苦戦
バシャ――
もう何度目かわからない、数えるのも辛くなってきた水の魔法が、水面に波紋を立てて新しい水を池に追加した。
「はぁ……」
もうため息しか出ない。
結局、クリムゾンからの課題が出てから早五日。
休みを挟みながら一日詠唱を続けて朝から昼過ぎまで。
この世界には時計がないので、おおよその時刻は教会か村長などの長が鐘を鳴らすことになっている。
時間は俺の感覚でだが、およそ朝6時ごろから2時間置きに18時まで7回。
二度目の鐘が鳴ってから五度目の鐘が鳴るまでこの訓練。帰ってから昼食をはさんで勉強。夕食後も勉強。
三歳にして結構ハードなスケジュールだ。
勉強については良いとして…目下の悩みは目の前の池。クリムゾンの用意した穴に溜まっている水だ。
排水はサイフォン式だったのか、半分を過ぎたあたりで水は一気に無くなっていく。
行き先は不明。おそらくは近くの河にでも流しているのだろう。
「巨人の水洗トイレ役でも仰せつかった気分だ」
量が量だけに色々心配になってくるが、その辺はクリムゾンが考えていると思いたい。
「水の精霊よ――」
バシャ――
大きな水音を立ててまた池に波紋が広がる――
と思ったら、いきなり水位が下がり始めた。
「あ、ちょ、ま!」
何度繰り返しても、これは焦る。ここまで溜めるのも結構時間がかかったのに、賽の河原の石積みのごとく、一瞬で無になってしまう事への焦り。
「水の精霊よ――」
引いていく水に向かって、俺は更に魔法を放つ。が、はっきり言って焼け石に水だ。
明らかに呪文を唱えて出てくる水量より、引いていく水量が多い。
次の呪文を撃つかためらっている間に、水はきれいになくなってしまった。
「ああああ……」
がっくりと膝から崩れ落ちてしまう。
不毛だ…不毛すぎる…
多分だけど、何かしら答えはあるんだと思う。なかったらマジあの婆ってなる…
「君はさぁ、どう思う?この問題、俺に解けるかなぁ?」
「――っ!」
ガサッと音がして、近くの草むらが揺れた。
数秒沈黙があってから、いたずらの見つかった子供のように、ばつが悪そうな態度をした子が姿を見せた。
「……いつから?」
「気付いたの?少し前からだよ」
嘘。ホントはこの子がここに来た時から気付いてた。
気配を消すってのが苦手っぽいんだよな。目立つわけでもないしこっそりしているんだけど、どんくさいというかバレバレなんだ。
あと多分、フードを目深にかぶりすぎて、視界が狭くて周りが見えてないのかな。
「アネモネ、だっけ?」
聞くとその子は、小さくうなづいた。
俺は立ち上がってアネモネの前に立つ。
…小さい。
身長は俺とそう変わりはないが、おびえているというか、委縮しているというか。存在が小さい。そしてなんというか、儚げだ。
そしてフードからちらりと見えるココアのような彼女の肌色、時折覗き込むように向ける薄桃色の瞳の色が、俺たちと同じ種族ではない可能性を感じさせた。
(クリムゾンもエルフがどうとか言ってたしトールマンではないのかもな)
厳密にいえば、この世界に人間というカテゴリーは無い。地球でいう所の西洋系、白人系の人間種族をトールマンと呼び、他にもいろんな種類の人種がいる…らしい。
らしいというのは俺自身まだトールマン以外を見たことがないから。クリムゾンは特異すぎて何とも言えないけど…
「アネモネはさ、どう思う?」
「どう…?」
コテン、と擬音が聞こえてきそうに小首をかしげるアネモネ。なんだくそ、かわいいなこれ。
「いや、師匠からなんか聞いてないか?ヒント的な何かさ。さすがに何日も同じことの繰り返しだと頭おかしくなりそうでさ…」
クリムゾンは城を立てるための地均しだと言った。でも、均す範囲も分からないまま地平線まで延々、しかも手作業でやらされているなんてさすがに気が滅入る。
答えは持っている、とも言われたけど、分からんものはわからんのだ。こういうのは切替が大事。
だけど、アネモネは顔をそらした。
「ご、ごめんなさい…」
「ん、と…師匠から口止めされてるってこと?」
「ち、違うの。私、魔法の事何も知らなくて…使うのも、出来なくて」
使えない?はて、クリムゾンの言う所ではどんな人間でも大なり小なり魔力はあって、呪文さえ唱えれば使えるものだってことだったけど…
「それって、どういう…」
俺の疑問を察したアネモネは、水をすくうように両手を重ねて前に出した。
「…水の精霊よ、我に祝福の恵みを、命の糧をもたらしたまえ、ティアドロップ」
打って変わって淀みなく出てきた言葉に反して、魔法は発動しなかった。
アネモネに魔力がないわけではない、と思う。
感覚的なもので説明しづらいけど、なんとなく『解る』。俺の中の魔力、アネモネの中の魔力。他人の魔力は解りづらいけど、今のアネモネから魔力が出ていく感じがなかった。
俺が前にやったみたいに、魔力が出ていかないように絞ったり多く出そうとしたとかそんな魔力の『ゆらぎ』みたいなものがあるわけでもなく。
アネモネだけが、何故かエラーが起きているような感覚。
「こういう、ことなの」
「つまり、使えないからわかんない、と」
こくん、と頷く。
「魔法についてなんか知ってるとかも…?」
今度はふるふると横に。
「使えないから、教える必要はないって」
「そうか…なんかヒントでもと思ったんだけど」
ふとした呟きに、アネモネが明らかにしょぼくれた。がっくり肩を落とし、表情は見えないのに今にも泣きだしそうだ。
「い、いや、いいんだぞ?師匠だって意地悪で言ってるわけじゃないだろうし!修行…そう、修行ってのは、地味で長くて苦しいもんなんだよ!楽しようとした俺が悪いんだから、アネモネは気にしなくっても大丈夫だ!な?」
慌ててフォローすると、アネモネは少し顔を上げた。相変わらずフードで見えないが…
不安は拭えないが、一応言葉は受け取ってもらえたと思っていいかな。
しかし、いい子なんだけどメンタル激弱だな…
クリムゾンとの関係性もいまいちぴんと来ないし。
「孫…いや、曾孫か…?」
呟きは聞こえなかったのかコテンと首をかしげる。くそ、やっぱりかわいいじゃないか。
俺はその場に座り込んでから、そのまま大の字に寝ころんだ。
するとアネモネが、不思議そうにのぞき込んでくる。
「休憩だよ休憩。考えても分かんないからさ、一回頭リセットしたら、なんかいいアイデア浮かぶかなって」
行き詰って焦りが出れば、視野が狭くなる。迷路だって一歩道を戻ればいいのに、焦りが前へ前へと歩を進めて結局袋小路から抜け出せなくなるのだ。
だがせっかく気持ちをリセットさせようとしているのに、「でも」「何故」「しかし」が頭をぐるぐるとかき混ぜる。
多分傍から見たら変な子供にしか見えなかっただろう。
うんうん唸りながら寝転がり、眉間にしわを寄せる奇怪な子供だ。
すると今度はアネモネがおずおず、という言葉を体現するかのような仕草で俺の隣に寝ころんだ。
なんというか、子犬が差し出された餌をおっかなびっくり食べにくるような、警戒と好奇心が相混ざったようなそんな仕草である。
この子なりに、近づこうとしてくれているのだろうか。
ほんの少し、ほんの少しだけ、気持ちが楽になった気がした。




