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イグニション前の速度より  作者: 紀
【夏の章】
45/82

スリー・セット・サンセット

 15時


 ミフィはレオの脇に手を添えて波打ち際でしゃがみ足に波を体験させていた。

 セイは砂浜中央に仁王立ちである。

 皆は波を追いかけたり逃げたり寝転んで波を待ち受けたりしている。


 年少組の幼子達は水に顔をつけるのを恐れる者もいたが、温泉で鍛えたバタ足を試す者も出てくる。

 そういった幼子達は年長組に仰向けやうつ伏せで海水面に浮く方法などを教わったり、手を引いてもらったりもした。しかし、誰一人として足がつかない沖へ挑む者はいなかった。


 セイは屈伸を数回してサンダルを脱ぎ、深い足跡を残しながら海の方へ歩き出した。

 浅瀬や波うち際で遊ぶ皆のそばを通りすぎるときにヒースが尋ねる。

「どうしたんだ?」

「いや、波にさらわれた時を考えると、砂浜より海から見ていた方がいいんじゃないかって」

「ほーん」

 ヒースは白とも黒とも言えない返事を返した。


 セイは迫る波を掻き分け、監視の位置を海の中に変えた。へそが浸るくらいの深さで振り返って、腕組みをして波うち際の皆を見守った。八度目の波で派手に倒され、起き上がり、毛先からポタポタと海水を落としながら海から出てくる。

 何食わぬ顔で皆の横を通り抜けるセイに、ロックが引き気味にいう。

「ダセェ……」

 ヒースが少しニヤつき出方を窺う。

「兄貴、なんで真顔なんだ」

「少し熱くなったからな。身体を冷やしただけだ」

 セイは気丈に振舞い、歩いて元の位置へと戻り始める。


 ルネが横一文字の目じりを下げて満足気に口角を上げている。そして高性能の監視カメラのように黙ってぬるりと被写体を追いかける。


 左手を口に、右手は包むようにわき腹に添えているカリナの口から、んっ、んっ、と断続的な声がこぼれる。

「ごめん、兄さん、無理がある」

カリナは眩しそうに片目をきつく閉じている。


 幼子達は、どこか咳き込むように体を揺らしているカリナの所作を不思議そうに見ていたが、閉じ込めているものが笑みだと分かり、釣られて声を出して笑い始めた。


 笑い声が響く中、セイはどもりながらも

「た、倒されたわけじゃないからな!」

と叫んだが誰も聞いてない。

 赤い顔で逃げるように踵を返し、元の砂浜の位置に戻り仁王立ちを始めた。


 滑り出しから声を出して笑っていたミフィは涙を拭いてから、

「ね。かっこいいでしょ」

と最後にそっとレオに吹き込んだ。



 16時。


 年少組は遊んでいるものの瞼が重い。重力に機敏に逆らうときはあれど、ゆっくり閉じたり開いたりを繰り返す。

 眠気は動作にも忍び寄り、ヒョイと動いたと思えばボーッと立ち尽くしたり、シュンと座り込んだりする。


 まず、ミフィがレオを誘う。

「お姉ちゃんももう眠いから一緒に寝よっか?」 

 二人は手をつないで砂浜を上り木陰に入って、ミフィはレオを膝の上で寝かし始めた。

 カリナとヒースが見習うようにルネとロックとギーに声をかけて、ラルフとセリアとメイも、波打ち際から砂浜、砂浜から陸へと移動し、ミフィのいる木陰の元へ移動した。


 ミフィとカリナが二人の年少組の幼子を膝で受け止め、ヒースは腕枕でラルフと一緒に寝転んだ。

「うん。大丈夫。しばらく動けないでしょ。自由時間よ。三人とも遊んできて」

 ロックとギーは即座に海を目掛けて走り出す。


 一瞬迷ったルネにヒースが口を開く。

「ということだ。ルネ、行くといい」


 ルネはヒースの瞳をしばらく覗き込み、それからカリナの方に向き直る。頬に手を添え、しかしながら聞くに容易たやすい通りの良い厚みのある声を出した。

「えらそうに言っても、目的は夏の思い出にカリナお姉ちゃんの水着が張り付いたお胸を記憶する事です。斜め下からの視線を警戒するです」

「三次元記憶型……。やっかいね」

「はい。気をつけてください」

「わかった」

 カリナは真剣な眼差しでルネと頷き合った。


 年少組が眠ろうとしているのでヒースはボヤクように呟いた。

「お前ら俺をなんだと思ってるんだよ……」


 祝福を授ける牧師のように、ルネは穏やかな笑みを二人に向け、それからロックとギーの後を追った。


 やがて、レオとメイはミフィの膝の上でに寝始めた。カリナの膝ではセリアとクロエが、ヒースは腕枕でラルフが眠りについた。三人は視線を動かしてときどき空と海の景色を堪能した。


