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イグニション前の速度より  作者: 紀
【秋の章】
78/82

収穫祭 ルナティック・クラウン

 それからセイとヒースは脚を洗うため、長袖のシャツやズボン、金属制で大きい尾錠バックルが目立つベルトといった、普段の着が入ったバケットを手にして温泉へと向かう。カリナとミフィも手元の汚れが気になりついていくという。


 今度の温泉は入浴というよりは、汚れた身体の部位をざっと流すだけのもので、四人は温泉の外ですぐに落ち合った。


 収穫祭の大衆の足取りは途絶えない。四人は広場にいる酔っぱらいや、樽のカートを転がしている人、料理皿を持って移動しているヒトを、ふらりとかわしながら進んだ。


 視野に入る人々はさらに様々で、テーブルにジョッキや料理を並べ語り合う村人や、外部からの参加者もいたり、円形広場から距離をおいて、居心地の好い場所にたたずむ者などもいた。落ち着いて飲みたい者達が自宅の小庭で、村から遠方の丘陵地帯の紅葉を眺めていたり、村の外周を囲むやる気のない高さのへいの腰かけ座談している者もいる。


 四人は自然と串焼き屋の方へ歩み出した。たどり着いたときにはキユキが率いる年少組もいて、いまだ劇画チックに屋台を守るミドル・エイジの者達がいた。


 一時間ほどセイ達も店番に加わっていたが、本来のデニスと交代で串焼きを担当する村人夫妻がセイ達の近くへきて、夕暮れ時には皆が本来の自由行動に戻った。


 広場は十分に堪能したあと、孤児院の皆は幼子達の要望により村の外まで散歩を始めた。彼らは自分達だけで村の外へ出歩く事が禁じられているので、付き添っている年長者がいる今がチャンスなのだ。


 皆は村の外へと出て歩いてススキの揺れる原っぱの近く通った。穂からのぎから夕日のオレンジ色に染まり秋の佳景かけいをひろげているが、一段低い幼子達はほとりを無邪気に通りすぎていく。


 風の一つでも吹けばさざめきたって、輝きもますものだろうにと思いつつ、小さき先導者達をセイは歩いて追いかけていると、

「すんげー伸びてるけどどうすんだ。これ?」

とロックは一本ススキをちぎって雑草の繁殖を心配していた。

「来年までには牛が食べてまったいらですねー」

ルネが答えるから情緒などなあったものではない。


 セイは少し苦笑してそれを聞いていた。 


 年少組の幼子達は周遊しているものかと思ったが目的地はあったようだ。掘り起こした跡が残る芋畑の横を通りすぎた先ある栗林の中へと入っていった。いがを割り中の実を選び出している。


 管理者不在のため自由にテイクアウトできる。毎年あまりがちで、幼子達も食べるために拾っているのか疑わしい。吟味してえり好みをしているようだ。


 セイも適当に一つ栗を拾ったが、手にある栗は品質がよくないのか。セリアからアドバイスを受ける。

「こっちのほうがいいよ」

「そうか?」

 セイは一度手にした一つの栗を手放し、小さな手と指がしめすお勧めの栗に取り替えた。さきほどより小さくなったクリであるが丸々とした形をしている。

『丸いのが……いいのか? クリはでかければいいってものじゃないのか?』

「いいでしょ?」と6歳のセリアがニッとする。

「ああ。悪くない」とセイも屈託なく表情を崩して、ポケットの中へ栗をつっこんだ。

「〝悪くない〟じゃなくて〝きれいぃぃ〟」


「あ、ああ……」と生返事を返したセイは『もう言い返してくる年頃か?』と少し驚いていた。


「きれいなクリだ。猪にあげたら喜びそうだ」

「あげちゃだめ」と再びセリアが言い返してきたので

「大丈夫。ちゃんと持っとくよ」とセイは微笑み答えると、セリアは満足げにニッっとした。

 セイは彼女の成長が確かなものであると知った。



 孤児院の皆は暗くなる前には村の広場まで帰って、広場の後片付けに参加した。屋台だけは引き続き運営中であるが、夜の時間は飲み食いだけで、酒の原料となるジュースの製造はこの時刻で終了となる。広場中央のカエデのふもとにあった樽は消えて、皆は残った簀子すのこを村の倉庫へとしまった。


