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イグニション前の速度より  作者: 紀
【序章】
9/82

デフォルト・バインド Dパート

「じゃあ、ちょっと旦那の所に帰るわね。明日の朝にはまた来るから」

「はい、ありがとうございました」


 ミーアは幼子達の食事の面倒を見てから、セイ達に告げた。


 ミーアの業務はここで終わりだ。本業になると次ぎは村の温泉に幼子達を連れていかなければならない。


――夜くらい、ミーアさんお家に帰してあげない?――


 ミフィからの提言だ。セイも賛同した。


 セイはミフィがどうやってミーアを折れさせたのかを二人きりのときに尋ねた。

――普通に伝えただけだよ。旦那さんと一緒にいる時間も大切にしてって。私もそのほうが嬉しいしって――

 ミフィの解答は単純であった。


 公国の成人は約30歳で息を引き取る。防衛線で生き残ったとしてもそこが限度だ。限られた時間を慈しむ気風は国全体で承認される。ミフィの言い分が嫌味にならないのは、やはりミフィも、そしてセイもまた約30歳で死ぬからだ。


 皆は夕食を食べ終えた。食堂を出て行く者もいれば皿洗いに向かう者もいる。

 ここからは分担作業。

 

 セイは食べ終わると皿洗いのために厨房へと向かった。ミフィも付いて来る。手伝い兼、照明係。ミフィは天井の術印を光らせた。次女のカリナと異なり黒色点灯だ。非常に作業性が悪い。だが見えない事もないし、セイは慣れたものだ。長く時間を共有した二人にとっては、暗黒色の光に包まれる事も日常だった。


 次女のカリナが空っぽになった皿をカウンター越しにセイとミフィにわたした。

「じゃあ、私はチビ達をお風呂に連れて行くから」

「ええ。お願いね」

 

 つづいて平らげた皿をもって来た次男のヒースには、先にセイが声をかける。

「ヒースも頼むな」

「ああ。そういう段取りだろ」


 カリナがヒースを見る。

「ついて来るの?」

「行くよ」

「じゃあ付いてきたいの?」

「いや、いつも一緒にいってるだろ。なんだよ改まって」

「でも、チビ達をお風呂に入れるのは私達だし……」


 私達……。次女カリナに続く三女や四女の事だ。幼子達はどうも女湯の方が好きらしい。ほとんど男湯には来ない。


 孤児院から温泉まで200メートル程度だろうか この村に犯罪者らしき者の姿などいないし、公国には盗賊などといった不当な輩はいない。いたとしても尋常ではない、光術の力の下で、あっという間に探し出される。強化された脚力は索敵範囲を拡大し、処理に持ち込まれる視覚情報は、チリの一つとは言はずとも、まぬけな足跡など容易に見つける。


 村は平和だ。隣町もその隣も平和で、どこまでいっても公国の中の住宅区域は調和は取れている。対ガルフとの激戦区域は防衛線で、外敵の侵入はこのラインで確実に処理されていた。


 夜の闇を前にして、幼子達が独りで駆け出す事もまずない。本能と想像力は忠実に、闇の奥へ立ちいる事を拒否している。


 つまりヒースにはボディ・ガードの意味も、庇護を与える意味も、世話を焼く意味もまるでない。あるのは自由意志だけだ。


「改めて、日頃からヒースはどうしたいのかなって」

「だから、新しい保護役がくるまではこのフォーメーションだろ。そう決まったはずだ」

「契約。その履行。それが答え?」

「大げさだな。単なる決まり事だろ?」

「ふーん」

「なんだよ」

「……」

「いやだから何なんだよ!」

「食べると眠くなるから、一声叫んでもらおうかなって」


 終始愛想がない表情だったのは次女のカリナだ。次男のヒースが叫んだところで全く動じない。年齢差がものをいっているのだろうか。次女のカリナが13歳に対して、次男のヒースは12歳。その1歳の歳の差が大きな溝をつくっているようにも見える。


「じゃあ、兄さんと姉さんの邪魔をしちゃ悪いし。行こっか?」

「お、お、おう。そうだな」

 

