第6話 開戦
紫の王国は、紺の王国の東に位置している。キッドは軍を率い、その東方へ向けて行軍を開始した。
隊列の先頭を行くのは歩兵たち。その背後には、剛健な馬を駆る騎兵隊が続き、さらに後方に魔導士隊が控える。軍の中で騎乗しているのは、騎兵と魔導士、歩兵の隊長格、そしてキッド、ルイセ、王女ルルーだけだ。歩兵のほとんどは、徒歩で進んでいた。
行軍に要る食料や資材は、荷馬車に積まれ、馬に引かれて進む。車輪の軋む音が、軍全体に満ちた熱気に混じり、戦場へ向かう緊張を高めていった。
出発して間もなく、ルイセが魔導士隊の列を抜け、馬を操りながらキッドのほうへ近づいてきた。
ルルーと並んで進むキッドは、その動きに気づき、何か話があるのかと目を向ける。ところが、ルイセはある程度まで近づいたところで、それ以上は寄ってこない。
その微妙な間合いに、ルルーには聞かせたくない話があるのだと、キッドはすぐに察した。
「ルルー王女、ちょっと外しますね」
「あっ、はい!」
久しぶりの乗馬に少々てこずっていたルルーは、手綱を握り直しながら、ぎこちなくうなずいた。その姿に微笑みつつ、キッドはルイセのもとへと馬を寄せる。
「ルイセ、何か気になることでも?」
併走する彼女の横顔は、表情こそ変わらぬものの、どこか不満げに見えた。キッドにも、ようやく彼女の微細な感情の揺れが、多少は読み取れるようになってきている。
「王女を連れていくのは、キッド君の差し金ですか?」
平らな口調。だが、その奥には、わずかなトゲが含まれているように思えた。
「まさか。ルルー王女の意思だよ」
その答えに、ルイセの目が、珍しく見開かれた。
「……あの演説は、キッド君の筋書きだと思っていました。兵の士気を上げるために、王女を担ぎ出したのだと」
「兵の前に掲げたのは俺だが、戦場に立つと決めたのは、彼女自身だ。おかげで兵たちの緊張は解けて、士気もこの上なく高まっている。たいしたものだよ」
「……そうですか。私の中の王女の評価を、改めなければなりませんね」
ルイセがこれまでルルーをどう評価していたのか、キッドは少し気になったが、それを尋ねるのは野暮というものだろう。
「……ですが、私やキッド君に、王女を護衛しながら戦う余裕があるとは思えません。いいんですか?」
「ルルー王女が敵に襲われる状況になっている時点で、俺たちの負けだ。まぁ、そうなりそうな時は、その前にルイセへ、王女を連れて逃げるよう頼むさ」
「……そうならないよう、せいぜい私や魔導士たちを使ってください」
「そのつもりだ。……どうだ、ルイセから見て、魔導士たちはいけそうか?」
その問いに、ルイセは少し口角を上げた。
「これまで、誰が魔導士たちを鍛えていたと思っているんですか?」
自信に満ちた返答に、キッドは笑みをこぼした。
「それは心強いな。頼りにしてるよ」
ルイセは無言で片手を上げると、手綱を引き、魔導士隊のもとへ戻っていった。
その背中を見送ってから、キッドはルルーの隣へと戻る。さっきより馬の扱いに慣れた様子のルルーが、彼のほうへ振り向いた。
「ルイセさんは大丈夫でしたか? なにか心配事があるご様子でしたが」
その問いに、キッドは驚いた。
キッドでさえ、ようやくルイセの感情を読み取れるようになってきたばかりだ。それを、まだ付き合いの浅いルルーが、遠目から察していたとは思いもしなかった。
「あれでいて、ルイセもあなたのことを気にしているんですよ」
「むっ、それって私の乗馬が下手で危なっかしい、ということですか?」
ふくれっ面のルルーに、キッドは吹き出した。
キッドもルイセも、ルルーの戦場での安全を案じていたというのに、本人は乗馬の腕前のほうが気になるらしい。
危機感がないわけではないのだろう。この少女がそれほど愚かでないことは、キッドにもわかっている。ただ彼女は、純粋に信じているのだ。この戦に、必ず勝つと。
(俺たちが負けるなんて、これっぽっちも思っていないんだな……。ならば、ますます負けるわけにはいかない)
野営を重ね、日が高く昇った頃。国境付近の丘陵地帯で、紫の王国軍がついに姿を現した。灯りが伝えてきた報せのとおり、その数はおよそ900。揃いの紫の軍旗が風にはためき、甲冑が鈍く光っている。
キッドは馬上から前線を見渡し、兵たちの空気が変わるのを肌で感じた。強張る顔、手綱を握る指の力。張り詰めた緊張は、隠しようもない。
「……いよいよですね」
隣のルルーがつぶやく。その声は、かすかに震えていた。
無理もない。
