セイの修練 Aパート
空が遠のき夏を終わらせ、気温は低下する。朝の寒さに萎縮して、昼の暖かさに心と体が延びる。山の木々は赤や黄色に色づき、吸い込む大気からは緑の匂が消えている。
秋の盛り。日差しに混ざる微量のセピアが、僅かに家屋を古めかしている。
セイは壮年の男性と対峙していた。彼はセイの修練の指導役で、名をデニスという。西洋気風の彫りの深い顔立ちは、誰からも好かれそうだ。セイはこの日、通常のカリキュラムに従い、午後からデニスの個人宅に赴き剣の修練を受けていた。
二人が構える白銀色の刃には、鏡のようにカエデの赤い葉が、1枚、2枚と映し出されている。影から見れば鮮烈で、舞い落ちる木の葉は凶器の世界の裏側から、挽歌の詩篇を忘れさせる、真紅の秘境を見せてくる。
「最終ルーチンだ。来い」
「はい」
休憩とセットで5分にわたる剣捌き。それを10回こなすのが〝ルーチン〟だ。デニスが最終とつけたのは、それが15回目という事だ。
セイはゆらりと身体を揺らして間合いの詰めに移る。地表低く、影縫いの如き足裁きは、しきりに強く蹴り上げられても、素早くて静かだ。重心を一定に保つ狙いと、上下の乱れを嫌ったが動きがそこにある。
剣を握れば必然の動きで、距離が詰まれば、ステップにはさらなる繊細さが求めらる。鋼の芯が相手にぶつかる間合いを見い出すためには、地すべりの先まで妥協できない。
それでもずれてしまう、歯がゆい間隔がある。セイはそこまで愚鈍ではない。振る前に気が付いてしまうのだ。100ある中から80ぐらいの予備動作に陥ったと。ここから上半身の力を込めて、修正と同時に威力をこめる。
ギャン、ギャン、と響く鋼の打音は、昼寝を楽しむ田舎町の寝ぼ助どもを起こすには十分なのだが……。
『やっぱり、あと少し何か足りねーんだよなぁ……』
デニスはセイの両手持ちの剣を、片手で軽くいなしつつ、表情をかえない鳥のように首を傾げた。
『オレの時はどうだったかなぁ』
今度は顔を顰めて昔を思い出す。デニスは若かりし己と、セイの刃が作るビュッという風切り音を比べてみる。
『ダメだ。思い出せねー。分かんねーわ。オレもこんなもんだったかなぁ……。まちがいなく、こいつより図体は良かったけど』
デニスは的確なアドバイスを思いつかない。出兵が近いセイのために、知恵を絞るが、感覚の奥に立ち入る事はできても、持ち出して説明する事ができないのだ。
公国の指導役としては、デニスは下から数えた方が早いかもしれない。ゆえに、先程感じたような事は、普段からセイに率直に伝えている。二人は今をもって、たびたび事実を伝え合う関係ではないのだ。
それでもデニスはセイより圧倒的な衝突力を保持している。防衛線の8年間の義務を生き残った、クォーサイドタウン最強の男だ。これについては、180人程度の村人……さらにこの中から半数近い女性を除いて……という話だが。
『小奇麗にまとまってはいるんだが……やっぱり筋肉か?』
デニスの腕はセイの2倍近くは太い。彼が握っている剣はセイと同じ長さだが、彼がもつと、ククリ・ナイフくらいに見える。そしてデニスの推測はあながち間違ってはいないだろう。堅固に身に纏った筋肉は、ときに天理を無視する埒外な道を切り開く。
だが、セイが授かったのは人並みの肉体だ。恵まれた体躯がなければ、地道に理法と向き合うしかない。
八双に構えたセイが、剣の切先を背のほうへ落とす。と同時にステップを取り、肩口から真横へ刃を切りつけた。
「ぅらッ!」
空陣を二分に分かつ横一閃。刃は美しく水平を切っていた。
『いい』
デニスは切先を地面に向けて、体の左側面に置き、セイの剣を受けとめた。素手に伝わる衝撃からも、斬撃の良質な重みを感じる。
だが、衝撃はセイにも跳ね返っている。セイの剣は海峡の絶壁を殴ったように弾かれた。
衝撃を逃がして、握りを直し、ステップを刻み、二の太刀へ……。
『ババッとまで来なくても……バ、バ……くらいで次ぎが来ればBでもくれてやれるんだが……』
デニスがそう感じる程度に、隙間が空いてしまうのが、セイの連撃だった。
セイも自身でも分かっているので、二撃目には失敗の嫌悪感を顔に滲ませていた。
対ヒトを想定するならば一つ目の太刀を弱く当てる連撃も、あるいは成立するのかもしれない。しかし、セイを含む公国の少年少女が立ち向かうのはガルフである。必殺の一刀だけでしのぎを削りあうような戦いは、成立しない戦場だ。連撃には、いずれにも威力が求められる。強力な太刀を可能な限り数多く放つのが、彼らの責務であると同時に、命を守る要なのだ。
「上段回し蹴りから中段後ろ蹴りだ」
指示を受けたセイの膝下が旋回軌道に入る。踏み込んだ左足が自重を支えて、右膝高く、デニスの耳を狙って右足の甲を繰り出した。
最初の蹴りを、デニスはスウェーでかわす。
セイはその右足が空振りに終わると、直ちに地面に根深く擦り込み、軸足に変えて、180度回転する。
体を沈めつつ、背面のデニスを振り返って、彼が胴に構える剣の腹を打ち込みとして定め、左足の靴底を押し込むように打ち込んだ。
即座に、体術により下段まで沈み込んだ剣を、回し蹴りとは逆の旋回で、斜め上に切り上げる。
