第4話 勝算
夜明けを待たずに、王の間へ重い足音が集まってくる。幹部たちを招集したのは、キッドだった。
紫の王国が戦支度に入っている――その報せは、隊商の文が届いたその日のうちに、ルルーを通じて幹部たちへ伝えてある。だから、緊急招集の一報が回った時点で、誰もが何が起きたのかを察していた。
居並ぶ顔には緊張こそ滲んでいたが、取り乱す者は一人もいない。皆、腹を括った目をしていた。
その顔ぶれを見渡し、キッドはルルーへ目で許しを求めてから、口を開く。
「紫の王国が、兵を出した。国境で通行人を襲う一団に、この紺の王国が関わっている――それが、向こうの掲げる大義名分らしい」
室内の空気が、わずかに強張る。
「もちろん、真っ赤な嘘だ。だが、戦に勝ちさえすれば、証拠なんて後からいくらでもでっち上げられる。今さら、そこを言い立てても始まらない」
理不尽な、開戦の理由。それでも、憤りを口にする者はいなかった。黒の帝国が覇を唱えて以来、この手の争いは、どこの国でも幾度となく繰り返されてきた。穏やかな時代は、とうに終わっている。誰もが、それを知っていた。
「……相手の兵数は?」
将校の一人が、硬い声で問う。
キッドの手元には、確かな報せがあった。国境には早くから斥候を放ち、その目で敵を検めさせてある。報せを運ぶのは、街道沿いの丘の上に据えた灯りだ。灯りの明滅を文字に置き換え、言葉そのものを光で送る――どこの国もまだ持たない、キッドが兵に一から教え込んだ仕組みだった。馬を駆るより速く、寸分違わず。城壁の上で読み取った第一報のあとも、光は夜通し丘を渡り続けた。旗印の数から兵の内訳まで、すべてこの手にあった。
「およそ900。騎兵が50、重装歩兵が700、そして――魔導士が、150」
「魔導士が、150!?」
誰かの声が跳ね上がり、幹部たちのあいだにざわめきが走った。
魔導士は、戦場において、遠くから一方的に打ち据えることのできる存在だ。その頭数が戦局を決めるとまで言われる。
それを150――黒の帝国や白の聖王国ならいざ知らず、小国に毛の生えた程度の紫の王国が揃えてきたとなれば、驚くなというほうが無理だった。
「対して、こちらが迎撃に出せるのは、歩兵450、騎兵100、魔導士50。合わせて600。頭数だけで、相手はこちらの1.5倍だ」
キッドは、そこで一拍置いた。
「魔導士一人は、およそ兵五人分の戦力と数えられる。それを勘定に入れれば――800対1500。二倍近い戦力差、というのが実際のところだ」
絶望に近い数字を前に、幹部たちは言葉を失った。悲壮の色が、じわりと顔に滲み出す。
その中で、うつむかず前を向いている者が、三人だけいた。キッド。ルイセ。そして――ルルーだった。
「キッド様。勝算は」
静寂を破ったのは、そのルルーだった。声に、揺らぎはない。迷いのない瞳が、キッドを射抜いていた。
誰もが聞きたくて、けれど恐ろしくて口にできなかった問い。それを、この少女が代わりに投げてくれた。
キッドは、あえて軽やかに答えた。
「勝つさ。――そのために、俺はここへ来た」
口先だけの強がりではない。相手の陣容を聞いた時から、キッドの中では、勝ち筋の輪郭が、もう描かれ始めていた。
彼の一言で、ルルーの背筋が、すっと伸びる。
「皆、今の言葉を聞きましたね。我らが軍師が、勝つと言ってくれました。ならば――あとは、私たちがその言葉を真にするだけです」
凛と響く声。大の男たちを前にして、まだ少女と呼ぶべき彼女のほうが、よほど大きく見えた。その面には、キッドと同じ、勝利を疑う色がまるでなかった。
「各自、ただちに出兵の支度を。急ぎなさい」
その姿に、男たちは己の怯えを恥じたように顔を上げる。瞳へ、戦う者の光が戻っていた。
「はっ!」
力強い返事を残し、幹部たちは意気軒昂と、それぞれの持ち場へ散っていった。
皆が去ると、キッドはルルーへ向き直った。
「助かりました、ルルー王女。あなたが嘘でも勝利を信じて疑わない姿を見せてくれたから、あの人たちも、その気になってくれた」
頼んでいたわけではない。だが、不安に呑まれかけた将校たちを前にすれば、彼女ならきっとああしてくれる――キッドは、そう信じていた。
「嘘でも、だなんて。心外ですね」
ルルーは、少しだけ唇を尖らせた。
「私は、本当にキッド様が勝たせてくださると信じているんです。演技だと思われるのは、不本意ですよ」
その瞳に、嘘の色はない。真剣そのものだった。
「……そりゃ、どうも」
キッドは、思わず頭をかいた。
「そこまで言われると、いよいよ勝つしかないな。……まぁ、もとより負けるつもりはありませんが」
照れ隠しのように笑うと、キッドも戦支度のために踵を返す。その背に、ルイセが続いた。
二人の背へ、ルルーが小さく声を投げる。
「……頼みましたよ」
その呟きを半ば背中で聞きながら、キッドは、気になるものを目の端に捉えた。見送るだけでよいはずのルルーが、なぜか妙に張り切った足取りで、自身の部屋のほうへ小走りに去っていくのだ。
(……何か準備でもする気か?)