 セイは海へ潜り、再び砂浜中央に座りルネとロックとギーが遊んでいるところ見守り、そして、ときどきちょっかいを出しに行った。


 「ヴぅぅぅぅ、あづい」

 アキットはテントの中で9歳とは思えない地の底からのうめき声を上げた。無意識の内から、体を包み込む腕をしりぞけ、頬に接触している胸から顔を背け、眠りの世界から脱出する。

 アキットに絡んでいた腕と胸の出所はキユキだ。同じテントで離れて寝付いたのだが、寝ている内にアキットはキユキから抱擁を受けていた。

 アキットは何かを点検するような面持ちで熱の出所をそっとツツいた。発生源の特定に至り、すぐに興を手放した。

 キユキは汗一つかいていおらず、今だ満足気に寝ている。

 

 テントの中も多少は明るいのだが、アキットは出入り口に垂れるシートの隙間から顔だけ出して太陽の高さを確認する。

「うん、大丈夫」

 リュックから水筒を取り出し、水をごくごくと飲み干ほす。

「ふぅ」

 服を脱いで水着姿になり、服を畳んで、髪をうなじで握り込む。枕元に置いてある水色のリボンがついたバレッタで髪を押さえて、テントからそっと忍び出る。


 アキットは、リアカーに乗っている紙の束を包んだ灰色の風呂敷を砂浜と雑木林の境目にある手ごろな高さの岩の上に置いた。

「うん」

 再びリアカーの元へ戻り四角いカバンも岩の近くへと持ち運ぶ。

 アキットはカバンの中からクリップボードのような板、コンテ、万年筆などを取り出す。デッサンなどの写生の準備を終えたアキットは、その場にとどまり岩に背を預け、ときどき海を見ながら腕ならしに自身の術印や記憶の中の海ガメを描き始めた。

 頭から甲羅へと描き連ねていく。アキットは補助線を加える事無くどこからでも正確に再現する。


 アキットを見つけたギーが駆け出そうとするとロックが制止する。

 ルネが一人でトコトコとアキットへと歩み寄った。

「もういいんですか? 起きていても?」

「うん。もう寝れないと思うから。アキットお姉ちゃんは遊ばなくていいの?」

「私はもう遊びました。今から見る時間です。それと、少しお直しです」


 ルネはアキットの後ろに回り、バレッタを外して水着の胸元に差し込む。それから手櫛を根元から毛先へ通して、球体に振り分ける髪の量を調節し、バランス整えながら髪をうなじへと丁寧に流していく。


「見るのに時間がいるの?」

「はい。ここの空は広すぎます。クォーサイドタウンから見る空とも、山の中かみる空とも違うです」

「空なのに違うの?」

「ここの空の水色は開いていますね。山の中とか、ここに来る途中で見上げた空とかは閉じてるです。山の上からも捨てがたいんですけど、私はクォーサイドタウンの中から見る空が一番好きです。空を見たときに山とか建物とかのバランスが一番きれいに視界に入って来るです。私達はいつか空とも分かり合えるです」

「そう、なのかな……」

「ランドスケープ論ですね。ヒトは住みなれた土地の空の大きさを心の拠り所にするそうです。なれない土地では空を見てバランスを取ると心が落ち着くらしいです」


 ルネは髪をすく手を止めて、自身のリボンの術印を〝想起〟する。

 そして〝接合〟の精神操作で水色の光の線を伸ばす。アキットの周りを一周させてから光の線を上空へ少しづつ延長する。

 うーん、とルネは呟き、光の線を延ばすの止めて、再び口を開く。


「私の光の線だと時間まだまだ時間がかかりますね」

「ルネお姉ちゃん。今の高さだと、孤児院の裏山と変わらないんじゃないの?」

「どこの空もつながっているとそうですね」


 ルネは再びアキットのキャラメルブラウンの髪をすく。 

「アキットの海はどうですか?」

「分からない。でも、今日はそれを確かめに来た」

「ようこそです」

「ルネお姉ちゃんは海なの?」

「空と海は多分仲良しです。遠くで重なっています」


 ルネは自身の胸元においていたバレッタを取り、パチンとアキットの髪をうなじで留めた。バレッタを飾る水色の二重蝶々結びのリボンも整える。

 アキットは再び腕を動かし記憶した海ガメや自身の術印を描く。

 ルネも同じ岩に背をあづけて座り、再び空に向かって光の線を延ばし始めた。


 少し離れた木陰でミフィは二人の様子をぼんやりと眺めて、カリナは水平線をボンヤリと眺め、ヒースはラルフと一緒になっていつの間にか眠りに落ちていた。

 