 クォーサイドタウンの孤児院に籍を置く少年少女達を、最年長から歳の順にならべれば、15歳のセイを筆頭に、

 ミフィ 14歳

 カリナ 13歳

 ヒース 12歳

 ……

と続いている。セイは皆に兄とよばれ、ミフィは姉と呼ばれている。


 踵を返したカリナに、ヒースはすごすごと続いて行った。厨房を出て食堂を後にする。


 二人の様子を見守っていたのがセイとミフィだ。

 ミフィがセイより速く尋ねる。


「ねえ。あの二人はくっつかないの?」

「いやどうなんだろ……」

「ヒースはカリナの事が好きなんだよね?」

「ああ、多分。いや、俺の口からは言えないけど……」

「それだと、ほとんど言ったのと変わらないじゃない」

「知らない振りをしてくれよ。あいつはまだ12なんだ。ナイーブなんだよ」

「それも分かるけど……チャンスを逃がしすぎだと思うんだけど?」


 隠し事に頼りないセイと、探りに行くミフィ。これは二人の問題だとセイは思っているが、出兵をあと一年としている事から、長女のミフィに少しばかりの事態を引き継いでいる。未来で何が必要になるかなど、未来にならねば分からないと感じているのだ。


「ヒースもそれくらい分かってるよ」

「ホントに? 私もそう思ってたけど、少し変じゃない? 本当に分かってる?」

「分かってるだろ。だからヒースは答えをはぐらかしたんだよ」

「なんでよ」

「俺とミフィがいるからだろ?」

「私達の前だと恥ずかしいって事?」

「そう」

「今更すぎない? 何回このパターンやれば気が済むの?」

「何回やってもこのパターンになるから、カリナがそれを使って遊んでるんだろ?」

「ああ、ラブ&コメディってこと?」

「いや、俺は分からないけど、カリナのほうにラブはあるのか? コメディだけってことはないよな?」

「それは秘密ね。でも勇気一つで、二つは一つになるよ」

「うぅむ。まじで、あいつら二人きりのとき何話してるんだ? いや。ここまで来ると一つの仮説が成り立つのか……」

「なに?」

「実は二人きりのときのカリナはかなりデレてる、とか? ヒースはだからこの状況に甘んじている」

「お兄ちゃんらしい、夢みたいな話ね」

「なんだよ。ミフィは知ってるのか?」

「知らないけど、だいたい分かるでしょ?」

……。……。


 二人は話をしながら皿洗いを終えた。二人で厨房を出て、食堂を後にすれば、ガランとした廊下に出てくる。廊下の天上には術印がなかった。長く暮せば慣れるのだろう。窓から月光も差し込んでいる。


 二人はそれぞれの部屋に帰り、それぞれの修練のための道具を持ち出した。セイは剣で、ミフィはふっさりとした毛皮のラグを脇に抱えて一緒に玄関を出た。庭の一角にある石造りのベンチのほうへと向かう。


 セイは軽く屈伸をして、腰を捻ってから剣を振り始めた。


 ミフィはベンチの上にラグを広げる。ラグの中には布に描いた術印などが入っていた。ミフィは布の術印を膝の上に広げて、わずかな間目を閉じてから、術印を光らせた。黒色点灯。術印は闇夜に紛れるように光っていた。


 防衛線は敵勢力であるガルフを完全に押しとどめているから、公国内の情勢は安定している。公国内の少年少女達は、大人になって防衛線に向かうまで、平和な国内で来るべき義務の時に備えている。


 修練は義務であり、その時間は昼間に設けられている。今しがた庭に出てきたセイとミフィが夜に修練するのは個人的なものだ。それは図らずしも公国と個人の意思が一致している状態といえるだろうが……。


 セイは、修練のために剣の振っていたが、ふと思い出した。


『ん。そういえば、ギーは何も言わなかったのか……』

 セイは剣を振りつつも、昼間の出来事を思い出していた。


「ギーがね、お兄ちゃんは不健全なのかって言ってたよ」


 ここぞというタイミングでミフィが安寧を奪う。


「やっぱり口封じは必要だったか」

「どうかな。同じだったんじゃない?」

「で、俺は不健全になったのか?」

「うん。私にだけね。他の子達がいない所だったから良かったね」

「やれやれだな」

「それは言葉じゃなくて、顔に出すところね」


 そういう二人の表情は柔らかく微笑んでいる。二人は15歳のセイが長男で、14歳のミフィが長女にあたる。先頭を生きている二人は、〝修練〟をしつつ、孤児院の留守番としても機能しいるが、本質は恋人なのだ。穏やかな笑みが、修練の合間に交わされる。


 二人は、温泉に向かった他の弟妹が帰ってきてから、村の温泉に向かい一日の汗を流した。温泉は村人全員にとっての公衆浴場であるから、湯殿は分かれている。


 二人が風呂から上がって、孤児院に帰ったくらいが、孤児院の一日の終わりだ。夜が更け朝日が昇り、平穏なクォーサイドタウンの孤児院の日々は進む。


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