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イグニション前の速度より  作者: 紀
【春の章】
25/82

空き部屋をうめるもの

 セイは山を下りて孤児院に到着すると食堂へ向かい昼食の準備にとりかかった。送れて到着したヒースは休憩してから庭で弓の修練に入った。

 セイは具材となる鶏肉や玉ねぎを細かく刻み油で炒めてボールに分けた。次いで小麦粉をバターと炒めて牛乳を加えながらネバネバと伸ばし、さらに牛乳を適時加えてドロドロに伸ばし、塩を少々振ってベシャメルソースを作った。ベシャメルソースと最初の具材と混ぜ合わせ、グラタン皿に注ぎ、チーズの塊を摩り下ろした。レオのために薄味で同じことをした。


 ヒースは庭で弓の修練をしながら

「違う、引き手がそもそも弱い」

などと呟いてる。


 代わりにミフィとカリナが、2歳のレオを連れて意気揚々と食堂に入ってきてた。

「お兄ちゃん出来た~?。手伝うよぉ♪」

「ごめんなさい。直ぐ手伝います。兄様」

「語尾が臭い。お前らわざとだろ? 出来てから来るなよ」

 セイはミフィを軽く睨みつけて唇を尖らせたが、ミフィは動じる事無く答える。

「そんなに怒らないでよ」

「怒ってないって」

「うん。知ってる」

セイとミフィは安い芝居を終わらせ、二人はニコニコと笑っている。


 『もう少し喋らないかな』

カリナは自身の心に浮かぶ感情を口にする事は無く無表情であった。


 セイは窯の入り口にわらを敷き並べる。ハンカチ程度の広さで、薄い座布団程度の厚み。火種を落とすには十分な量の藁を広げる。

 セイは厨房の作業台の引き出しからフェロセリウムと呼ばれる合金とナイフを持って窯の前に立つ。左右を確認し、レオの所在を確認する。それから、手にした道具を火打ち石のように使い、わらの中心近くに火種を落とす。きらめく流星のように落とされた火種は砂粒のように小さい。火種のたもとから薄くか細い一筋の煙が上がる。

 火力としては脆弱きわまる火種であるが、セイは敷き並べた藁を、火種が中心となるように両手でかき集め、優しく挟みこむ。そして、両手で持ち上げた大杯のように、口の前に近づける。弱く、弱く、そして徐々に強く、セイは口から風を送り火種を炎へと育てる。

 藁の一部に火が灯ると、セイは窯の中に火を戻し、わらから小枝へ、小枝から薪へと順に火力を高め、炭に火を移す。立ち上る火の手が低くとも、赤黒き烈火を宿した炭が窯の奥へと並ぶ。

 

 火力が落ち着いた窯の中にセイはグラタン皿を並べた。この隙にパンでも捏ねようかと考えたが、考えるだけで手を動かす事はなかった。食に対する根源的欲求はキユキが大部分を満たしていた。

 セイはチーズのブロックをしまおうと布巾で包み始めるがミフィが口を挟む。

「あっ、ちょっとそのチーズちょうだい?」

「ああ。カリナも食べるだろ?」


 セイはミフィとカリナにそれぞれポンポンっとチーズの欠片を渡した。

 最後にもうひとかけらを作り小さな耐熱皿にのせて追加で釜の中に入れる。

 渡されたチーズをカリナがかじる。

 ミフィはレオを一緒に緒に厨房の作業台近くの丸イスに腰掛ける。

 しかし、レオはイゴイゴと動き、ズルズルと拘束から逃れるように床に降り立ち、トコトコと厨房の中を歩く。厨房は非常に整理されており、また、刃物なの度の危険なものは全部、棚や引き出しに仕舞ってあるが、窯の前に立つセイにときおり方向転換を促され、カリナの足元へ向かう。


 チーズを受け取ったミフィは、それを作業台の上おきセイに語りかける。

「ありがと」

「なあ、この前の推理小説なんだけど……」

「さっき部屋においてきたよ」

「助かるよ。簡単だったか?」

「難しいと思うよ」

「またか」

セイはぶっきらぼうに言った。悔しさなどはない。

「もう見つからないんじゃない? ね?」

 ミフィはカリナの方に頭を傾けて、話を振る。

 

 そしてカリナとセイが語らう。

「うん。無いと思う」

「いや、一冊くらい見つかるだろ?」

「需要が無い」

「俺にはあるんだけど」

「局所的。多分、簡単な推理小説なんて欲しがってるのは兄さんだけ。皆頭を悩ませながら楽しんでる」

「だとしたら、俺みたいな奴はいつまでたっても犯人をあてれないだろ?」

「兄さん達は置いていかれた」

「俺達は迷子か……」

「う~ん、違うか。兄さんだけが置いてかれた」

「止めろよ。俺はそんなのじゃない」

「うん。だから、兄さんには〝分かりました、全てお話しましょう〟の役がいいと思う」

「……どういう事だよ?」


 ミフィが肩を少し揺らし軽く、ふふん、と笑う。

「似合ってるんじゃない? お兄ちゃん、さっきのセリフ丁寧に言ってみて?」

「えっと、〝どういう事ですか〟、いや、違うか。〝お聞かせ下さい〟 か?」

「そのもう一つ前のやつね」

「……。〝お止め下さい。私はそのような者ではございません〟 こんな感じか?」

カリナがクスリと笑って継ぎ足した。

「兄さん、そのセリフ〝全てお話しましょう〟の前によく聞くよ?」

セイは渋そうに片目を瞑る。

「二対一はずるいだろ」


 セイは近くでトコトコ歩いている2歳児のレオを捕まえ、抱き上げミフィに預ける。

「ふふん♪」

とミフィは鼻歌まじえたような声を響かせ、穏やかに微笑む。


 セイはチーズだけを乗せた小さな耐熱皿を、火かき棒で窯から取り出し、厚手の手袋で掴み、スプーンを添えてミフィの前に置いた。

 ミフィは皿の中で溶けているチーズを小さくスプーンですくい上げて、それを再び固めるかの如く、ふーふーと息をかけて、レオの口に運んだ。それから幾度となくレオが奪おうとしていた作業台の上のチーズをパクリと食べた。