 会場の運営スケジュールが引き続き広場の女性達を動かした。


 カリナとルネはリアカーにつまれていた道具箱から、布に描いた術印と文鎮をもってカエデの木の下に設置して、光を灯した。


 キユキとアキットは、緑色点灯を操る村の女性と協調して、布に描いた術印を寄せ合って設置していた。赤、青、緑の三原色から白色点灯を生み出すつもりだ。


 他の村の女性達も色彩を調節して、より白色に近い発光を生み出していた。


 村の男性達は衝立ついたてを持って、しばらく待っていた。この衝立は1メートル四方程度の大きさで、とうで密に編みこまれたものだ。セイやヒースもこの衝立を一枚たずさえて、村の女性達が光をともすのを待っていた。


 最後の一枚はアキットだ。


 黒色点灯のミフィは光を捨てて、点灯に参加してない。

 ただ、アキットの側で同じように術印の前で膝をついて見守っている。


 村の女性達は全員点灯を終えて、カエデの麓には〝術印〟の光と燐光をまとたった接合の線を残して、次に動く男性達の邪魔にならないところまで引き下がっている。


 5分を超えるアキットの悠長な点灯が完了して、ミフィとアキットは共に立ち上がった。


 アキットはその術印を見つめたままズズズっとすり足で後ずさりながら、胸の中に蓄えたリール式の接合の光の線を延ばした。


 後ろ歩きのアキットの背中のそばでミフィも同じように後ろ歩きして、前方に注がれている四女の集中力を守っている。


 セイはポケットのクリを握り締めた。

 

 村人180人の半数である90枚近く。加えて一部外部の参加者が、カエデの下においたハンカチに描かれた術印に光を灯した。


 広場の女性の胸元とカエデの下につながれた接合の光の線は、幾重にも虚空を漂い交差している。


 すべての女性がカエデの元を離れると、次は男性達が協力して、カエデの下で光り輝く術印を取り囲むように衝立を並べた。


 女性が灯した術印の光は、取り囲まれた衝立によって輝きの分散が封じられ、天空に向かう指向性を集積した。空の太陽が姿を消した今、大地に集まった術印の光が、カエデを下から強く光を浴びせる。


 誰とはなしにパチパチと……。薄く響く拍手は輪のように広がり、派手な喝采となって村の広場に響き渡った。きれのいい指笛も聞こえる。


 次第に拍手がしずまり、がやがやとした喧騒に取って代わる。村の女性の幾人かは屋台のほうにも同時に光を入れて、皆は食や酒をめざして思い思いに動き始めた。



 孤児院の皆も休憩所の6人がけのテーブルを一つ占有し、屋台から串焼きやピザといった昼食時になじみがあった料理に加えて、夜から稼動し始めたパスタや、タイの屋台に並んでいるような彩り豊かな炒め物の大皿を数枚もらい受けテーブルの上に並べた。


 飲み物はもちろんブドウジュースだ。

「はあぁ」

「まあ、元気だせよ」

 セイはルネに苦笑して伝えていた。なかなか開かれない横一文字の瞳は閉じたままだ。今日は菌の混入を防ぐために牛に近づくことを制限されているから、彼女はオゥレを作ることもできない。


 皆が夕食の準備を整えている間に、カリナが村の地下倉庫ワインセラーへと赴いて、ブドウ酒を一瓶持って帰っていた。


 カリナはメイをひざの上に乗せて、椅子に腰かけているキユキのそばへと近づいた。

「どうです。一杯?」

「でも……」


 たどたどしく答えるキユキに、セイは一声押し込んだ。 

「良かったら飲んでみてください。今年ほど俺は生産を手伝ってないですけど、でも一年通して面倒をみたブドウです」


 ロックも畳み込む。

「飲めねーの?」

「ううん」

「じゃ、飲めば。大人はほとんど飲んでるぜ?」


 コルク抜きを持っていたロックがカリナからワインをもらいうけ、ポンと子気味良い音を立てた。トクトクとキユキのジョッキにブドウ酒を注いで行く。


 ひざ上に3歳のレオを乗せたミフィは、キユキというよりは、斜め上からレオの顔を覗き込んで語りかけた。

「キユキさん、ゴクゴクだね」

「ゴクゴクーっ!」

 右手を上に掲げてレオはミフィの言葉を繰り返す。


 カエデを観賞していたヒースがキユキに流し目を送る。

「飲めるならさらっと行ったほうがいいっすよ。ここは」

 彼は片眉をクイっとあげて、おどけて見せた。


「それじゃあ」

 キユキはおしとやかな苦笑を浮かべて、ジョッキを掴みつつ、ひざ上のメイが落ちないように抱きかかえ、そして幼い頭がジョッキとぶつからないように腰をひってね横を向き、杯を傾けた。

