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イグニション前の速度より  作者: 紀
【秋の章】
74/82

収穫祭 ふみふみ Cパート

「置いてかれちゃったね」

「気を使ってくれたんだろ?」


 チャプチャプとブドウを踏むミフィはなおも樽の中で、セイはブドウを軸から離して樽の中に放り込んでいる。


 周囲2,3メートルほど離れれば、クォーサイドタウンの村人夫婦が、ブドウを気ままに踏み潰している。もう少し離れた先にいる数人は、別の町からの参加者だろう。カエデの麓の樽はほぼ男女のペアで埋まっていた。


 出入り口のほうをみれば、隣町などからの参加者がなおも増えつつあった。通路となっている箇所もにわかに活気付いている。目詰まりしたような人ゴミではないのだが、人と人がすれ違う様子が自然と目に入る。自由な歩幅で目的の場所へと向かえる余地は残っているが、普段の閑散とした広場に比べれば今は大盛況だ。


 ヒトが多いゆえに目立たない、ちょっとしたプライベート・スペースが、セイとミフィの二人に与えられいた。


 ミフィからの呼びかけは、普段と変わらず朗らかで、たどだとしさとは無縁の明るい声だった。


「ねえ、お兄ちゃん。今日一緒に寝ない?」

「どうなんだろうな。それは……」

「だめ? 昨日セリアと同じベッドで寝たから、今日一人で寝ると絶対寂しくなるもん……」

「だめじゃないけど、それはもう俺達にはもうできないことだろ?」


 同じベッドで寝たものが次の日おらず、広くなったベッドで眼を瞑ると、昨日の窮屈さがなぜか懐かしくなる。同室に弟や妹がいても、そう感じる。寂しさはどこからでも隙間をついて滲んでくることを、分からないはずもないセイだったが、成長した今の二人が同じベッドで眠るのは、同室の弟妹達を鑑みると無理がある。


 心の問題よりも現実の問題がセイの答えを決めていたが、ミフィは現実の問題よりかは身体の問題について問いかけてきた。


「お兄ちゃんエッチぃこと考えてる?」

「少しは」

「じゃあ深呼吸して」


 ミフィの「吸ってぇ」と「吐いてぇ」のリズムに合わせて、セイはとりあえず深呼吸をした。


「どう? 落ち着いた?」

「落ち着いたし、最初から落ち着いていたはずだ」


 ムッと表情を曇らせたミフィの不機嫌な雰囲気がすでに物語っているのだが、ミフィはきっちりと発話に落とし込んでセイに悪感情を伝えてきた。


「それはそれでな感じがする」

「いや。乱れてた。みだりに乱れてた。星に狂わされて、確かに退廃的だった」


「確かそうだ」というささやきついでに、セイは厳しい剣幕を作って頷いた。


「星は私って事ね」と前向きな拡大解釈をしてミフィは機嫌をなおしていた。


「だけど俺達が一緒に寝るのはもうまずいだろ?」

「でも、カリナとルネはもう寝てくれないし。アキットと一緒に寝てもいいけど、ちょっと前もロック叩いちゃったみたいだし……。痛い思いしたら、かわいそうかなって思うし……」

「……つまり……、まだ寝相はなおってないのか?」

「うん……」


 ミフィにしてはめずらしいため息で、彼女の人並みはずれた寝相の悪さをセイは思い出した。一人で寝むる分には無害であるのだが、彼女の寝相はなかなかにやっかいなもの。事情を知ってもはやミフィと一緒に寝ようとしない弟妹は、すでに被害者だった過去を持つ。


 例外は年少組の幼子達だ。幼い者に対してはミフィの無意識下の庇護欲が働くらしく、ミフィの寝相は静まり、共寝ともねした幼子達には平穏な朝が訪れる。寝ているだけで肌もツヤる。


 ところが年齢を重ねた者が同じように朝を迎えることはできない。ミフィにそのつもりは無くても、彼女の入眠時の特別な身体調節機能が、愛護的な精神を駆逐して、睡眠中の寝返りとなってあふれ出し、同じベットで寝る者に何らかの形で一定のストレスを与える。


