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イグニション前の速度より  作者: 紀
【秋の章】
69/82

その牙も、その爪も、その魂も Hパート

 キユキ率いる女子年長組は、年少組の幼子達を三男のロックと四男のギーに任せて、それぞれ準備に散って行った。


 

 ※



 キユキは保護役の部屋へと向う。自術印を刻むための準備は、保護役の部屋に用意されている。昼過ぎから学問の時間などの隙間をぬってキユキが用意したものだ。


 部屋に入って目立つのはテーブルだ。デスクワークに向いた小型のものであるが、今は部屋の中央にあり、孤児院では目ずらしく真っ白なクロスが広げられ、木目が消えている。


 テーブルの上には金属の精錬技術を感じさせる銀色のトレーが乗っている。中に並んだ器具は万年筆が2本、鍋に入った黒のインク、ハサミ、攪拌かくはん棒、漏斗ろうと、空のビン、加えて小さな傷の手当てができる応急キットなどが揃えてある。


 インクはすすと水を原料としたもので、昼にキユキが一度沸騰させて冷ましたものだ。


 ものが違えば食事用のテーブルセッティングにもなりそうであり、規律をもった配置を感じる。


 『あとは……』

キユキは保護役のベットのマットレスの下を片手でまさぐり鍵を取り出した。その鍵をもって棚へと近づいて開錠し、緑色に淡く光る石が入ったビンを取り出した。


 最期の一品として、キユキは机の上にビンをそっと置いた。


 ビンの中には一口サイズのサイコロの形状の立方体が入っている。かどにいくらか丸みがあり、手に馴染みやすい形状になっている緑色の石だ。


 これは公国でペドシュカ鉱石と呼ばれるものである。ペドシュカ鉱石は水と煤の混合液――先ほどの鍋に用意された液体――に対して間接的な触媒のように作用し、混合液を術印インクへと変化させるものだ。



 ※

 


 温泉から帰って来た女子年長組は自室に戻り、着替えが入っていたバケットなどを手放して、必要な準備を進めた。


 次ぎに部屋から出てきたとき、長女のミフィの衣裳が普段の薄手のブーケコートやスカートから、黒色のロングのワンピースに変わっていた。ゆれる前髪と横髪には新たにピンが挿しこめられ留められている。


 三女のルネは紙の術印に淡青色の光を灯しているが、それを手に持って歩いているのは四女のアキットだ。


 そして一人だけ手ぶらで進むのは次女のカリナだ。知略に優れた軍師のような気品がある。

 



 四人は廊下を歩き保護役の部屋に入ると、待ち構えていたキユキが振り返った。落ち着きのある声でミフィに指示を出す。


「じゃあ、右の万年筆で下書きしてね」


 ミフィは頷き万年筆を手にしてテーブルの前のイスに腰掛けた。天井にはキユキの術印が光っている。


 しかし、対象を良く見えるようにするために、アキットは、ルネが光を入れている術印を両手に掲げ、ミフィの太ももに淡青色の光を浴びせた。


 ミフィはワンピースの裾をたくし上げた。白に近い肌色の太ももが淡青色で照り返されている。靴下はない。天井からの赤色光より近くにある淡青色の光りが勝り、ミフィの肌はライトブルーに照らされた。彼女の縁取りから漏れたわずかな光が、床で薄い桜色のスポットを作っている。


「この辺でお願い」


 ミフィがアキットの手をとり、治療に使われる無影灯むえいとうのように位置を微調節した。


 トレーの上に二本並んだ万年筆。ミフィはキユキに言われたとおり、列の右側のものを手にして、正しく右手で握りこんだ。


 万年筆が右の太ももに近づき、ペン先が肌と触れる。わずかな液溜まりが丸い太ももの上に作られるが、ミフィが直ぐに手を動かしたから、流れ落ちるほどではない。術印の断片がぶれることなく、ミフィの細く丸い太ももに描かれていく。


