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イグニション前の速度より  作者: 紀
【夏の章】
38/82

冥霊送月

 孤児院の皆の夕食は終わり、セイは厨房で当番である皿洗いをしている。

 そこには〝保護役〟のキユキもいて、彼女は翌日のメニューのために仕込みの調理器具を出している。

 夏の夜。厨房には賑わい深い田舎の虫の音が届き、キユキが〝点灯〟させた天井の術印から赤色の光が広がる。


 キユキは海への遠征の前に来る、冥霊送月めいれいそうげつという死者供養の日について思う事があり、セイに尋ねる。

「セイ君、送月法衣そうげつほういは持ってる?」


 冥霊送月めいれいそうげつの日に着る儀式的な正装が送月法衣そうげつほういだ。男は上半身が青色で下半身が黒色、女がその逆で上半身が黒色で下半身が青色の色彩指定の服装である。ズボンになるか半ズボンになるかスカートになるかなどは自由であるが、靴や靴下は黒で統一されている。

 

 セイはキユキの質問に端的に答える。

「はい、去年も着ているんで」

「いちど見ておいてくれない? 虫食いとかあるかもしれないから」

キユキは仕込みの手を一度止めて、んー、と言いながら唇の下に人差し指を添える。

「みんなにも聞いてみて、っていうのは余計なことかしら?」

「いえ、そんなことは」


 キユキは赤く皮が張り詰めたトマトをボールに入れてセイが皿洗いをしているシンクへ向かう。

「ちょっといい?」

 セイは横にずれて水道の水をキユキに譲る。

 セイはキユキの指がトマトのヘタの縁をなぞり、汚れを器用に洗い流す様を見ていると、キユキから抽出油の香りを微かに感じる。

『サプライズみたいな名前の奴。ミフィが貸したのか……? らしいといえばらしいけど……』

 セイはキユキがトマトを洗い終えて皿洗いを再開した。


 キユキは食材からメニューをまとめ、鍋に昆布を入れてから、水を注ぐために再びセイの横へ来た。

「セイ君、このまえ頼んでいたテントなんだけど、大丈夫だった?」

「はい、全部広げてみたけど大丈夫でした。穴も無かったです。設営の練習も繰り返して、俺とヒースとロックは指示なしでも再現できると思います」

「やっぱりギー君にはまだちょっと難しかったかしら?」

「そうですね。ロックが居るから出来るとは思いますけど、当日のテンション次第というか……、手順だけは覚えているとは思うんですけど」

「ふふ。そっか」

 

 鍋に入れた昆布が水に浮き、キユキは蛇口から鍋を外して、火のないコンロの上に移動させる。

 少し距離が離れて、セイがキユキの背中に話し始める。

「全員で行くとは思いませんでした」

「ここに来る前から、みんなとどこかに行けたらなぁとか考えてたの。そういう意味では自分のためでもあるかな」

「あの、リアカー屋根の日除けに使ってるほろが少し破れ始めていて」

「わかった。じゃあ近いうちに縫っとくね」


 キユキの弾む声を耳にして、セイは皿洗いを中断し、キユキの方へ向きなおる。僅かに頬に散った水滴を半そでの裾でぬぐいながらセイは淡々と伝える。

「すみません。色々、苦労をかけてると思います」

「ん? ああ、そんな事はいいの。皆で行くっていうのは私の希望だから」

「……そうしたいって思ってたのは俺もですから」

「ふふ。そっか。でも、三人で行くっていうのも冷静な判断だと思う。大切に思うからこそね」

セイは違和感を覚えて視線を外し眉をひそめる。

『キユキさんの大切な誰かは死んでるはずじゃあ……』


 キユキは普段見ないセイの僅かな表情の差異を捉える。

「どうかした?」

「いえ、何でもないです……」


『何でもないわけは無いとおもうんだけど……』

 キユキはキユキでセイの8年を超える防衛線の滞在について、内心で気に病んでいた。「あのね、8年間防衛線で生き残って、その時に気が変ってここに残っても、私はセイ君を責めたりしない。制度の話を持ち出した私が言うはおこがましい事だけど、これだけは覚えておいてくれる?」

