらはこの程度では止められない」