わずかに首をかしげたが、詮索している暇はない。キッドは、廊下へ足を向けた。
その足が、いくらも行かぬうちに。背後から声がかかった。
「少し、いいですか」
ルイセだった。キッドは足を止め、振り返る。
「ああ、構わないが……手短にな」
そう応じかけて――彼女の表情を見た途端、キッドは内心で気を引き締めた。
その顔には、軽口の入り込む隙が、まるでない。揺るがぬ意志を宿した瞳が、まっすぐにこちらを見据えている。
「戦力の差は大きい。何かお考えがあるのでしょうが……苦戦は、免れないでしょう」
「おいおい。仮にも軍師補佐が、戦う前から弱気か?」
キッドは、わざとおどけて肩をすくめた。だが、ルイセは眉ひとつ動かさない。
「……この戦を、あっさり終わらせる手が、一つあります」
冗談を言っている顔では、なかった。キッドは口を閉じ、次の言葉を待つ。
「相手の王が急に死ねば、向こうの兵は、すぐに退く。――あなたが、紫の王の暗殺を私に命じれば。この国の兵を戦わせる必要は、なくなります」
その声には、迷いも、誇る響きもなかった。ただ淡々と、確かな事実だけを置いていく。
キッドには、疑いようもなかった。彼女なら、やってのける。確実に、痕跡ひとつ残さず、完璧に。
だが、それと同じくらい強く、もう一つ、わかっていることがあった。
――もしこの役目を命じれば、ルイセは二度と自分のもとへは戻ってこない。
理屈ではない。ただの直感だ。それでも、キッドには確信があった。
だから、キッドの答えは、初めから決まっている。
「ルイセ。俺は、そんな命令はしない」
きっぱりと言い切った。
「今だけじゃない。この先も、絶対にだ」
譲る気配の、微塵もない声だった。キッドは続ける。
「俺が仲間にしたのは、暗殺者シャドウウィンドじゃない。目の前にいる、ルイセだ。少し斜に構えてはいるが、誰より真面目な、一人の女の子。……そっちを、仲間にしたんだよ」
ルイセの顔に、今日初めて感情の色が差した。驚きと、照れと、名づけようのない何かが、混じり合ったような色が。
それは、これまで彼女が見せたどの表情よりも、人間くさくて――どこか、あどけなかった。
「……バカなんですか、あなたは」
かすれるほどの声で、彼女は小さくこぼした。
「ん? 何か言ったか」
「……いえ。何も」
「まぁいい。ルイセも、しっかり支度してくれよ。今度の戦は、お前の働きが何より要になる」
「……承知しています。望むだけの働きは、してみせますよ。――キッド君」
ルイセは踵を返し、しっかりとした足取りで歩き出す。
「おう。頼むぞ」
遠ざかる背に、キッドは軽く手を上げた。彼女の働きへの、信頼と期待を込めて。
――が、ふと、眉を寄せる。
「……待てよ。あいつ今、俺のこと、君付けで呼んだか?」
首をひねったが、答えの出るはずもない。ひとつ肩をすくめて、キッドは意識を戦支度へ戻した。
同じ頃。紺と紫を分かつ国境を越えて、紫の軍勢が、土煙を上げて街道を進んでいた。重い盾を連ねた隊列は、少しも乱れない。小国一つ、踏み潰すのに手間はかかるまい――誰もがそう高をくくった行軍だった。
その一歩一歩が、夜ごと丘から丘へと渡り、すでに紺の軍師の手元へ届いていることを、知る者は一人もいなかった。




