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イグニション前の速度より  作者: 紀
【秋の章】
68/82

その牙も、その爪も、その魂も Gパート

 蛇口から出てくる水が、どす黒い血液のような色になっているが、セイは皿の手触りなども頼りに作業を続けつつ、思考を回し始めた。


『自術印を刻むって事は、俺と距離を置きたいって話か? いや違う。そんな単純な話じゃない。でも、このタイミングって事は、嫌がらせとしては確信犯なんだろ? いや。違うのか……。嫌がらせ。それが全てじゃないけど、含まれてることは間違いない。多分、ミフィは気がついている……』


 セイの脳裏には〝清楚系彼女が俺の前だけでミニスカートなメイドの件について〟という薄い恋愛小説の表紙が浮かびあがった。


 はるか昔。まだヒトとガルフが争う前の時代。その直前にはヒトとヒトとが争う時代が公国にはあった。そしてさらに時代を遡れば、ヒトとヒトとの主従関係が存在した時代が公国にはある。その時代は光術が開発される前の時代であった。光術前の時代、すなわちヒトの体に術印が刻まれる前の時代だ。


 〝1000年前の太古の時代〟と呼ばれる。この時代に存在したのが、メイドである。


 平等を重んじる現公国において、職業メイドは誰一人いない。しかしメイドは今の時代を生きる少年の夢想を込めて、〝薄い恋愛小説〟の中などで語り継がれている。セイが思い出したのは、そこから派生した一冊であった。


 表紙を飾る美少女は、ミニスカートのメイド服を着て、恥じらいの表情と共にスカートの手前に伸ばそうとしている。


 ミフィが普段着ているスカートの長さは膝丈だ。太ももは見えていない。


『このタイミングで術印を刻むっていうことは、つまりはそういう事なんだろ?』


 収穫祭で使われるメイド服は、ミニスカートだ。


『わざわざ術印が刻まれた太ももを、収穫祭の前に用意するってことなんだろ?』


 このタイミングで、ミフィはわざと自術印を刻んだ。セイとって最期の収穫祭の前にミフィは太ももに術印を刻む……。セイはそう解釈した。


『これでミフィが一人で出兵するっていう事は確定した。だとしたらどうする? またいさかいを起すのか? いや。だめだ。シラを切られて終わるだけだ。事実、ミフィが自術印を刻むっていうのは、ある意味、俺がキユキさんに頼んだ事だ』


「クソ……」


 ミフィが強くなる事は、セイが確かにキユキに頼んだことであったが、やるせない感情が口から零れた。 

 

『だめだ。落ち着け……』


 セイは背中を逸らし天井のを見上げて、そこに貼り付けられている5枚の術印を見た。今、はキユキとミフィの術印が光を放っている。その一つが今晩ミフィの太ももに刻まれる。


『ただ、それだけのことだ』


 セイは再びシンクで手を動かし始めた。


『冷静になれ。ミフィだってギリギリのはずだ。このタイミングで自術印を刻むっていうことは、ミフィにとってもイレギュラーだったはずだ。俺からの疑いが不可避になるからだ。だけど、そうあったとしても、妹に光術を教えるっていう観点に立てば、自術印を刻むのは速いほうがいい。ミフィも姉としてギリギリのところを生きているはずだ』


 セイがわざわざ嫌がるような事をする。であるならば、ミフィの行動は怪しい者になる。しかしながら、その手段をミフィは選んだ。姉のとしてのミフィの立場が、その手段を選ばせた。


 収穫祭を控えたたった一週間の妥協さえ、ミフィは許さなかった。


 ビックリ・ドッキリ・大作戦はミフィの建前である事を、セイは見逃してなかった。


『その大切にしている妹の一人を犠牲にして新制度を選んだのは、俺なんだけどな……』


 提案書を最終的に推したのがセイである。思考の上でだけの話に納まった話ではあるが、そのときセイはセリアを犠牲していた。セイはその事実の上も生きている。ただ、この事実だけは、セイは誰にも口にしていないし、するつもりもなかった。少なくとも、提案書の事実を伝えた時点で、ミフィならば気が付いても、当然だろうと思っていた。


『ミフィは怒っているのか? だとしたらアキットに何の関係がある……』


 食堂の扉が開いた。姿を現したのはヒースだった。

「うわっ、スゲー色だな」

と呟いて厨房にいるセイのほうに歩み寄ってくる。


「兄貴、手伝うよ」

「なんだよ。みんなと風呂に行かなかったのか?」

「兄貴が一人になるじゃん。一人だと寂しいだろ?」

「泣かせに来たのか?」

「おう」

「気持ち悪い奴だな」

「だろぉぉ?」


 セイが笑うと、ヒースも合わせて、へへっと顔を緩ませた。

 