 セイはロックとギーが競争するように作っている隣り合う二つの砂山を、顎に手を置いて見ていた。


 ロックとギーは山を飾るために、その場を離れて波打ち際に漂う昆布や二枚貝の殻を取りに行く。


 セイは顎に置いた手を外し、隣り合う二つの砂山を見て、ミフィ達の方を見て、彼女達の視線がずれている事を確認し、隣り合う二つの砂山の頂上にそれぞれ小さな砂山を築いた。

『俺の文献によると左右で微妙に大きさが違うという……。再現性はかなり高いんじゃないか?』

 セイは自身が作った上下のバランスに何らセンスを感じない雪だるまのような造形を見つめる。

 帰って来たロックは造形の趣旨を理解し、兄が引き起こそうとした誤解も理解して、足にタックルをかました。



 17時。


 アキットに少し遅れてキユキが起床する。

「あら?。アキットちゃんは行ったみたいね。ふぁぁ」

 キユキはあくびと背伸びをしてからテントの外に出て砂浜へと向かう。


 日陰に八人、スケッチに二人、浜辺に三人、計十三人。全員いることを確認してキユキはルネとアキットの元へ行き、アキットに対して軽く腰を折り曲げる。

「今からやりすぎると夜にばてるわよ?」

「大丈夫。これは準備運動」

 アキットは絵に集中してキユキを見る事なく答えた。

 キユキは穏やかな腕の動きを見てそれ以上注意はしなかった。

「そっか。それじゃあ夕食の準備するわね」

「手伝った方がいい?」

アキットはキユキを見上げる。


 近くに座っていたルネが立ち上がる。

「私が手伝うです。計画を守るです」

 キユキとルネはリアカーから食材やコンロなどのバーベキューセットの移動を始めた。


 キユキの到着を見たセイがその時に遊んでいた、ロックとギーに伝えた。

「二人とも撤収だ。手伝おう」

ロックは山を飾っていた昆布を肩に掛けて自身の砂山を手で押して崩した。

「砂地に戻すぞ、ギー」

「もとから砂だよ? ロック兄ちゃん」

「……。平らにするぞ」


 セイが一足先にキユキに合流する。

「キユキさんは海に入らないんですか?。ここはやりますよ」

「うん、今日はいいかな」

 キユキは普段着のまま、いつもの遊び相手がミフィ達の近くで全員寝ているのを遠めに見て微笑んだ。


 セイの後を追って来たロックとギーはキユキに巨大な昆布を見せびらかす。キユキはそれが食用に向いている事を伝えると二人は昆布を肩に掛けてリアカーの元へ向かった。


『行くのが早いんだよ……。俺が遊ぶのか? じゃあ誰がバーベキューを作るんだよ』 

 セイは自身を納得させてからロックとギーを追いかけるようにリアカーの所に向かった。

 三人はリアカーの元につくとタンクと水筒をもって海の近くの河口へと向かった。ロックとギーは昆布を肩に掛けている。

 三人は川で天然水を補給し、昆布を洗う。一度テントの設営地を経由し、近くの木に昆布を干して、再びキユキの元へと合流した。


 キユキは持って来た糸くずに火を入れて、薪、炭へと順番に火を移して火力をあげた。

「それじゃあ来た人から食べましょうか。暗くなると手元もみえにくいし。セイ君、肉を切り分けてくれる?」

 来た人から食べるとなっているのはコンロが小さいからだ。

 肉は腐るのを防ぐために前日に軽く燻製にした物を持って来ているのだが、キユキは当然、火を入れ直している。既に食べごろサイズに切ってあるナスやピーマンやトウモロコシなどと共に上から軽く塩コショウが振られる。串に刺さった食材はないが網の上で夏野菜と肉に順調に火が入る。

 まず、ルネとロックとギーが木製の小皿などで野外の夕食を楽しむ。

 セイはルネが運んだ膝丈程度の作業台の上で肉を切り分ける。焦げそうに成った肉をキユキとお見合いしながら時々食べる。


 年少組は匂いに誘われ目を覚まし、一人、また、一人とバーベキューの方へと向かった。先に食べ終えた年長組がそのまま年少組の世話をする。

 特に事前に注意を与えられていたのがコンロに近づけるなということだった。

 