これをデニスは、刃に速度が乗る前に上段から弾き返す。
「悪くない」
デニスはまた静かに正眼に剣を構えた。セイの剣戟を待つ。
終始猛攻を加えているのがセイで、受けているのがデニスである。これが一つの修練の形だ。公国の剣の型を基礎とした攻防だ。3分程度、既定の攻撃をセイが繰り出してデニスが受ける。
しばらくして、最終ルーチンは終わった。セイは庭の隅まで歩いて、剣を鞘に収め、また別の剣を取り出した。さっきの剣と比べて、刃渡りが30センチほど長い。万人が使うには不向きな野太刀のような大振りの剣だ。
光術による身体強化を得て使用する想定の剣だ。今度はセイがこの剣を使って、デニスの剣撃を受ける側に回る。これも修練の一環だ。
デニスは手加減して打ち込む。剣戟の合間に意図的な遅延を作って、セイが守りの型を作る猶予を与える。しかしながら修練であるから、苛烈な重みは残して、防御の上から次々に斬りつけて行く。
「ほら、流れてきてるぞ、しっかり握れ」
そうは言われても、デニスが打ち込みは、筋肉を痛めつけるには十分で、次第に握力も失っていく。セイの剣は防御のたびに、ダランと左右に大きく流される始めた。
「ぬぁっ!」
気合を入れてセイは必死に剣を持ち上げる。セイの腕では、剣はもう重いのだ。型に入る動作が緩慢で、スレッジ・ハンマーを持ち上げているように遅い。それでも打ち込まれるたびに腕ごと持って行かれる剣を、セイは両手で強く握り締め、うめきながらも持ち上げて、体の前や横やと、守りの型の位置に正していた。
この守りの型はセイを肉体的に追い込むものだ。その日の修練の佳境で行われるもので、セイの剣が地面に落ちるまで、デニスの剣戟は止むことはない。
デニスは次第に弱っていくセイが怪我しないように、注意深く剣戟を弱めていき、限界付近を漂うセイの胆力の底を、なぶってなぶって鍛えている。守備を固めるための剣が、じわじわと位置に付くのを待ってから、剣戟を浴びせて崩して行く。終いには切るというより押し倒しているような動きだ。
不動明王のような、破魔に勇んだ鬼気迫る形相で、セイも喰らい付いては行くのだが、やがては限界もくる。
セイが尻餅をついてバタっ倒れ、デニスは切先を下ろして剣をしまった。
フレッシュなトマトの表面に引っ付く水滴程度しか、デニスは汗をかいていないが、セイは土砂降りに打たれた野良犬のように、じゅんとしている。息も絶え絶えだ。
「はぁはぁはぁ……」
セイは空を仰いで空気を求めていた。
「なぁ、お前ちゃんと走ってんだろ?」
「はい……」
体の熱量と呼吸が、セイにそれ以上答えさせる気を奪っていた。
「じゃあ、まぁ大丈夫だ。最初のころは何だかんだ許される。最悪分からんように逃げ回ってろ。うろちょろしてるだけでも役に立つから」
デニスは井戸に近づき、バケツに水を汲み分けて自分で飲んだ。残りを
「ほれ」
とセイに渡す。セイは上半身を起こして、バケツの残り水で喉を潤た。
セイは少し落ち着きを取り戻すと、バケツと剣をもって庭の片隅へ移動した。
続いて、デニスの前には四男のギーが躍り出た。まだ幼さも残るこの少年は、木剣を握り締めている。デニスは獲物を同じものに変えて、ギーの前に立ちはだかった。
セイとギーはセットで修練を受けており、次男のヒースと三男のロックは、また別の村人の指導役の元で修練を受けている。この場にはいない。セイとセットになっている弟は一定期間で変わる。そして、相手の指導役も変わる。この日は、セイとギーが、デニスの元で修練を受けている。
デニスとしても、一番骨が折れる最年長のセイと、まだまだ、加重の軽い8歳のギーを相手取るこの日は、気が楽な部類だ。
ギーが握っている木剣は鉄より軽く、少ししなるコルクやゴムに似た素材感がある。突きを除き、ある程度打ち合っても問題ない代物だ。ギーがまだ8歳であるからデニスはギーの肌に打撃を加えたりはしない。
8歳のギーにとっては、前に前にと踏み込む性根が、まず第一で、脅えや、負け癖が根付くの防いでいるのだ。
このあたりは公国がマニュアル化して、指導役が目を通すべき書類に記載されている。
「てい! たぁ!」
と気合を入れて打ち込むギーに
「よし! 来い! もっとだ!」
とデニスは言って、少年の燃え滾る心に薪をくべている。
真夏だと密かに水泳による体力強化を始める時もあるのだが、今の二人はいたって真面目だ。川面にダイブはしないし、魚がディナーに並ぶ事もないだろう。
この時間がセイにとってはインターバールであるのだが、最終ルーチンが終わったので、よっこらせと体を起して、汗が散った剣を拭いたりなどして、二人の打ち合いが終わるのを待っていた。
デニスが構える木剣に、ギーは様になり始めた連撃をチョコマカと打ちこんでいたが……。
「おし。これくらいか」
とデニスが終わりを告げて、ギーは素早くバックステップで間合いを空け、デニスと同時に構えを解いた。
ここからは検討を加えてアドバイスなどを与える時間なのだが、やはり、そうそう毎日言うような事はないので、与太話をしたりというのが、普段の修練の一部になっている。
デニスもセイの側に座る。
「ふぃー」
などと軽く息をついて、彫りの深い頬を剽軽に崩した。




