デフォルト・バインド Cパート
上空の雲はまばらで薄い。透過したオレンジ色に染められている。午後の修練が終わればいつもそうだ。山際にたたずむ太陽はひっそりと静かに沈んで行く。虫や鳥が小まめに鳴き出すには、季節的にまだ少し早い。静寂に割り込むように二人の少年の呼吸と足音が響く。
セイとヒースは路地から孤児院の敷地へと足を踏み入れた。
目立つのは村一番の巨大な宿舎となっている孤児院である。
しかし、最初に足がつくのは土の大地だ。100メートル四方程度の平地で、土はトンボでならしたように均質だ。そして十分に締めら固められている。凹凸のない整備された平地だ。
その平地は、公国の孤児院機関において〝庭〟と呼ばれる土地だ。
庭には剣の修練に使うカカシのような木、弓の修練の的、砂場や石造りのすべり台やベンチ。そういったものが点々としている。障害物の少ない広々とした空間で配置された物は少ない。
寂しげな雰囲気があるのは夕日が辺りを照らしているからだろうか……。雲まで溶かしそうなオレンジ色の閃光だった。
「ヒース。先にあがっといてくれよ」
「おお。わかった」
セイとヒースは庭先で別れた。ヒースはそのまま孤児院の中へ直行する。
セイは宿舎を迂回して井戸へと向かった。バケツに水を汲んで雑に顔を洗って、服の袖で顔を拭いた。セイは庭を点々と囲んでいる木々を見やった。栄える青葉は一切無い。しかし、茶色の枝は新芽で棘付き具合が増している。セイは見通しのいい庭から、夕日と樹木の陰のシルエットを見ていた。
『あと一年か……』
旅立ちがセイの胸に去来して、夕日がすこしセイに哀愁を吹き込んでいる。
突如
「ぬわぁぁぁ」
という叫び声がセイの隣の食堂の窓から透けてきた。
いつもの叫び声にセイは僅かに笑い声を漏らした。
ヒースが夕食前に食堂に入り、孤児院の幼子達がヒースを轢き逃げにする。それはいつものこと。セイには声だけで中の様子を推し量ることができた。先の叫び声はそのときのものだった。
『あいかわらず、いい反応するな』
セイは心持を穏やかにして、井戸を離れて自分も孤児院の玄関へと向かった。
両開きの玄関の扉は開け放たれている。セイは玄関をくぐり13足の靴の所在を確認して、さらに代理で自分達の世話をしてくれる保護役の屈も確認し、扉のストッパーとなっている三角形の木片を外して扉に手をかけた。
『今日は天気が良かったからか?』
冷気が降り始めている濃い茜色の空を見て、セイは少し思い出したように笑った。それからセイは扉を閉めて屋内を進んだ。
セイは、屋内の木の廊下を20メートルほど進む。真っすぐに向かった先は食堂だ。
――食堂。ときどきカフェ――
看板が戸口の上に掲げてある。
セイは食堂の扉を開いて、顔だけ食堂の中に突っ込んだ。キョロキョロと左右を確認する。
セイの姿を目にした幼女の一人が叫ぶ
「あっ!、セイお兄ちゃんだ」
他の4人の幼子達も、あー、とか、わー、とか叫び、セイに向って走り始める。
『ふむ』
セイは一度そっと扉を閉めた。すぐに扉からけたたましいノックの音が響く。幼子達には人にぶつかる速度があり、壁にぶつからない賢さがあるからだ。
セイはもちろん衝突寸前で閉めるような残酷な事はしない。この場合はセイも次男のヒースと同様に犠牲になる。今日は運が見方をした。
セイは幼子達が速度を落としたこと見越して、ドアノブを回した。
両手を上に。幼子達がセイを迎える。
「「「「「おかえりー!」」」」」
セイは一人ずつ高く抱き上げた。
「ただいま」
と伝えて自分の横に下ろして行く。誰一人にも重みを感じていない。幼子達は20キロ程度だろうか。その程度は鍛えられているように見受けられる。
セイは幼子5人を全員抱き上げてから食堂に入るった。刷り込み本能が残っているヒヨコのように、幼子達はセイのうしろをトコトコと歩きついていって、再び食堂に入る。
皆が通過してから、セイは食堂の扉を閉めた。
孤児院に籍を置く13人の少年少女全員。そして代理の保護役のミーア。漏れなく全員食堂に会している。
中でも目を引くのが13歳の次女カリナであろうか。
夜空にきらめくギリシャ神話の星座たち。もし彼らが身にまとうキトンの布地がほつれて糸を垂らしていたら……。その程度の細く弱い光をまとった細長い線が、カリナの頭頂部から伸びている。
光の線は方向を天井に向けて伸ばしている。辿ると残りの端点は、なにやら天井に貼り付けられた紙片で止まっている。紙片は白紙ではない。術印が描かれている。
カリナは天上の術印と繋がっているのだ。
天上に貼り付けられた50センチ平方程度の紙。描かれているのは円とモチーフ。円は第二の額縁といったところだろうか。円の中には月夜の風景が描かれいる。カリナがモチーフを選び、カリナが描いた、カリナのための術印だ。
そして、天井の紙に描かれた術印からは、白い色の光りが降り注いでいる。白色光。月光をイメージしたのだろうか。だが、ロウソクとは比にもならない明るい光が食堂の中に降り注いでいる。食堂には夕闇はない。つまみ食いの犯人がま
セイは幼子5人を除く、残り8人の少年少女達に声をかけたり、かけらりたり……。食堂にはいつもの顔ぶれと触れ合いながら、食堂の奥にある厨房へ向かう。