 ヒースは取り残されるように寝ており、ミフィとカリナはキユキ達の夕食の風景をぼんやりと眺めていた。


 ミフィの資質が差異を捕らえる。

「何か違うのよね~」

「何が」

「ほら、お兄ちゃんが肉を渡している時のキユキさんを見る目」

「うん、何か違う。それはわかる」

「言語化できる?」

「わざとくさい優しい目」

「まあそうなんだけど、でも、くさい、が言いすぎじゃない?。全部がそうって感じでもないでしょ」

「うん。作り物っぽい優しい目」

「偽物までいかないって意味の作り物ってことでしょ?」

「そう」

「そうなんだけど……。そうなんだけどぉ……う~ん……」

「それに何か関係があるの?」

「ちょっとね。新しい目的地を探しているの。ヒースを起こして。寝すぎると夜ボッチになっちゃうし」

「自業自得。危機管理意識の低下は咎めるべき」

「厳しいね。優しくしてあげたら」

「じゃあキスで起こそっか」

「あんまりいじめないであげてね」

「わかった」


 カリナは左の人差し指の先をヒースの唇にそっとあてた。

 ヒースは素早く空を抱き、それから、へっ、と間抜けな声を出した。クロスチョップしたような腕でカリナと目が合う。

「誰を抱こうとしたの?」

「ふぇ?」

「誰?」

「何の話だ?」

「とぼけるの?」

「お、俺はクワガタの夢をみていただけだ。カブトムシと樹液を争う熱い戦を繰り広げていただけだ」

「ふーん。勝ったの? 負けたの?」

「ギリギリ勝った」

「ノコギリだった?」

「いや、ミヤマ。ミヤマクワガタだ」

 ヒースはシャキーン、シャキーン、と腕をクワガタのハサミのように動かした。

「聞こえてたんじゃない? 最初から」

「いや、聞こえてない」


 カリナの語調からは振りまくような優しさはない。乞われて返すような温もりもない。年齢が近い者を相手にしたときの口ぶりで淡々としたものだ。表情の変化も僅かなもので、切れ長の細い目からは一層その感情を読み取る事が困難となる。

 カリナはヒースが何かを口にすると一定のテンポで言葉を紡いでいく。階段を下るような連続と先約の運動の一部として言葉を落としていく。


 それゆえ、カリナが喋るのを止めると、ヒースは辺りには何かをぶつ切りにしたような違和感と、迫りくる何物かを同時に予感せざるおえなかった。ただ、それは掴みきれるものではない、何か、であり、何物か、であった。

 ヒースは再び、シャキーン、シャキーン、と腕をクワガタのハサミのように動かした。

 とりあえず始めたこの運動が、ヒースの脳を刺激する。


『指か……。ったく。たちの悪い。ギーと間接キスのつもりだろ?』

「んっ!」

「なにか閃いた?」

「いや。なにも」

「本当にクワガタだった?」

「話がみえてこねーよ」

「ヒースが見た夢の話」

「そうだよ。クワガタだ。厳しい闘いだった」

「カブトムシも?」

「あいつにとっても厳しい闘いだったはずだ。少なくとも俺はそう感じた」

「カナブンはいた?」

「いねーよ。カナブンは」

「他の虫は?」

「いないって。1対1の一騎打ちだ」

「二重表現じゃない? それは」

「そ、そうだな。ただ俺は過酷な闘いを伝えたかっただけだ。二重表現は罪なき過ちだ。だれも傷つけてない」


 カリナの黒い瞳が作る視線は砂地に落ちた。

 ヒースはクワガタを止めて、上半身を起こして胡坐をかいて、以前と変わらず時折カリナの方向いて喋る。

 二人のカナブンのアクセントは標準的であったが、その声は檻に閉じ込めたように重く低く、そして静かものとなった。

 

