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イグニション前の速度より  作者: 紀
【秋の章】
70/82

右か左か両方か。そうでなければあなたは? Aパート

 女子が太ももに術印を刻むのは、体の最も描きやすい位置であることに起因する。


 好きな位置に刻む自由はあるが、術印そのものの面積である直径10センチ程度の円を描ける場所となると、必然的に描く場所は限られてくる。描きやすい場所となるとなおの事。公国は利き手と同じがわの太ももが最適と結論を出している。


 センシティブな位置であるし、女子こそが刻印の周辺事実を知識として吸収すべき事柄であるから、男子は術印を刻むときに立ち入ることはない。


 セイもミフィが術印を刻んでいる間は、ヒースと村の温泉に浸かっていた。帰ってくれば彼女達は片づけを終えて、自室に戻っていたから、セイはその日の内にミフィと顔を合わせることは無かった。


 術印を刻んだミフィと顔を合わせたのは翌朝の事だった。


 女子年組の扉から出てきたミフィは挨拶をとばして、

「刻んだよ」

と機嫌も良さそうにセイに報告して来た。


 ミフィの側にアキットもいるから、『平気か?』などという言葉をセイは返さない。

「余裕だったか?」

と穏やかに聞いて、その場をやり過ごす。


 成長すれば、アキットとて結局術印を刻まなければ成らない。刻印は出血を伴うわけだから、セイは無駄に恐怖心を煽りたくはなかった。


 ミフィがいつもに増して上機嫌なのは、自分と同じ着眼点からだとは思うが、念願の術印を刻み込んだという側面もあるだろうとセイは感じていた。


 自分へのあてつけなど、考えてもいないし、気にもしてないと言えば、それがまかり通るくらい、そもそもミフィは術印が好きすぎるのだ。



 この日の夜からミフィはキユキと共に温泉に向かった。


 14歳でありながら術印を持っているという事実が、公国の規則に抵触しているからだ。実状を知らない村人に、ミフィが研究上の特例であることを説明するには、キユキ側からもミフィ側からも相手が居るほうが説明がしやすかったのだ。


 収穫祭の前日まで同行する予定であるとセイも聞き及ぶ。


 果樹の中でもブドウの栽培や収穫の作業時間はぐんを抜いている。収穫の最盛期を迎えて、将来ブドウ農家志望のセイはもちろんのこと、手伝いに借り出される孤児院の年長組も多忙を極めていたから、結局ここ数日はセイも孤児院の皆も全員が一緒に温泉に行き、早めに夜を閉じていた。


 すべからくセイとミフィの夜の修練は一時中断されていた。ミフィがスカートをめくり上げることもないので、セイはミフィの右の太ももに刻まれた術印の存在を、架空の像としてしか扱えなかった。