「あら」と不思議そうに晩酌の杯を見つめるキユキ。

「おいしい?」と尋ねてくるひざ上のメイ。

 キユキはごく控えめに「ええ」と軽くを杯を持ち上げて答えていた。

 キユキが机の上に杯を戻すと、メイの幼い両手が伸びてくるから、キユキは小指をジョッキの中にちょんとつけて、メイの鼻先に運んでやった。

「お鼻でくんくん、ってそっと匂ってみて」

「うぅぅ。なんか変なにおいもするぅ」

 ブドウ香りと共に鼻腔を突き抜けるアルコールにやかれたのか。メイは首を伸ばすようにジョッキから鼻を遠ざけてすっぱそうに顔を歪める。

「大人になったらブドウのいい香りが分かるようになるの」

 遠い国の御伽噺を聞かせるようにキユキはそっと囁いが、それでも沸き立つ興味を抑えられない幼子達は、ブドウ酒入りのジョッキをせがんで入手し、年長組の兄や姉に見守られつつも、アルコールを顔を近づけ顔を歪めて皆を楽しませた。


 再びジョッキがキユキのところに帰ってくると、カリナが瓶を傾けて杯を煽る。

「どうぞ。もう一杯」

「じゃあせっかくだから」

 無表情のカリナに対して微笑むキユキは、賄賂を用意した悪徳商人と、市場の独占を約束した公爵の未亡人のような構図に成り果てている。





 キユキは次々に注がれるブドウ酒を飲み干していく。


 瓶が開くころに、セイのほうへキユキの視線が飛んできて、ついでにウィンクも貰った。

『……?……』

 先ほど不用意に幼子達の興味を引かないように、フドウ酒を詳細に讃えなかったゆえの気遣いか、否か。なんだとセイは一瞬不思議に思ったが、とりあえず愛想のいい笑顔を返した。

 後になってセイは気がついた。

 今晩ミフィの太ももに刻んだ術印を見る予定があることを。

『いや! 違う! 酔いつぶすつもりはない!!』

 もう一度キユキを見たときには、彼女の視線はもう幼子や料理のほうに逃げていた。セイはもうこの保護役とは運命の歯車を何回転させても噛み合わない定めにあるのではないかと感じていた。


 セイはミフィのほうを見ると、彼女とはしっかりと目があった。すでに半笑いだったミフィはすぐに目をそらして人知れずプルプルとしていた。その微細な振動が何を意味するかは、セイはすぐにわかった。

『笑うなよ……』

ため息は鼻らか掻き消すようにそっと出した。



 セイ達は普段より一段とゆっくりとした食事を楽しんでいた。

 料理の数が多いこともあったし、会話も弾むことが多かったし、激辛カレーを塗ったナンを食する者を定めるくじ引きなどを始めたことにも原因があるが、単純なヒトの多さが些細な会話を積み重ねて、少しづつ食事の時間を遅延していた。

 

 孤児院の食材を調達してくれる村人と会話する事が多く、見知った村人がそれぞれに声を軽くかけては、愛想よくセイやミフィは対応し、キユキは杯を交わしてブドウ酒を口に含んでいた。


  

 女性が胸元から接合の光の線を伸ばしている中で、頭から三本の光の線を伸ばしているカリナだけは特に顕著に話しかけられていた。村の外部からの参加者が、見慣れぬ奇態に誘われ、目を丸くして声をかけてくる。

「あなた、それ心臓から頭を通して光を出してるの?」

「いえ。頭からですよ」

「三本も出てるけど……」

「ときどきでてくるんです」

「そ、そういうものなの?」

「そういうものです」

 カリナのシャープな語り口で信憑性をドブに捨てた回答を続けていた。毎年は出没する質問者に辟易へきえきとしているために、彼女自身の真摯な回答はとっくの昔に霧散している。