「そう。じゃあクワガタの6本脚はどうなってた? 樹液を争ってたんでしょ?」

「ああ。だから樹液に浸かってた」

「カブトムシも?」

「カブトムシもだ」

「お互いの6本足が浸かるくらの樹液。面積は十分で液量は豊富。この認識で間違いない?」

「そ、それは……」

「そう。それは仕方のない事。あまりある武力を持ったもの同士が近づいた結果。そうでしょ?」

「そうだよ。互いに矛を収めて、いや、角とハサミを収めて樹液を分け合えば、丸く収まった話だ。俺達には納める場所が無かった。衝突は必至だった」

「だとすると随分おろかな熱い闘いね」

「戦ってるほうは必死なんだよ」

「必死なのにカナブンはいなかった。ヒースはそれを知っていた。不思議ね」


 カリナは右手で砂を救い、時計からこぼれる時間のように細く落とし始めた。

 カリナから聞こえるのは言葉だけだ。声という感情の音色は失われている。


『くっ。逃げ道が消えていく』

 ヒースは思いを巡らせ切り返す。


「冷静さもあったんだよ。まわりが驚くくらい見えてた。追い込まれたときはそういうもんだろ?」

「本当にカナブンはいなかったの」

「いない。カナブンはいない」

「私はカナブンのほうが好き。緑色がきれいだから」

「そうか。でも武器を持ってるカブトとクワガタが夏の男子のメインストリームだ。あいつは無害すぎる」

「おでこに当たると痛いけど」

「まあ無害そうな奴が往々にして起こす有害だな。あいつは飛行が下手すぎる。着地もおざなりだ」

「ヒトを、ううん。カナブンを責めるよりまず自分を責めた方がいいと思う。ヒースはどうやって起きたかをまず思い出して欲しいの」

「お、おれは何か、自然と目をさました。そんな感じだ」

「自然と? クワガタで目覚めるのが自然なの?」

「そ、そういうときもあるだろ」



 カリナは表情を崩さず軽いため息吐いた。

「傷は深くなっていくだけね……」

「だったら止めろよ。俺は十分傷ついた」

「……」

「……」

「私が傷ついてないと思う?」

「……」

「……」


 互いの視線が交差するが、それは見詰め合うというものではなかった。

 カリナが見つめてヒースは見つめられる。送り手と受け手として二人の空間は成立していた。

 ヒースは視線を落とし、吐き捨てるように言葉を綴った。

「ごめん。悪かったよ……。カナブンぶつけて」

「やっぱりカナブンはいたんだ」

「ああ。いたよ。カナブンはいた」

「おでこにぶつかったけど、カナブンはまだ生きてる?」

「往きてるよ。あいつの防御力は定評がある。折り紙つきだ。あの緑色は伊達じゃない」

「緑は関係無さそうだけど……。そう……。良かった……。ただね……」


 カリナはクスリと笑い、左の人差し指を立てる。

「私はこのゆび、舐めた事がないの」


 遠慮なしにヒースは怒鳴る。

「いやそれは嘘だろ!」


 カリナはようやく

「ふふっ」

と少し笑い、ヒースは

「ったく」

と少し仏頂面になった。


 カリナはようやく声に芯を入れて話し始めた。

「でも叫べば何とかなると思ってない?」

「思ってねーよ。散々付き合っただろ。なんなんだよ。さっきから」

「もう自分の世界に帰るの?」

「そろそろ歩み寄るべきなんじゃねーのか?」

「そう。じゃあここからは交渉の時間。分かりやい和平交渉」

「お、おう。いいじゃないか。和平交渉。はじめよう」

「でもいきなり飛びつくと怪我をする。交渉の前には相手が交渉するに足る人物か知る事。これがセオリー。ここまではいい?」

「当然だな。異論はねーよ」

「じゃあ私の問いに答えて欲しいの」

「譲歩した様に見せて欲求する。結局自分の優位に事を運びたいだけじゃねーか。返報性へんぽうせいの心理くらい知っている。小細工はよせ」

「ここまでの会話。ヒースに全く発言権が無かったとは思わないけど?」

「……。わかった。いいだろう。ヒントはあるのか?」

「ノーヒント。ノーキッス」

「何だよ。ここに来てエロ展開か? 俺達は姉弟だぞ」

「品のない言葉は止めて。あとセルフ・ハンディキャップも。小細工を封じたのはヒースでしょ?」

「セオリーに準じて試しただけだ。俺の言い分は終わった。いいよ。かかって来い」

「私が本当に知らない事、当てる事ができる?」

「ぬるすぎるな」

「交渉前だからね。答は?」