 まず描き出されたのは縁取りとなる円だった。


 太ももの上で円が閉じると、流れるように尻尾へと移行する。ここから、ミフィの術印を描く最短経路と同じ軌跡で、徐々に横向きの猫の姿が表れていく。


 高く突き出した尻、丸みこそ残しているが今こそ飛び跳ねんと感じる背中。頭部のほうへとペンが進むと、尖った耳や額などが連なっていく。デフォルメされた目元は、つり目の形で縁取られ、その瞳は空洞であったが、不在の美学が猫科特有の眼光を感じさせる。


 鼻先や下顎は小さく、いかにも小動物らしいが、威嚇を込めて開かれた口腔こうくう内には鋭く延びる牙が上下から一本づつ伸びている。


 そこから首元へとつながり、さらに前脚からつま先まで来ると、少し脚色された爪が大げさに延びている。ペン先が四足を描くと、ありもしない大地が髣髴ほうふつされ、モチーフの大部分が完成へと近づいた。


 ミフィの万年筆は、再び尻尾のほうへと戻り、術印は完全に姿を表した。


 逆立つ毛先まで感じられる怒れる猫のモチーフが、円の中に納まり、ミフィの右の太ももに居座っている。


 ミフィはしっかりと息を吸い込み、脱力するように告げた。


「出来た」


 黙って様子を見ていたキユキだったが、テーブルの上のペドシュカ鉱石が入っているビンを手に取る。キユキは自術印を一瞬だけ赤色に点灯させ光術を発動した。

「えい」

掛け声と共にビンの蓋をとる。


 即事点灯から、身体強化までの一瞬の身技。


『詠唱とはいったい……』

とカリナは思ったが、特に口にはしなかった。


 ミフィも同じ感想へと居きついたのだろう。

「ほら。やっぱり詠唱なんていらないんじゃない」

「ふふ。そうかもね」


 キユキはその議題について特に取り合わず、ビンの中のベドシュカ鉱石をミフィに渡した。


 人差し指と親指でつまんだペドシュカ鉱石。ミフィはしばらく見つめていた。


 カリナが左手を皿にしてミフィへと差し出す。

「ちょっと貸して」

「なに?」

 素直に従うミフィ。ベトシュカ鉱石はカリナの手に渡った。


 カリナも人差し指と親指でベトシュカ鉱石をつまみ、自身の顔の前に近づけた。カリナはイスに座るミフィを見下ろし、軽く噛むような動きで唇を動かしベトシュカ鉱石にキスをした。


――?――


 カリナはベトシュカ鉱石を少し回転させ、立方体の異なる面をルネの唇の前に移動した。

「ルネはこの辺ね」

「は?」

「キスして」

「ですぅ」

煙たい顔をしたルネであったが、ベドシュカ鉱石に唇を近づけ、チュッっと音と出してキスをした。


――へ?――


 カリナはベトシュカ鉱石を、また少し回転させ、多面体の異なる側面をアキットの唇の前に置いた。

「アキットはこの辺」

「うん」

素直に答えたアキットは、ちゅっ、と喋ってベトシュカ鉱石に唇を触れさせた。


――ちょっ!――


 はたまた回転して、ベドシュカ鉱石はキユキの唇の前で止まる。

「キユキさんもどう?」

「じゃあ」

キユキはベトシュカ鉱石に舌先が少しだけ触れるようなキスをした。


――まっ!!!!――


 カリナはハートフルな声で、ベトシュカ鉱石をミフィの顔の前に近づけて行った。

「はい、姉さん、あーん」

「ちょ! ちょっ! ちょっ!」


 両手をバタバタと動かすミフィ。彼女の唇へと近づいていたカリナは、めんどくさそうに上体を起こして、イスに座ったままのミフィを見下ろした。


「何? スズメの真似? 飛び立つの?」

「ごめんって、ちょっと聞いただけだから」

「何の話? 大丈夫? 姉さんは何も聞いてないよ? はい、あーん」

「ちょ、だから」

「もう……何?」

「だから、少し緊張してただけだから。それで見ただけだから」

「じゃあ緊張は解けた?」

「解けた、解けたから。ね? 後は自分でやるから」


 うんうん、と頷くミフィにカリナは珍しく年上の者に微笑んだ。


「そ、じゃあ美味しそうに舐めてね、はい、あーん」

「味なんて無いでしょ。自分で舐めるから?」


 ミフィの声はうわずっている。


「あーん」

「ちょ……」

「あーん」

「だ……」

「あーん」

「あ……」

「あーん」

「あ……、あ、ぁぁ……」


 ベトシュカ鉱石はカリナの手によりミフィの口に押し込まれた。カリナの人指し指の先が、ミフィの舌を少し撫でてて帰って来る。カリナはミフィを見ながらペロリと指先を舐めた。