実戦を知る兵ですら、敵を視認してからのこの時間が、最も神経をすり減らすのだ。戦とは縁のない王族の、しかも若い少女なら、なおさらだった。
それでもルルーは、表情を変えずに鞍上に座していた。騎乗の姿勢こそ硬いが、王族としての威厳は保っている。その姿に、キッドは内心で感嘆した。
「大丈夫です。ルルー王女は後方で、悠然と構えていてください。俺は俺の仕事をしてきますね」
「はい、ご武運を」
短い言葉に込められた、真摯な想い。王族の身でありながら、配下であるキッドのほうを案じているのが伝わってくる。
キッドは目を細めると、馬首を巡らせ、魔導士隊のいるほうへと向かった。
軍師として、ただ指示を出すだけでは足りない。魔導士として自分が強力な駒になるのなら、それも使うまでだ。
キッドがルイセのもとへ馬を進めると、彼女はすでに戦う者の面構えになっていた。目に鋭い光が宿り、口元は固く引き結ばれている。
「キッド君、私も魔導士たちも、いつでも行けます」
力強い言葉に、キッドはうなずいた。
「魔導士隊、行くぞ! 騎兵も、それに続け!」
号令とともに、キッドは馬腹を蹴る。馬が前脚を上げ、勢いよく駆け出した。
それに続き、ルイセ、魔導士隊、そして騎兵たちが一斉に動き出す。
戦いの幕が、ついに切って落とされた。
丘の上に本陣を構え、紫の王国軍を率いる将レオスは、自軍の勝利を疑っていなかった。
レオスの布いた陣は、中央に主力の魔導士150を固め、その周囲を700の重装歩兵で囲み、さらに外へ50の騎兵を配するというものだった。
重装歩兵で魔導士を鉄壁に守りつつ、近づく敵を魔導士の遠距離高火力で殲滅する。魔導士の数が勝敗を分けるとされる今の戦において、これは紫の王国の必勝の陣だった。
これを打ち破る術は、二つしかない。
一つは、より多くの魔導士を揃え、まさる火力で押しつぶすこと。
もう一つは、優れた騎兵を大量に投入し、相応の犠牲を覚悟のうえで重装歩兵の守りを突破し、魔導士を直接討つこと。
だが、とレオスは思う。紺の王国軍に、そのどちらもできはしない。
魔導士の数は150対50――圧倒的にこちらが有利。騎兵は50対100で劣るが、たかだか100の騎兵で700の重装歩兵を突破するなど不可能だ。歩兵を加えたところで、何も変わらない。機動力のない歩兵など、接近する前に魔導士の魔法で大打撃を受け、戦う力を失うだろう。
つまり、紺の王国軍に勝ち筋はない。
対峙して戦力差を悟れば、戦わずして降伏する目すらある。レオスは、そう見ていた。
「レオス将軍! 敵の魔導士が――馬に乗って、こちらへ向かってきます!」
部下の報告に、レオスは一瞬、聞き間違いかと思った。
「何……?」
眉をひそめ、聞き返す。だが、部下の言葉は変わらない。
理解が追いつかぬまま、自らの目で確かめようと、レオスは周囲を守る重装歩兵のあいだを進んだ。
そして戦場の向こうを見て、目を見張る。
――紺の王国の魔導士たちが、馬に乗り、互いに距離を取りながら駆けてくる。
ありえない。レオスは、我が目を疑った。
「……魔導士が、馬で先陣を切るだと?」
魔導士は本来、遠距離から強力な魔法を放つ、戦場の主役だ。最も大切に守るべき戦力を前線に立たせるなど、愚策にもほどがある。魔導士は隊を組み、集団で運用してこそ威力を発揮する。そのほうが、他兵の護衛も受けやすい。それが戦場の常識であり、定石だった。
敵の最前線で散らばらせて使うなど、これまでの戦では考えられない。
「……やつら、どういうつもりだ? ヤケにでもなったのか?」
状況を理解しきれずにいても、レオスの構えが変わることはない。
「まぁいい。魔法の射程内に飛び込んでくれば、我が魔導士たちがひねりつぶすまでだ」
敵の意図こそ読めないが、レオスはまだ動じていなかった。
駆けてくる魔導士は、せいぜい50。後ろに騎兵の姿も見えるが、あわせても150ほど。対してこちらは、魔導士だけで150を擁している。自慢の魔導士たちの火力の前では、脅威にすらならない。
――だが。
自軍の魔導士の射程に入る前に、先頭を駆ける魔導士の一人が、馬上で手を掲げた。その手の先が閃光を放ち――
轟音とともに、重装歩兵の中央で、凄まじい爆発が炸裂した。
「な、なんだ、今の威力は!? それにあの射程……」
レオスは息を呑む。
爆風が巻き起こり、鉄の鎧に身を包んだ兵が、まるで玩具のように吹き飛ばされていく。戦場に、悲鳴が響き渡った。