「カリナ姉は左右、どっちの指でギーの唇に触れた覚えてない。そうだろ?」

「うん。ヒースは固まって助けに来てくれなかったから」

「悪かったよ」

「許してあげる」

「ありがとよ」


 カリナは左右のひと差し指し指を立てて10時10分を作る。

「じゃあ和平の証にヒースが選んだ方の人差し指にキスしてげる」

「止めろ。見えすいてる。手加減で勝っても嬉しくねーよ」


 ぼけっとセイ達の方を見ていて終止黙っていたミフィがすっぱそうに目と閉じる。

「うぅぁ、我が弟ながらそれはちょっと……」

「ミフィ姉は黙っとけよ! そこから先は品がなくなるだろ!」

「だってぇ……ヒースはリップだけでどっちの指か分かるでしょ?」

「んなわけねーだろ!」


「練習したの? 自分でしたの? 二部練はあるの?」

「止めろ!。疑問を積んで虚実を作るな! さも俺が練習したみたいになってるじゃねーか!」


 カリナはクスリと笑ってから、ヒースに視線を流して左手のひと差し指にキスをした。

「合ってる?」

「し、知らねーよ……」

 ヒースはそっぽを向いて答えた。

「そう。知らないんだ」

 カリナは表情を変えずに、ただただヒースを見つめた。


 結局叫ぶほか無いヒースは叫ぶ。

「だからなんなんだよ! この異空間は!」 

 それでもカリナは眉一つ動かさないので、ヒースは重苦しく懸念を一人で呟くしかなかった。

「だから……なんなんだよ……。カナブンってやつは……」


 ミフィはキユキとセイから視線を切って、ヒースの方を向いた。

「その空間はカリナの独壇場だからね」

「どうせけしかけたのはミフィ姉だろ?」

「そんな事ないよ。ちゃんといじめないでって言ったよ?」

「しっかり煽ってるじゃねーか」

「あはは。そうかもね。でも目は覚めた?」

「覚めてるよ。で、何のようだ?」

「ちょっと知恵を貸して欲しいの」

「知恵ならミフィ姉もあるだろ。俺が出る幕は無い」

「ちょっと拗ねないでよ。手伝って」


 カリナが差し込むように答える。

「姉さんは夜までエコモード」

「ああ、そうか……。そうだったな。で何だ? 異空間だと俺には手が出ないぞ」

「いま希求されてるのは二つ目の立場」


 ヒースは平常心を取り戻して、カリナの奥のミフィと話始める。

「じゃあなんだ? ミフィ姉はメイドの話がしたいのか?」

「なんでそんな大昔の話になるのよ。私が聞きたいのは今のコト」

「今? 俺はもうカナブンの話はしないぞ」

「カナブンは関係ないから、その辺に寝転がってもっとトボけた顔をしてキユキさんとお兄ちゃんを見て。気付かれないでね」

「あぁ、分かった。で何?」

「なんか違うと思わない?」

「なぁ、これ真面目な話しか?」


 カリナが差し込むように答える。

「真面目。いま必要なのは二つ目の矢」


 カリナが答えるとミフィとヒースは鋭さを捨てトボけた面になった。

 ヒースとミフィがといから始め真を詰める。

「どの違いがー、知りたいんだー?」

「あの目よー。二人のあの目ぇ。ほらー。今お肉わたした時にー、ちょっと違わなーい。私達とー」

「二人とー、それ以外とー、て事でいいんだなー」

「それ以外にー、何があるのよー。くどいわねー」

「まあ、皆の世話をしているからー、優しいわなー。でも違うわけだー。優しい目をしているー。でも違うー、そーいうことかー?」

「私だってー、優しいでしょー」

「お、おー」

「手前の、〝お〟がー、いらないのよー。分かり易くー、否定してんじゃないわよー」


 間延びした実時間がかかる語尾でカリナが一端を描写する。

「見られている事をー、見ている目ぇー」


 ヒースの観察はカリナの提言で終わった。警戒を緩め、片方だけ胡坐をかき膝を立てた。

「見られていること見ているってのは、まあ往復だわな。で往復しているものは何かっていうと、この場合、献身なんじゃないか」

 ミフィもペタンと座り直す。

 二人とも片手を尻の近くに置き姿勢を支えた。

「キユキさんもお兄ちゃんのもお世話はしてるんだから献身的ね。でもそういう話じゃないんでしょ?」

「ああ。あの二人はあそこで肉を焼いてるだろ?。焼いてるのは野菜もあるけど。何度も献身的な姿を見てるんだ。この往復が姿じゃなくて心を見始めてるんだ。献身的じゃなくて献身、それ自体をみてるんだよ。だから……」