 きつく閉じた目でミフィは訴えた。

「ん! なんなの! これ!」

「せっかくだから自術印を刻む時の儀式にしようと思って。私達っぽく」

「私は舐めるだけじゃない!」

「まだ緊張してるの? 天才なんだから少しは頭を回したら?」


 ミフィより速く、部屋に答え響かせたのはアキットだった。


「ミフィお姉ちゃんは防衛線から帰ってきてしよ?」


 ルネも冷静に見逃していない。


「ん? でも来年の今くらいにカリナお姉ちゃんが刻んでるかもしれないですよ?」


 ミフィはいつもより少し目を見開き円らな瞳を作った。彼女は口の中のベトシュカ鉱石を右の頬っぺたに寄せて、ため息を吐くような吐息に、キザっぽい口調を混ぜた。


「曖昧な味ね。ミルクの化石も溶けそうよ」


 アキットはキョロキョロと首を振り、助けを求めるように皆を見上げた。

「どういうコト?」


 カリナが答える。

「今のは聞いちゃダメ。それっぽい事を言っただけだから」

ミフィは得意げに腕組みし、カリナは板についている無表情のままである。


 そうしているとミフィの体全体が、ボンヤリと緑色に光り始めた。ペドシュカ鉱石を口に含んで発生する現象だ。術印インクを生成する過程を進めることができる目安でもある。


 キユキがハサミを手にとって、緑の微光を体全体にまとったミフィの背後へと周った。


「それじゃあ、十本くらい切るわよ?」

「うん」


 キユキはミフィの後ろ髪を指先でつまみ、挟み込んだ端からサラサラとその数を減らして、十本程度の髪を切り離した。


 続いて、用意しておいた鍋にミフィの髪を入れた。ふわりと鍋に舞い降りたミフィの金髪は、切り離されても薄緑を保っていたが、鍋の中の混合液に触れると発火音にも似たボッという音を立てて、液面から消えていった。


 キユキが混合液を攪拌棒かくはんぼうで混ぜると、混合液はかぎりなく黒に近い濃緑色へ変化した。

 

 ミフィはというと、口からペトシュカ鉱石を取り出してトレーの上においた。ミフィの唾液でしっとりとしているが、形は変わっていない。ペドシュカ鉱石は舐めて減るような飴玉のようなものではない。


 トレーの上のペドシュカ鉱石。ひょいと拾い上げて口に含んだのはカリナだった。


「ちょっとカリナ。そこまでしなくていいってば!」

「でも置いとくと汚い感じがしない?」

「しないし! それにみんな引いてるじゃない?」


 カリナが辺りを見渡すと、やや引き気味に瞠目している皆がいた。

「しない?」


 咎めたのは三女のルネだった。

「イカレてる姉上達だと思ってましたけど……まさかここまでとは……」

「そう。 ……しゅん」


 言語で哀しみを表現したカリナであったが、その顔は相変わらず言葉の意味を感じさせない無表情だった。カリナは流し目でチラリとアキットを見る。


「アキットはどっちが汚いと思う?」

「どっちも汚くないと思う」

「そう。じゃあこの儀式は自由行動ね」


 ここでなぜかルネがハッと表情を灯した。あんぐりと開いた口元で目を輝かせ、ミフィとカリナを交互にキョロキョロと見ている。


 ミフィとカリナは含みをもたせた静かな笑みで、表情を浮かべている。


 ルネはバッと一度アキットを見て、すぐに皆に背を向けて、壁のほうに向かいニヤリとわらった。この手の表情において、普段は横一文字の目蓋であるが、今は珍しく薄く開いている。

