叔母と家の確執と
そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。
今俺は怒れる野獣に睨まれていた。
恐怖で足がすくみあがり、一切をかなぐり捨てて逃げ出したい気持ちになる。
でも踵を返した瞬間、いや、視線をそらした瞬間に命を奪われるかもしれないという恐怖に、ただ身体が凍り付いていた。
「ウィリアム」
野獣が唸る。俺の名前を。
「今日庭師が私に言ってきたのだ。お前が庭の端を水浸しにしていると」
「ご、ごめんなさい」
超こえーよ。やべーよ父ちゃん。頼みます命だけはご勘弁を…
俺はあれから飽きるまでひたすら水魔法を連発してみた。
呪文は長くて面倒だし水の量も少ないから魔法としてはいまいちだけど、それでも魔法は魔法。
魔力消費も微々たるもんでいくらでも使えたもんだから本当に昼過ぎから晩飯前くらいまで、四、五時間は水遊びに興じてたんだ。
どうせ庭の端っこだし大丈夫だと思ってたんだけど…一回5リットル程度でも、数をこなしちゃったから思った以上に水浸しになってたみたいだ。ははは。
というわけで、今俺は父ジョセフにお叱りを受けております。
「何か弁明はあるか?」
「い、いえ何も」
「声が小さいッ!!!」
「ごっ、ごめんなさい!もうしません!」
衝撃波でも放ったかのような声に、思わず悲鳴のような声が上がってしまった。
怖くて怖くて仕方ない、何なんだこの人ほんと。俺ってば精神的には三十超えてるはずなのにちょっと気を緩めたら泣き出しそうです。いや、ちびりそうです。体中の穴という穴からなんか出そうです勘弁してください。
「ジョセフ様、もうその辺りで。小さないたずらではありませんか」
声をかけてくれたのは母ちゃんだった。おお、神様、仏様、エフィーリア様。
救世主よ、メシアよ。俺が漏らす前にどうかこの人止めてください、猛烈に俺の尊厳がやばいですはい。
「エフィーリア、そういう問題ではない。スカーレット家の男子たるもの、子供とはいえいたずらなど言語道断。そんな暇があるなら、剣の一振りでもするべきなのだ」
「そうかもしれませんが、ウィルもこうして反省しておりますし、ここは許してあげてはいただけませんか?ねぇウィル、貴方ももういたずらなんてしないわね?」
しませんよ、ええもうしませんとも。怖くて二度とできませんがなそんなこと。
俺はブンブン音がでるほど首を縦ぶりしまくった。
けどそんな俺を見てジョセフはあきれるようにため息を一つつく。なんとなく、納得してないというのが見て取れた。エフィーリアもそれに気づいて困ったように俺に向き直る。
「ねえウィル、貴方どうして庭に水なんかまいたの?」
聞かれてドキリと胸が跳ねる。
誤魔化す…のは無理そうだよな。ジョセフに嘘ついたのがバレたら魔法云々より嘘の方に怒る。この人はそういうタイプだ。本当のことを言うしかない。
「えっと、その、魔法を使うのが楽しくてつい」
「魔法?貴方いつの間に魔法を覚えたの?」
「使ったのは今日が初めてです…その、呪文は使用人が使ってるのを聞いて覚えて、僕も唱えたら使えるかなって」
「まぁそうなの?きちんと呪文を覚えられるなんてすごいわウィル」
いやぁ、つっても中身は三十路ッスからね。さすがにあれくらいの呪文覚えるのはわけねぇっつーもんすよえへへ。
「ウィリアム」
ワントーン落ちた声が、褒められてちょっと上がったテンションを急降下させる。
「何の呪文を使った?」
「あ、その、ティアドロップです」
「使用人の使ったものを覚えたというならそうだろう。だがな、あんなもの水差しに水をためる程度の魔法だ。私も庭は見てきたが相当に水浸しだった、二、三度使った程度ではああはならん」
いやあ、そりゃそうでしょうよ。だって百回から先数えてねぇもん。でもちょっと考えたらいくら庭先だからってあんな水浸しにしたらすぐ怒られるってわかるよな。テンションあがりすぎて完全に失念してたわ。
「子供の、まして初めて魔法を使った者があんなことできるはずないだろう」
え、そうなの!?俺ってば天才?
