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イグニション前の速度より  作者: 紀
【秋の章】
67/82

その牙も、その爪も、その魂も Fパート

 キユキがミフィへ自術印について話した日の夕刻をすぎて、セイは孤児院へ帰って来た。


 セイは孤児院へと入ると直ぐに食堂へと向かった。扉を開けば白色光が広角に広がって行く。カリナの術印が食堂の天井で光っていた。


 部屋の中央にはテーブルが鎮座している。つるりとした天板の縁取りは、天然を感じさせる歪曲が残ってい。部屋のスペースを無駄にしない長方形だ。差し込まれたイスの背も垂れたは対面二重の列を作っている。


 食堂の出入り口に最も近いテーブルの端の席がセイのものだ。


 スープが木製のわんに注がれて、テーブルに乗っている。液性は透明であるが、ほんのりオレンジ色になってる。底に沈殿しているニンジンのみじん切りが、彩りを支えているのだろう。


 重ね置きされた木製のコップの2つのタワー。その最下段を、そのまま両手にもって、テーブルを一周しているのはロックだ。となりいるギーが積み重なった最上段から、一個一個取り分けて各席のテーブルに添えている。


 フキンを備え付ける者。残りのスープを運ぶ者。俵積たわらづみのパンを運ぶ者。それぞれがセッティングを進めていた。


 ヒースとカリナが両手にトレーで器用に運んでいるのは、薄く焼き目がついた骨付きの鳥もも肉。その上にはヒラリと緑のレモン・ライム。さらにはニンニクベースの液体アーリ・オーリオが掛けられている……のではないかとセイは匂いで感じた。


 奥まった位置にいる年少組の幼子達が、互いにその手を鼻に押し付けあって、笑い転げている。食堂にただよっている香しい匂いからしてもセイは自分の予測が外れていないことを確信した。


 食堂に姿を表したセイを見て幼子達は動き出した。


「あっ。来たー!」

「「「「セイお兄ちゃん来たー!」」」」


 幼子達は最年少のレオの最初の一言にみんなして釣られて、やや間違った言語でセイの帰宅を歓迎した。壁に寄ったヒースの前と、テーブルに寄ったカリナの横は彼らのために開かれた通路であった。トコトコと歩いてセイの元へとたどり着く。


「帰った……な。ただいま」

と苦笑して、セイは幼子達を一人ずつ抱き上げては降ろしていく。


 さらに準備を進めて、いつものように夕食は始まり、そして、終わろうとしていた。

 このときにセイはミフィから告げられた。


「今日の夜の修練、私はお休みね」

「ああ。何かあったのか?」

「自術印を刻むことにしたの」

「ん? ……。ああ、突然だな」

「そういう日もあるって事ね」


『約束を守ったんだな。キユキさんは』

出来る限り妹を強くして欲しい。それはセイが依頼した事の一つだった。ミフィから伝えれれて、第一にその解釈が生まれたのだが、

『だけど……』

と思いセイはそれとなく右隣に座っているヒースを見た。


 ざわついていたので、セイとミフィの会話が耳に入ったのは、隣のヒースまでなのだろう。


 次男のヒースの隣――つまりはセイの二つ隣――の席に座っている三男のロックは、食事の前からテーブルの上に置いておいた、この地方では見かけない極彩色の不思議な種についての希少性を、年下の者に訴えていた。


