第12話 託す者
翌朝、キッドが執務室の扉を開けると、中に先客が二人いた。
一人は、窓際の壁に背を預けたルイセ。もう一人は、扉の脇に立つ、白と緑の軍服だった。剣の柄に手を添え、背筋をぴんと伸ばしている。
「おはようございます、キッド様! 本日より、道中の護衛を務めます!」
「……まだ出立してないだろう」
「務めます!」
コレットの声が、朝の執務室に響いた。
ルイセは、何も言わなかった。窓の外を見ている。その横顔から、何を考えているのかは読めなかった。
ほどなく、ルルーも書類を抱えて姿を見せた。出立の日取り、供の数、緑の公国へ先触れに出す使いの人選。詰めねばならないことは、いくらでもある。
ひととおり段取りがまとまったところで、ルイセが壁から背を離した。
「では、私も同行します。護衛が必要でしょう」
平らな声だった。
「不要です! キッド様の護衛は、私です!」
「……王女の護衛の話をしているのですが」
その声が、わずかに冷えていた。
ルイセとコレットの視線が、キッドの机を挟んで交わった。火花が見えた気がした。
キッドは、口を開きかけて、止まった。
ルイセを置いていく理由はない。帝国と境を接する国へ行くのだ。何が起きるか、わかったものではない。
ただ、一つだけ、見過ごせないことがあった。
(……ジャンは、こいつの顔を知っている)
あの夜、この女と刃を交えたのは、自分とジャンの二人だった。紺の軍師補佐として公国の宮廷に立てば、ジャンの目に留まらないはずがない。そしてジャンの周りには、その名を聞けば黙っていない者たちがいる。
キッドは、言葉を選んだ。
「ルイセ。来てもらうのはいいが、軍師補佐としてじゃなく、王女の侍女として付いてきてくれないか」
「……侍女、ですか」
ルイセの声が、また低くなった。平らなまま、明らかに不本意だとわかる低さだった。
「紺の軍師補佐が、武官として同盟の場に顔を出せば、緑の保守派は探りに来たと勘ぐる。王女のそばに控える侍女なら、誰も気に留めない」
表向きの理由としては、筋が通っているはずだった。コレットの前で、本当の理由は口にできない。
ルルーが、ちらりとキッドを見た。それから、何も言わずに小さくうなずいた。察したのだろう。この王女は、ルイセがかつて何と呼ばれていたかを知っている。
コレットのほうは、隠しきれない笑みを浮かべていた。
「なるほど、名案です! では、キッド様の護衛は、やはり私が――」
「……命令とあれば」
コレットの言葉にかぶせるように、ルイセが言った。声の温度が、さらに一段下がった。
キッドは、その冷たさには気づかなかったことにした。
「服は、城のほうで用意させる」
「大丈夫です。こちらで用意できます」
即答だった。
キッドは、少しだけ引っかかった。侍女の服など、この女がどこで用意するのか。
だが、城の侍女たちに任せれば、採寸だ仮縫いだと、寄ってたかって着せ替えにかかるのが目に浮かぶ。この女は、人に構われるのを好む質ではない。自分で用意できると言うのなら、そのほうがいいだろう。
「……わかった。じゃあ、四人で行こう。ただ、問題は俺たちがいないあいだの城だな」
「レオス将軍に、お願いしましょう」
迷いのない声だった。キッドが胸の内で考えていた名と同じだった。
馬屋の前で、レオスは馬の蹄を検めていた。
キッドとルルーが並んで現れると、老将は手を止め、ゆっくりと身を起こした。用向きを聞き終えるまで、口を挟まなかった。
「わしに、留守を預けると」
「騎士団の稽古と、城の守りの手伝いを。国の政は、陛下のお名のもとで、文官たちが見ます」
レオスは、蹄鉄を打つ槌の音が遠くで二度鳴るあいだ、黙っていた。それから、ルルーのほうへ向き直った。
「王女殿下。一つ、申し上げてよろしいか」
「どうぞ」
「わしは、ついこのあいだまで、この国に剣を向けていた男です。その男に、主のおらぬ城を預ける。……わしが軍師なら、止めますな」
老将の声は、低かった。脅しでも、謙遜でもない。ただ、言わねばならぬことを言っている声だった。
ルルーは、少しも迷わなかった。
「レオス将軍は、紫との戦で、崩れかけた陣をすぐに守りへ切り替えられたと聞きました。兵を無駄に死なせない戦い方を、選ばれた方です」
レオスの眉が、かすかに動いた。
「そういう方が、この国の兵を危うくするとは、私には思えません。……それに、今の言葉を口にできる方なら、なおさらです」
誰も、何も言わなかった。
やがて、レオスは深く頭を垂れた。
「……お預かりいたす」
ルルーが先に馬屋を離れたあと、レオスはキッドを呼び止めた。
「城門の鍵を、二つに分けたな。文官長と近衛長、二人の印がなければ、門も兵も動かせんようにした」
「……気づいてたか」
「それに、旧紫の街道筋にも、何やら糸を張ったろう」
