15:むかしむかしのお話(後編)
父さんは、俺の腕の治療をしながら問いかける。
「どうしたんだ…。こんな傷」
「……知ってるくせに聞くもんね。
まぁ、良いけど。あいつだよ。あいつに切られたんだよ」
「あいつってーーー。あぁ。亜美か」
腕に包帯をグルグル巻きにされて、俺の治療は終わった。
相変わらず汚い部屋に、いろいろな物が散乱している。
「でも、帰った方が良いんじゃないか?」
「………帰ったらそれこそ殺されるよ。今日ぐらいは、良いでしょ」
「良いけどな」
父さんは、おれの頭を大きい手でよしよしと撫でる。
俺は離婚する時、父さんに引き取られたかった。
でも、あいつはそれを許さなかった。
だから、父さんは俺を引き取らずこんなところで一人で住んでいる。
そういえば、帰ってきて何も食べていない事に気づいた。
お腹がグゥゥと小さく声をあげた。
「……はははは。お腹空いたんだな。ちょっと待ってろよ」
優しい笑顔で台所に向かう。
あんな奴より絶対父さんが良い。
少しだけ待っていると、父さんがシチューの入った器を両手に一つづつ持ってきた。
「あ…手伝うよ」
「いや、いいよ。どうせ、他にも痛いところあるんだろ?」
痛いところをつかれて俺は目をそらした。
シチューを手渡され、スプーンを渡された。
テーブルは、あるのだがどうやら物に埋まっていて使えないようだ。
「ま、食えよ。今日寒いのにそんな薄着でいると風邪ひくぞ?」
ジャンバーも何もきず、長袖とジーパンの俺に父さんは笑って言う。
俺は自分の体が冷え切っていた事に気づいた。
「……いただきます…」
シチューをスプーンですくい、口の中に入れる。
特別に美味しいわけじゃないが、何年ぶりかに、人が作ったご飯を食べた気がする。
「どうだ?美味しいか?」
「……うん。美味しい…」
涙がポタリと一粒落ちた。
それを気にすることなく、俺は一心不乱にシチューを食べる。
食べ切った頃には、体の冷えも取れていて、心も落ち着いていた。
「……ごちそうさま」
「いいえ。皿洗ってるから、風呂入ってこいよ」
「ありがと」
風呂に入ったらきっと体にしみるだろう。
それでも、父さんの好意に甘えて入る事にした。
夜が明けた頃、俺は玄関に立ちドアを開けた。
父さんが居たらきっと、帰れなくなるから、父さんが寝ている時に出る事にした。
「父さん……行ってきます」
ジャンバーもきていない状態で朝外を歩くのは辛いので、走って帰る事にした。
走って走って、着いた先は忌々しい俺の家だ。
本当に腹が立つ事に鍵は空いていた。
きっと、帰ってくることを望んでいるんだろう。
しかし、それは純粋な望みではなく、俺を支配したいがためだろう。
ドアを開けると、朝方だから人の気配がしない。
そういえば、何処かの本で読んだな。
虐待をする親から育った子供は、将来自分の子供を虐待するって。
「…ハッ…ふざけんな」
俺だって、愛情ぐらい知っているし、父さんがいるんだ。
あいつなんて。
あいつなんて。
俺は無意識のうちに、台所から包丁を取り出しあいつの寝室の前に来ていた。
そうかい。
俺の本能も、あいつを殺した方が良いと思っているんだろうな。
いいさ。
その本能は、とても正しい。
寝室のドアを開ける時に俺は袖を引っ張って、指紋がつかないようにドアを開けた。
部屋に入ると、予想どうりにあいつはイビキをかいて寝ていた。
ゆっくりと近づいてあいつの真横に立つ。
本当はぐちゃぐちゃにしてやりたいが、それをすると俺とうたがわれる可能性がある。
俺はそいつのお腹に深く強く包丁を刺す。
「…っあぎゃあぁぁぁあ!!
っぐぅ…なに…っす!!」
「起きちゃった?」
手足を、バタバタさせるがさされたところがよほど痛いのか力が無い。
「俺はね、もっと痛かったんだよ?