 ただ、ヒースのほうは、沈黙を守ってはいるが、怪訝な顔付きでセイとミフィを交互に見ていた。


 セイはごく普通に尋ねることにした。それが一番、後からどのようにでも解釈する余地がある所作として無難であるから、とりあえず口を動かしてミフィと会話を続けた。


「15歳になってからじゃないと、まずいんじゃないのか? キユキさんの力技か?」 

「まあ。そんな所ね。でも規則に準拠した研究扱いになるみたい。昨日お手紙が帰って来たんだって中央光術研究所から」

「ラボか?」

「どちらかというとインスティテューションね。孤児院機関とも連携してるみたいだから」

「産学連携か?」

「どちらかというと官学連携ね。孤児院機関も中央光術研究所も公国の保有の研究所だから」

「最先端か?」

「サンプルのごく一部の提供ってくらいの話ね。一人のデータで何かが分かるとかは無いから」

「研究者とかくるのか?」

「ううん。ここでの研究はキユキさんが主任になるからとりあえずは来ないみたい」


 セイとミフィの会話が止まってから、ヒースが口を挟んだ。


「いや、おかしくねえか? なんでそんな大事な話、兄貴が知ってないんだよ?」


『だよな。そうなるよ。どうする気だ?』

 セイはミフィを見たが、ミフィは葡萄を口に含んでいた。


 ヒースに答えたのは、カリナだった。

「ビックリ・ドッキリ・大作戦」

「は?」

「ビックリ・ドッキリ・大作戦。ヒースも兄さんがとぼけた理由を考えたら?」

「えっ! それじゃあ俺は余計な事を言ったのか?」

「そうね。ヒースが掘り下げなければ良かった話だから」


 『食事中にする話でもないし』

とカリナは自身の頭上と天井をつなぐ光の線を見た。


 気まずそうに顔を歪めたヒースはそのままセイの方へと向き直った。


「わりぃ、兄貴……」

「いいよ。気にするな」


 謝罪にはおよばないといった笑みで、ブドウに手を伸ばすセイは、あながちヒースの発言が的外れだとは思えなかった。


『お前の直観は多分、間違ってない。自術印を刻む事。その奥にあるビックリ・ドッキリ大作戦。それで。その奥もあるんだろ? ミフィ? ……』


 ミフィはブドウつまむ手を止めて、セイに依頼した。


「ということで、お兄ちゃん、今日のお皿洗いはよろしくね」

「もとから俺の当番だろ? 今日は」

「遅くなると悪いから、キユキさんも食べたら直ぐにお風呂に行こって話になってるんだけど」

「そうか。分かった。やっとくよ」

「うん。お願い」


 14歳や13歳から自術印を刻む事に利点はほぼないと、公国ではすでに解明されている。解明されたと考えられている理論に、再び一石を投じるのが、キユキとミフィの研究だ。特に目新しい研究ではなく、徒労に終わる可能性のほうが大きい。


 セイはその他にも、最近キユキが光術研究所と手紙のやり取りして、研究の許可を貰ったことや、最後に夜の時間は週に二回ほどキユキと修練する事を告げられた。


 四人一皿として盛られたブドウに、セイも手を伸ばしていたが、今一つ味を感じることができずに、その日の夕食は終わった。


 話し込んでいたので、ルネからギーまでのミドル・エイジの者達はすでに食堂から姿を消していた。


 セイ達は食器を持って厨房に入り、洗い場についた。カリナとヒースの食器を貰い受けると、二人も厨房を通り抜けて、そのまま食堂からも出て行った。年少組の幼子達が優雅に食事を続け、キユキも付き添っているから、とりあえず、ミフィも皿洗いを手伝い始めた。


 食堂も厨房も、天井の術印はカリナが光を灯していたが、彼女が立ち去るとその白色光は消えた。替わりに厨房の術印へミフィが黒色点灯を入れて、食堂の天井へはキユキが赤色の光を入れた。


 幼子達も慣れたもので、光彩の変化に騒ぎ出すことなく、それぞれのスタイルでブドウの皮と格闘している。皮を残して果肉だけを器用に吸い込む者もいれば、我慢強く皮を剥いて剥く者もいる。


 年少組の幼子達の食事が終わりそうな頃になると、ミフィは食器を拭いている手を止めて、「それじゃあね」と言って厨房から出て行った。


 ミフィが出て行っても厨房の天井には黒色点灯が灯っていた。術印から延びる黒い光の線は、彼女の残滓として空中に奇妙に漂っていた。


 厨房は黒色点灯で視界は見え辛いのだが、セイは慣れたものだった。皿と皿をぶつける事無く汚れを落として行く。


 そしてミフィと入れ替わるように、積み重なったからの皿をもったキユキが厨房へと入ってきた。


 幼子達が食堂と厨房の境目で食器を持っているので、キユキは幼子達との間を往復してセイが皿洗いをしているシンクに食器を置いた。


「セイ君。今日のお皿洗いお願いしてもいいかしら?」

「はい。大丈夫です。気にしないで下さい。こんな事言うのも変な感じなんですけど、ミフィをお願いします」

「うん。大丈夫。面倒な事は起きないようにまとめたつもりだから」

「はい。ミフィから聞きました。助かります」


 手ぶらになった5人の幼子達は、食堂の扉を開いて、その近くに佇んでいる。闇夜の廊下を前にしてその先に進むことが出来ていない。次ぎに次ぎにという気持ちから、キユキより先に動き出したいのであろうが、結局は保護役のキユキが来るのを待っている。