 セイは少しだけキユキ目を合わせて視線を外す。

「わかりました」

 その後二人は作業を終えて食堂をあとにした。




 一週間後の日中、送月法衣そうげつほういに身を包んだ孤児院の皆は村のはずれにある墓地に来た。

 セイ達男子はブーケのような背中に垂れる生地の短い半そでのマントと黒のズボンをはいている。ミフィ達女子は黒のチェニックのような丸みを帯びた半そでTシャツと青いスカートをはいている。


 身なりを整えた孤児院の皆は、その一角にある孤児院の保護役、兼、女子の指導役を担ってきた者達が眠る墓石へと向かう。

 セイ達は記憶にある墓石だけを磨いた。それぞれ花や焼き菓子などを添えて、カリナとロックはリンゴの枝を一本ずつ、以前の保護役であるメレディスの墓石の前にそっと横たえた。


 13人の孤児院の皆とキユキは、それぞれ思い思いに墓地の前で手を組み、時を刻んでから数歩下がったが、ロックはそのまま動かなくなった。

 皆に向けたカリナの声は、無音の世界に吸い込まれるような響きがあった。

「後で行くから」

 カリナはそれからロックの横で両膝をついて、瞳を閉じて一緒に手を組んだ。


 他の者達は次第に振り向き帰途につく。

 最後尾で石畳みを踏みながらミフィがつぶやく。

「私もあんな風にできるかな」

 同じく最後尾で横を歩くセイは歩幅を少し短くし、ミフィの歩みも速度を落とした。

 

 ミフィが少し視線を上げて夏の空を見る。

「ロックね。昨日急いで帰ってきてキユキさんに言ってたの。少し遅くなるけどリンゴの枝を取りに行っていいかって。何かね、そういうの良く分からないんだけど、多分、結構大変な事だよね……」

「ロックはそんな事まで考え始めたのか」

「うん……。キユキさん。どこまで生きるのかな」

「どうだろう。やっぱり三十くらいか。光術が上手くても防衛線では無理してそうな気はする」


 セイとミフィの前方で、キユキは年少組の幼子を抱いたり歩かせたりしている。残った幼子はキユキの裾をつかんだり年長組に絡んでいる。

 ゆったりと風に流れる雲が太陽を隠し大地に影を運ぶが、二人の肌に触れる空気には夏の熱が残ってた。


 セイとミフィの二人はしばらく黙って歩いたが、ミフィが再びぽつりぽつりと言葉を並べる。

「あのね。私、今はキユキさんに教わってる。悪い人じゃないのかなって。教え方も多分うまいと思う」

「良かったじゃないか」

「うん……。だけど……、それだけじゃなくて。お兄ちゃん、分からない?」

「分かるけど。……。でも、それは多分生きてる人に対して持っていく感情じゃないだろ。上手くいえないけど、それは困る事じゃないか?」


 セイは前方でキユキに絡まってる年少組の子供達の方を見た。ヒースやルネやアキットやギーも何かガヤガヤと笑みを零して喋っている様子が見える。

 ミフィの視線もキユキに落ち着き、セイが再び口を開く。

「生きてる内に一緒に楽しめるならそのほうがいい。そこから先は、やっぱり少し塞ぎ込んで、それから歩き始めるしかないんじゃないかなって思うよ……」

「うん」

「難しいよ。それだけは」


 雲は流れ太陽が顔をだして熱と光を地上に放出する。二人の歩幅は小さくとも汗を少し滲ませる。

 慣れない黒の革靴は、靴底以外にも全体的に固く、つま先やカカトを傷めるが、うしろから駆け足で追いかけて来た二人は、セイとミフィの背中を視界に入れてからはコソコソと死角に潜んで追いかけていた。それから長男長女の声真似をする。


