第28話 糸の先
巨人の水晶の目は、キッドの上に長くは留まらなかった。
軋みを上げて、首がめぐる。その目が向いた先では、旧紫の兵たちが、崩れた盾を拾い集めていた。路地へ散りきれずに、まだ身を寄せ合っている一団だ。
巨人が、そちらへ足を向けた。
馬で駆ける騎兵には、目もくれない。狙うのは、固まって動きの鈍い歩兵か、その陰で息を整えている魔導士だ。
(慣れた動きではない。だが、いやな戦い方をする)
これでは陣も組めず、戦術もなにもない。もっとも、巨人と帝国兵も、必ずしも連携の取れた動きをしているわけではない。それでも、巨人が崩したところを、黒の兵があやまたず突いてくる。指揮官が優秀なのだろう。
レオスの怒声が飛び、一団がばらばらに散った。振り下ろされた拳が、誰もいなくなった石畳を割る。飛び散った石の欠片が、広場に面した家の窓を打ち破った。
キッドは、奥歯を噛んだ。
このまま好きにさせれば、壊れるのは兵だけではすまない。
考えろ。
あれには、心がない。心がなければ、霊子も生まれない。だとすれば、どうやって動いているのか。
(――外から送られてるんだ)
さっき身の内をかすめた、あの手触り。いつも手繰っている糸の感触に、よく似ていた。
ダークアイは、自分で組み上げた魔法だ。生んだ日から、毎日のように球を飛ばし、その糸を手繰ってきた。糸の張り、震え、細り方。誰に教わったものでもない。自分の霊子の流れだけは、誰よりもよく知っている。
その感覚に、他人の霊子が引っかかった。
「ルイセ」
隣で双剣を構えていた女が、目だけをこちらへ向けた。
「少しのあいだ、目を閉じる。そのあいだ、俺を守ってくれ」
「この状況で、ですか」
「この状況だから、だ」
ルイセは、それ以上は聞かなかった。キッドの前に、半歩だけ出る。巨人はともかく、敵兵なら一歩も通さない。静かな背中がそう言っていた。
キッドは、目を閉じた。
喚声も、石の割れる音も、遠ざけていく。竜王を呼ぶときと同じだった。意識を、自分の内側の、さらに底へ沈めていく。
何もない。
暗い水の中に浮かんでいるようだった。焦るな、と自分に言い聞かせる。
地面が揺れた。巨人が、また腕を振るったのだろう。
その瞬間、来た。
ある方角から、脈を打つように、霊子が押し寄せてきた。巨人へ向かって、一筋に。ほんの一瞬で、すぐに引いていく。
次の一歩で、また来た。腕を振るえば、ひときわ強く。動くたびに、波のように寄せては返す。
覚えがあった。
(……同じだ。竜王の霊子が、俺に流れ込んできたときと)
あの遠い山から、細く長い流れが身の内へ注ぎ込んできた、あの感覚。遠くにいる何かと、見えない糸でつながる感覚。
寄せては返す波の、その来る方角を、キッドは追った。
広場の向こう。高い城壁の、さらにその奥。
すぐそばで、硬いものの打ち合う音がした。
目を開けると、ルイセが、帝国兵を打ち倒したところだった。すでに二人が石畳に倒れている。これで三人目。
「終わりましたか」
「ああ。……ルイセ。今、何か感じたか」
「何を、ですか」
「霊子だ。城のほうから、あれへ流れてる」
ルイセは、城を見て、巨人を見た。小さく首を横に振る。
「何も」
気のせいではない。それだけは、はっきりしている。ルイセにも感じ取れないほど、細い流れなのだ。
「あれを動かしてる奴が、城の中にいる」
ルイセの目が、細くなった。
「その者を討てば、あれは止まる、と」
「たぶんな。……少なくとも、ほかに止める手は見当たらない」
キッドは、レオスのもとへ向かった。たどりつくと、コレットもそこにいた。
巨人は広場の反対側で、散った兵を追って首をめぐらせている。言葉を交わせる時は、長くない。
「城の中に、あれを操ってる奴がいる。俺とルイセで、そいつを止めに行く」
「城門は、閉ざされておるぞ」
「俺とルイセだけなら、城壁を越えられる。……ただ、ほかの兵まで連れていく余裕はない」
レオスの眉が、かすかに動いた。
構わずキッドは続ける。
「あれさえ止まれば、形勢は逆転する。それまでは、兵の損害をできるだけ少なくして、持ちこたえてくれ。……それと、あれをできるだけ民家のほうへは行かせないでほしい」
「難しい注文じゃな」
老将は、広場をひと渡り見回した。
「あれは、固まった獲物を好むらしい。ならば、わしの盾の兵が、固まって見せては散って逃げる。紺の軍旗も掲げさせよう。あれの目に、いちばんの獲物と映るようにな。それを広場と大通りの広いところだけで繰り返せば、民家の軒には近づけずに済もう。魔導士は、路地の奥へ下げておく」
キッドは、うなずいた。付け足すことは、何もなかった。
レオスが、ふと口の端を歪めた。
「しかし、よいのか。元は敵の将じゃったわしに、紺の兵の命を預けて」
