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イグニション前の速度より  作者: 紀
【序章】
2/82

クロック・ロック Bパート

 今の時代でこそ、モートポレスト公国は大陸の覇権国家であるのだが、いにしえの時代においては小国。すなわち、隷属国家であった。


 夜という時を憩いの時間へと変えたモートポレストだが、それを良しとしなかったのが当のモートポレストの国家元首であり、彼を傀儡とする周辺諸国であった。


 彼らは民草の狭間に新しく生まれた時間を即座に奪いかかった。モートポレストは成長戦略として長時間労働を国是として採択した。二交代労働の導入。光は都市開発、農業、工業性手工業、あらゆる分野で夜間労働のために利用された。


 国家としても致し方なかった。モートポレストは小国であり搾取される側であった。すでに近隣国家に労働力を提供していたモートポレストに政策を策定する権利も、反抗する余力も無きに等しかったのだ。


――光り舞い散る最下層の隷属国家――


 近隣各国は小国・モートポレストをそのように嘲り、ほくそ笑んでいた。


 転じて、バーミトンが光術の発展に寄与する時期はすでに終わっていた。誰でも使えるものを最初に見付けただけ。既に光術は広く普及している。彼は一応の功労者として王宮内に席を持っていたが、小国内でそれ以上の何者になる事はできなかった。光源利用の発見があろうと出自は一介の庶民。バーミトンが国政に口出しをする事は不可能だった。


 バーミトンは小国の惨状を誰よりも憎んだ。彼は彼が見つけた光がこのような形で利用される事を誰より認めたくなかった。光術の光は妻から与えられた才能の無い自分への慰めであると、彼は信じていたからだ。


 彼は苦悩する中、民衆の心は光術から離れていった。


――凄惨の術印――


 大々的に周知されていたバーミトンの術印は、いつしか民衆にそう呼ばれ始めた。元を辿れば、一組の夫婦のささやかな思い出であるにもかかわらず……。


 苛まれた彼は自分を傷つける。ナイフで自身の太ももに術印を刻んだのだ。自傷行為は留まること知らず、彼は傷口に術印インクを塗りたくった。思い出を大きく包み込み、哀しみを忘れながら……。


 彼は自身の絵を、もう一度自分の内に取り戻したかったのだ。民衆が縫い付けた憎しみの心を捨て去り、澄んだ心で自身の絵と向かい合いたくなったのだ。彼は誰よりも後悔と自責の念に駆られて、その狂った行為を達成した。


 彼は心の中で妻と狂ったように抱き合っていた。そして太ももに刻んだ術印へ道を作るように、涙を零して、彼はひととき正気を失っていた。


 気付いたら彼は走り出していた。小国の王宮室内から飛び出し、かつて妻と暮した自分の住処へと走り出していた。


――凄惨ではない……決して……決して違う!――

 

 バーミトンは走りながら心の中で悲痛な叫び声を上げていた。夜の住宅区画はガランとして暗かった。ヒトが工業区や農業区に刈り出されているからだ。夜は眠るべき時間。光がもたらす安らぎなど、何処を見ても見つからなかった。


 全速力で住宅区画を駆け抜けたバーミトンはかつての住処へあっという間に辿り着いた。

その時、彼は違和感を感じる。振り返えって王城を見て、かつて、妻と暮した家を見た。


――近い……近すぎる……いや、俺が速かったのか?――


 バーミトンは自身が太ももに刻み込んだ術印を見た。術印は光っている。そしてバーミトンは気が付いた。


――息苦しくない――

 

 全力で走ったつもりが、バーミトンの息はまったく乱れていない。足も震えていない。激情に駆られて気が付かなかった事実にバーミトンは気が付いたのだ。


 辺りを見渡してヒト目がない事を確認し、バーミトンは再び全速力で走り出した。異常に軽い身体。走り続けても強打に野垂れない心肺。急速に流れる景色の追尾が可能な眼球運動……。……。


――身体強化――


 バーミトンは奇しくも、また一つ、光術の新たな効果を発見したのだ。そして二度目の彼は奥歯を噛み締めて、ひっそりと復讐を誓った。


――愛しき光を全てのヒトへ――


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