「食べます?」

 皿の上に乗った太くて大きい秋の焼き茄子をカリナは質問者である女性に差し出していた。

「い、いえ」

「こちらは?」

 続いてカリナは立派な一本シメジの網焼きを勧める。

「だ、大丈夫」

「これは?」

 カリナは長くてツヤっとした腸詰ソーセージを一本とり勧める。

「い、いえ、いいの。お腹いっぱいだから」

 ここまでくると大抵の女性は引き下がっていった。

「残念」


『進めるものに悪意があるだろ』

ヒースは当然黙っていた。



 皿がほとほどに空いたころに、セイはミフィに連れ立つように促した。

「ミフィ、ちょっと来てくれるか」

「ああ、うん」


 ミフィはレオを抱き上げつつ立ち上がり、彼だけをもとの椅子へと着席させ頭をひと撫でした。

「どこ行くの?」と短く尋ねるレオに「地下倉庫ワインセラー。ちょとまっててね」

とミフィはにこやかに答えてた。


 テーブルを離れる前に、ミフィはもう一瓶ブドウ酒を飲むかとキユキにを尋ねた。キユキは断ったが、ミフィは少々くいさがった。結局キユキが三度目の丁重な辞退を申し出たところで「またいつでも言ってね」と言ってミフィは引き下がっていた。


 二人はヒースやカリナにも一言添えてその場を離れた。



 円形広場の中央で光を浴びているカエデのそばを、セイとミフィの二人は参加者とすれ違いつつ通り過ぎていく。


 通行人の酩酊感に霞んでいるおぼろげな瞳は、足が着いている大地や、隣を歩く両人への至福のまなざしとなって垂れ下がっており、光術がその姿の半分に光をあてて、ヒトの視覚から闇をはじき出そうとしていた。


 少し進むとセイは、ミフィから話しかけられた。

「ちょっとまって、術印をとってくるから」

「自術印はだめなのか?」

「これはとっておき」


 セイはミフィに何も告げていなかったが、ミフィはセイの意図を理解していた。


 セイは今、広場にいないアランドという男性の所へ、ブドウ酒を手土産としてたずねてみるつもりだった。


 アランドはセイ達男子年長組のもう一人の指導役だ。キャベツ畑にもかかわっているが、基本は指導役で、デニスと週代わりでセイ達は指導を受けている。正午近くまでは広場で屋台をやっていたが、それ以降は姿を見かけていない。


 ミフィがリアカーの道具箱から〝術印〟が描かれた木の札をとってくると、二人は村の酒蔵に向かった。


 酒蔵は地下へと降りる差のゆるい石段が唯一の出入り口となっている。段差の手前には村人夫婦がいて、彼らは酔っ払いを追い払う門番であり、広場へブドウ酒を補充する係りだ。


 セイは夜の挨拶をしたが、訪れたのがまだ未成年に分類されるセイとミフィの二人だったので、門番の夫婦は何用かとまずもって答えてきた。


 セイがブドウ酒の用途を伝えると、素直に許可が下りて、二人は階段を下りて地下の酒蔵の扉を開けた。


 密な暗闇を前にして4秒。停止したミフィは手にした木の札に描かれた術印に、黒色の点灯を入れた。黒色点灯をサーチライトのようにかざして、真っ暗闇を暗ぼったい空間へと変える。


 扉の奥は人工的な石窟せっくつだ。そのまままっすぐな一本の通路が伸びて、その左右向かい合わせに6畳の部屋が8つある。壁一面の石積みは、暗さも合いまり独房のような雰囲気だが、各室に扉はついていない。


 ミフィに先導されて進むと、通路手前の部屋の中には木製の棚があることが薄闇の中で分かる。


 棚だけ残っているから、ここいらにあったブドウ酒は本日提供したのだろう。さらに奥に進み別室を見ると、まだビンや樽詰めの在庫がある部屋もあったが、セイとミフィはその部屋も通り過ぎて一番奥の右側の部屋と入っていった。


 木製の棚が室内の壁を埋め尽くしていて、加えて空間を縦に二分割するような配置をとおており、簡単な通路を形成している。とにもかくにも棚にブドウ酒を緻密に並べた部屋だ。その部屋のさらに最奥が孤児院産のブドウ酒が保管されている場所となる。


