アイノカタチ
火の始末をした俺は瑞角を背負い、社殿の入り口に戻ろうとしていた。
「何、やってんです……、花嫁さんのところ行かないと」
苦しそうに瑞角が咳をした。立ち止まって落ち着くのを待つ。
「勝って、ヒーローになるんでしょう。たまには格好いい所、見せてください」
「俺はヒーローじゃない。黙ってろ」
瑞角が怪我人とは思えない力を発揮し、俺の首にしがみついてきた。激痛によろめく。
「あんただけは最後までヒーローでいてくれよ。僕と瑞鳳はあんたのこと嫌いだったけどさ、内心ちょっと誇らしかったんだ。一緒に肩で風切って歩くの、楽しかった……、僕ら無敵の千本桜だ、ってね」
俺がうつ伏せで倒れた時、背中がふっと軽くなるのを感じた。瑞角も逝ったか。この世界で冒険者が死ぬと、遺体は残らない。死因は関係なく、まるで初めからいなかったかのように痕跡が消える。
俺は這うように移動して、太刀を拾った。細かい傷が入っているがまだ使えそうだ。鞘に納め、社殿の奥へ足を向ける。片目が見えないので、方向が掴みづらい。火傷もひどく皮膚の感覚がなかった。
「俺はヒーローじゃないが、約束は守らないとな」
視覚、触覚、嗅覚もほぼ駄目だが、聴覚はまだ死んでいない。風の流れを読む。
息を止め人の気配を辿ったが、社殿にその形跡はなかった。竜王たちはどこに消えたのだろう。リヒターとアテナは船に乗ったが、海上でアテナだけ別の船に乗り換えたとしたら厄介だ。
「お困りですか」
何者かの影が俺の頭の上に懸かった。女の囁き声……、誰だったか。聞いたことはあるがすぐに思い出せない。
「聞こえてますかね、もしもし」
「聞こえてる。何か用か」
「それは良かったです。いつぞやのお礼に来ました。リリスさんは地下ですよ。神官さんもそこにいます」
伝言ゲームをするようなそっけない女の足音が離れていく。
「意外と律儀な奴だな。お前もいるとは思わなかったぞ、ユイ」
姿形は上手く掴めないが、思い出してきた。蝶探しに付き合ったのが今や懐かしい。その功徳が今頃返ってくるとは。竜王とは接点がないと思っていたが、エチカという共通の知人を介して接点を持つことはありうる。
「仕事ですから。これが私の役割だそうで。貴方も貴方の役割があるそうですから頑張って下さい」
エチカたちと違い、ビジネスライクな態度が実に清々しい。意味深な言葉を残し去っていった。
情報に従って耳を澄ますと、一カ所、獣の咆哮のように荒々しい風が吹き上がっている箇所があった。
奥へ奥へ、風の音を頼りに俺は進んだ。
壊れた建物の裏に岩戸があり、そこが地下へと繋がっていた。内部は水がそこかしこに溜まっており、湿度が高い。地獄へと繋がる洞窟の奥に、俺の背丈を越える金属性の扉があった。手で触ってみるとレリーフが彫られている。八つの頭を持つ凶暴な竜が侵入者を拒む。これを開けたら間違いなく死ぬな。
扉の向こうに光が広がっていて、立ちすくんだ。頭上には太陽のような光の暈が輝いているし、雲が風に流されていく。地下に降りたつもりが外に出たのだろうか。
薄桃色の蓮が浮いている池の水は恐ろしいほど澄んでおり、俺の腫れ上がった顔を映していた。美男が台無しだ。アテナは悲しむかもしれない。
人声がした方角に足を向ける。池の側に東屋があり、そこまで刀を杖にして歩いた。東屋に近づくと、不穏な会話の全容が明らかになる。
「でさ、夜の方はどうなの」
「一緒に寝てるよ」
「夫婦だし、そうでしょうよ。聞きたいのは夜の生活の内容なんだ」
「内容? おっぱい触ってくるよ」
アテナは無事のようだが、こいつら、何の話してるんだ。俺は踏み込むタイミングを逸してしまう。
「それ! どういう風に触ってくるの」
「うーん、赤ちゃんみたいになっちゃう。いいこいいこってしてあげると喜んでる」
「うわ、なんかやらしー。これか、この乳でたらしこんだのか」
「ひゃん、リリスちゃん変な触り方しないでよ」