 セイが古くから知っているミフィの性質で、慣れない者は夢の世界から弾き出される。


 明らかな例外としての幼子達。レッドゾーンの年長組の年上の者達。この間のグレーゾーンにいるのが年長組でも年齢が低い8歳のギーや9歳のアキットだ。


 今現在、ミフィの庇護欲がどの年齢層まで効き目があるかをセイは詳しくは知らないし、ミフィも無意識下のことなので自身で判断ができない。おおよその目安として年長組にあがって数年すると被害に会うという大雑把な指針しかない。


 暖かい夜をすごすか、悪夢にうなされるのか……、分岐点となる年齢の真実は、ミフィと一緒に寝てみないと分からない。


「ギーなら大丈夫なんじゃないのか。ギーを連れて行けばいいじゃないか?」


 セイの鼻先にミフィの人差し指の先っぽがピタっと触れた。遠近方に従いミフィの右手が鼻梁びりょうでずんぐりと巨大化している。 


「お兄ちゃんはそれでいいの?」

「良いも悪いも、場所がないだろ?」

「キユキさんいつも年少組の子達と寝てるでしょ?」


 セイは「ああぁ……」と口の中で不協和音を生みだしたが、ミフィが「お兄ちゃん?」とムッとしたような声を再びだして、その音を打ち消した。


 キユキさんが年少組の部屋で寝ている。理路整然に考えれば、保護役の部屋は空室である。すぐに分かる。それくらいのことは。


 セイはその道筋とは別に、ミフィの真意を読みとこうとして生返事を返したのだが、とうのミフィにノータイム同然で思考を切られ、結局最初にぱっと浮かんだ答えを返した。


「いや、保護役の部屋だろ? 勝手に使っていいものじゃないだ……ろ」


 ころっと表情を変えて、ミフィからは既に笑みが漏れている。ミフィは黙って首を横に振っていた。


「もしかして、もう約束でもしたのか?」

「うん」


『マジか……』


「いや、ミフィ……。ちょっと待ってくれ……」

「うん。待つよ」


 ほどほどに微笑むミフィが、セイの瞳には映っていた。


『何を考えて、何を導き出せばいいんだ……』


 混乱していたセイだが、あくまで自然に考えれば答えに窮することなど無いことに気がついき、落ち着いてミフィに視線を合わせることに成功する。


「気持ちは分かるけど。俺とミフィが寝るのは、年齢的にもうまずいだろ?」

「私は普通に一緒に寝よっていっただけだよ?」


『本当にそれだけか?』

ミフィが一度口にしたことであるから、単純に幕がおりないであろうとセイは思っていた。疑惑の存在の中心にあるのは提案書によるミフィの計画で、彼女の太ももの自術印が不穏分子だった。


「ねえ、お兄ちゃん。二人で見つけた術印だよ。いいの? 見ておかなくて」

「あ、ああ。そうだな……」


 ミフィの口から告げられた答に、セイは先の自分の尺度に誤りがあったと感じた。ミフィのその答えはセイにとっても自然なもので、思わずどもり気味の肯定を彼女に返していた。


『一人で寝るのが寂しいってのも、本当なんだろうけど……』 


 セイが方向修正して自分の中でまとめたミフィの意図は、一人で寝るのが寂しいといったミフィも、自術印を見るように勧めてきたミフィもどちらも虚実ではないということであった。一緒にベッドで寝た翌日に、一人で寝るそこはかとない寂しさをセイも理解できるから、セイはミフィの話を本音と建前の一辺倒に分けななかった。


 だが、提案書が絡む未来の問題を一時保留に押し込めば、もろもろの事情の何においても先に、反射的にチラチラと思い浮かんでいた反論を、セイは口にするほど浅はかな激情に支配されてはいないのだが、意識の底のほうに埋め立てておくことは、もはや不可能である。


『じゃあ術印がないときにその両脚を見せてくれてもよかったんじゃないのか……』


 なけなしの自省も心で静かに呟く。

 

『無理なのは分かるけど』


 セイがスカートをめくるのか、ミフィが自らの手でスカートをめくってくれるのか、めくるめく問題において、自分がスカートの掌握者しょうあくしゃとなるならば、右手でミフィのスカートをめくるのか、左手でめくるのかという問題まで生まれてしまう。