 目的地で脚を止めてミフィは50年産のワインを一本とってセイにわたしてきた。


 暗がりの中でいまいち役に立たない黒色点灯にすがり、セイは瓶のラベルに記載されている1050・クォーサイドタウンというラベルを見た。片隅にはミフィ・レティアルフローと彼女の残した直筆がある。


「お兄ちゃんのより私のやつのほうがいいでしょ?」

「ああ。そっちのほうが話の種にもなりそうだ」

「私もいったほうがいい?」

「いや。俺一人のほうがいいいだろう」

「そっか」


 二人はそれ以上は口を聞かず倉庫の出口へと向かって歩き始めた。

 階段を登って地上へと出てくるとセイは村人から話しかけられた。


「おう。そうだ。セイ、おまえ出兵前のときにブドウ酒1,2本くらいは持ってくんだろ?」

「はい。そのつもりです」

「じゃあ、そんときになったら声をかけてくれよ。地下倉庫ワインセラーをあけるから。さすがに未青年に飲ませたら捕まるから、もう少し先の出兵の前に来てくれ」

「わかりました。そのときはお願いします」

「まあ、おまえが飲むとは思えねーけど、一応な」

「はい。お気遣い感謝します」


 セイは地下倉庫ワインセラーから出て、屋台で串焼きを五本ほど皿に載せて、そこでミフィと分かれた。


 一人でアランドの家へと向かう。


 広場からの光がわずかに届いている路地を進む。長い影がセイ自身から伸びていたが、夜の闇の中へと次第に溶け込み、そこまで歩いた先がアランドの家だった。


 扉の前に立ちセイがノックを数回すると、すぐにアランドは玄関先まで出てきた。

「なんだ? セイか? どうかしたか?」

「いえ。なんとなくです。一杯どうですか? 夕食まだですよね?」

「はは。殊勝なやつだな。いいよ。あがれ」

「おじゃまします」


 開かれたドアをセイが潜り抜けてると、アランドが扉を閉めた。


 居室の中にはろうそくの火が灯っている。180センチを超えるアランドは長身の部類だが、デニスのように金城な筋肉を供えているというわけではなく、ベンガルトラを髣髴とさせる躍動感ある筋肉をまとっている。頭髪はセンターから分かれており、嫌味がない整った顔立ちが良く見える。アランドは春先に妻を亡くしていた。ブドウよりはキャベツなど野菜を中心とした農業を営んでいる村人だ。


 セイが部屋に入ったときには、女子年長組の部屋のような、女性特有の香りが部屋の中にはもうなかった。


「ここにでもかけてくれ」


 アランドはテーブルの横を歩きながら雑に椅子の背もたれを引いた。アランドの対応は高級レストランのように行儀のいいものではなかった。着席を促した椅子を放置して、テーブルを迂回して、対面の椅子をやや横向きに引き出して座ったのがアランドだった。


 横にずれた椅子とともに、彼の居住いずまいも横向きにずれて、ほどよい位置にあるテーブルの上に左ひじをのせている。面と向かっているセイに対して、アランドは文字通り斜に構えて頬杖をついている。


 窓のカーテンは開いている。遠方のカエデから反射されてくる明かりは遠く、テーブルの上のロウソクのほうが遥かに明るかった。


 セイはテーブルの上に、串焼きとブドウ酒を置いて、腰を下ろした。


「そろそろ食いに行こうかなって思ってたんだけどな」


 アランドはまた一つ笑みをこぼして、ブドウ酒のボトルを手に取り、縦軸に回転させてラベルの表記を確認した。


「おい、これミフィちゃんのじゃないか。お前いいのか?」

「ええ、大丈夫です。まだまだありますから」

「そうか」


 アランドは一度座った席から立ち上がり、隣室から、オープナーとガラス製のグラスを二つもって帰ってきた。


「お前も飲むだろ?」

「いえ、俺は……」

「法務執行官もここまではきやしないさ。それにばれても俺が無理やり飲ませたって言ってやる。付き合ってくれよ」


 栓を抜いたグラスにブドウ酒を注いで、アランドはセイの前へと滑らせた。

 アランドの言葉にどうしようもない真実をセイは感じて、グラスを受けとった。

 アランドも自分のグラスにブドウ酒を注いだ。


「お前が飲まないと飲みづらいだろ?」


 左手一つでグラスを掴み、アランドは差し出してきた。木製のテーブルがつくっている距離を、セイもグラスを持ち上げて縮めた。二つのグラスがコツリとぶつかる。


「先に行けよ。ここではそれが流儀だ」


 グラスを傾けて、セイはブドウ酒をごくりと喉に通した。アルコールのわずかな刺激臭とじっとりとしたブドウのフレーバーが鼻に留まる。甘みはなく酸味も生のブドウジュースのほうがはるかに強いが、むずがゆい酒特有のあおりが口から全身にあわ立つように広がる。