キッドは、答えなかった。答える必要がなかった。
レオスは、喉の奥で笑った。
「それでいい。王女が信じ、軍師が備える。それで国は保つ。……わしが逆の立場でも、そうする」
老将は、再び馬の蹄へ目を落とした。
キッドは、その背に小さく頭を下げた。
その夜、執務室を出たところで、キッドは足を止めた。
廊下の窓辺に、ルイセが立っていた。待っていたのだろう。
「侍女の件でしたら、承知しています」
「本当の理由を、言っておこうと思ってな」
ルイセが、こちらを見た。
「ジャンは、お前の顔を知っている」
ルイセは、黙った。その目が、伏せられる。あの夜、刃の向こうに立っていた二人のうちの、もう一人。忘れているはずがない。
「……それでも、私を連れていくのですね」
「ああ」
キッドは、うなずいた。
「お前が要る」
理屈なら、いくらでも並べられた。帝国と境を接する国だ。緑の内には、ジャンを快く思わない者もいる。何が起きても、ルイセがいれば切り抜けられる。けれど、口から出たのは、その一言だけだった。
ルイセは、しばらくキッドの顔を見ていた。
「……わかりました」
その声が、いつもより少しだけ柔らかく聞こえたのは、気のせいだったかもしれない。
「ジャンには、着いたら俺から話す。あいつなら、わかってくれる」
出立の朝、城門の前には、旅支度を整えた一行が並んでいた。
ルルーの馬車と、護衛の騎兵が数騎。道案内のコレットは、白と緑の軍服で馬上にある。門の脇では、レオスが騎士たちを並ばせていた。
足りないのは、一人だけだった。
「ルイセさん、遅いですね」
ルルーが城門の奥を振り返った、そのときだった。
石畳を踏む、軽い足音がした。
キッドは振り向き、そして、固まった。
ふくらはぎまで届く、黒のワンピース。その上に白いエプロンを重ね、腰の後ろで紐を蝶の形に結んでいる。白い襟と袖口には糊がきき、結い上げた黒髪には小さなヘッドドレス。
見覚えがあった。忘れられるはずもない。あの昼下がりの食堂で、キッドの背筋を凍らせた装いだった。
「お待たせしました」
ルイセは、何事もないように一礼した。両手に、旅の荷を一つずつ提げている。
「その格好は……」
ルルーが、目を丸くした。キッドは隣でため息をつく。
そんな二人の様子を知ってか知らずか、ルイセは平らな声で答えた。
「ウェイトレスの仕事で使っていたものです」
心なしか、胸を張っているようにさえ見えた。
「王女のお世話をして、給仕をするのでしょう。ウェイトレスの服なら、これより良いものはありません。……侍女とは、こういうものでしょう?」
真顔だった。
キッドは、その顔をじっと見た。からかっているのではない。何かを企んでいる顔でもない。この女の顔なら、いくらか読めるようになってきた。
(……本気だ。こいつ、本気で言ってる)
暗殺と給仕を、平然と取り違えた女だ。侍女とウェイトレスの区別がつかなくても、何の不思議もない。
「……念のために、城の侍女の服を用意しておくべきでした」
ルルーが、困ったように言った。
ルイセの動きが、一拍、止まった。
「……この服に、何か問題があったのでしょうか」
小さなつぶやきだった。表情は変わらない。ただ、荷を提げた指に、かすかに力がこもったように見えた。
キッドは、額に手を当てた。
今から着替えさせるか。いや、緑の公国には到着の日取りを知らせてある。今から寸法の合う服を見繕っていたら、出発はいつになるのかわからない。見送りの騎士まで並んでいるというのに。
「……でも、よくお似合いです」
ルルーはもう吹っ切った顔をしていた。
「このまま参りましょう。見た目には、侍女とそう変わりませんし」
たしかに、黒と白の装いは、城の侍女と並べても、さほど違いはない――かもしれない。知らぬ者が見れば、侍女にしか見えないだろう、きっと。
「そ、そんな格好で、王女のお供を……」
コレットが、馬上で口をぱくぱくさせていた。何か言いたいのに、何を言いたいのか、自分でも整理がつかない顔だった。
門の脇では、レオスが腕を組んだまま立ち尽くしていた。長い沈黙のあと、老将は一つ咳払いをした。
「……軍師補佐殿は、ウェイトレスもなさるのか」
「元の本職です」
(嘘を言っていないのが恐ろしい……)
口には出さなかった。
ルイセは侍女らしく、ルルーに続いて馬車に乗り込んだ。キッドも、その後に続いた。
一行は、城門を出た。
道案内のコレットが、自分の馬で先頭を行く。ときおり振り返っては、馬車の窓を気にしているのが見えた。
キッドは、向かいの席に目をやった。
ルルーの隣で、背筋を伸ばして座っているウェイトレス姿が、朝日の中で、妙に馴染んで見える。頭を抱えたくなる格好だった。
だが、本当の問題は、服ではない。
(……ジャンは、あの顔を知っている)
道は、西へ延びていた。