 位置的にミフィの太もものまん前でしゃがむ必要が出てくるということも、クリアに想像できる。


 そのとき自分は象形文字が刻まれた石版に向う考古学者のような顔付きでもしておけばよいのだろうか……。


 第一権限をミフィに委譲して、『どう? お兄ちゃん』と妄想の中でミフィにスカートをめくらせてみても、露骨に素肌が絡む敷居の高い困難な手続きであることがより明白になるだけだった。


 セイが自省したのはそういった欲求の意思決定を、ミフィに押し付けてしまうことだった。すくなくとも自分はまったく踏み込めなかった。プラトニックな恋愛に信仰があるわけではないが、ミフィの太ももをみるだけで終わる牧歌的な終焉がどこにあるのか分からなかった。


 重ね重ね考えれば、人生の上そういったゆとりある時間がまったくなかったかと言えばそれも嘘になり、あるいはどうしてもと拝み倒せば、ミフィは承諾した気がしないでもないが、そこで崩壊するアイデンティティの何たるかは、下手をしたらミフィにま危害が及ぶあやうい性的な欲求であると悟ると、天秤は完全に沈黙へと傾いていた。


 ミフィは可能なかぎりソフトランディングしてこの地に舞い降りたと、セイは認めざるおえなかった。もっと前から工夫を凝らすべきだったのではないかと、セイは悔やみつつも、やはりそれは解決の糸口がない無理難題であると思った。


 相手は術印のモチーフでもある。村の空家で見つけた母親の責務をまっとうした偉大な猫だ。


『わかってる。ミフィにとっては大切な術印だ。こっちは単なる太ももだ。俺の志向はチープで、切り捨てるべき、なんだろ……だけど……』


 かたや……セイの記憶の中から〝薄い恋愛小説〟の表紙がめくれて狂熱を語り出している。


 そこには都会の孤児院舞台にクィーンビーに無謀な恋を挑む少年がいた。ヒトの身でありながら、耳の長い異種族に心を魅かれる少年もいた。ときには触れる事が適わぬ半透明の霊体になった少女にキスで愛を語る少年もいた。都合よく好意を寄せてくるちょろい美少女はもっと存在した。


 〝薄い恋愛小説〟の中に、愛がないとセイ決して思えなかった。いかがわしい内容を多分に含み歪んでいようとも原点はヒトの本能から生まれた何かしらの感情である。セイはそれを愛に含んでいたかった。


『俺にとってはミフィの太ももだ。それくらい覚えていてくれる訳にはいかないのか?』 


 周囲の喧騒などセイはものともしない気構えがあったのだが、この場で直情をミフィに伝えるようとは思わなかった。


 セイが弱弱しくミフィに答えたためであろうか。彼女は横を向いて視線を落としていた。

 

 セイは少しつっかえながら、苦言の声色を使った。


「じゃあ初めから、えっちぃ話しってのは無しじゃないか」


 パチっと瞬きを一つ。ミフィは再びセイに視線を戻した。


「キユキさんは別にいいって」

「いや、ミフィはキユキさんとどこまで話をつけてきたんだよ…………」


 スタッカートで言葉を区切りつつ、要点をつまでミフィは説明してくれた。


「私の術印を見せるのに、えっちぃ感じになるかもしれないから、みんなからは目隠しできる場所が欲しいって言って、それで、そのせいでお兄ちゃんが止まらなくなるかもしれないし、大体とまってくれるとは思うけどって。……。でも私の事じゃないから、一応、ね。分からないって事で、約束したほうがいいのかなって感じでお願いした」


『要するに自術印の鑑賞会における場を選定するにあたり、予測不能な因子として俺がいたてってわけか……』


 セイは目舞めまうような供述の要点をなんとか整頓して理解に到達し、狐につままれたような顔になった。


「マジか……」

「マジだね。止まってくれるって事は、ピックして伝えたから安心して」

「ああ、……」


『あっ』

 セイはハッとする記憶の瞬発力を感じた。

『あのときのキユキさんの異常な硬直はこれが原因か……』

 昨日牛串を作っているとき、キユキとの会話の間に生じた硬直時間の原因を、セイはそっと結論付けた。あのときミフィはすでにキユキから保護部屋の使用許可をもらっていたらしい。