「うまいか?」

「ですね。俺にはよくわからないんですけど、これは多分うまいです」

「はは。そいつはいい。……。……。うん。悪くない」


 アランドもグラスを傾けて頷いた。しばしグラスを見つめていたアランドは、ブドウ酒味わってくれているのかもしれないが、どちらかというと遠い国からの舶来品のように見つめているような目つきだと、セイは感じて黙っていた。


「思ったより長生きしちまってるな。俺と嫁は一応歳は同じだったんだけど」

「……」

「お前のところの孤児院もいよいよ大所帯になったな。俺が来たときは……何人だったかな……」

「8人ですね。ちょうどギーまでです。この串焼きも孤児院で作ったものですよ」

「はは。それは高くつくな。…………。そうだ、お前に見せたいものがあるだ」


 アランドは串焼きにかぶりつき、ブドウ酒で口の肉汁と一緒に飲み下して、再び席をたった。


 アランドはしばらくして、今度は一枚の紙をもって帰ってきた。紙片の両端は合わせられアランドの手でつつまれている。完全に折り込まれているわけではなく、ゆくい筒状の形態になっていて、薄暗いこともありセイから紙面は見えなかった。


「お前、こいつを知ってるか?」

「ちょっと分からないですね」

「あいつが死んだあとにな。温泉の帰り道だ。アキットちゃんに会ったんだよ。見てみな」


 アランドが広げて差し出してきた紙をセイは受け取った。


 光術の修練において模写は非常に重要なファクターを占めている。公国の製紙技術は重要な軍事技術の一角だ。その結実というべき一枚の紙には、嫁の肩を抱き寄せているアランドが描かれていた。


「これは……」


 〝薄い恋愛小説〟の挿絵とは異なる、アキットらしい忠実なデッサンだった。


「お絵かきしようか? って言ってたよ。最初なんの事だと思ったんだ。俺とお絵かきでもして遊ぶのかと思ったよ。戯れに頷いたらさ、アキットちゃんはさっさと帰って行ったよ。で次の日だ。夜にはもう絵が出来上がっていたんだ」

「……」

「嫁とは温泉で会ったときに、少し話とかはしていたみたいだけど、特別親しいみたいでもなかったかな。でも良く描けていると思うよ。絵が好きなのか?って聞いたら、別に普通だって。変わった子だな」

「絵自体はよく描いてるんですけどね。俺からしてもあいつは不思議です」

「お前はこの村のことどれくらい知っている?」

「多分、だいたい全部知ってると思いますけど、アランドさんが言いたいのは、ほとんどペアを落としているヒトが来くる。とかですよね……」

「事実としはそうだ。だが現実はまだ違う。この村の大人はな……、みんな負けたあとに此処ここに辿り着くんだ。故郷で同期と会いづらくってな……」

「……」

「公国の田舎なんてどこもそんなものなのかもしれないな。地理のときになんでこんなところに村があるのか。今にして思えば散々不思議なことだったはずなのにな……。戦うことは教えられても、そんなことは俺が孤児院にいたときには誰も教えてくれなかった」

「俺も……」


 セイはわざと口を閉ざして、アランドの視線が自分のところへ訪れるのをじっと待った。あえて口ごもってそのときを待った。アランドの視線が自分のところへと落ち着いてから、セイはアランドに向けて少し微笑んだ。