あ、今はそんなこと言ってる場合じゃない。父ちゃんてば俺が嘘ついてると思ってる!やっべーよ俺嘘なんかついてないッスよ!
多分矛盾を指摘してどんないたずらをしたか吐かせようとしてるんだろうけど、マジで魔法なんですって。そりゃもうどっぱどっぱ出したから。調子に乗って出しちゃったんです信じてください。それ以上睨まないでなんか違うものが出ちゃうのおおお。
「あらごめんなさい、お話中だったかしら」
ガチャリとドアが開いて、そんな言葉をかけながら入ってきたのはすらりと背の高い美人の女性だった。赤毛を長く伸ばし、スリムなボディによく似合うキリリとした表情。惜しむらくは、上半身もかなりスリムなところだろうか。
女性は俺と目が合うと、その瞳をカッと見開いた。
「まぁウィル!どうしたのそんなに怯えて!」
叫んだ瞬間俺を抱きしめ、俺の頭を撫でてくれる。ああ惜しむらくはこの双丘の標高…
「私が来たからにはもう大丈夫よ、誰にいじめられたの?私に言ってごらんなさい。はっ、さては兄様!」
女性はキッと音が鳴りそうなほどの鋭い視線をジョセフに向けた。それを受けて、ジョセフからは今までの剣呑さが呆れに変わる。
「アマリエ様、本日はどのようなご用向きで?」
「妹が兄の家を訪ねるのに用向きなんかいらないでしょ」
「主家の奥方が臣下の家を訪ねるのには必要です」
ジョセフはため息をついて頭を抱えた。
「はぁ…アマリエ、いい加減モリエール家に嫁いだ自覚を持て」
この人はアマリエ・スカーレット・モリエール。ジョセフの妹、つまり俺の叔母だ。
厳ついごりマッチョのジョセフと血が繋がってるとはとても思えない美人な人だが、真っ向からジョセフに楯突ける性格を見れば納得できる部分もある。
「自覚はありますぅー、パーシィだっていい子に育ってますぅー、ただちょっと他の奥方が気に入らないだけですぅー」
「お前、そんな事モリエール家でこぼしてないだろうな」
「言ってないわよ。でも公然の秘密ってやつよ」
「まったく…」
ジョセフのため息をよそに、アマリエは今度はエフィーリアに向き直る。
「義姉さん、何があったの」
「ええそれが、ウィルが魔法で庭に水をまいてしまったらしくて」
「まぁ!三歳でもう魔法を!?すごいじゃないウィル」
「アマリエ、庭は一画とはいえ水浸しだった。そんなもの魔法でできるわけなかろう」
アマリエは少し眉をひそめると抱きしめた俺を少し離して顔を覗き込んできた。
「ウィル、あなたが魔法で庭を水浸しにしたの?」
「はい、ティアドロップをいっぱい使いました」
「まぁっ!天才だわ!」
再度ぎゅー。なんか茶番にしか思えないんすけど。
「アマリエ」
「何よ。この子は嘘なんてついてないわ。可愛くて天才で自慢の甥っ子なんですぅ」
「アマリエ」
「良いじゃないの、せっかく才能があるんだから!いい機会だから近いうちに家庭教師を付けて魔法を教えて――」
「ならんっ!!」
ジョセフの声がアマリエを遮り、一瞬にして部屋が静寂に包まれた。
終始自分勝手だったアマリエさえも黙らせてしまう一言に、呆然としてしまう。
「……魔法は今覚える必要はない。それよりもスカーレット家の男児として剣術を覚えろ」
「ま、まだこの子は身体もできてないわ、剣術なんて早すぎるわよ!」
「だとしてもだ。それよりも先に覚えなければならんことは山ほどある。特に貴族社会の事、礼儀作法。歳の近いパーシヴァル様に共して王都に出向くこともあるだろう。その際には間違ってもスカーレット家の、いや、モリエール家の名に泥を塗るような真似はさせられん、そのための教育こそ優先すべきだろう」
有無を言わさぬ正論だ。ましてアマリエにとっては、息子であるパーシヴァルの名を出されては否とは言えない。
「ウィリアム」
「は、はい、父様」
「もう二度とあのような真似はするな」
「はい、ごめんなさい、もうしません…」
有無を言わせぬ威圧に俺が首肯すると、ジョセフはそのまま踵を返した。
「ちょっと兄様!」
「話は終わりだ。アマリエ、お前も早くモリエール家に帰れ」
それだけ告げると、ジョセフはやや乱暴に扉を閉めながら部屋を去った。
バンッと鳴る大きな音が、それ以上の問答は不要であると告げるように。
「何なのよもう!」
アマリエは怒っていたが俺は正直安堵していた。
やっべーよマジ、もう少しでほんとにちびりそうだったもん。
「ジョセフ様の態度も仕方ないのかもしれません。ウィルを心配してのことだと思います」
「心配?あれで?」
あれで、と言われてエフィーリアは少し困ったような笑みを浮かべる。
「そこはあの方の性格だとは思いますが…アマリエ様、モリエール伯領で魔法を学ぶとなると、どうしてもボルドー家の関わりが出てきますから」
ああ、とアマリエはその綺麗な顔を苦虫を噛み潰したように歪めた。
「あの、母様、アマリエ様」
「なあにぃ、ウィルぅ」
叔母様デレッデレだよ。父ちゃんにはツンしかなかったのに…これもツンデレなのか?