「ちょっと止まって。じゃあ私があそこで肉を切って渡したらあの目になるの」

「無理だよ。今だと動機が不純するぎるし、あの肉は俺と兄貴で燻製にしたからそこまでにはならないんじゃないか。いや燻製にしたとかの問題でもないかもしれないけど」


『省エネが過ぎるだろ。少しは考えろよ』

 ヒースは心の中だけで苦言を呈した。


「ふ~ん。ねぇ、いま馬鹿って言った?」

「言ってない。暴言は心の中でも使わない。歪んだ刃で断ち切れるものは何もない」

「そう。気のせいか……」


『こっちはこっちで鋭どすぎんだよ』

 ヒースは自身が所属する空間が変わったに過ぎないことを自覚した。


「だからの続きは?」

「あぁ、だから献身を自体を見ているって話で、見る目じゃないんだよ。互いに監視しているって話だ」

「監視って、観察じゃダメなの?」

「うーん、どうフレームにはめるか迷うんだけど、観察は見るため、とか、見つけるため、だろ?。そうじゃなくて、ある程度起こるという想定のもとで見てるんだ」

「それじゃあタダの信頼関係じゃない」

「本人たちがそう思ってないからそういう目になるんだろ?。あの二人はこの瞬間に起こった優しさを生まれた瞬間殺してる。当然と思っていない」

「何よ。殺すって。物騒ね。作って壊すじゃダメなの」

「多分ダメだ。瓦礫からも再建できるものがある。キチンと殺して埋葬しないと出来ない。ちゃんと世代交代しないと出てこない。出来るか出来ないかの素質もある気がするんだけど」

「何であの目が私には向かないのよ」

「そんなの当たり前だろ? 二人が恋人だからだよ」


 カリナがクスリと笑う。

「な、何だよ」

カリナはゆっくりと首を振る。

「ううん。続けて」


 っていわれてもなあ、と呟きヒースの言葉が詰まり始める。

「ああ。ええっとだな。キユキ姉のほうは、まあ分からないけど、兄貴のほうは警戒心から来てる部分があるんじゃないか?。だから、今をもってもまだキユキ姉への警戒心みたいなのは解けてない。いや、溶かす事ができないのが兄貴なのかもしれない。だからミフィ姉とキユキ姉との間に深度の差がどうしても生まれる。これくらいじゃダメか」

「多分、それは理由であって正体じゃないでしょ。私が知りたいのは正体のほうね。だから、えぇっとねぇ、知りたいのはカナブンがどこから来たかって事じゃ無くて、カナブンって何?って感じなの」

「ミフィ姉、それくらい具体例なくても分かっから、カナブンを野に放つのは止めてくれ」

「ごめん。あとで捕まえとく」

「ああ、きっちり頼む。もう森から出てくるなって言っといてくれ」


「ぶーん」

 カリナが口ずさみ、ヒースが睨み、カリナがクスリと笑う。


 ミフィがふふっと笑ってから続きをヒースに尋ねる。

「でも聞きたいコトはそういうトコなんだけど、何とかならない?」

「いや、これ以上は直ぐに出てこねーよ……。来るとき、カリナ姉にも言ったんだけど、言い方が悪いけど兄貴は兄貴で少しイカレてるって感じで……、いや、ダメか。この理論はもう古すぎる。一の矢だ。新しい二の矢がいるんだろ……」

 ヒースはセリフの最後のほうは独り言のように呟き、それから考え始めた。


『ふぅぅむぅぅんぅぅ……。来るとき……、古い……、新しい……』

 ミフィ瞳が左にずれて、それから瞼の上半分をなぞっていき、パチりと中央に位置する。

「そっか。ノスタルジーとファンタジーってコト?」

 ヒースが砂地に着いていた手を握り込み、胸の前で見つめる。

「懐古と幻想の創作物か。うん、悪くない答えな気がする。あの二人が目にまで宿した何かの正体としては悪くない。古く、儚く、生まれては書き換えられて、目が離せない」

 ヒースは目元を鋭く片側の口角を上げてキリッと微笑む。


 『近頃、発症し、ときどきキメ顔になるのは、やっぱり病気?』

カリナはなんとなくヒースと同じ韻を心の中で踏んだ。


 水に流すようにサラサラとミフィは思考を編み込む。 

「なるほどねー。分かったわ。人の感情って突き詰めると変な事起こるよね。怒って叩くとか、恐怖で震えるとか、その手のものね。優しさって感情は突き詰められると目に表れる。そんな所か」

「存在の証明が往復で行なわれた、ってのはどうだ?」

「証明方法にまで拘るあたりヒースもイカレてるわよ」

「何だよ。もういいのか?」

「うん。ありがと」

「あのさ、言いたくねーけど、いい加減こういう事も兄貴と話せよ」

「いいの。私とお兄ちゃんにこういうのはいらないの」

「まあ別にしつこく言うつもりもねえけどさぁ」

「そ。ならいいでしょ。二人とも泳いで来て。あとちょっとになったけど。私はアキットと食べに行くから」


『姉さんのための第二の矢……。兄さんは保護は過剰ね。でも……』

 カリナは顔の晴れたミフィを見て、それ以上は考えるのを止めた。

 すぐにミフィが明るく流暢に促す。

「ほら、行って来て。前に来た時は私もセイも日が沈むまではしゃいだんだから」

 カリナの思考は途切れ、入れ替わるように視界に夕刻が訪れる。

 