 キユキの視線が幼子とセイを行き来する。


「こういう事は、ミフィちゃんの口から伝わったほうがいいかなって思って、黙ってたんだんだけど……」


 職務の上では当然であるが、それに加えて妹達を出来る限り強くしてくれと頼んだのはセイだった。そのために研究を用意したのがキユキである。こう認識したセイに、一つの疑問が浮かんだ。


 キユキが卑怯な人間なのだろうかという疑問である。


『キユキさんが卑怯。いや、キユキさんはそういう人じゃない。だとしたら、ビックリ・ドッキリ大作戦を隠すために、ミフィに依存した変な言い回しになっている』


 セイは事態の一部を推し量った。おそらく、研究の話を進めてはいたのはキユキが単独で行なった場合と、キユキとミフィが二人で勧めた場合の二通りのいずれかだと……。


 セイは予測の内に2つパターンが浮かんだが、厨房の出入り口で、キユキを待ち望んでいる年少組の幼子達の様子が気になる。


 セイはキユキを幼子達のもとへと返してやろうと思い、すぐに答が欲しかったので、雑な扱いになるだろうと感じたが、率直に聞いた。気前のいい声で、できるだけ明るく。


「でもそれもミフィが言い出した事なんじゃないんですか?」

「ううん。全部が全部っていうわけでもないから」


 しかしながら、キユキは真剣に答える。


 『この言い分だと、キユキさんも加担したと思っていい。だけど多分、それもミフィの誘導だ。……。研究許可の手紙が最近届いたというなら、それ以前から申請のためにも光術機関とは手紙をやりとりしていたはずだ。じゃあ研究の話はいつの頃から出てきたって話なんだけど……』


 セイにもっと深く聞きたい事があったが、一握の時間の間に、その悩みを捨てて、心の内に留めることにした。キユキの真摯な態度を感じたからだ。


 おそらく、今のキユキにこれ以上込み入った事を聞くと、自身がミフィを疑っていることをキユキには悟られると感じた。それだけは避けたい。それは暗に提案書を作ったキユキを責めることになるからだ。


 キユキが過去最高の〝保護役〟であるという判定は、季節を跨ぎ、セイの中で疑いようのない事実として組み上がっていた。


 セイはキユキが傷つくのが嫌だった。


 雑に作った自身の問いかけに、何かひっかかりを感じたようなキユキを、いち早く開放してやるべきだと感じた。


「じゃあビックリ・ドッキリ・大作戦のせいですね」

「セイ君は知ってるの?」

「その存在だけは?」

「ん? じゃあ何も知らないってこと?」

「そんな所です。はやく行ってやって下さい。あいつらも待ってますよ?」


 年少組の幼子の一人は、樹木を抱くコアラのように、開いた扉の薄い断面に寄りかかっている。ほかの者達もつぶさにキユキを待っている。


「うん。それじゃあよろしくね」

「はい」

「大丈夫? 手元が暗くない? 私の術印も点けたほうがいい? あぁ、でも変な色になるかな……」

「せっかくだから点けてみくれませんか?」


 瞬く間にキユキの胸元と天井の術印との間に、赤い光の線が橋渡しされれ、天井の術印の全体が光る。内界では3つ。外界において2つ起こっている事象に生じるわずかな時間を、ヒトは感じる事ができない。


『イカれた速さだな。ミフィでさえ遅くみえる』 


 セイは辺りを見渡した。黒色と赤色の光りが混ざり、邪悪なかがり火のような光りが厨房を包みこんだ。

 

「やっぱり、すごい色になったね……」

「ですね。バンパイアでも出てきそうな感じですね」

「ふふ。それじゃあ、消してから行ったほうがいい?」

「いえ。せっかくなんでこのままにして貰ってもいいですか?」

「ええ。それじゃあお願いね」


 ここまで言うとキユキも厨房から出て、食堂の扉の前で待っている幼子達と合流し、セイの前から姿を消した。宙ぶらりんの赤い接合の光の線が、ミフィが残した黒い光の線に加えて、空中に漂っている。


『ビックリ・ドッキリ大作戦。ここまでやるか……』


 たった一つ用意したそれで、カリナの口を黙らせ、キユキの口を黙らせ、そして、自分がキユキに不用意に突っ込んだ場合の逃げ口上としても機能していた。セイは静かにミフィの深遠を感じていた。


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