「やっぱり、したかった?」

「ミフィに最初からその気がないなら、俺にもないよ」

「じゃあ、なんで〝無しじゃないか〟って聞いたの?」

「だって色々おかしいだろ。キユキさんの部屋だ。黙ってきいてたけど辻褄が壊れてる」

「お兄ちゃんは全然分かってないっ」


 軽めであるが、ミフィの声には覇気があり、怒気がある。


『なにが分かってないんだ……』


 ミフィの不機嫌をセイは感じて取れたのだが、咄嗟にはなにが彼女をいらだたせたのか思いつかなかった。けれども思いつきそうなところまで来ている感覚があったため、セイは見切り発車でミフィの機嫌を引き受けた。


「いや分かってるよ」

「分かってない。私だって色々考えた上で選んだの!」

「だから、分かってるって」

「分かってない!」

「だからいま分かったって。悪かったよ。無傷でキユキさんに頼めなかったんだろ?」

「全然分かってないっ!! それは言わなくていいトコ!!」


 フン、と横を向いて頬を見せるミフィを見て、察しがついたセイは、彼女を呼び戻そうと落ち着きを払って語りかけた。


「謝るよ。ごめん。ミフィ。ただ明らかにキユキさんが許可するのが、何ていうか、変な感じがするだろ?」

「変ってどこが?」

「優秀だし、わりとまじめな感じのヒトだろ?」

「矛盾してる」

「なんでだ?」

「お兄ちゃん、きゆきさんのことヒト当たりがいいとかって思わない?」

「思うよ。その辺をふくめて優秀だって言ったつもりだ」

「都会で沢山のヒトの中に囲まれて、まじめなだけで生きていくのは無理なんじゃない? 優秀でヒト付き合いがいいタイプだとなおさら」

「あれか。その手のエロい話もできないとダメだって事か」

「そう」

「なるほど。納得したよ」

「そう? じゃあどうする?」

「いいよ。今日がその日じゃないって事くらい、俺でも分かるよ」

「…………」


 ミフィはうつむいた。

 

「いいよ。今日は二人で見つけた猫の術印を見るよ」


 セイは彼女の口にブドウを一粒押し込んだ。


 ミフィは「あむっ」とブドウにパクついて、右の頬に果実を寄せた。

 

「それはそれで、私だけだと、なんかお兄ちゃんが可哀想な気がする」

「その話はまた後でちゃんとするから。夜に集合ってことでいいだろ?」


 ミフィはもう一回「あむっ」とブドウをほうばって左の頬に果実を寄せた。


「うん」


 両頬を丸くして、ミフィは機嫌よく答えてから、口のなかのブドウを味わった。


 セイはひとまずの決着を見た。


 セイにとっては一人で寝るのが寂しいと言ったミフィも、自術印を見るように促してきたミフィも嘘ではない。


『本当にそれだけか?』


 むしろ幾重にも意味や理由を重ねる妹であるから、セイはそれらに加えてさらなる理由なり原因なりを見定めるつもりで思考する。やはり未来の問題である〝ミフィの計画〟をおざなりにすることはできない。


 だが、慎重に考えても答えはどこにも無かった。

 

 術印が刻まれた太ももをミフィが用意したという経緯がなんであれ、今日において、その結果は〝あからさま〟なのだ。太ももに性的志向がある自身に対して、あからさまに嫌われようとしている姿勢と見て取れる。こんな愚直な手段をミフィが選ぶはずがない。おそらく偶然。少なくともそれに近いものだ。


 数日前に行き着いた結論と同じことしかセイは考え付かなかった。


 もし提案書が無く、自術印だけの話が持ち上がっていたら、やはりこの場合もミフィは自術印を刻むだろうとセイは思った。姉としての生き様が、必ず自分の性的志向を無視をするだろうと思う。


『提案書も自術印も無ければ……』


 セイはそれ以上は考えなかった。そんな未来はもう消滅し、それは自分が選んだことであるからだ。


『最期の収穫祭に、メイド・ミフィの術印きずなき太ももはない。それだけだ』


 セイは心の内でほんの少しだけ現実世界の反対側に寄り添うだけだった。


『状況までがミフィの味方をするあたりが、運まで引き込む才能の差ってやつか……』


 答えは空虚で、セイは何の意味も感じなかった。


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