 ※ 


 収穫祭の前日に至っては、相応の当日を迎えるための準備がある。


 村人が牛を一頭おろして、精肉となったものをセイとヒースは孤児院へ持ち帰ったのは夕方であった。


 一頭まるまる全て持ち帰ったわけではなく、彼らが受け持ったのは、精肉50Kgの分量だ。これを生の牛串にまで調理しておくのが、孤児院担当の前日の準備だ。


 セイとキユキが牛串の準備をするから、ミフィ以下年長組は、年少組の幼子達の皆を温泉に連れて行き、寝かしつけるという事になった。


「いや、二人じゃ大変じゃね?」

とヒースやロックは言い出したが

「こんなときじゃなきゃゆっくり話もしないんだから、いいの。ほっとけば」

とミフィが制止して食後へと至る。


 流石に弟妹達が皿洗いをしてくれた。明日こそが本番であるから、セイも彼らに早目の就寝を促した。


 ニワトリで言えば25羽分の肉の量で、孤児院の厨房は広いが中々の肉塊が作業台の上に積み上げられている。


 調理を始めたキユキは、用意しておいた抜き身の串が竹筒に大量にあるものの、目算するどく、不足を見抜いてセイに尋ねた。


「セイ君、串はもうないのかしら?」

「倉庫の中にまとまった数があると思いますよ。取ってきますか?」

「ええ。お願い」


 セイはそそくさと倉庫へ向かい、串が詰まった箱をとって厨房へ戻ってきた。それから串を洗ってトレーに並べていった。


 いまセイ達が下拵したごしらえしているの串焼きは、当日別の村人が調理する。


 孤児院の皆は収穫祭の当日はブドウ酒作りの担当となっているのだが、実状に疎い初参加のキユキは色々と気になるところ。


「ありがとう。でも本当にいいのかしら? 私が焼かなくて……」

「いいんじゃないんですか? 初めてですよね? ブドウ酒作り」

「うん。私の故郷だとやってなかったから。ああ、タレとか作らなくてもいいのかしら?」

「塩コショウでやってるはずです。どうせ大人達は酔っ払って、味なんて分かってないですよ」


 キユキは包丁を動かし、ひたすらに牛肉を一口大へと切り分けいった。

 セイは長ネギの薄皮を剥いて、機械的に一口大へと切り分けていた。

 作業を進めつつ、キユキからの質問に、セイは知りうる限り適切に答えていた。


 長ネギを切り終わると、セイは牛肉を串の一番下に刺す作業を始めた。

 牛肉を全部挿して終えてから次の段のネギを挿すつもりだ。


「ごめんね。もう休んでくれてもいいのに」

「いえ。でも、さすがに数が数ですね」

「そうねぇ」

「やっぱ、ヒースを呼んできます」

「ああ……でも……、折角だから二人でしない?」

「ええ、はい……」


 セイは作業量が多かったから次男のヒースを呼ぼうとしていた。そこに会話の潤滑油としてヒースを呼ぶ意図は無かった。


 二人で十分だとキユキが言うなら断わる気概もない。人形劇への参加を頼もうとしていたセイにとっては、むしろ好都合であった。


 ただキユキの負担が大きくなるし、とうとうミフィからしっかりコミュニケーションをとるようにと最後通告を言い渡されるほどの関係がセイとキユキである。


 セイとしては、半年すぎて、なおも折れないキユキが不思議でもあった。夏の送霊光矢以来は穏便に付き合ってはいた。今をもってあきらめていないのが不快というわけではなく、むしろキユキの粘り強さには感心するところだった。


 だが人形劇を頼もうとしていたセイにとって、それは少し影を落としていた。


 遠慮がちなキユキ申し出に、うつろに答えたセイは、再びキユキが切り分けた生肉を一切れとっては串に刺し始めた。


 最下段は肉でその上にネギ、肉、ネギ、肉……と挿して生の串を仕上げていくつもりだった。


「セイ君はミフィちゃんの自術印を見たの?」

「見るわけ無いじゃないですか。絵図らヤバイですよ。それ」

「そうかしら?」

「俺がめくるんですか?」

「ふふ。そういう言い方すから」


 ゆるりと答えるキユキ個人の特性と、やや単調に流れる作業が同調し、セイの内化された時間を緩慢なものへと変えていた。セイはどちらかというとキユキの語調にあわせるように喋っていた。


 何をめくるのか、と突き詰める場合、そこにミフィのスカートがあるのだが、ミディ丈の彼女のスカートを伏せて発言しているセイは、みごとなまでの草食ぶりを発揮している。声に抑揚はあるが落ち着きを保っていた。


 とはいえど、セイの中でふつふつと湧き上がる疑問があった。


 頭に浮かんだ最初の絵面はぼかし絵のように曖昧なものであったが、そこからノイズがキャンセルされていく。次第に浮かび上がる当然の疑問であった。


『じゃあ、キユキさんはどうしたんだよ……?』


 クリアな絵の中のキユキは大人のままで、ましてスカートをめくっているはけではなし、いつものように朗らかに微笑んでいる彼女でしかない。


 だが、キユキのそばにいる夫の顔は雲隠れしたままだった。光術の天才であるキユキに良く似合う偉丈夫いじょうふであることや、彼女の夫として相応しい端麗な容姿を備えているであろう事は予測できたが、顔にはもやがかかっていて、掴みどころがない。