 18時


 額に手をかざし見つめる空に、茜の前の橙色が広がる。

 否が応でも視界の中心に据えたくなるのは太陽になるが、瞳の機能はそれを許さない。海面の青は終り黒に近づくが所狭しと輝く乱反射の存在が勝る。太陽直下に位置する水平線からは砂浜まで一筋の光の帯が延びる。

 潮位がうつろい、波打ち際の飛沫が足跡を消していく。それでも砂浜には皆が刻んだ足跡が凹凸を作り残っている。斜めから差し込む光は、それぞれの窪みに昼間は見えなかった影を与えるが、空から広がるオレンジ色は砂浜にも降り立ち、その一つ一つを包み込んでいる。


 ミフィは景色を吸い込むカリナの瞳をみて言葉を送る。

「ごめんね。カリナの時は来てあげれなかった」

 カリナは月夜の術印は心に刻むが、かざした手は動かない。

「ううん。私はこの術印が好きだから」

「そう。なら良かった」

 ミフィはカリナを見て、それから同じように掌で西日を防ぎ同じ景色を見つめた。


 誘われるように孤児院の皆も同じ景色を見ている。

 

 一日が終わる前……、時の狭間に現われるいくつもの太陽のリフレクター達を、誰よりも軽視したヒースの思考が先行する。

『も、もう一回クワガタ行くか? いや、カナブンと相性が悪い。マジできつい……。だからここは……』

「う、うおおおおおおぉぉぉぉ!!!」

ヒースは砂地をめくり上げながら夕日の波間を目指して走り出す。


 

 ミフィの瞼がピョコンと跳ねる。

「あはは。ヒースいったよ。追いかけてあげて」

「どうしよっかなぁ」

「もう……。許してあげたら。カナブンは返してあげるから」

「カナブンは夏の夜の緑の流星」

「ふふ。児童作家パトリックの有名な一説ね」

 

 ミフィは口ずさむように一説を読む。

――カナブンは夏の夜の緑の流星。みんな見たことあるけど、みんな捕まえる事ができない。REASON……。彼はもう近くにきているから捕まったわけではない。彼はたびたび旅立つ――

 

 ふふっ、とミフィは軽く微笑む。

「ヒースにはまだ難しいんじゃない?」

 カリナはあきれたようなため息と一緒に言葉を吐き出した。

「カナブンってるのにね」

「ヒースの髪は赤色でしょ?」

「赤いカナブン」

「まあ、そんな子もいると、世界はカラフルで楽しいかもね」

「いないと思う?」

 ニコニコと微笑み始めたミフィをカリナは真剣な表情で見つめる。

 次第にミフィの顔が青ざめて行く。

「え……、いるの……?」


 カリナはミフィに答える事無く、スクッと立ち上がりヒースの後を追いかけて砂浜に足跡を残して走り出した。最初の数歩は少女じみた速度で走ったが、誤る気をまったく感じない延びた手のひらは、すぐに俊敏に動き始め脚の回転数が跳ね上がる。足の親指から小指までが砂地を掴み、綺麗に並んだ爪から紗幕しゃまくが広がる。


「ヒース!」 

 先に波打際に到着したヒースは、カリナの呼び声で振り返ると、そこにはすでに空中でコマのような回転軸で回っているカリナの姿があった。

 遠心力でカリナのノースリーブの裾がクルリと回る。

 へそ、くびれ、尾骶骨びていこつ。螺旋の軌道で白き肌が舞い上がる。


「ぉぃ、おい、おい!!」

 ヒースはどさくさまぎれに三連ボイスで見たものしっかり記憶する。


 飛び後ろ蹴りの予備動作から疾走をからめたカリナの足刀が打ち込まれる。

「この世界にエルフはいない!」

 

「くぉっ!」

 ヒースは胸の前で腕を十字に構えて受け止める。

 しかし、砂浜を駆けてきたカリナの運動量が防御ごとヒースの体を海へと吹き飛ばす。

「がぼがぼがぼ(そっとしてとけよ)」 

 ヒースは海中へと倒れ込み声は海のモズクとなった。


 カリナはタターンと飛沫を上げて着水し、足元を流れる薄い波を見つめた。

『クリーンヒットだったのに。昔は……』

 カリナは水中から顔を出し立ち上がった、もはや目線が同じになった弟を少し寂しそうに見つめた。それから直ぐに振り返り、二人の勢いを追いかけてきた年少組の幼子達をファニーなステップで堰き止めた。


『捕まえたけど逃がしていいよね』

 ミフィは気持ちの上でカナブンをそっと野に放ち、アキットをバーベキューに誘いに行

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