でも、それも今日で終わりだ」
「やめっ!殺さっ!」
自分が追い詰められるとこんなアホくさい顔になるんだな。
こいつの声を聞くのにも飽きた俺は、首に包丁が垂直になるように刺した。
コヒュッコヒュッー…。
と空気が隙間からもれている。
「…ふはは……ははっ……あっはははははははははは!!!
ざまぁないな!!
あんなにいじめきった俺に殺されるんだもんな!
ははははは!!」
だいぶ笑ったところで、俺は体に血がついている事に気づいた。
こんな奴の血はついていて、正直気持ち悪い。
風呂場に行こうと玄関と繋がっている廊下に出ると、玄関の前に見慣れたあいつがいた。
「お、い。モラ…ノ?」
「あぁ。アヒャ。おはよう。
こんな朝早くから、なんのようだよ?」
アヒャは、白いTシャツにジャージを羽織ると言う適当な格好から、ランニングでもしていたのだろうか。
アヒャの顔は真っ青でいつものにやけ顔も引きつっている。
「おまっ…それ」
「……これ?」
俺は、血のついた包丁をアヒャの前に出した。
アヒャの肩がビクリと跳ね、その場にへたり込んだ。
こんな状況でも俺の頭は、どうかしてしまったのか冷静だった。
「警察を呼ぶかい?
でも、あいつのしたこともかなり最低な事だよ」
俺は包丁を床に投げて降参のポーズをつくった。
正直、警察に連絡されたほうが、心が休まる。
「はやく、電話しなよ」
アヒャは、立ち上がると少しだけ青ざめた顔で俺の顔を見た。
「風呂に入ってこい。
いいか?俺は、玄関の指紋を拭き取る。
風呂から上がったら水気を急いでとれ。
わかったか?」
「は?おま…何言って?」
「いいから、早くしろ!」
俺は、迫力に負けてせかせかと風呂に入った。
アヒャは、俺を庇ってくれるのだろうか。
でも、何でだ?
俺は人殺しなのに。
風呂から上がると、小窓と換気扇を開け、タオルで床を拭いた。
熱気が外に逃げたところで俺は小窓と換気扇を閉めて、アヒャのところに行った。
アヒャは、家の外にいた。
「おい、アヒャどーいうことだよ?」
「どういうことも何も、庇ってやるんだから感謝しろよ。
いいな?俺が警察を呼ぶから、モラノは親のそばにいろ。
で、泣け。
事情聞かれたら、目が覚めたら臭い匂いがして、いってみたら親が死んでてパニックになって、外に出たら俺がいた、みたいなこと言えよ?」
「……あれを親って言いたくな」
「言えよ?」
「……了解」
俺は泣けそうにも無かったから、頭を壁に思いっきりぶつけて、痛みで泣いた。
八時になったころ、警察が来た。
「何していたんだい?」
灰色の毛並みの男が俺に質問をする。
「……目が覚めたら、部屋の中に異臭がしたから、その根源を探しに行ったらあ…母が首に包丁を刺して……………」
「そうかい。
辛かったね」
優しい風に言っているのだろうが、声質がどこか冷たい。
「で?小野君に会ったのは?」
「……パニックになって、外に助けを呼ぼうとしたらアヒャが、居て」
「……そっかそっか。
ありがとね。お疲れ様。
お父さんは外で待ってるからね」
俺は失礼します、とだけ言うと外に飛び出した。
そのまま、父さんに抱きつく。
「……賢一」
「……」
父さんは、優しく俺の頭を撫でるとぎゅっと抱き返した。
目を開けると暗い部屋の中、隣にはスヤスヤと小さな寝息を立てて寝ているガキが居た。
起き上がると、変な体制で寝ていたからか、嫌な夢を見たからか、背中が痛んだ。
額に手を触れると熱は引いたようだ。
額につけていた左手を離した。
ワイシャツの袖をまくり、自分の右腕を見る。
ほとんどの傷は消えているが、深めに刺された傷は少しだけ後が残っていた。
「俺も、あいつの事言えねぇんだよな」
変色してしまった、リンゴの入った器を持つと、台所に行きリンゴをビニールに入れて捨てた。
そして、俺は持ち慣れた包丁を手にした。