食堂は厨房と繋がっている。オープンキッチンだ。境目は軽食程度なら軽く並べられるカウンター作られている。つまり厨房で作業をしていても、食堂にいる少年少女達の様子が見える親切設計だ。往来のために一部が通路となって食堂と厨房が繋がっている。
セイは食堂を通り過ぎて厨房に入った。
金の水鏡を感じさせる瞳がセイに向く。
「おかミーア。お兄ちゃん」
「ただいま。ミフィ」
瞳の持ち主は、14歳の長女ミフィだ。反射する瞳は光の加護を受け、第二の世界の映し出せそうなほど透き通っている。瞳と色を同じくする金色の髪は、小さく丸みを帯びた彼女の輪郭に寄り添って肩先で毛先を遊ばしている。今はエプロン姿で着丈の短いケープやミドル丈のフレアスカートはレイヤーを奥にしている。
「おかミーアなさい。セイ君」
「今かミーアました。すぐ手伝います」
次にセイ声をかけたのは名をミーアだ。セイの剣の指導役をしている男性の嫁だ。今は代理の保護役として孤児院に席を置いている。
前任の保護役が死亡しても孤児院に籍を置く13人の少年少女がまったくもって放置されるような事は起きない。公国が起こさせない仕組みを作っている。
今回はミーアが引き受けてくれたが、ミーアが挙手しなければ村長夫人が来ていただろう。なお、そのまま次ぎの保護役に就任しないのはミーア自身の希望だ。つまり本職にはしたくはないのだ。
だからと言ってミーアは嫌そうな顔はしていない。ミーアは人柄の良さそうな笑みでセイを迎えた。
厨房の天井にも紙に描かれた線画が貼り付けられている。つまり天井に術印がある。こちらはミーアの胸の中心あたりから伸びる光の線と繋がっている。術印からは薄い黄色の光が降り注ぎ、やはり厨房の中を明るく照らしている。
手伝うと口にしたとおり、セイはまず蛇口で手を洗うために厨房の水道へと向かった。
ミーアは向きをミフィの方へ変える。
「とりあえず牛乳でも飲む? それともオゥレにする?」
「いえすぐに手伝います」
オゥレとは牛乳入と何かを混ぜた飲み物だ。コーヒーだったり果汁であることが多い。
「ああ、ミーアさん、それちょっとかして」
「? ええ……」
ミフィはミーアからグラスを受け取った。作業台の上にグラスを預けて、何やら棚からひっぱりだしてきて、ごそごそと用意しはじめる。
まずはビンの蓋があいだ。
「最初はこれに私の蜂蜜をいれてと」
「まあ、そうだな。ミフィが隣町で買って来た蜂蜜だな」
セイが合いの手を返し始める。
「あと、私のレモンをしぼって」
「ミフィが畑から取ってきたレモンだ。間違いはない」
「それからクルクルっと混ぜてっ……と。はいお兄ちゃん。めしあがれ。私のオゥレ」
「省き方すぎじゃないか? 最初のくだりは何だったんだよ?」
「じゃあ私の蜂蜜のオゥレ」
「レモンはどこに行ったんだよ?」
「私の蜂蜜レモンが入ったオゥレ」
「入ったはいらないんだよ。そこは強調しないほうがいい。愛情が入った料理、とかと一緒で、何か食材とは別なものが入っている感じになるだろ?」
「ふふふっっ、おかし」
黙ってセイとミフィのやりとりを聞いていたたミーアだが、最後にクスクスと笑い始めた。ミフィもミーアに合わせてえへへと笑い始める。
『ちゃっかり、押さえるところはおさえるんだよな……』
セイの目からは、ミフィがミーアの機嫌をとっている事が明らかだった。ミーアが保護役代理を務めるのは公国の制度のあおりで、大人側の事情だ。だが深く関係をもつのは少年少女達だ。日々を支える笑顔を、ミフィは引き出しに掛っているたのだ。
抜け目のないミフィにセイは付いて行ったにすぎない。今年で居なくなるから、今の自分はその程度でいいと、ときどき考えている。
「じゃあ、セイ君、それを飲んだら、お皿を並べてくれる」
ミーアの依頼。コンロの鍋ではパスタが茹でられている。
セイには食材から何ができるかを想像する時間は十分にあった。
「フライパンなら振りますよ?」
「そう? じゃあお願いしようかしら?」
「はい。任せてください」
14人前のカルボナーラ。フライパンを1回で二人前。7セットの作業は女性の腕では少し肩がこるだろうか……。コンロを二口使えば、調理は中々骨が折れるだろう……。
ミフィがセイに注意を沿える。
「お兄ちゃん、ファイヤーは止めてね。子供達が入ってくるから」
「ああ、分かってる」
ファイヤー=フラッペ。セイはミフィの言葉の意味が分かってる。セイはミフィの恋人なのだ。
セイはオゥレを一息で飲み干しフライパンを持った。アルコールに着火しないように注意深くブドウ酒を少しだけ流し込み、茹で汁、オリーブオイル、茹だった麺などを火にかけていく。
ミフィは、ビーカーの形状の金属性の缶からクリーミーな牛乳をお玉ですくい、セイが調理をするフライパンにくるりと垂らした。そして頃合をみて生卵を二つ、フライパンに割って落とした。
ミーアは作業台に空皿を並べて、出来上がったパスタを受ける準備で、もうゆったりと構えていた。
三人は華麗な連携でカルボナーラを仕上げていく。調理を終えるまでコンロの炭は赤々と火力を保っていた。
三人が作ったカルボナーラは子供達によって食堂のテーブルに運ばれる。テーブルには他にもサラダやスープ、カラフルな漬物、原形を感じるコンガリとした鳥肉などが並んでいる。
天井からの術印の光と暖炉で暖められた食堂で、孤児院の夕食は進んだ。