俺は力つきて倒れた。もうこのまま死なせてくれ。アテナの奴が夫婦生活を洗いざらい暴露したせいだ。
目を覚ますと、蓮の池の畔でアテナに膝枕されていた。心地良い感触に極楽を感じたが、ここはあの世ではない。
巫女姿の竜王が背中を向けている。髪は伸びているが、見間違えるはずもない。仇敵の元についにたどり着いたのだ。
「うう……、殺してくれ」
俺は恥辱に耐えかね、顔を覆ってさめざめと泣いた。
「ショータ君! 起きたんだね。アテナのことわかる?」
アテナが顔をのぞき込んでくる。目鼻立ちの整った女神のような女、俺の伴侶。だが、今は悪魔のように感じる。
「お前ぇ……、ああいうことは他人に喋るな。恥ずかしいだろうが」
「大丈夫、本当に恥ずかしいことは喋ってないから。ショータ君が夜寂しくて一人で寝られないこととか、お風呂でアテナの体をすみずみまで洗ってくれることとか話してないから安心してね」
今、聞かれちゃってるじゃねえか!!! 駄目だこいつ。こんなに口が軽い女とは思わなかった。場合によっては離婚案件だぞ、これ。
「乳くりあうのはいいけれど」
池の方を向いていた竜王が振り返る。目が三日月の形に細められていた。
「ここは聖域だから。盛りたいならお家でね。おっぱい大好きのシ、ョ、ウ、タ、君」
俺死にTEEEEE! よりにもよって一番知られたくない奴に秘密を知られてしまった。最悪だ。
「もう体は治ってるから。お帰りはあちら」
竜王の言うとおり、俺の体の傷は残らず癒えている。何のために敵に塩を送ったのか。戦うつもりもないようだ。アテナを無事に返す理由もわからず不気味だ。
「何故俺の体を治した。何の得もないだろ」
「私が損得で動かない女だって知ってるでしょ。花嫁さんさらってごめんね。最後に君の顔が見れて嬉しかった」
何か勘違いのようなものが竜王とアテナの間にあったらしい。勘違いで死んだ瑞角たちが浮かばれない。だがアテナを巻き込む危険がある以上怒りを飲み込み、一端竜王から離れた。
「一つだけ約束して。後ろは振り返らないで。絶対だよ」
俺とアテナは竜王の警告を守り、庭園を後にした。背後の扉が重々しく閉まると同時に二人そろってため息をついた。
「さ、戻って結婚式だね。みんな待ちくたびれてるかな」
「アテナ」
何食わぬ顔で日常に戻るつもりのアテナとは違い、俺は扉の前から動かなかった。
「俺は結婚式に行けない」
「……、何で? 意味がわからない」
アテナの顔がみるみる曇る。当然だろう。ここまでの犠牲を払った甲斐がない。
「今の竜王は危険だ。放っておいたら、リョクメイ国だけでなく他の地域にも被害が及ぶ」
「それは大丈夫だよ。お父様が……、あっ!」
「お前、やはり何か俺に話してないことがあるな」
「……、リリスちゃんは特別な器になる。それ以上のことはわからない。でもそれは悪いことじゃないんだよ。ショータ君にもきっとわかってもらえると思う」
わからないことをわかれという理不尽さを前にしても、俺はこの女を愛していた。守れるものならどんなことをしても守ってやりたい。その気持ちに偽りはない。それでも全てを守るのは無理なんだ。
「思えば俺たちは何もわからないまま夫婦になろうとしてたな。何年も暮らしていたのにお前の父親に会ったことすらない」
「それはこれから知っていけばいいじゃない。お願い、ショータ君、行かないで!」
すがりつくアテナの手を振り払い、俺は扉を開けた。背後から悲鳴のようなものが聞こえたが、聞こえない振りをして庭園の土を再度踏む。
悲しいのは今だけだから。この戦いが終わったら、全て忘れるよ。それまで我慢してくれ、最愛の人。
取り残されたアテナは半狂乱の状態で絶叫した。目に見えぬ力が洞窟の壁を削り、怒りが大地を鳴動させた。目からあふれる涙を拭う孤独な花嫁の胸中には、リリスとの会話が蘇っていた。
(ねえ、愛してるってどういうこと?)
(それは自分以外の誰かのために体が勝手に動いちゃうことじゃないかな。貴女も本当はわかっているはずだよ)