 セイは内心で、茶化すわけにもいかなと決着をつけた。顔には出さず、尋ねる気もなかった。


 しかし、

『いや……直接的になるけど、聞くべきだよな……』

とセイの気は変わった。 


 人形劇の事を頼もうとしているときに、キユキの旦那の事が、話題に触る可能性があるという事態へと陥ったことを、セイは悔やんだ。


 セイは今年の保護役については、大きく二つの指針があった。それはひどい保護役ならば自分が矢面に立ち、そうでないなら来年度にも残る弟妹達と交流して欲しいという、単純なものであった。


 現実の予測としては、おそらくその中間からやや悪いほうに傾くと思っていたが、キユキは孤児院に上手く馴染んだ。


 セイは、今年の初めにお喋りがしたいと言ったキユキの希望を忘れてもいないし、気の効いた冗談の一つも言ってこなかった自分のそっけない態度も忘れてはいなかった。


 事実、セイは保護役と話すことを好ましく思っていないし、今もそのきらいがある。時間があるならセイは恋人ととしてのミフィや、弟妹に時間を割きたいのが本心だ。大人二人が顔を突き合わせる事に意義を感じていない。


 ただ、キユキも保護役である以前にヒトである。キユキにはキユキの思いがあり、憧れがあり、幾多にものびる枝分かれした希望のようなものもあるだろう。


 自分の都合で人形劇の参加を頼むという事情が潜む中で、キユキのお喋りに付き合うような態度を取ることは、キユキのご機嫌きげん取りになる構図になってしまう。


『機嫌をとるつもりはない。だけど…』


 純粋にセイはキユキの希望に添えるように、お喋りに付き合っても良いかと考え方を変え始めていた。表層に現れていないのだから、考え方が変えていても、悪く言えば、踏み出してはいないのだ。


 そして今において、その末路は棄却され、現実的に人形劇の参加を頼まなければならない事態に陥っている。


 ミフィの計画を阻止するために、事態を動かさねばならないとセイは感じている。


 一つ、懸念点があるとすれば、キユキがスカートをめくったかどうかを尋ねるということは、故人であるキユキの旦那を、話題に上げるという事を意味し、それが不敬ではないかという点についてだ。


『でも、結局この話題は避けないほうがいい』 


 セイは静かに思った。それは結局キユキとお喋りするなら、おそらくキユキの中心に居座っているであろう、キユキの夫の話題から、いつまでも逃げ続けることが正解なのだろうか……と。


 もくして成立するコミュニケーションがあるならば、聞き出す会話も等しく存在するという、至ってシンプルな事実をキユキに照らし合わせたとき、その答は後者ではないかとセイは感じた。


 迂回うかいに迂回を重ねたが、セイは意を決して当初の予定通りキユキに尋ねた。ゆるく喋りだしたつもりだが、ぎこちない硬さを自身が発する言葉からセイは感じたが、かまう事無く最後まで言い通した。


「じゃあ、キユキさんはどうしたんですか?」

「えっ?」


 セイの想像を絶する硬直があった。


 肉塊を切り分けていたキユキの包丁は止まっているし、まばたきも止まっている。


 思考回路も止まっていそうだし、脳内には混乱から生まれたヒヨコが闊歩かっぽしている……ようにセイには見えた。


 〝えっ〟と言ったまま、きょとんとした表情でキユキは硬直している。


『止めときゃよかった……』


 それを見てセイは完全にあてが外れたと思った。


 ありえないと、のっけから除外していたパターンを、セイはキユキの反応の裏側に感じた。この状況は、キユキのスカートの中に自分が興味を持っていると誤解されたに違いないと、セイは感じていた。


 少なくとも、キユキの表情から怒りや悲しみといったマイナスの感情は見て取れない。だからといって気さくな諧謔ジョークも帰って来ない。


 硬直はなにより、キユキがありえないパターンを一度経由していることの証左であった。

 

