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イグニション前の速度より  作者: 紀
【秋の章】
62/82

その牙も、その爪も、その魂も Aパート

 朝を迎えた孤児院の少年少女達が集合するのは食堂であるのだが、それまでには、身支度みじたくをしたりと、各個人の時間がある。

 

 起きてすぐのセイが知りうるのは、同室の男子年長組の弟3人なのだが、ヒースは早朝から体を動かしているのだろう。その姿はない。セイは着替えてからロックとギーを呼び覚ます。


 二人の弟はこのタイミングで起床すると、朝食の頃合に調度いい。


 一足先に自室を出て、左右を見渡せば一直線の廊下が伸びている。ヒト4人が横並びでも歩ける、並の住宅では遠く及ばない横幅がある。絵画やオブジェがないのでガランとはしているが、廊下の南側の壁面にはガラス窓がある。


 秋晴れの快晴だ。曙光しょうこうが放射ととともに窓を突き抜けて、廊下や壁面に日向を生み出し、木造建築の柔らかさを茶色の変化で際立たせている。


 日が差し込む窓の対面が、廊下の北側の壁面となっている。今しがたセイが出てきた部屋の位置だ。


 こちらの壁にそって左右に目配せすると、所所に扉があり、所所に窓がある。その一つ一つが女子年長組の部屋のものであったり、年少組の部屋のものであったり、保健室や図書室である。


 女子年長組の部屋の窓は、ピンクをさらに一段薄くした桜色のカーテンが閉まっている。太陽光には遥かに劣るものの、カーテン生地は煌々(こうこう)として明るい。照度の強さと色味から、セイはそれがアキットのものである事が分かる。


 孤児院の皆が近頃とっている朝の初動を考えても、彼女であることは確かだ。


 セイは外が見える廊下の窓辺へと近づいて、孤児院の庭を見た。夜に修練している自分達と同じ場所に、次女のカリナと次男のヒースがいる。セイは育成に力を込めた名監督のように腕を組み、二人の様子を見て、次第に表情を緩めていった。


 セイからは20メートル程度の距離感だろうか。カリナの口元が動けば、何やらヒースが血相を変えて叫んでいる。


 閉じた窓が彼女らの声を遮り、詳細は聞き取れないのだが、片や〝光術〟の修練をして片や真面目に剣を振っていた……かと思った直後の変り様。


『なんか楽しそうにやってるな』

とセイは目を細めてぼんやりと見ていた。


 自分とミフィが十代早々に決着をつけた事を、どこまでも引き伸ばしているのが、カリナとヒースだ。無難に考えて、カリナの気持ちもヒースに向いているとセイは思っている。共に過ごした時間が長すぎるから、あと一歩が難しい所にあるのも確かな事だが、共に積み上げた時間が、当人たちも楽しませる奇妙な建前を作ってしまったのだろうと思うと、いくから可笑しくなってくる。


 抜き差しなら無い事情もあるのだが、二人の立場と心の機微を理解している、とでもいった感じで見守る立ち居地が、セイはほどほど心地よくもある。過去にミフィが至上主義とまで断定した恋愛目線は、自身でも府に落ちる判決なのだった。


 そうしていると、ミフィとアキットが女子年長組の部屋から出てくる。


 ミフィの声は起き抜けにしても明るい。


「おはよ。お兄ちゃん」

「おはよう。ミフィ」


 セイも人当たりのよさそうな声で答える。


 整った金色の毛先が、ミフィの輪郭を際出させている。そして、長女の後から出てきたアキットのウェーブがかったキャラメルブランの長髪は、ブラシでかしたのが分かるように線形が優美に纏っている。


 先に出てきたミフィはトコトコと歩いてセイの横を通り過ぎていくが、アキットは「ふん」と言って、くりりとした瞳をつり目に変えて、〝位置について″のスタンディング・スタートの構えに入る。


 幾分、運動不足になりがちなのが、公国の女子であるのかもしれない。体をいっぱいに使いたくなる衝動の捌け口が、このときセイを一匹の小さな馬にする。


 タタタっと駆け出したアキットは、廊下の真中で身をかがめるたセイの背中に手を着いて、「おはよおぅ」と楽しげな声と共に、跳び箱のように越えていく。


『このまま行くか? まあ行くんだろうな』


「おはよう」と、セイが答えて顔を上げれば、先に進むミフィと、横に並ぶまで小走りをしているアキットが視界に入る。


 思い起こせば、昔は自分とミフィの二人だけで食堂へ向っていた。カリナが年長組にあがってからは、年度毎に頭数が増えて行き、いつしかヒースが朝に修練を始めたので、部屋を出たセイの立ち位置が窓辺に固定された。