「お兄ちゃん。分からない?」

「難しいよ。それだけは」

カリナとロックによるリバイバルの協奏がセイとミフィに届く。わざとらしいまでに悲観的に高い声と安定的に低い声だ。


 セイがため息交じりで、後ろから追いかけてきたカリナとロックを振り返る。

「お前らいつから聞いてた?」


 セイとミフィの横に、次女のカリナと三男のロックが駆け寄り、皆で横並びになり石畳の上を歩む。


 今度のロックは普通の声で答えて、カリナが諭す。

「良かったじゃないかってトコだよ」

「ロック、そういうときは知らんぷりをするの」

「そーなの?」

「そう。団子虫が丸まるのに自分で転がれないのと同じくらい大切なこと」

「ああ、うん、よく分かんねーけど、何でなの?」

「それも同じくらい大切な事。ほら、送霊光矢そうれいこうやの手伝いするんでしょ。急ご」

「あ、うん」

 ロックが頷きアゴを引いて駆け足で三人を置き去りにした。

 

 冥霊送月めいれいそうげつという日の、夜の儀式が送霊光矢そうれいこうやである。


 カリナはその場で駆け足開始。しかし少し視線を斜め上に流して少し考える。

『〝二人〟、に、しておこうか』

カリナはさらに顎を上げ、兄のセイと姉のミフィを少し見下したような視線をつくる。

「二人が一番周回遅れ。いつまで普通の事を考えてるの。夏よ。もう」

カリナは天を指さしクルリと太陽を回し、セイとミフィの答えを聞く前に、直進してロックを追いかけた。


 ミフィはカリナの背中を見てから、セイに向けて声のトーンを上げる。

「耳が痛いね。今までを振り返ると」

 セイも同じように語調を高め、横を歩くミフィのほうをチラリと見る。

「キユキさんに関しては提案書が絡んでから結構話したはずだけどな」

「そうなの? なになにです、なになにです、みたいな事しか言わないって言ってたよ?」

「そんなこと言われてもなぁ……」

「いい人よ。キユキさんは」

「ちゃんとはやってるよな」

「まだ、そんな言い方してる」

 ミフィは眉を下げ、少し困ったように笑った。


「悪い。俺はキユキさんの寿命が来る前に出兵するから、それでハイさよならってなるのも、感じ悪いかなって考えたりもするんだよ」

「そうね。仲良くする事も出来ない保護役も多かったからね」


 ミフィは、リンッ、リンッ、リンッ、と口ずさみながらセイの数歩前に躍り出て振り返る。ショートカットの金髪の毛先が首筋で流れ、青のスカートの細やかプリーツも流れて落ちる。

「私がいて良かったね」

 セイが少し微笑み、穏やかに答える。

「なに当たり前の事言ってんだ」

 セイはミフィの横まで来て歩みを止めて、ミフィが進行方向に振り返り、ニッと笑ってから、二人はまた横並びで歩き出す。


「その当たり前はいつも突然失われるでしょ。カリナが年長組みに上がったときとか」

 ミフィの含み笑いにセイの眉間に皺がよる。

「止めろよ。先に来たのはミフィだろ」

「うーそ。お兄ちゃんも一人で寝るの嫌がってた」

「そんな事ないだろぉ……」

「カリナと一緒に兄ちゃんの様子を見に行ったもん。お兄ちゃん涙目になってた」


 セイは幼き日の記憶をかき消して答えた。

「なってない。9歳だぞ。その時の俺は」

「無理があるかなぁ。もう少し言おっか? だから三人で……」

「いい。やめろ。降参だ」

「カリナはね、だからお兄ちゃんに少し手加減してるの。お兄ちゃんから私を奪ったから」

「何だよ。出兵前の種明かしか?」

「そんな所ね」


「ロックの事も助けられたな」

「リンゴの枝も一緒に取りに行ってた」

「は? ミフィじゃないのか?」

「おかしーのよねー。一緒に寝たのは私なのに。ロックのつぶらな瞳はカリナを指名してたの」

「その理由は分かる気がするよ」

 セイが少し含み笑いで答えて、ミフィが追求を始める。

 二人は皆が先に帰っている孤児院へ最後に到着した。


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