「聞いたことないですよ?」


 長らく深刻そうに語っていたアランドの表情が、少し面食らったように崩れた。

「フッ」と笑って続けざまにアランドは皮肉の効いた高い声を響かせた。


「そいつは流石に誰も言えないだろう?」


 8畳程度の一室。ロウソクの光をはさんで、二人とも笑い声を床板に反射させた。

 ただ笑みを先に閉じたのはやはりアランドだった。


「ここに孤児院があるとか、関係無かったことなんだ。まして指導役をやることになるともな」

「すみません。あのときは俺も餓鬼でしたから、アランドさんには頭の一つも下げてませんでした」

「いいんだ。俺も10歳の餓鬼の相手をするだけの楽な仕事だと思っていた餓鬼の一人だ。餓鬼と餓鬼でおあいこだ。ここに来て5年、おれみたいな餓鬼でも嫁との子供は二人いる。都会の孤児院の所属にした」

「知ってます。男の子と女の子。一人ずつですよね」


 セイは穏やかに微笑んだ。


「フランドルとエリザベートだ」

「どっちも最強になりそうな名前ですね」

「はは。まあ、そんな感じで名付けはしたな。…………ただな。やっぱり、この二人をこの田舎の孤児院に置くわけにはいかなかった」

「そうだと思います。良かったのは前の保護役からくらいで……」


「いや」と静かにこぼしたアランドの言葉で、セイはすぐに自分の声をさえぎった。


「そうじゃない。俺が言いたいのは、そういうことじゃないんだ。……。セイ、一つ覚えて帰ってくれ。村の大人たちはそういった所がな、少しだけお前らに後ろめたいんだ」

「俺達はなんとも思ってませんよ」


 セイは爽やかな笑みを努めてつくった。それが最適だと思った。


「ああ。分かってる。ったく。お前は口を挟みすぎだ」


 アランドは釘をさすように、セイのグラスへとブドウ酒をそそいだ。


「ただ俺は、この絵を見たとき少し思ったんだよ。こっちの孤児院にしておけばよかったかなって」


 セイは唇に触れたグラスをそこで止めて、酒を流し込む前に一言置いてきた。


「本気ですか?」

「いや。半分以上は冗談だ。そこまで真剣に考えてないさ」

「いつでもお待ちしてますよ」

「どこの支配人だよ」


 おどける二人がすごしているこの部屋は、隣町の宿屋ホテルのロビーのように片付いてる。そして入室のときにはまったく感じなかった香りをセイは思い出した。棚におかれているウサギのガラス細工の文鎮が、ロウソクの火を中に閉じ込めてるような照り返しを見せていた。


「ただ、ここの孤児院も、いつまでもそのままってわけには行かないかもしれません」

「何かあったのか?」

「……。いいえ。何もないです」

「お前は……弟達が心配で此処に来たんだろ?」

「はい。そうですね」

「俺が来年も生きていたら、ヒースもロックもギーもしっかり面倒を見てやるよ。それでチャラにしよう。大丈夫。きちんと最後までやるさ。最近の俺はしっかりやってるだろ?」

「アランドさんは最初からまともなほうでしたよ?」


 ニヤリとした顔を二人は付き合わせた。セイは決してアランドの子息や子女がクォーサイドタウンの孤児院に来ることは厭わなかった。


 ただ今の孤児院はもう変化の時期に突入している。再開を誓い、たった一人で8年間の防衛線に向かう自分達はなくなる。


 局所的に生じている田舎の孤児院の優位性。帰る場所があるという事実。


 都会の孤児院が生き残る理由をヒトに帰着させた事に対して、田舎の孤児院は生きて帰る理由を土地に帰着させている。孤児院機関が長期的に扱っている研究テーマをセイは見た覚えがある。


 アランドの真意がそこに理想をみて、アキットのような存在が後押ししているなら、セイは道化になって話をそらすしかなかった。

 

「そいつを飲んでもう行け。ミフィちゃんも待ってるんだろ?」

「アランドさんも行きませんか?」

「いや。いい。流石にそんな気にまではなれないんだ。誰のせいでもない。ただ俺はそういうものなんだ」

「……。わかりました」


 グラスを開けてセイは席を立ち軽く頭を下げた。アランドは玄関口で「お前実は飲んだことあるだろ?」と問いかけて、セイは「料理酒をちょっとちょろまかしただけですよ?」と答えた。「もう行け」苦笑するアランドに対するセイは「お邪魔しました」と微笑み出て行った。


『まあ、こんなもんか』


 酒気を感じたセイは、このまま戻るのものどうかと思い、水でアルコールを薄めるために孤児院への進路を選んだ。


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