 アキットが来てから馬になったのは気まぐれだったが、四女がこのまま飽きずに自分の出兵が来る未来を、セイは見たかった。そしてミフィがこのとき振り向いた事は、この長い孤児院での生活の間に一度も無かったという事も思い出す。


 今年の秋に入ってからは、ミフィは今更振り返る事はないだろうともセイは感じてた。


 感傷的ないくつかの心を、そっと唾棄だきして、セイは再び窓辺へと近づいた。


『でも、だとしら俺がアキットのパンツを見ない確証が、今までどこにあったんだよ……。いや、違うのか……。この反芻はんすうは意味がない。多分、俺が今ここで考るべき事は、〝ミフィはなんで今さら俺がアキットのパンツを見ると思ってるんだってことだ〟……。……。スパッツとかパニエの防衛機構もあるかもしれないけど……』


 再び思考の歪みを感じたので、セイは窓から外へと視界を開いた。敷地を囲む点々とした木々が、庭に影を伸ばしているが、それよりも遥かに広い面積が朝の光を受けている。


『夏以降と以前で何が違うんだ? 俺の事は信じていてくれたんじゃないのか? 恋人として積み上げた時間は嘘なのか? 嘘でキスまでするのか? ……。』


 思考を沈黙させても、何も思い浮かばず、結局セイは心のなかで呟くしかなった。


『単純な事だ。この孤児院にミフィは必要だ。犠牲があっても……』


 快晴を予感させる朝の空は透き通る青のグラデーション。抜けて行く青に勝る明度の中心は、円環の日差しを伴った太陽で、今しがた山際から姿を完全に現した。公国の気候は晴れが多い。


『やっぱり人形劇からか……』


 セイは人形劇にミフィを巻き込むべきだと考えていた。


 セイはミフを動かさないと話にならないと感じている。つまりは現状維持が悪手であると理解しているのだ。だから揺さぶりをかけるしかない。大っぴらに直接問いただす事が出来なくても、ミフィを動かせば足跡も出てくる。出てきたものからまた考え始めれば、ミフィを止める事ができるかもしれない。


『人形劇なら、年少組の奴らにも楽しんでもらえるだろうし……』


 そこから先がセイの迷宮であった。


『で……なんだよなぁ。それからどうするか、だ。キユキさんに頼むのはそこまで問題じゃない。当番はいくらでもある。いつでも間に合う……。問題は、ミフィの巻き込み方と、その先だ……』


 揺さぶった先の決着のつけ方まで、セイは思い浮かんでいなかった。


 再び、窓からヒースとカリナをぼんやりとみていると、視界に2リーッターの銀色の牛乳缶を抱えて、三女のルネが門から庭をつっきり、外界から帰ってくる姿が見えた。彼女は最近子牛を生んだ牝牛から、乳を搾ってきているのだ。


 玄関をくぐって「おはようですぅ」と、距離感のあるセイに伝えて、そのまま食堂の方へと離れて行く。


 次ぎに、自分と同じ男子年長組の部屋から、ロックとギーが出てくると、セイは窓を開け放った。カリナとヒースへ時限を告げる。


「カリナ! ヒース! 飯に行こう!」

「おー」


 ヒースが間延びした声を返して、カリナがコクリと頷いた。


 朝は朝食の準備の他にも、何かと忙しいだろうと思い、セイは先に厨房へ入っているキユキの元へ、人形劇への参加の旨を伝えはしない。先の展開も今一つ思い浮かんでないのが、相応の原因でもある。


 セイはロックとギーを連れて予定通り、真っすぐに伸びる廊下の突き当たりにある食堂へと向かった。行きしなにセイは何となくロックとギーの寝癖を両手でわしゃわしゃとして馴染ませた。


 朝食後のカリキュラムは、スケジュールに沿った通常のもので、男子年長組は剣や弓の修練で、女子年長組は修練だ。


 セイを含む男子年長組は、朝食を済ませたあとは孤児院を離れて、村人の元に剣などの指導を仰ぎに行く。


 そして、ミフィを含む女子年長組と年少組は、食堂とは間逆の廊下の突き当たりにある修練部屋、兼、学問の部屋へと向かう。


 エプロンドレスの準備も整い、収穫祭を1週間後に控えた朝だった。


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