りゅうおうのおしごと
先ほどののどかな空気が一変していた。空は曇り、池の蓮も黒くしおれている。
「振り返るなって言ったのに」
背中を丸めた竜王が池の側に佇んでいた。俺が立ち止まると、竜王の影が広まり、大口を開けた竜の形になった。
「もう誰も殺したくなかったのに……!」
山を吹き飛ばすような威圧感に、息をするのも忘れる。幸い、まだ殺されてはいない。五体は動く。
「嘘をつけ。お前はこれから世界を滅ぼすつもりだろう」
「だから? 私を見捨てた世界を滅ぼしてなにが悪いの」
こいつはもう何も信じてはいない。エチカも花菱も、女王蜂の言葉も届かない。
俺はこいつを信じてやれなかった。鬼を作ったと聞いても擁護しなかった。こいつが俺を頼らなかったから。信頼されなかったから。
俺が千本桜に入ったのは、竜王を非難するためだ。俺を信じてくれなかったこいつが許せなかった。
今なら言える。俺はこいつに憧れていたのだと。俺やリヒターと違い、竜王の正義は本物だった。
正義とは、正しいことを為す人間を指すのではない。己の信じた道を貫いた人間を指すのだ。
俺が全霊を傾ける相手としてこれ以上ふさわしい者がいるだろうか。
さあ、幕引きを始めよう。俺たちの旅はここで終わる。
「新婦を置いてきちゃうなんてひどい新郎もいたもんだ。お仕置きしなくちゃ」
池の水が鉄砲水のように飛んできて、俺の足下の地面を穿つ。
「そうか? お前の方こそ俺に会いたくてアテナをさらったんじゃないのか」
「そうかもね。会いに来てくれないから寂しかった、ぞっと」
嬉々として舞う竜王の足下から木が生え、俺に向かって伸びてくる。枝葉は俺の体に届く前に枯れて成長を止めた。
お互い動きを止め、笑いあった。俺の滅びの力は対竜王のために考えたものだ。しかも、その代償として死にかけている。
その代わり、決定打に欠けるのは向こうも同じだと錯覚していた。
「厄介だね、その神格。でもさあ、そんなに悠長にしてていいの。木をよく見てご覧よ」
木の幹には緑色の細かい粒子のようなものがついている。菌糸か。菌は俺の力の成長速度を上回っていた。地面にはあらかじめ水がまかれ、水蒸気となっている。戦術を見誤った。
瞬く間に膨らんだ巨大な茸の傘が俺の顔にめりこんだ。広がった胞子から次々と茸が誕生し、俺の体を突き上げていく。燃やしても枯らしても、キリがない。ほんのわずかな油断が致命傷を招いた。
「ま、私の前に立ってそれだけ保ったのは素直にすごいと思うけれど」
俺の上昇は高く伸びた茸の傘に引っかかって止まった。
茸には毒があり、呼吸器が働かなくなった。刀はどこかに手放してしまった。韋駄天欠理を使うには遠すぎる。同じS級でもここまで差があるのか。
「あー、あー、ひどい顔。せっかくきれいに治してあげたのに」
竜王は三メートル程下の茸の上で、高笑いしている。早く近づいてこい。息が持たない。
「あら? 死んだ? 神格持ちも大したことないね」
茸を足場に上に登ってくる。あと少し。
「でも近づくの怖いからここからこうげーき」
樹木で作られた竜が俺の体を貫き、鋭い顎で咀嚼する。肉体を失った激痛と引き替えに、俺は竜王の一部に取り込まれた。
(やると思った。用心深いお前ならな)
近づければなんでもいい。たとえ俺の体がなくなっても作戦は成功だ。
「どういうつもり? 私を内部から枯らそうっていうの」
(そんな悠長な真似、それこそできないさ。お前は俺と一緒に神格も取り込んだ。その意味がわかるか)
竜王がはっとする気配がして、俺はほくそ笑む。……、顔はもうないが。
「俺の四劫はもう限界だ。仏の力をこんなことに使った罰なんだろうな。壊功の次は空功。存在自体がなくなる」
俺もこれから先、どうなるか厳密には知らないが、誰の記憶からも消えてなくなる。どうせなら竜王を道連れにしてやろうというわけだ。
「そっか。それも悪くないかもね」
悔しがるどころか、気の抜けたような声を発したのは意外だった。
茸の足場が砂のように崩れていく。着地した地面がなんだかふわふわしている。竜王の体からも力が抜けているのだ。
「どっちにしたって私の体は別の何かに書き換えられる。そんな運命にあらがってみたけど、無駄みたい」
(簡単に諦めるなよ)
「何それ? 君は私を殺しにきたんでしょう」
戦う前はそうだった。だが、同化した今なら痛いほどわかる。こいつの理不尽に対する悲しみが。そしてこいつをハメた相手の正体も。
ーーーー新しい神になれば遮那王の神格を抑え込めるんだね! ま、ついでのついで位にやってあげようかな。
ーーーー君なら必ず成し遂げられますよ。トモダチ。
(俺を切り離せ。今ならまだ間に合う)
「意味わかんない。でもそう言うなら」
俺は竜王の手のひらから生まれた。ネズミのような小さなほ乳類のような姿にされた。考えもなんだか曖昧もことしてきた。
「神格は封じておくから心配ないよ。代わりに君を鬼にしといた。その名も羅刹。足が速くて人を食べる」
(なぜ)
「君が私を裏切った罰だよ。今度はちゃんと」
ああ、俺はなんて、間違いを……
「私を殺しに来てね」
その後、僕はアテナさんに拾われて育てられました。アテナさんは僕の仕打ちを責めることなく愛情を注いでくれて、感謝してもしきれません。夫婦というより親子だねと言ったら怒られました。二度と言いません。
この口調は自然にそうなったのですが、もしかしたらリリスの意志が働いたのかもしれません。弟が欲しかったそうですから。
リリスの体はあれから八つに分かれ、世界に散ったとされています。その一つはリョクメイ国を焼き、各地に被害をもたらしました。
僕は成長を待てず、アテナさんと旅をしながら魔物を食べて血肉に変えました。それでも戦えるサイズに戻るのに五年かかり、ようやくリリスの首を一本落とすことができました。
リリスのお兄さんと思われる人に会ったのですが、話すタイミングを計っているうちに連絡が取れなくなりました。でも僕は彼が生きていると密かに信じています。
リリスを悪者にし、その力を利用しようとした者を僕は許しません。
そして、もう一度リリスと会って謝りたいと思います。虫の良い話かもしれないけど、それが僕の願いです。