 春の陽光は北側に面する厨房の中も十分に明るくする。白の食器やシンクの金属は光を反射し輝き、作業台やスプーンの木目も美しく浮かび上げる。強く赤く燃える窯の中の炭は順調にグラタンのチーズを溶かす。


 セイは、作業台の上のボールに手を伸ばす。ボールの中にはこれ見よがしに山積みになっているイチゴがあり、セイはそれをシンクの底において、蛇口を捻った。

 セイがカリナの方を見ず、背中越しに、それとなく語りかける。

「なあカリナ。ヒースをたまにでいいから修練に誘って見てくれないか?」

「どうして?」

「あれでもたまには剣も振ってるから、そのときだけでも一緒にやった方が効率がいいだろ?」

「弓だけってやっぱり問題なの?」

「ああ、Aプラス帯がいるからな。ルーキーからの弓専門のテイカーはどうしてもそこから選ばれる」

「でも、兄さんが出兵した後はヒースが姉さんの修練に付き合うんだと思って、私はロックに声を掛けようかなって思ってたんだけど」


ミフィがセイに尋ねる。

「ロックはどうなの?。実際」

「まだ小さいからちょっと難しいと思う。ばてるの早ければ、寝るのも早いな」


ミフィはセイの意を汲みやんわりとカリナと語り合う。

「カリナはヒースとしたら?。私は来年まであの修練にこだわるつもりはないから」

「そうなの?」

「来年には私にも〝自術印〟があるし、何ならヒースのマントに二人分の術印を描いててもいいんじゃない?」

「そっか。じゃあしばらくほっとこっか」


 蛇口からの流水はイチゴの表面で反射し水滴を散らしている。ボールには十分に水が入っている。

 セイはイチゴを潰さないように優しく洗らっていたが、カリナのほうに向きなおり、オタオタした調子を混ぜながら穏やかに頼む。

「いや、カリナ、そこは、カリナの方からそれとなく声をかける事はできないか」

「でも私一回断られてるよ?」

「マジかぁ……」

「うん。兄さんと姉さんの邪魔になるから止めとこうって」


 ミフィとカリナがテンポ良く掛け合う。

「別にいいのに」

「そう思ったんだけど……」

「もう一回チャンスをあげたら?」

「今更?」


 セイはイチゴを耐熱のグラタン皿に載せて潰してジャムのようにして、追加で窯に中に入れる。砂糖などは加えない。


 グツグツと煮えてきたチーズの匂いはヒースを食堂に呼び寄せた。

「腹減ったー」

 ヒースがスタスタと食堂を抜けて厨房の中まで入っていく。

 三人は厨房から視線をヒースに送る。ヒースが食堂に入ってきたときから集中している三人の視線は、ヒースが厨房の中に入るまで途切れる事なく終始つながる。

 ヒースは自身の歩行を追跡するかのように動く三人の首に不気味さを感じる。

「な、何だよ?」

 ミフィがパチパチと瞬きしてケロリと尋ねる。

「カリナを修練に誘いたかったらそう言えば?」

「な、なんの話だよ?」


 カリナは無表情であるが、語気に冷気を忍ばせヒースに向かう。

「忘れたの?」

「い、いや、覚えてるけど」


セイは表情を変えずに静かに思う。 

『だよな』


 ミフィが声のトーンを落としてヒースを畳みかける。

「セイがいなくなったら誰が手本になるの?。私とセイの姿はおっきくなった妹と弟は見れないのよ。ほとんど」

「そんなことは……分かってるよ」


 ヒースは目をそらして床を見る。セイの両眉は少し余分に上がる。

「じゃあ、ミフィ、さっきのやつ、夜の場合でやってくれよ?」

 ミフィは裏声になり声が高い。

「本気で言ってる?」

「ダメか?」

「えぇぇ、もう。じゃあヒース、カリナを夜に誘いたかったらそう言いなさい」


 カリナはスッと首をまわしてヒースを見据える。毛先は僅かに揺れる。

「何?。そっちも誘ってたの?」

「三人とも分かっててやってるだろ……」


 終始ためらいがちなヒースをミフィが追い込む。

「ふん。ヒースがすぐ返事しないのがダメなんでしょ。これ以上こっちのせいにされても……」

 

 少し赤くなって俯くヒースを、カリナは瞼を閉じる事無くクスリと笑う。そして、少し優しさを交じえた声で、ミフィを遮ぎるように言葉を送る。

「ヒース。たまにでいいから」

「いや、カリナ姉もそこで玉にとかいうとおかしい事になるから……」

カリナは眉をひそめて少し首をまわして、包丁が仕舞われている引き出しの方をだけ見る。

「死にたいの?」

「い、いや」

「やるの?」

「やります」

 それから孤児院の皆はときどき朝に、稀に夜に庭で修練するカリナとヒースの姿を目にするようになった。


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