「くっ……落ち着け! この程度で我が重装歩兵は崩れん! もう少し引きつければ、魔導士たちの射程だ! 何倍もの魔法の雨を浴びせてやれ! 魔導士隊、魔法準備!」
内心の動揺を必死に押し殺し、レオスは叫ぶ。
すぐさま魔導士たちが臨戦態勢を取った。敵があとひと駆けも詰めれば、こちらの魔法が届く。そうなれば、勝負は決する。レオスは、そう信じていた。
だが――敵の魔導士は、その想定どおりには進んでこなかった。
先制の魔法を放った魔導士が、進路を斜めに変えたのだ。それ以上は詰めてこず、一定の距離を保ったまま、馬を駆り、紫の王国軍の周囲を旋回し始める。
「……何をする気だ!?」
レオスの疑念をよそに、その魔導士から、次の魔法が放たれた。
次の瞬間――轟音。
またも爆裂の魔法が弾け、今度は先ほどとは別の位置の重装歩兵が、直撃を受けた。
「な、なんだ、これは……」
レオスの背筋に、これまでにない寒気が走る。
敵は、一直線に突っ込んでこない。こちらの射程に入らぬ距離を保ったまま、駆け回り、魔法を次々と撃ち込んでくる。
これは――これまでの戦にはなかった戦法。そしてそれは、これまでの定石が、何一つ通じないことを意味していた。
戦場の大気を切り裂くように、キッドの一撃目の魔法が放たれた。
閃光のごとく飛んだそれは、敵陣に着弾するや、重装歩兵のあいだに爆発を広げる。その衝撃を見届けると、キッドは即座に馬首を右へ切り、次弾を込めるように魔力を練った。
そして、肩越しに後方を振り返り、後続の魔導士たちへ鋭く指示を飛ばす。
「各自、この距離を維持しつつ、敵の重装歩兵を削れ!」
その言葉を合図に、ルイセが魔力を声に乗せ、キッドと同じ爆裂球を放った。燃え盛る火球が敵陣へ吸い込まれ、敵陣の只中で爆ぜる。熱と爆風が広がり、重装歩兵の隊列が揺らいだ。
二人に続き、ほかの魔導士たちも馬上から魔法を繰り出す。炎の牙、氷の角、風の刃――それぞれが得意とする魔法を、敵陣へ降り注がせた。
もっとも、キッドやルイセのように、放った後で性質が変わる高度な魔法を操れる者は少ない。爆裂球のような複雑な術は、強力な反面、深い理解と鮮明に思い描く力を要する。ゆえに大半の魔導士は、単純な魔法で応戦していた。威力も範囲も劣るが、馬上でも扱いやすく、連射に向いている。
「いいぞ、そのまま動きを止めるな! 互いに距離を開けて、常に動きながら撃ち続けろ! 狙わなくても当たるぞ!」
キッドの檄に、紺の王国の魔導士たちは、隊列を固めることなく、密集した敵の周囲を駆け回りながら魔法を撃ち続けた。攻撃は、中央に布陣する敵魔導士には届かないものの、周囲を囲む重装歩兵には的確に当たっている。
紫の王国軍の魔導士も、苦し紛れに魔法を返してくる。だが、適正距離の外からでは威力は弱まり、狙いも大きく逸れた。馬を駆って動き続ける紺の魔導士たちに、当たるはずもない。
一方、紺の魔導士たちも、動きながらの攻撃で精度は落ちている。それでも、敵は魔導士を守るために密集陣形を取っていた。キッドの言うとおり、狙わずとも、誰かしらには当たる。そういう状況が生まれていた。
「ははっ! どこに撃っても当たるぞ!」
魔導士たちは、興奮を抑えきれず歓声を上げる。初めての戦場、初めての戦術でありながら、彼らに恐れも焦りもなかった。自らの魔法で敵を倒す経験が、確かな自信となり、彼らを戦う者へと育てていく。
戦場を支配し始めた紺の王国軍。一方的に撃たれ続けていた紫の王国軍も、反撃に転じた。
紺の魔導士を討つべく、騎兵を前線へと送り出してきたのだ。
しかし、それもキッドの想定の内だった。
「いい判断だが、甘いな」
馬上で、キッドは不敵に笑う。
彼はすでに味方の騎兵を前へ出し、魔導士たちの護衛につかせていた。敵騎兵が突っ込んでくれば、味方の騎兵が迎え撃つ。騎兵の数は紺が優位で、戦力比は100対50。こちらが倍だ。
加えて、万一敵騎兵が味方を突破しても、魔導士たちは互いに補い合い、狙いを重装歩兵から騎兵へ切り替えて対処できる。魔法を一斉に浴びれば、重装歩兵より装備の薄い騎兵など、ひとたまりもない。
実際、紫の王国軍の騎兵は、紺の魔導士の容赦ない魔法と、迎え撃つ騎兵とによって、次々と数を減らしていった。
騎兵を失えば、紫の王国軍に打って出る手は、もうない。ただ外からの一方的な魔法に晒され、戦える重装歩兵の数を、着実に削られていく。
これこそ、キッドが練りあげ、兵たちに叩き込んできた機動魔導士戦術だった。
そしてこの戦いは、その戦術が歴史上初めて用いられた戦として、後の世に語り継がれることになる。