「なにをいまさら」
キッドは、老将の目を見返した。
「……頼んだぞ」
レオスは、低く笑った。
「心得た」
「キッド様! 私も参ります!」
コレットが、身を乗り出していた。
キッドは、黙って城壁を指さした。人の背丈を幾つも重ねた、切り立った石の壁だった。コレットはそれを見上げ、口を開きかけて、閉じた。
「……登れません」
「だろうな」
唇を噛むコレットに、キッドは向き直った。
「コレット。残る兵たちを任せる。俺があのでかぶつを止めるまで、兵たちを守ってくれ」
コレットの瞳が、揺れた。それから、強くうなずいた。
「……はい! 一人も、死なせません!」
キッドとルイセが、皇城の裏手へ回り込むのに、さほど時はかからなかった。
表の喧騒が、ここまで聞こえてくる。石畳の割れる音。兵たちの怒声。ときおり、地の底から響くような足音。
キッドは、空へ手を向けた。
「――ダークアイ」
頭の芯が、すぐに悲鳴を上げた。それをこらえて、球を城壁の高さまで昇らせる。
二つ目の景色の中で、城壁の上の兵たちは、みな同じ方角を向いていた。前庭の向こう、広場で暴れる黒鉄の巨人を。身を乗り出し、指をさし、口を開けて見入っている者さえいた。あれを初めて目にしたのは、紺の兵だけではなかったのだろう。
裏手の壁の上には、見張りが一人きりだった。その一人も、こちらに背を向けて表を眺めている。
球を消した。
景色が一つに戻った途端、足もとが傾いだ。
「……っ」
壁に手をつこうとする前に、ルイセの腕が黙って伸びた。よく見ている。見られ過ぎて立場がない。
キッドは苦笑いを浮かべてこめかみを押さえた。
頭の内側を、鈍い鉄で叩かれているようだった。今日、何度目の球だったか。数えるのも億劫になる。
「見張りは一人。壁の上で、表を見てる。……今なら、行ける」
「わかりました。では」
ルイセが、くるりと向きを変えてしゃがみこんだ。
「乗ってください」
「……いや、俺も自分で登る」
「どう考えても、無理でしょう? せめて、足をふらつかせるのをやめてから言ってください」
言い返す言葉が、見つからなかった。
情けないことに膝がまだ笑っている。
ルイセが、短く、低い一言を口にした。手にした二振りの刃に、張りつめた気配が宿る。
キッドは、ルイセの背に身を預けた。
思っていたより、ずっと華奢だった。それなのに、少しも揺るがない。
「しっかり、つかまっていてください」
ルイセは、白い剣を壁に突き立てた。
魔法の強化を受けた刃が、石と石の継ぎ目に、吸い込まれるように食い込む。その柄を握り、身体を引き上げる。次に、黒い剣を、少し上の継ぎ目へ。また引き上げる。白を抜き、さらに上へ。
二振りの剣が、交互に壁を噛んでいく。そのたびに、背負われたキッドの身体が、ぐいと持ち上がった。
地面が遠ざかっていく。下は見ないことにした。
「キッド君」
壁の半ばを過ぎたあたりで、ルイセが口を開いた。息は、少しも乱れていなかった。
「どうです? あの娘には、こんなことはできないでしょう」
何の話だ、と問いかけて、思い当たった。
ジェイドとの戦のあと、自分はコレットの馬の前に乗せられて運ばれた。そのときのルイセの、妙に冷たかった声。
(……まだ、根に持ってたのか)
「……乗り心地は、あの娘の馬のほうが、よかったでしょうけど」
「なに言ってる。お前の後ろほど安心できる場所なんて、ほかにないだろ」
ルイセは、何も言わなかった。
黒い剣が、また石を噛んだ。次に突き立てた白い剣は、それまでより深く、石に食い込んだように見えた。
目の前に、うなじで束ねた黒髪があった。光を吸うような、艶のない黒。その下の透けるように白い肌に、わずかに赤みが差していた。壁を登る力のせいだろうか。
(……何か、まずいことを言ったか?)
壁の上に手がかかると、ルイセは胸壁の陰にキッドを下ろした。
それから、その姿が消えた。
見張りの兵は、振り向く間もなく崩れ落ちた。その身体を、ルイセが片腕で受け止め、壁の陰へと静かに横たえる。
キッドは胸壁にもたれて、息を整えた。
眼下に、皇城の内側が広がっていた。前庭。兵糧の倉の大扉。いくつもの棟が重なり合い、その奥へ、回廊が幾重にも延びている。
どこへ向かえばいいのか、目では何もわからない。
キッドは、再び目を閉じた。
表の広場で、巨人がまた腕を振るったのだろう。足もとの石が、かすかに震えた。
同時に、霊子の波が、身の内をかすめていった。
さっきよりも、ずっと強い。ずっと近い。
目を開けて、キッドは城の奥を指さした。
「あの奥だ」
ルイセは、何も聞かずにうなずいた。双剣を握り直し、キッドの前に立つ。
糸の先は、城のいちばん奥へと延びていた。