 未曾有の危機を前にしてチョコレートの甘い口どけを堪能しているような、何ともいえない、ちぐはぐな感覚をセイは味わっていた。


 コチ、コチ、コチ、と5秒程度だろうか。厨房はしんと静まり返っていた……。


 セイの体内時計からしたら那由他なゆたの時間がすぎている。


 ふふふ、という声がキユキから聞こえて、セイが彼女に視線を戻すと、キユキはいつもの微笑みを浮かべていた。


「ビックリしちゃった。セイ君からそんな事言われるとは思わなかったから」

「いやっ……きゆきさんから……いいだしたんじゃないんですか……」

「そうなんだけね。でもミフィちゃんが聞いてたら怒るんじゃない?」

「そんなことは、ないと思いますけど……」


「ふふ。おかし。でも」

と答えたキユキは、絶妙のタイミングで次の言葉を紡いだ。

「セイ君、なにかあったの?」


 キユキの判断は、キユキの思いやりに基づいたものか、夫についての話題を避けるためであるのか、セイには分からなかった。


 セイは進むべき方向にしたがって、素直にキユキの言葉に甘えた。  


「……はい、まあ……少し頼みたい事があって…」

「なにかしら?」 

「あの、雨の日に俺も人形劇をやる事はできませんか? 最近、年少組の子供達がやってるってギーに聞いたんですけど」

「ええ。それはいいけど……、せっかくだから理由をきいてもいい?」

「はい。いえ、改めて話すような事はほとんどないんですけど……、そうですね、今年の俺は、カリナやヒースに気を使われてる状態だっていうことは知ってますか?」

「うん。何となくは」

「流石に出兵一年前だから、カリナやヒースから修練するようにって、今年度が始まる前に俺は言われてたんです。キユキさんが来る少し前の話ですね。俺がC+って事もあるんですけど、やっぱりミフィと最期の一年になるからっていう理由もあって、今年は特に俺は年少組の奴らの相手をしていません。どちらにしても俺も後一年でいなくなるから、世代交代みたいな感じで、それでいいかなって思ってたんですけど、流石にほっときすぎかなって思うときあるんです。まあ、もとからあいつらは女湯のほうが好きだし、妹達のほうのベットにもぐりこむほうが好きだというのも、あるんですけど……」


 現実的に言えば、女湯のほうが光が多いから幼子達は女湯のほうが好きなのだろが、本質的にはセイの知るところではなかった。


 木の札に描かれた術印に光を灯し、背の高い柵の向こうに放りなげるなり、二股の通路の手前で光源をわたしておくなりすれば、光は男湯にも来るが、この遠距離点灯が出来るのは、長女のミフィと、次女のカリナと、三女のルネまでだ。 


 セイは現実的に考えてサラリと伝えていた。 


「うん。分かった。何かやりたい演目とかはあるの?」

「いえ、そこまでは考えてないです。思いつきの行動ですから。ただ、一軒屋に住むカエルさんの役とかは、ちょっと興味がありますね」

「そうなの? でも、ああ、うん。それはちょっと良くないかも」

「何かまずかったですか?」

「一軒屋に住むカエルさんは主役なの……」


 今度はセイの作業の手が止まってしまった。


「……マジですか?」

「ええ、だからセイ君がカエルさんの役を取っちゃうと、年少組の子が怒ると思うんだけど、ああ、でもあの子達なら大丈夫かしら……」

「いえ、俺はギーからちょっと聞いてた役名を言っただけで、主役まで取るつもりはないんで別の役にしてください」

「でも、せっかくだからみんなでクジ引きとかしてみる?」

「いえ。本当に余った役とかで大丈夫です。雨の日だけですし、俺もそこまでセリフを覚えられないと思いますから」

「そっかぁ」


 やや残念そうに答えるキユキを他所よそに、セイは軽く下を向いていた。


『何だよ。主役かよ』


 先ごろ、四男のギーから人形劇への参加を勧められたのだが、ギーは参加を促しただけではなく、主役も自分に勧めていたのだと、セイはこのとき気がついた。


 少し様子が変わったセイを、キユキは不思議そうに見ていたが、セイは必要になるかもしれない情報へ先に手を伸ばす。


「どんな話何ですか? 一軒屋に住むカエルさんが出てくる話は」


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