 ヒースはフキンを取って、セイが洗った皿などを拭いて行く。


「しっかしミフィ姉もミフィ姉で、わが道をいくっていうかさぁ。普通にやってんな。流石に出兵前になるともう少し暗くなるかと思ってたけど」

「それをしないからミフィは長女なんだよ」

「兄貴の前でもか?」

「めずらしいな。お前が詮索してくるとか」

「ミフィ姉は来年もここに残るわけだから。気持ちの一つや二つ、吐き出す所くらいはあんのかなって。気にはなるだろ? 実際、出兵って洒落にならねーから。あと半年切ってんだぜ。兄貴がいなくなるまで」

「なにもかもがってわけじゃないけど、それでもミフィの気持ちはしっかりしてるよ。半年どころじゃない。最後まで面白おかしくやっていこうってのは、もうとっくの昔に決めた事だよ」

「でもさぁ。ミフィ姉は損してるだろ? 同い年の恋人から考えると、一年分は少ないわけだから」

「まあなあ」


 あるいは、そいういった事を考える一年であったのかもしれない、とヒースに遠まわしに言われた気がして、セイはとぼけることにした。


「そう思うか?」

「そりゃあな」

「姉思いの弟がいてミフィも喜んでるよ。多分カリナもな」

「な、なんでカリナ姉の話が出てくるんだよ」

「気にはなるんだよ。いいじゃないか。少しくらい話してくれても。朝とか何はなしてるんだよ」

「しょ、しょうも無い事しか話してねーよ」

「でも俺、この前たまたま早起きしたときに見たんだよ」

「何を?」

「お前とカリナが抱き合ってるところ」

「根も葉もないこと言うなよ。んな事やってねえってっ。二人じゃあるまいし」

「なんだ? まじで何もないのか?」

「何もねーよ。ったく。隙あらば鎌かけてきやがる」

「悪い。いじるつもりは無いんだ」


 皿を洗い終わったセイは、ヒースの肩に腕を回して引っ付いた。頬と頬が触れ合いそうなほどの距離で、セイは重苦しく言葉を吐いた。


「でもなあ。ヒース……。カリナはいいやつだと思うぞ」

「や、やめろよっ……。 その深刻な説得始めました、みたいなノリは」

「自分が死んだときが気になるか?」

「あ、当たり前だろ」

「でもそれには答がある」

「知ってるよ。その話は。弟か妹か誰かがいるだろって話だろ? カリナ姉から聞いたよ。もとはミフィ姉が言い出した事だろ。それ」

「なんだよ。知ってるのか?」


 セイはヒースを離してやった。

 ヒースは凝りをほぐすように肩を軽く上げて、再び皿を拭き始めた。


「それは二人の話だ。俺はそれに頼りたくねーんだよ。俺は俺の理論に基づいてやる」

「真理が一つの場合もあるんじゃないのか?」

「わかってるよ。だけど俺はそれに頼る気にならない」

「意地とかプライドか?」

「ミクスチャー。寄せ集めだよ。それに……」

「それに?」

「カリナ姉が納得しねーよ」


 摩擦で皿を暖めているのだろうか。セイがそう思うほどヒースは皿の水滴を丁寧に拭いていた。


「ふむ。……。なあヒース。お前は風呂敷を広げすぎてるんじゃないのか?」

「気付いたら広がってたんだよ。俺は畳んでるほうだ。仕舞うべきタンスだって探している」

「そうなのか?」

「そうだよ」

「でも、ひっぱればひっぱるほどきつくなる。その風呂敷ってやつも広がって行くんじゃないのか?」

「兄貴がさっさとやって上手い事カタをつけたってのは認めるよ」


 セイがミフィへの告白をやってのけている事実は、ヒースに不透明な尊敬の念を与えていた。


 ふと皿を拭いていたヒースの手が止まる。


 何事かと思い、セイも手を止めた。


 「?……?」


 ヒースは内面で劇化した情景を、彼自身も信じることができなかったわけだ。

「やっぱ、カリナ姉から告白してくるってのは……」

といったヒースの歪んだ口角は泣くように下がっていて、それ以上を言葉を繋ぐことができなかった。


 公国では決して男子が女子に告白するという習慣があるわけではないが、セイもその情景だけは浮かばず、そっと次男の妄想に幕をおろした。

「悪いな。ヒース。それだけはないって俺でも断言できるよ」


「だよなぁ」

「あきらめて切り替えたほうがいい」

「はぁ……」

「まあ、元気出せよ」

「出さねーといけねーのは知恵のなんだよなぁ」


 セイは布巾を手に取った。水と比べて温かみを感じる。そろそろ調理後に残った炭火で、洗い物のための湯を沸かす季節が近いかと感じるが、とりあえず、とぼとぼと皿を拭き始めたヒースと一緒に、皿を拭いた。


 二人は後片付けを終えると、庭に出て剣を振り始めた。しばらくして、先に村の温泉へと行っていた12人が孤児院に帰って来た。


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