 

「?」

アキットは不思議そうにキョロキョロと辺りを見渡す。

――今のは聞いちゃダメ――

さきほどのカリナの忠告がだまらせたのうだろうか。どちらにせよ誰も答えはしなかった。

  

 キユキは苦笑をを浮かべていたが

「じゃあ、そろそろ次ぎに行くね」

といって用意した別の器具のほうへと手を伸ばした。

 

 キユキはトレーに攪拌棒かくはんぼうを返して、万年筆のインクタンクのふたをとり、漏斗ろうとあてがって、それをカリナに渡した。


「じゃあ、これを持ってくれる?」

「はい」


 キユキは鍋と漏斗に攪拌棒を添えてから、少しづつ鍋を傾けた。鍋から棒へ、棒から漏斗へ順に術印インクがつたう。溢れることを嫌ったキユキは直ぐに鍋を水平に戻したが、 万年筆の細いインクタンクには満タンになった。



 キユキが

「それじゃあ、想起して」

と言うと、着席中のミフィはすでに目蓋を閉じて、手を組んでいた。


 ペドシュカ鉱石のせいで、意味もなく緑の光をまとっているカリナだけは、どこか滑稽こっけいにもみえるが、想起を止めないミフィを皆はただ黙って待っていた。


 10分程度、皆がとどまり停止した時間のような空間が生まれた。


 次ぎに事態が動き出したのは、ミフィの閉じた目蓋から一筋の涙を流れ落ちたときだった。


 ミフィは瞼を開いてカリナから万年筆を受け取とる。


 アキットが先ほどと同じく、ミフィの右の太ももへと術印の照明を移動した。


 ミフィは黙ったまま太ももの下書きを頼りに、万年筆で術印を刻み始めた。


 ミフィが握る万年筆は特注品だ。術印を刻むために公国が特別に製造しているもので、ペン先が鋭利に尖っている。


 万年筆のペン先が、ミフィの太ももに裂け目をつくり、傷口の上からはインクが落とされ、肌の下からは血が滲み出ていた。流れ落ちるほどではないが、太もも術印の線画が、赤黒く塗り替えられていく。


 ミフィの額からはすぐに汗が出始めたが、彼女は一度も手を止める事はなかった。


 机の上に万年筆を置いたミフィは

「おわり」

と言って椅子の背もたれに体重を預け、天井を見上げた。


 キユキは直ぐに精綿せいめんに蒸留酒由来の高濃度のアルコールを含ませて、ミフィが術印を刻み込んだ太ももを治療した。


 途中顔を歪めるミフィに

「しみる?」

などと聞いてはいるがキユキは手をとめずに、余分な血とインクを拭き取り、手早く包帯を巻いて手当した。


 最後に、キユキは鍋に残った混合液をビンに移し、光術の身体強化を発動して蓋をきつく閉め、袱紗ふくさのような柔らかい布が敷き詰められた小さな木箱にビンと万年筆を納めた。


「これで一生いっしょう分。無くすとまた作らないといけないけどね。今日持って帰る? 明日とりに来る?」

「ありがと。大丈夫。持って帰るから」


 ミフィは椅子から立ち上がって木箱を受けとった。片腕で木箱を腰に抱えて、右のてのひらをしたに向け、わずかに前方へと伸ばし、涼やかな声でささやいた。


「逃げること適わぬ産声の守り手。その牙も、その爪も、その魂も……」


 ミフィが着ているスカートの生地。右の太もも付近がわずかに黒く光る。


「詠唱ぉ……」


 アキットが呟いた。 


 ミフィはアキットに微笑みながら、太ももまでスカートを捲り上げた。右の太ももに撒きついている包帯の布地が、うすくボンヤリと黒く光っている。


「うん。ちゃんと光ってる」


 満足げに笑みを零すミフィを見て、ボンヤリと光っているカリナは口腔内のペドシュカ鉱石を左の頬に寄せた。


「じゃあ、片付けはやっとくから姉さん達は休んで」


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