「ボルドー家って、何なんですか?」
「ああ、うーん。ウィルにはちょっと早いかもしれないけど…」
と言いながら、エフィーリアとアマリエはボルドー家について話してくれた。
ボルドー家はスカーレット家同様モリエール辺境公家の陪審貴族だ。スカーレット家同様重臣も重臣。戦国時代で言うと織田信長に対して豊臣秀吉と柴田勝家みたいな感じだ。豊臣と柴田の仲違いは諸説あるが、スカーレット家とボルドー家の確執は相当の物らしい。
一応同じ主君に仕えているので表立って対立はしないが、まず弱みを見せられない相手なんだそうだ。
軍事と警備を一手に担うスカーレット家に対し、ボルドー家は多数の魔法使いを有しており、戦力的にはスカーレット家とほぼ五分と言っていいらしい。特に辺境公領内で魔法関連の機関にはまず間違いなくボルドー家の息がかかっており、魔法を学ぶという事はボルドー家に人質を差し出すような行為なんだとか。
また主家に対する事でも大いにもめており、現当主ヴィクベルトが第二夫人として娶ったのがボルドー家の人間だった。だが第二夫人は娘しか産んでおらず、第三夫人として嫁いだここにいるアマリエは三男ではあるもののパーシヴァルという男児を産んだ。
正直俺にはいまいちピンとこない話だが、貴族社会ではやはり男を産んでこそというのがあるようだ。
どっちが先に嫁いだとかどっちが男を産んだとか、戦士と魔法使いとか、ほんと貴族ってめんどくせえ。同じ主人に仕えてるんだからわざわざグループ内で争うなよな。
「ウィルにはまだ早かったかな」
渋い顔をしていると、アマリエは俺が内容を全然理解できていないものと解釈して苦笑いを浮かべた。まぁ確かに、あんまりわかってはないんだけど。
「フフ、父様はね、ボルドー家に貴方が取られないかと心配なのですよ」
母ちゃん笑い事じゃねぇっすよ。
「ま、私も第二夫人のフィガロ様とはあんまり仲良くないし、兄様の気持ちもわからないでもないんだけどね」
「それでウィル、貴方はどうしたい?」
エフィーリアにそう尋ねられ、少し困る。今の話を聞く限り、結構ハードルが高そうだ。
「ねえウィル、今日魔法を使ってみてどうだった?」
「…楽しかった」
でも、なんとなくエフィーリアに嘘はつきたくなかった。
「もっと色んな魔法を覚えたいと思う?」
「はい。でも、父様の言うとおり、もっと先に覚えなきゃいけないことがあるのも本当だと思います」
「良いの?楽しかったんでしょう?」
エフィーリアの問いかけに肯く。
「はい」
「あーん!もうなんて健気なんでしょう!」
ぎゅーぎゅーぎゅー。アマリエさん、苦しいッス。
「わかったわ」
何がでしょうか?Q.E.Dッスか?
「私がウィルに魔法を教えられる人を探してくるわ!もちろんボルドー家に関わりのない人を」
え、えぇ…この人思い込み激しすぎますやん。話聞いてました?大丈夫ですか?
「時間はかかるかもしれないけど、アマリエさんに任せときなさい!」
胸をたたくアマリエに、俺はそこはかとない不安しか覚えなかった。




